Encounter

17
 暗く重い雲が、空一面を覆っている。
 シンとした森に、一滴の雫が落ちる。それを合図に、一斉に雨は空から零れ落ち始めた。

 そっと触れたガラス窓は、夏の熱気ではなく、雨水の冷気。その冷気に、ふとあの少女の横顔が脳裏に浮かんだ。淋しげな横顔は、自分の知るものではないハズなのに。浮かんだ映像が現実とは一致せずに、訝しげに彼は眉を顰めた。ズキンと、何かが痛んだ。

 指先から伝わる冷気は、気分を落ち着かせるには丁度良い温度で。しばらくそのまま無言で外を眺めたあと、振り返ることなく峻は問い掛けた。静かに、呟くように。

「何故、勝手な事をした」

 薄暗く、だだっ広い部屋は、淋しげな色を浮かべている。古い石造りのこの建物は、いつから建っているものなのかは分からない。部屋の壁も、全て積み上げられた石で構成されており、内装と呼べる物など何もない。灰色に覆われた空と同じように、この塔の中も灰色だった。
 蝋燭の小さな明かりに、2つの長い影が不安定に揺れる。

「勝手な事?」

 返ってくる声は、どこか淡々としていて。しかしどこか愉しげに嗤っていて。思考の読めない彼との会話には、どこか曖昧な感覚が漂う。

「勝手な事………。やっぱり、君にはそう見えるんだね」

ゆっくりと歩みながら、やはり呟くように返答するシーズは、やがて峻の立つ窓際まで来ると歩みを止めた。すぐ傍に立つ、彼より少しだけ背の低い峻を見下ろすように視線を向けると、まるで憐れむように薄く笑った。

「ねぇ………。……君は、何の為に“Misty”を作ったの?何の為に、この場にいるの?」

 間を空けて、静かに瞬きを繰り返しながらシーズは問うた。しかし問い掛けられた峻に、その答えを見出す事は出来なかった。彼の問いの意味が、理解できなかったから。当たり前の答えを返せる問いだと、その時は感じたから。

「何の為?それは………、………っ、……なんのため…?」

 けれど口を開いても、なんの答えも出てはこなかった。“当然”と思う答えが、見つからないから。忘れたワケでも、答え難いワケでもない。
 知らないのだ。
 シーズの表情は静寂の水面のようで、どこにも憂い以外の色は浮かべられてはいない。笑みのない彼は普段の彼とはまるで別人のようで、その変わり様に峻は彼を凝視する。理解の出来ない問いの、意味も知りたかった。咎めるような視線を払う事もせず、シーズは黙したまま佇む。音のない、奇妙な空間だと感じた。
 間を置いて返ってのは、しかしどちらの答えにもならない言葉だった。

「君は今、君自身の意思で動いていないコトには、気付いてる?」
「な………にを」

 理解に追いつかない。そもそも彼の言葉は、理解を求める言葉ではない。理解していない事を前提に、結果を話しているのだ。

「もう、君は必要ないよ。だからさ、もうさよならしよう?」

 ふっと、シーズが右手を翳す。目の前に広げられた掌に峻は怪訝な顔をするが、すぐにやってくる奇妙な違和感に顔を顰めた。いつの間にか、仄白い光が峻を包み込んでいる。訳も分からずシーズを見やるが、彼は小さく顔を背けていて。ここではないどこかを眺めているようで、この場にない何かを考えているようだった。
 不思議な光景に、峻はすっかり動きを止めていて。思考回路の靄が、晴れていくような気がした。靄が覆っていた、なんて思った事はなかった。だが確かに、何かが晴れ、離れていく感覚があった。
 不意に浮かんだ単語にハッと、気付き。思わず顔を上げる。そしてその時ようやっと、シーズが顔を上げ、彼と目が合う。

「閑祈―――ッ」

 叫んだ途端、静かに、シーズは笑った。

「僕はもう………」

 微かな言葉を呟いて、しかし最後まで峻に伝わる事はなく。急速に飲み込まれた静寂に、峻の意識はそこで途切れた。
 その場に佇むシーズの瞳は、暗く冷たく光るのみだった。



