Encounter

09
「……………」

 沈黙している涼潤と、その様子をおぞおずと眺めている光麗。
 遊龍と竜神がこの場を去ってから大分経つが、帰ってくる様子はない。涼潤の表情はなく、見ただけでは何ともないように見える。しかしそれは視覚的な問題。辺りに漂う雰囲気からは、ピリピリした空気を感じる。

「何やってんのよ、あいつら………」

 ぼそりと呟く涼潤を、光麗は不安げな表情で見つめていた。



***

「どうした?もう終わりか。威勢が良いのも最初だけだな」

 相変わらず見下した笑みを浮かべながら、霧氷はそう言う。敢えて挑発の言葉を投げかけているのだろうと、遊龍は気付いた。どうにも彼は、戦闘を楽しんでいるようにしか見えない。

「こんの……やろ…っ!」

 苦しげにそう叫ぶと、竜神はまた走り出す。走る間に水を集め、縄状の水が複数出来る。それは水蛇。十数匹の蛇は大きく弧を描くと全てが霧氷に向けて牙を剥く。霧氷はそれを少ない動作でかわし、かわしきれないものは刀で斬りつける。俊敏なその動きを、遊龍は目で追うのが精一杯だった。
 かわされた水蛇はぐるりとUターンすると、後方から霧氷を狙う。斬りつけられた水蛇は一瞬で霧となり霧散する。しかし霧散した霧は再び収束し、水蛇の形を取り戻す。水使いと霧使いの攻防は、ぐるぐると回った。

「スピードはあるじゃねえか」
「このくらい、当たり前だ」

 ニヤリと笑みを浮かべながら霧氷は褒め言葉とも嫌みとも取れる言葉を投げる。竜神は即座に返すが、霧氷のような余裕はあまりない。躍起になっている。
 ふ、と。霧氷の表情が僅かに変わる。ほんの一瞬だけ動きを止めると、そのあとはずっと向かってくる水蛇を斬りつけ続けた。全てを霧に変えていき、再生した水蛇もまた斬りつける。延々と続くかのようなその行動に、遊龍は違和感を覚える。

「なんだよ、かわせなくなったのか?」
「いいや?やり方を変えてみただけ」

 竜神も違和感を覚えたのか思わず口を開く。けれど明確な答えは返ってこなくて。嫌そうな顔をした竜神はしかし、水蛇を操る。噴水のように飛び出すそれらは勢いよく辺りに散らばる。四方八方から向かってくる蛇は、その身体自体が刃だった。霧氷の肌に触れただけで、赤色が浮かぶ。
 霧氷は走り込むと、目の前に塞がる蛇たちを一睨みする。そして彼らを片っ端から斬り捨てる。素早い動きに再生が追いつかず、辺りには霧が充満した。そして霧氷は竜神の目の前へと飛び出す。大きく振り上げた刀を見上げて、竜神は一瞬目を見開いた。けれど。

「後ろががら空きだぜ」

 ふっと笑みを浮かべるとそう呟く。ハッと霧氷が振り返ると、そこにはもう霧は広がっていなかった。代わりに無数の水蛇がこちらに牙を向けている。既に間近へと迫っていた水蛇は、霧氷へと狙いを定め彼を切り裂いた。

「(勝負、あったかな………)」

 遠目に見ていた遊龍はそう思った。けれど、即座に妙な影を見た気がして身を乗り出す。竜神の後方に。
 竜神も異変には気付いた。切り裂いたはずの霧氷はゆらりと揺れて、途端に霧散した。姿が、消えた。目を凝らして気付く、彼の姿は霧となって消えていた。

