Encounter

13
「兄ちゃーん?」

 煙がもうもうと立ち上がる中、不安げな烈斗の声が響いた。煙の中に動く影はない。残響も既に治まっており、辺りに聞こえる音は烈斗の声の他には何もなかった。
 徐々に煙が治まる頃、ようやっと動く影が1つ増えた。

「ってー…」

 微かに声がして、じゃり、と地を踏む音がする。烈斗が向けた視線の先には、ゆっくりと立ち上がる竜神の姿があった。身体のあちこちに血が滲んでいる。裂傷の他に火傷もあるようで。ムッとした表情は普段通りであったが、多少息が荒くなっているところを見ると、爆発の衝撃を思い切り喰らってしまったようである。
 それでも竜神の姿を認めた烈斗の声は弾んでいて。表情は満面の笑みだった。

「よかったぁー!兄ちゃん死んじゃったらどうしようかと思ったよ」

 偽りなく、本心から安心したように笑みを見せ、心底嬉しそうに声を上げる烈斗だったが、その言葉は逆に竜神の癪に触れたらしい。キッとした表情で竜神は少年の事を睨み付けた。

「生意気なんだよ、ガキ」
「オレっちはガキじゃねぇー!晩烈斗だぁ!もう13だぁぁぁあああ!!」
「……………。あー、ハイハイ」

 癇癪を起こした子供のように叫び出す烈斗の言葉を適当に流して、竜神は片耳を塞ぐ。傷が多いのは癪だが、まだ動けなくなる程の痛みではない。しかし爆撃の中に突っ込んでいってもまた同じ事の繰り返し。何か他に手を考えなければ、一方的にやられるだけだった。霧氷の時と違って、今は考える時間がある。冷静な一手を考えるには十分だと思われた。
 が、その考えは次の一言であっという間に消え去る事となる。

「兄ちゃんのバーカ!オレっちに負けて弱いくせにぃぃぃ!」

 ぶちり、と何か音がしたような気がする。物理的な物体は千切れてはいないのだろうが、精神的な何かがぶっつりと千切れた。竜神の顔は引きつり、既に子供相手に向ける表情ではない。

「てっめぇ、黙って聞いてりゃ適当な事言いやがって…。俺が負けた?そんなの誰が決めやがった。ガキのくせに生意気なんだよ!」

 冷静とはほど遠い彼の姿に烈斗は一瞬ポカンとするが、しかし数度の瞬きのあとにぼそりと駄目押しの一言。

「負け惜しみ」
「……っ、ぜってぇ殺す」

 物騒な言葉を呟いた竜神は、少年へ向けて猛スピードで飛び出した。



***

「案外元気そーだなー…竜の奴」

 ぼんやりと少し離れた場所から竜神と烈斗のやり取りを見ていた遊龍は、呟くようにそう言った。立ち上がったままの不格好で動きを一時停止していた彼は、竜神が走り出したところを見届けると、再びゆっくりと腰を下ろした。
 木々の葉を揺らすそよ風。空には薄い雲が流れ、強かった陽射しも段々その勢いを弱めてきている。熱気よりも、涼しさを感じる。
 傍らの木に寄り掛かっている光麗は、疲れていたのだろうか、静かな寝息を立てて眠っている。激しい爆音が響く中でこうも眠っていられる彼女を、呑気と取るか無関心と取るか。あまりどちらも良い印象ではない気はする。しかし逆に考えると、彼女―――ましてや風がこうも穏やかだと、特に危険は迫っていないのではないかと思われた。涼潤の力で怪我は回復し、今はもう痕も残っていない。けれど眠っている彼女を1人置いてこの場を離れるのも気が引け、竜神と烈斗のやり取りには手を出せずにいた。どっちにしろ、手を出せるような状況ではないのは明白だったのだが。自分が行った所で、竜神に邪険に扱われる事は目に見えている。
 先程の爆発で一瞬竜神の姿を見失った時、正直焦った。思わず立ち上がってしまったのはその時だったのだが、程なくして現れた竜神の姿に安堵する。怪我の程度は分からないが、浅いと言い切れるものではないだろう。折角霧氷に斬られた傷も癒えていたというのに、また涼潤の治癒力に世話になってしまう。
 そう考えて、ふと気が付く。

「あいつら……」

 竜神の様子に気を取られてすっかり忘れていたが、この場には人数が足りていない。ほんの数十分前には今より3人は多かったはずだ。

「どこまで行ったんだよ」

 抜けたと言った霧氷と、そんな彼を追い掛けた真鈴はまだいいとして。てっきり竜神の加勢に向かったと思っていた涼潤も、この場には居ない。姿を見なくなってから暫く経つが、一向に戻ってくる気配はない。霧氷を、もしくは真鈴を追い掛けていったのだろうか。深く考えずに送り出したが、そう言えば行く当てを聞いていなかった。