***

 冷たい雨が降り続いていた。
 普段ならとっくに気温の上がり始めるこの時間には、まだひんやりとした空気が流れていた。

「どこ行ったんだよあいつら……」

 木の下で立ちすくみ、遊龍は呆然と呟く。雨の所為でぐっしょりと濡れた赤茶の髪からは、ポタポタと雫がこぼれ落ちていた。姿の見えなくなってしまった2人を捜して歩いてきたものの、その途中で突然の土砂降りに見舞われてしまった。見上げた空は重く、すぐに止みそうなものではなかった。仕方なく遊龍は雨の中をそのまま歩き、そして今は休憩がてらに木陰に突っ立っているのだった。枝葉の間を縫って落ちてくる雫が、握り締めた拳に着地した。
 捜す、と言っても、目印になるようなものが何もない森では行く当てもない。真っ直ぐに見据えた視線の先にも、大小の木が乱立しているだけだった。

「ホント、どうなるんだろうね」
「っ?!」

 突然、すぐ後ろから声が聞こえた。驚いて遊龍は勢いよく振り返る。木により掛かっていたのだから、すぐ後ろは木である。そのまた後ろ、木を挟んで反対側に声の主は、やはりこちらに背を向けて立っていた。いつの間に…と疑問符を浮かべつつ、遊龍は口を開いた。

「誰?あんた」

 問い掛けると、声の主はゆっくりと振り返り一歩前に出る。薄い茶色の髪を持つ、同じ年頃だと思われる少女だった。まるで無表情な彼女は、色白で。異国を思わせる前合わせの衣服を身につけていて。しかしこの雨の中で全く濡れていない事が奇妙だった。

「何ジロジロ見てるの、火立遊龍」
「え、いや、そんなに見てないから………って、え?!」

 疑惑を否定しようとして必死になり、発せられた言葉の意味を理解するのが一瞬遅れた。知り得るはずのない単語をこうもあっさり口にされては、まるで彼女が。

「もしかして、……Misty?」

 恐る恐る訊ねてみるが、答えなんて分かりきっている。彼ら以外に自分を知るものが森にいるはずがない。というか、居ても困る。
 少女は1つも表情を動かすことなく、まっすぐに遊龍へと視線を合わせた。そしてゆっくりと口を開く。

「そうだけど」

 意外な程あっさりと肯定され、調子が狂う。うっかり返答するのも忘れ、その場には不自然な間が空いた。

「そうって………。じゃー、何しに来たんだよ」

 遊龍は、僅かに語尾を強めて言ってみた。Misty絡みで面倒事に巻き込まれている事は分かっている。けれど、その彼らにもどうやら面倒事が起きているらしいという事も、知っている。そしてこの彼女はどういう状態なのか、それは分からない。少なくとも、殺気と取れるものは持ち合わせてはいないようだったが。“ただそこに佇むだけ”の少女は、少しの間を置いて、そっと顔を背けた。

「別に。それに私、もうMistyに属しているなんて思ってないから」
「はぁー?」

 何の感情も見せずにそう話す少女に、遊龍は言葉を続ける事が出来なかった。“意味不明”は既に何度も体験したが、いつも納得できる答えは得られてないよな、なんて不意に思った。
 ふと遊龍が少女の様子を見やると、つい先程まで全くと言っていい程濡れていなかった彼女の衣服が、今は雨でしっとりと濡れている。葉から零れ落ちる雫が、次々と降り注ぐ。雨が止む気配はない。寧ろ勢いを増してきている。
 ふぅ、と少女に気付かれないように小さく溜息をついた遊龍は、少女の腕を軽く掴んだ。

「ちょっと……」
「いいから」

 咄嗟の事に思わず抗議の声を上げた少女を軽く制し、遊龍は今まで立っていた場―――つまり木の幹のすぐ近く、木の雨傘の中心だ―――に少女を立たせ、その外側に自分は移動した。完全に雨が防げる、という程にはならないが、多少なりはマシだろう。自分が濡れる分には、既にずぶ濡れなので気にはならない。しかし向かい合うのは照れ臭いので、遊龍は外を向いて立っていた。

「濡れたら、風邪引くだろ」

 少女に背を向けたまま、遊龍は呟くように言った。対する少女は、彼の背を見つめながら口をぱくぱくさせたまま。発したい言葉を選んでも選んでも、どれを発して良いのか決められないのだ。勿論声は届かない。だから、遊龍にはその様子が全く伝わらなかった。