「竜!後ろ…っ!」

 遊龍が思わず叫んだが、竜神が振り返るよりも早く不敵な声が耳に届く。

「後ろががら空きだぜ?」

 鋭い痛みの直後にガンッと酷い衝撃が背に走り、竜神は大きく転倒する。一瞬息が詰まり、がはりと咳き込んだ。目が眩む中で振り返った途端に、首元にキラリと光る刃が押し当てられた。首筋に赤が走る。背に感じる鋭い痛みと鈍い痛みの2種類。何故こうなっているのか、理解が追いつかなかった。
 両者の動きを見ることが出来た遊龍は、言葉を失う。霧氷の姿が霧となって消えた時既に、竜神の後方には霧氷がいた。霧が充満したついさっき、その内に彼は身を隠していたのだろう。いつの間にか後方へと周り、タイミングを見計らい、そして。切っ先で竜神の背を切った直後に刀の柄頭で思い切り突いた。
 僅かに赤の付いた刃が鈍く光る。宙を漂う霧が、赤に滲む。

「さ、どうする?まだ続けるつもりか?」

 睨み付けるように振り返る竜神へと、霧氷は言葉を投げる。刃はまだ、首筋に当てたまま。表情は、愉快。戦闘を愉しみ、勝利に悦ぶ。首を傾げて竜神の様子を伺うが、彼は霧氷を睨み付けたままだった。

「ッたり前だ」
「そっからどうする気だ?」
「っ…」

 首筋の刃に力が篭もる。首筋から流れた赤は、白のシャツをその色に染めた。ギリリと歯をかみしめる竜神の表情は、怒り。右手を強く握り締める。不意に刃が首元から離れた。その瞬間に竜神は立ち上がり、後退した。霧氷の持つ刀を、水蛇が昇っていた。
 立ち上がった途端に目眩を感じたが、それは無視する。腹部と背中に痛みが走るがそれも無視する。竜神は霧氷を見据えた。2人の距離はざっと見て5歩分程。
 霧氷が刀を軽く振ると、それだけで水蛇は消え去った。

「お前のそれ、さ。粗があり過ぎるから、もちょっと考えて使った方が良いと思うけど」

 お節介にも似た言葉を霧氷が投げかければ、竜神の怒りが増すのがオチ。それがわざと挑発していることに遊龍はとっくに気付いていたのだが、竜神は気付いているのか気付いていないのか、走り出し殴りかかる。振り上げた右腕に水の刃が巻かれているものの、スピードは最初の頃から格段に落ちていた。間合いにあっさり入り込まれ、霧氷の右膝が竜神の鳩尾に入った。

「が…っ」

 どさりと膝を着き、竜神は倒れ込む。腹部を押さえ込み、声も出ずにただ唸る。すぐ目の前に霧氷が立っても、今度の竜神は見上げることすら出来なかった。

「いい加減にしろっての。勝負有りだ」

 面倒臭そうにそう言うと、霧氷はしゃがみ込んで竜神の顔を覗き込んだ。冷や汗を流して痛みを堪える彼の表情は、それでも強く睨んできていて。霧氷は小さく溜息をついた。

「言っとくが、俺はお前を殺せるから、殺さないように加減が出来る。お前は俺を殺せるだけの技量があるか?」

 返事はないが、答えられない問いではなかったと思う。霧氷を睨み付けていた視線は下を向き、悔しそうに歯を食いしばる。すぐ近くまで歩み寄っていた遊龍は、その様子がやけに鮮明に脳内に残った。そして同時に。霧氷の言葉に既視感を覚えた。

「立てないんだろ?それに比べて俺はほぼ無傷。諦めとけ」

 竜神の傷は腹部と背中に刀傷。どちらも深くはない。深くはないが浅くもなく、白のシャツは多量の赤が染みこんでいた。それに引き替え、霧氷には擦り傷程度の負傷しかなかった。例えこれ以上続けたとしても、結果は目に見えていた。

「っくしょう!」

 認めたくないのか、諦めたくないのか。往生際が悪いとも言えるかもしれない。竜神は掠れた声で大きく叫ぶと、しかし霧氷につま先で腹部を蹴られ黙り込む。もしかしたら彼は、思っていた程“痛み”というものに慣れていないのかもしれない。不意に遊龍はそう思った。思っただけで、その後は違う思考によってその考えは隅にやられる。どうにも、竜神が“負ける”、“叫ぶ”という状態が信じられなかった。彼の戦闘というものは初めて見たというのに。多分、普段から彼が強気な態度で自分に接してきていて、そして自分はそれに勝てないと思っているから。だから彼が負けるということは、自分はそれよりもっと弱いと、勝手に作った不等式を認めてしまうから。