「ぶっちゃけ暇なんですけど」

 竜神の攻撃にも、烈斗の攻撃にも、殺意は感じられない。怪我こそしているものの、余程当たり所が悪くない限りは生命の危機に至る“戦闘”ではないだろう。だから遊龍もこうやって待機しているのだが。一体何故あの少年がMistyにいるのかなんては見当も付かない。しかし真鈴といい、烈斗といい。涼潤の言う“殺人者”の仲間には見えないのだった。
 ふと。石碑の事を思い出す。自分には読めて。竜神にも涼潤にも、場所は違えど読む事が出来て。けれど光麗と霧氷には全く読めなかった。何故読めたのか、と問われても分からない。読むと言うよりも、感じると言った方が正しい感覚だった。一文字一文字を理解したわけではなく、羅列を眺めていると言葉が脳裏に浮かんできたのだ。それはまるで、深い記憶の底から浮かんできたような感覚。
 悩んでみた所で答えが得られるわけではない。ふぅと溜め息を一つ零すと、遊龍はおもむろに石碑へと目を向けた。

 ――――― 無い

「へ?!」

 向けた視線の先には何もなく、乱立する木々がそびえ立つ様子が見えるのみ。つい先程までは確かにその場にあった石碑が、今は跡も形もない。いや違う。石碑があったであろう場所には、大小様々な石が転がっていて。

「………まさか」

 可能性の1つに思い至り遊龍が冷や汗を一筋流すと同じ頃、ヒュンと何かがその辺りへと散らばる。烈斗が投げたと思われる爆弾は、既に着火済み。竜神は後退する事でその攻撃を避けようとしている。
 ドォーンと響く轟音と共に、転がっていた石は更に粉々に。ちらりと見えた少し大きい石に、明らかに文字らしきものが彫り込まれていた、というのは気のせいだと思いたかった。

「………知ーらね」

 ぼそりと呟き。竜神と烈斗は石碑の様子に気付く事もなく。遊龍は呆然とその光景を眺め、途方に暮れたまま溜息を零した。そうしてそっと立ち上がると、思い切り伸びをする。自分も呑気じゃないかと思ってしまったが、今尚眠っている光麗よりはマシだろうと自己完結。木に寄り掛かったまま眠っている光麗を見下ろすと、彼女はまだすやすやと眠っている。

「ちょっと涼たちのこと捜してくるから」

 聞こえていないであろう言葉を光麗へと投げかけ、遊龍は森奥へと入って行った。



***

 涼潤はぼんやりと何かを感じていた。それがなんなのかは、分からない。ただ漠然とした“何か”を感じていた。

「『その力、導きしもの也。故にその力、多々の事知りたり』」

 無意識のままに、言葉を紡ぐ。先程読んだ文章はくるくると脳裏を巡り、その終着点は未だ見つかっていない。文字列はパンと弾け、そしてまた収束し、回り出す。
 涼潤は石碑のあった場所から、大分離れた場所まで来ていた。木ばかりの周囲の景色は変わらないが、聞こえていた爆発音は遠くで微かに聞こえるのみ。日が傾き始めているのをみると、どうやらのんびりと歩きすぎたのだと気付く。
 ふと、足を止めた。

「そこにいるわよね」

 そして唐突に、彼女は口を開いた。
 本当に突然だったので、木陰に隠れていた真鈴は飛び上がりそうになって、静かに隠れている事に失敗した。ガサリと枝が揺れ、涼潤の視線は1本の木へと注がれた。
 真鈴は音の属性を持っている。僅かな音で涼潤が近付いている事は察知していたし、風の気配を感じる事で彼女の様子を知る事が出来た。しかし、それだけだ。戦力外と言っても過言ではない彼女の力は、攻撃する術を知らない。出来て音の衝撃波くらいのもの。だから真鈴は、涼潤の雰囲気が一変した事と、真っ直ぐに自分の所へと向かってきている事に気付いた時、とっさに隠れた。しかしそれはどうやら無駄だったようだ。

「いるわよね、清真鈴」

 涼潤の声が冷たく響き、真鈴は観念した。

「いるわよ、ここに」

 木陰から出ると、真っ直ぐに涼潤と対峙する。声と同じように、彼女の瞳には冷たい色が映し出されていて。鋭く睨み付けてくる様に僅かながら緊張感を抱く。見た目は先程と何も変わらない。ただ睨まれているだけ。それなのに身が竦む。それくらい、涼潤から感じる負のオーラが強かった。

「よく分かったわね、ここに隠れているって」

 必死に平静を装い、静かに涼潤へと問い掛ける。緊張と共に感じた、純粋な疑問。音も立てずにそっと隠れ、それ以前に最初に空いていた涼潤と真鈴との距離は、視認できる程の距離ではなかった。にも関わらず、彼女は真っ直ぐにここへと向かってきた。どうしても解せないと、真鈴は顔を顰めた。

「あら、“力”とやらを開花させたがっていたのはそちらじゃないの?」
「え」

 平然と。涼潤の言葉に、真鈴は耳を疑う。ざわりとゆらぐ風に2人の長い髪は弄ばれる。ひとしきり靡かせたあと、風はゆっくりと速度を落としていく。木の葉が1枚飛び去ると、涼潤は静かに笑った。