「ゴメン………」

 ようやっと発せられたのはたった一言だけで、それも小さな小さな声だったので、土砂降りの雨に掻き消され、目の前の少年に伝わる事はなかった。握り締めた拳が、淋しく震えた。



***

「見つけた」

 涼潤はふと呟いた。
 右手を目の前の木にそっと当て、目を閉じる。僅かに感じる、他の木とは違う気配。微量のそれを涼潤が感じ取る事は至難の業だったが、静かな魔力は自然と涼潤の中へと伝わってきた。まるで呼ばれているような。そんな感覚。
 右手を当てたまましばらくすると、木はふわふわと柔らかい光を発し始める。光は次第に力を強め、涼潤の掌、腕を伝い、そして涼潤自身の事も包み始めた。やがて辺りが仄かな白に包まれた時、その色はすっと消えた。涼潤の姿と共に。

「あたし独りでも、アイツを殺す」

 小さな呟きだけが、その場に取り残された。



***

「よ、久し振り」

 急に掛けられた声に、思わず足を止めた。振り返った先には、にこやかに笑みを浮かべる紫の髪。

「久し振り?てめぇなんて知らねえ」
「んなこと言うなよ、竜神」

 あからさまに嫌そうな顔をして答えた竜神を、霧氷は手をヒラヒラとさせて宥める。つい昨日会ったばかりだが、ごちゃごちゃするような出来事が重なっている所為で確かに久し振りという気はしている。因みに、彼と初めて遭遇したのも昨日の事だ。
 先程から降り続いている雨を避けようとも思わず、竜神はぬかるんできた森を歩き続けていた。何も見つけられたものはなく、今どの辺りにまで来たのかも分からない。人影も、鳥の姿も、風も。辺りには木以外の何もなかったのだ。そしてようやく出会った人物は、全く捜そうとも思わなかった人物で。

「何しに来たんだ」

 苛々する気を落ち着かせようとするが、中々それは難しかった。水属性である自分を宥めるかのように降りしきる雨も、今は効果が無い。竜神の問いを流すのではないかと思わせる程ニヤニヤと笑っていた霧氷だったが、次の一瞬には笑みは消えていた。

「早く涼潤たちのとこへ行け。間に合わなくなっても知らねぇぞ」
「は?んなこと、言われなくても……」

 訝しげに眉を顰める竜神だったが、言いかけた言葉は霧氷によって遮られる。

「それと、単独行動はお勧めしないな。コレは1人でどうこうできる問題じゃねぇ」
「なんでンな事、てめぇに言われなきゃなんねぇんだよ」

 ニヤリと笑みを浮かべた霧氷に苛つきが増し、竜神は吠えて踵を返す。付き合ってなどいられるものか。しかし数歩歩いた所で、彼は足を止め振り返った。不思議そうな顔で眺める霧氷と目が合い、心底嫌そうに竜神は視線を逸らす。

「お前はなんでMistyのこと知ってるんだ」

 不意に脳裏に浮かんだ問いを、投げかける。既に数度ははぐらかされている問いなのだが、何故だか無性に今、問いたくなった。それは彼が、彼らの事についていやに詳しい気がしたからでもあった。何が起きているのかも、彼らが何なのかも。

「俺はな、秘密主義者だから」
「答えになってねぇだろ」

 しかし数度目の問いもやはり、答えは出されず。けれど今の問いで、彼が“Misty”について何かしら知っているというのだけは感付いてしまった。余裕の表情が、何もかも見透かしているようで苛立つ。答えの掴めぬ彼の返答に竜神はムッとするが、すぐにその表情を消す。今は、こんな事をしている場合ではない。
 1度霧氷を睨み付けた竜神は、踵を返すと今度こそ振り返らずに、バシャリと音を立て走り出した。





「教えないんだな」
「別に教えた所で何も変わんねえだろ」

 突然の声に驚く事もなく、霧氷は言い返す。振り返らないでいると、相手の方がすぐ横にまで歩いてきた。そこにきて、ようやく霧氷は視線をそちらへと向けた。目に入った黒色は、雨でびっしょり濡れている。人の事も言えないくらい、自分もずぶ濡れだが。
 雨亜は足を止めると、その場にストンと腰を下ろした。目を瞠る霧氷の目の前で、帽子を取り、背の大剣を抜いて眺める。