「因みに話を最初に戻すと、俺もMistyを探してる身だ。お前らと組んでみようかとも思ったんだけどな」

 霧氷はそう言うと、ちらりと竜神を見やる。思った通りに睨み付けてくる彼を見て、鼻で笑った。

「どうもそれは嫌っぽいようで」
「当ッたり前だ。誰がてめえなんかと…、大体何であんな霧を起こした」
「霧?」
「とぼけんな。朝方のあの霧、お前以外に誰がやるんだ」

 結局また蚊帳の外な遊龍は、黙って2人のやり取りを見ていた。オレこの場にいる必要なくね?なんて思うものの、帰るに帰れないので傍観中である。朝方の霧、と聞いて遊龍は聴覚をそちらへと集中させる。それが気になってここまで走ってきたのだから。

「まあな」

 1度ははぐらかした霧氷だったが、あっさりと肯定する。ニッと笑うと言葉を続けた。

「ちょっと不注意で。寝てる時は力のコントロールが出来ねえ」

 しばし沈黙。竜神の表情は呆れと怒りが入り混じったものとなる。

「お前、それ絶対答えになってねえだろ、いい加減にしろ」
「叫ぶなって。傷が広がるぜ?」
「余計なお世話だ!」

 くっくっと声を押し殺して笑う霧氷に、竜神は不快感を覚える。睨み付けている彼に気付いた霧氷は、まあまあと宥めつつ笑った。

「わざとだよ。異変作ったら着いてくると思ったから。案の定2人揃って着いてきたってワケだ。お前ら、あの女の子と行動パターン同じすぎ」

 はた、と。空気が止まるのを感じた。一瞬だけ、竜神も睨むのを止め遊龍は目をパチパチとさせる。なんで、と遊龍が口を開くより先に竜神の声が呟いた。

「なんで知ってんだよ」
「何を?女の子?」

 ちらりと竜神を眺めると、霧氷は新しい煙草を取り出し火種で火を付けた。それを咥えて盛大に煙を吐き出してから、彼は遠くを見ながら話し出した。

「この間、変な壁が出来ただろ?あの時、走っていく子を見掛けたんだよ。それだけ。やっぱお前らの知り合いか」

 彼は笑ってはいなかった。その代わり、何かを考えるように、状況を読むように、言葉少なに話した。その様子は、先程の挑発的な態度と比べると別人のように落ち着いていて。竜神はそれが気に喰わなかったのか、顔を背けた。遊龍はポカンと眺めて、思わず口を開く。

「なんでMisty追ってるんだ?」

 ひどく、素朴な疑問だった。会話の流れからしたら、不自然だったかもしれない。けれど思わずそう呟くように訊いてしまった。彼の態度が、あまりにも不思議だった。女の子、つまりそれは涼潤のことだろう。彼女を見掛けただけで、それが自分たちの連れだと分かっただけで、あんな表情をするのだろうか。もしかしたら、Mistyに関することも何か聞いていたのかもしれない。そんな気がした。

「ん?」

 視線を遊龍に向けた霧氷は、首を傾げてから言葉の意味を理解したのか、あぁ、と頷いた。

「まあそれは、人捜し、とでも言っておこうか?」

 疑問系で返される彼の言葉は、とても曖昧なように聞こえた。真とも虚とも取れる言葉に、遊龍は唸る。聞いていた竜神も、睨み付けるようにして彼を無言で非難した。しかしそんなことを気にする風もなく、霧氷はひらひらと右手を振った。