「直感が鋭かったり、予感を感じたり。昔からそういうのはあったのよ。気付かなかったけど、それがきっと“知の女神”の力だったんでしょうね」

 右手を胸に当てて、涼潤はそう言う。まだ目覚めてはいないんだろうけど。そう付け足して。その言葉も表情も、すっかり穏やかで。彼女の考えている事が全く読めなかった。それでも瞳に宿る光の中には、知の女神を連想させる色が微かに浮かんだ事には気付いていた。
 真鈴には1つだけ納得いかない事があった。彼女の“力”は既に、完璧ではないとは言え目覚めている。そしてその事に、峻やシーズが気付かないはずがないのだ。気付けなかったのだろうか。いいや、彼らは“眠っている力を”と断言している。何か隠している事でもあるのだろうか、そう思い至り、慌てて真鈴はその考えを捨てた。彼らの言動を疑ってはいけない。彼らの、峻の言う事が自分にとって正しい事なのだから。

「それで。あなたは何をしに来たの?私を追ってきたの?それとも霧氷君?」

 声のトーンも、表情も、何も変えずに静かに問う。そこが1番の問題だった。出来るなら、穏便に済ませたいと願うのは立場的に問題だろうか。だがそう願わざるを得ない程の空気を持っている少女に、真鈴は無意識に拳を握り締めた。そして涼潤の表情はまた、冷たい色を映し出した。

「峻の所に案内しなさい」
「……嫌よ」

 きっぱりと言い切った涼潤に一瞬怯むも、そこは譲れる場面ではなかった。涼潤の言葉はある程度予測は出来ていたとは言え、真鈴の発した言葉自体は咄嗟のものだった。しかし咄嗟とはいえ、本心に偽りはない。そう易々と、案内できるようなものではない。

「だったら力ずくで聞き出すまでよ」
「乱暴ねぇ。嫌われるわよ」

 あくまで平静を装い続ける真鈴に、涼潤の瞳は鋭く細められる。一際強い、一陣の風が駆け抜けた。風たちが、何かに急かされるように駆け抜けて、そして余韻の木の葉がはらはらと散る。遠くで微かに爆発音が聞こえ、それは風と共に治まる。シンとした森に、涼潤が言葉を繋いだ。

「そんな事、構わない。あいつだけ殺せるならどうなってもいいから」
「正気?人を殺すの?」
「あいつだってやった事よ。あたしの目的は、それだけなんだから」

 淡々と。しかし冷え冷えと。涼潤の言葉が紡がれる度に、真鈴の拳を握る力は強まった。怖いんだ、と彼女はようやく実感した。死というモノに対しても、今の涼潤の様子に対しても。ただひたすらに恐怖を感じた。
 確か、涼潤の両親はMistyによって殺された。誰がやったのかも、理由も。一切聞かされていないとはただの言い訳だろうか。自分も同じMistyなのだ。それでも、どこかに正しい理由があったのだと、峻は正しかったのだと信じている自分が居た。涼潤に対する恐怖と峻に対する信頼との間で、挟み込まれる。
 幾許かの時が経った時。真鈴はパチリという微かな音に気付く。風の音にも掻き消されそうな僅かな音は、それでも音属性である真鈴を助けた。慌てて後方へと飛ぶと、鋭い稲妻が真鈴のいた場所へと突き刺さる。迸る閃光に目が眩み、目がチカチカとする。対する涼潤に全く怯んだ様子はなく、既に第二波の用意は完了しているようだった。右腕の周囲が帯電し、パチンと音を立てる。正常な視界を取り戻すと、地面が黒く焦げ、抉られたように穴が空いている事に気付いた。冷や汗が零れた。

「あっ…危ないじゃない!」

 足が竦み動けないでいるのを、叫ぶ事で解消させる。それでも微かに震える手は抑えきれず、握り締めたまま。数歩下がり涼潤の様子を見るが、彼女が真鈴の言葉を聞いたとは思えない。睨み付ける視線もそのままに、こちらへと腕を伸ばす。

「(まずい………わよね)」

 どう考えても圧倒的不利な状況の真鈴は、為す術もなく考え込んでしまう。時間はない。既に第二波はいつ来てもおかしくない状態なのだ。隙を見て逃げるしか、方法は思い浮かばなかった。
 真鈴は握り締めていた横笛を口元へと運ぶと、軽やかに風の調べを奏でる。風と音とを同調させる事で、多少の風ならば使役する事が出来る。それが音使い。ただし風使いには到底及ばない力の差はある。
 涼潤の第二波が放たれるのと風が集まり壁を作るのとは、ほぼ同時だった。しかし集まった風は雷の衝撃を受けると瞬時に散ってしまう。あっという間に身を守る盾を失った真鈴に、逃げる隙はなかった。
 2人は再び対峙した。