「殺されたいのか?」

 腰の刀を抜き、座り込む彼へと向ける。しかし切っ先を向けられている彼は少しも動じる様子もなく。ちらりと見上げると、鼻で笑ってまた視線を大剣へと落とした。

「そう言ってやらないだろ、キリは」
「どうかな」

 霧氷がそう言ったあとは沈黙が訪れる。双方とも全く動かず、何の言葉も発さず。雫が葉にぶつかり、地面に落ちる。そんな音だけの時間だった。長くはない間を置いて霧氷は、つまらなさそうに刀を鞘へと戻し、雨亜の隣へと腰を下ろした。森の奥へと視線を向けるが、竜神の姿はとっくの昔に消えている。

「で、お前はなにしてんの。折角昨日格好付けたのに」

 からかうように霧氷はそう言い、雨亜もつられて小さく笑う。けれどすぐに元の無表情に戻り、大剣を正面に構えた。鏡のように磨き上げている刀身は、キラリと自身の顔を映し出す。雨雫が斜面を勢いよく流れた。

「Mistyはもう崩壊寸前。オレが居る意味も無い。それだけの事だ」
「ふーん」

 つらつらと述べる雨亜だったが、別に薄情な訳ではない。ただ他のMistyのメンバーと違って、直接的な関わりがないだけ。深い思い入れがないだけ。彼らが必死にしがみつこうとしているたった1つの居場所が、雨亜にとっては唯一のものではないだけ。まあ、メンバーは嫌いじゃないけど。

「んじゃ俺の居る意味も終了?どうすんの、これから」

 おもむろに立ち上がりながら、霧氷はそう言う。雨亜を見下ろしながら彼の回答を待つが、霧氷の中でも雨亜の中でも答えは出ているのだった。

「どうせ、スイワに戻りたいんだろ」

 呆れたように答えながら、雨亜も立ち上がる。聞くまでもない、とでも言いたげに。手に持っていた帽子を深く被り、大剣を背のベルトに仕舞うと、彼は歩き出した。霧氷もその後に続いてのんびりと歩き出す。しかし数歩の後に、霧氷はぴたりと足を止めた。先に進んでいた雨亜は、怪訝そうに振り返る。

「行く末、ッてのも見てみたいかもな」

 ぼそりとそう呟くと、霧氷は歩みの向きを変え、竜神の走っていった方角へと足を向けた。しばらくそれを立ち止まったまま見つめていた雨亜だったが、霧氷に振り返る様子がないと気付くと、仕方なさ気にその後に続いた。



***

 ピキリ、と。
 聞き慣れない音に、遊龍は訝しげに顔を上げた。どこから響く音なのか判断が付かず、辺りを見渡す。降りしきる雨の中に、キラリと光るものが見えた気がした。ふと振り返ると、あの少女と目が合った。少女の髪からぽたりと落ちた雨雫は、頬を伝い、そしてそのままの位置で動きを止めた。僅かに白く色を変えたそれは、固まったままころんと地面へと落ちていく。動きは、それだけではなかった。静かに降り続いていた雨の音が、何か固いものが落ちる音へと変わっていた。コツンと、硬い音がする。

「なんだよ、コレ………」

 明らかに異質な光景に、遊龍は言葉を失った。けれど状況を理解する前に、この妙な光景は更に悪化を続けた。コツンと頬に当たるものは、もう雨などではない。水滴という水滴があっという間に凍り付き、夏だというのに辺りの気温は急激に下がった。降りしきるは、雪をも通り越して霰。突然の温度変化の所為か、風までも吹き荒れる。遊龍と少女を中心として、暴風が渦巻いていた。

「アンタさ、早く離れた方が良いよ。今の私、力を制御できないから」
「制御……?」

 淡々とそう言い放った少女は顔を背けていて、けれどその表情が悲しげに歪められていた事には気付いていた。状況も原因も、全く分からなかったけれど。遊龍は少女を見やり、周囲の様子を眺め、そしてもう1度視線を少女へと戻すと、1つの可能性に至った。

「冷気使いの………秦羅?」

 数日前に涼潤が話していた事。確かそんな名前が出てきたような気がする。そう言えばあの時―――土人形が現れ、涼潤がMistyの者と接触した時、遊龍たちの前に現れたのは氷の壁だった。冷気と、氷と。この少女が秦羅なのかと、連想するのは容易い事だった。しかし。