「じゃ、俺は別行動って事で。奴ら追ってたら、またどっかで会うかもな」

 くるりと背を向け、背を向けたままそう言葉を投げた。スタスタと歩いていく彼の背に、竜神は言葉をぶつける。

「次会ったらぶっ飛ばす」
「負け犬の何とやら」
「うるせえ。覚えとけ」

 竜神の言葉にも揚々と返事をし、そして霧氷は木々の間へと姿を消した。風に乗って舞う木の葉がその周囲をくるりと回り、通り過ぎていった。残された2人の間には、言葉もなくその場はひたすらに静寂だった。
 座り込む竜神から少しだけ間を置いて、遊龍も座り込む。今までの時間がなんだったのか、分からなくなる。それくらいに、静かだった。聞こえるのは風の音。風の声は聞こえない。強くも弱くもない風は、止むことなく辺りを駆けめぐっている。もしかしたら、光麗の導きで2人が探しに来るかもしれない。それが嬉しいような、怖いようなで少しだけ不安になる。ガサッと音がするから振り返ってみれば、竜神が立ち上がろうとしているところだった。傷は深くなさそうではあるが、痛みはあるのだろう。

「あのさー、や。どーせ答えは分かってんだけどさ、肩貸してやろーか?」
「正気か?」
「………一応正気だけど。つか嫌なら嫌って言えばいいだろ!なんだよその言い方」
「てっきり血迷ったのかと思った」
「いやだから、普通に嫌って言えよ!」
「てめえの肩借りるくらいならここで一生座ってた方がマシ」
「………。それはそれでムカつくな」

 決して目を合わせようとしない彼の態度にイライラしつつも、遊龍は静かに溜息をつく。今はあまり、怒る気にはなれなかった。彼の気も何となく、非常に何となくなのだが、分かる気がした。

「あーあ。涼の奴、ぜってー怒ってるよな………」

 項垂れるように遊龍が呟くと、ピクリと竜神が反応した。多分おそらく、直視したくなかった現状。走り出してから結構な時間が経っている。もし彼らが同じ場所で帰りを待っていたとしたら、相当待たせていることになる。探しているとしてもまた然り。見つからないことにイライラしているかもしれない。陽が高く昇っているところを見ると、昼も近いのかもしれない。あ、そう言えば朝ご飯食べてないやと思い出す。
 帰り道が分からないなんて情けない―――、そう思いながら空を見上げ、遠くに響く雷鳴は気のせいだと思うことにした。



***

「あぁもうっ、何処で何やってるのあいつら…!」

 辺りに出来た黒の焦げは、落雷の痕。おずおずとそれらを眺めて、光麗は不安げに涼潤を見やる。涼潤の顔には笑みと怒りの入り混じる、複雑な表情が現れている。この場にいるのが光麗だからか、きっとどこか加減はしているのだろう。けれど彼女はどうやら、待つということが苦手なようだった。

「も、もう少ししたら帰ってくるよ、ね」

 控えめにそう光麗は宥めるが、それで涼潤のイライラが減ることはあっても、ゼロになることはなかった。時間が過ぎる度に、ビリリと雷撃が辺りに散る。
 風がくるくると舞う。光麗は空を見上げると、小さく口を開閉させる。吹き抜けた風が木の葉を散らし、そして唐突に声が聞こえた。

「やっべ、道忘れた」

 ほぼ同時に涼潤と光麗が振り返ると、そこには1人の人影。紫の髪を持つ青年が、ちょうど草陰から姿を現したところだった。2人の動作に気付いてか、彼もこちらへと顔を向けた。首を少しだけ捻り、そして小さく「お」と呟く。

「………あなた、誰ですか?」

 不思議そうに光麗が問い掛けると、彼はこちらへと歩み寄った。キョトンとしている光麗とは裏腹に、涼潤は警戒心を露わにしている。光麗の一歩前に出ると、彼のことをキッと見据えた。

「怖い顔すんなって。可愛い顔が台無しだ」

 歩みを止めた彼はそう言うと、ニッと笑った。けれどもちろん涼潤の警戒心が解けるわけでもなく。涼潤の視線は彼の―――霧氷の衣服に付いた赤に向けられていた。