「制御が出来ないって……」

 涼潤の話によれば、秦羅は冷気を操る事が出来る。氷の壁を作っていたのも同じ人物だとすれば、十分なコントロール力だ。少女自身も、この冷気の嵐が自分の力によるものだと仄めかしていた。だが今のこの状態は、どう見ても目の前の少女が操っているとは思えなかった。

「ッて…っ!」

 ぐるぐるとあれこれ考えているうちに、辺りは既に本格的な嵐になっていた。猛烈なスピードで飛び去っていったのは、鋭く尖った氷の刃。もし風向きが少しでも違っていたら、あっという間に串刺しである。遊龍は息を飲んだ。既に遊龍と秦羅の身体中至る所には、擦り傷や切り傷が目立ち始めている。2人を中心に渦を巻いている冷気の嵐だが、その風は一定ではない。いつこの渦が崩れ、中心が無くなるかなんて分からないのだった。

「なんで逃げない?」

 警戒しつつ辺りを見回していた遊龍は、不意に届いた声に振り返る。相変わらず感情の籠もらない表情に、感情の籠もらない言葉。けれど先程より明らかに声音が揺れている事は、聞くまでもなく分かる事だった。視線は真っ直ぐに遊龍にぶつけられ、少女から感じるのは“不安”だった。

「なんでって、女の子1人置いて、男が1人で逃げるワケねーだろ」

 当たり前、とでも言いたげに、遊龍はそうきっぱりと言った。少しだけムッとさせた顔は、少女へのもの。自分だけが逃げる事を期待している物言いに、そんな事出来るワケがないと無言の反論をしたのだった。
 どうすっか、と呟きながら、遊龍は再度少女と周囲の景色を交互に見やる。氷の嵐は止む気配を見せず、勢いは増し続けていた。荒れた風にここには居ない少女を連想させ、唐突に不安を感じる。どこかで、彼女が泣いているような気がした。
 ばさりと落ちた木の枝が、風に巻き上げられ姿を消す。風の勢いで折れた訳ではない。鋭利な氷は、木の葉も花も枝も草も無差別に切り裂いていた。その光景を見た遊龍は、焦りを感じる。この嵐を止める方法など、見当も付かない。いっそこの辺り一帯を炎で包んで氷を溶かしてしまおうかとも思ったけれど、その中で無事でいられるのは自分だけで、木々も花も、勿論あの少女だって炎に焼かれてしまう。それに雨もまだ降り続いているのだから、少女の力の暴走が止まっていない今、この嵐を止める為の根本的解決には至っていない。遊龍には、少女自身が力を制御する事以外に案は浮かばなかった。

「なー、おい」

 すっかり俯いていた少女の視線は、遊龍の姿を通り越して空へと向けられる。ぼんやりとしているように見える程、嵐の中少女だけが静寂で。開きかけた口を思わず遊龍は止めてしまう。一度言葉を飲み込み、そして整理して。もう一度開いた口で、ゆっくりと少女に問い掛けた。

「コレ、お前の力なんだろ?どうにかできねーのかよ」

 口を開けば飛び込んでくる氷の粒たち。大きく尖ったものが飛んでこない事に今は感謝しつつ、若干の鬱陶しさを感じてすぐに口を閉じた。少女は視線を降ろして遊龍の瞳に合わせると、眉も動かすことなく答える。

「知らないよ、そんなの。………私、こんな能力扱えないんだから」
「は?」
「扱えないの。属性者だけど、力の制御は出来ない。今まで扱えていた事の方がおかしかったの」

 予測もしていなかった少女の言葉に遊龍は思わず問い返し、少女は反復して説明を口にする。『扱えない』。そこを妙に強調させて、「おかしかった」と淋しげに視線を逸らす。折角の説明も断片的では理解するのは難しい。しかし遊龍はそれ以上追究出来ずにいた。ずっと淡々と話している少女は、別に感情がない訳ではない。彼女が今一番苦しんでいるのだと、遊龍はそう感じた。
 雨は止む事を知らないらしい。時間が経っているのかいないのかも分からず、もう長い事氷の嵐が吹き荒んでいるような気がした。普段の雨と同じように、この嵐も止むのだろうか。遊龍はぼんやり考えた。永遠に吹き続けていそうな、そんな不安も脳裏を掠める。

 そしてその瞬間。
 氷の刃が飛んだ。