Encounter

21
「んな話って………」

 遊龍は呆然と呟いた。呟きが風に流れ、動かし続けていた口を秦羅は止めた。ほんの少しの静寂が訪れ、微かな風の音だけが聞こえる。過去の幻影を眺めていた少女の目には、あの時の少年と海ではなく、森と遊龍が映された。信じられない、といった表情で秦羅へ視線を投げかけ、けれどそれ以上の追究はしなかった。ただ無言で、話の続きを促す。
 親の敵として涼潤が追っている峻は、過去に人を殺さないという誓約を立てている。秦羅の話から察するに、無邪気で明るい子供だった、とも。それが真なのか偽なのか、現在と同じなのか崩れたのか、まだ遊龍には判断出来なかった。

「あの時はまだ、気付いていなかったんだ。峻の持つ力の、大きさに」

 空を見上げる少女の瞳は、遠い過去を映して、淋しげに揺れた。




***



 少年の名は、シュンというらしい。彼曰く、自分自身のことではこの名前しか覚えていなかったのだとか。あぁ、自分と同じなんだ。そう思った少女は、自分の名を名乗ることを躊躇った。“シンラ”の名は、自分自身を罵る為に使っていた名だから、出来れば人には呼ばれたくなかった。どうするべきかと悩み、少女はふと思い出した名、“ルキ”を名乗った。4年前に少女が目を覚ました時、衣服には1枚のプレートが付けられていた。それは既にボロボロになっていたが、数字がいくつかと、微かに「ルキ」と読める文字が刻まれていたのだ。それが名を示すモノなのかは分からないが、“シンラ”を名乗るよりはマシだと、少女はそう考えた。
 「ルキかぁ」と少年、シュンは嬉しそうにその名を呼び、それで互いの自己紹介は終わった。たったそれだけの事しか、互いに伝えられる情報はなかった。
 加えるならば、もう1つ。

「ちょっと待って、アンタそれで16なの?!」
「え、うん。ルキは違うの?」

 あっけらかんとそう言うシュンは、不思議そうにルキに訊ねた。ルキのプレートに刻まれていた数字を誕生日だと仮定した場合、現在のルキの年齢は10歳になる。今まで見掛けてきた人々との体格差などを考えて、自分自身でもそれくらいだろうと思っていたのだが。今目の前に佇む少年と、そこまで年が離れているとは思ってもみなかった。どう見ても彼の背格好は、10歳前後だ。シュンはというと、どうやらルキの方がが16歳程度だと思っていたらしい。彼の発言に少々呆れつつ、2人は互いに肩を竦めて笑った。

「どこ行くの?」

 ふと思い出したように、ルキは口を開いた。足を止めることなく、シュンはルキへと振り返る。シュンが歩く方向に、ルキはただ着いてきているだけだった。行く所がないなら一緒に行こうよ、という彼の言葉に、二つ返事で着いていく事を決めたのは紛れもなくルキ自身。だが肝心の行き先は聞いていなかった。やる事も、やりたい事も何もない状況で、ほんの少しの好奇心だけで少女は今の行動を決めていた。まるでこの少年のように、何も考えずに感情だけで身体を動かす。

「えっとね、シズキって人の所」
「シズキ?」
「そう。俺の力を知ってて、制御してくれる人。保護者みたいな人だよ」

 にっこりと、笑う。嫌味も何もない、純粋に想う表情。自分では分からないが、もしかしたら家族を紹介する時の表情というモノは、こういったモノなのかもしれない。満面の笑みでそう話す彼を見て、きっとシズキという人物は、シュンにとって大切な人なんだろうと、そうルキは感じた。
 曇り空からはいつの間にか光が覗き、分厚く黒かった雲も明るさを滲ませている。微かに顔を出した太陽は、もう随分と傾いていた。





「シズキー、いるー?」

 扉を叩きながら、問い掛けるように声を掛ける。その行動を黙って見ていたルキは、扉の奥からガタンと音がするのを聞いた。足音が近付き、ガチャリと錠の外れる音がする。そして間もなく、木製の扉は開いた。

「シュン?久し振りだね。今回はもうちょっと長いかと思った」

 扉を開きながら声を掛けてきたのは、すらりとした長身の若い男だった。淡々とした口調とあまり表情のない顔。ルキは初め、彼はシュンと違って笑わない人なのではないかと思った。年の頃は20歳前後に見える。いや、シュンの見た目と実年齢が釣り合わない事を考えると、彼ももう少し年上なのかもしれない。そう思いながら彼を見上げたルキの瞳は、柔らかな茶色の瞳とぶつかる。パチクリと瞬きを繰り返す青年は、しばしルキを見つめた後、その視線をシュンへと戻した。

「この子は?」
「ルキ。誓約したの。絶対死なないって」

 ニッと笑みを見せ得意げに即答したシュンを、青年は不思議そうに眺める。表情は変わらなかったが、何事かを思案しているかのようだった。そしてようやく言葉の意味を理解したのか、ふとその表情をふわりと崩した。それは、彼を訝しげに見ていたルキが拍子抜けする程、警戒心を解く事が出来る程、優しく柔和な笑みだった。

「そっか、誓約したのか。……じゃあ、死ぬなよ。2人とも」
「うん、分かってる。な、ルキ」
「え、……あ、うん」

 唐突に話題が自分に向けられ、慌てて返事をする。今になって思う。自分は何故ここにいて、こうやって見ず知らずの2人と会話をしているのだろう、と。けれどだからと言って、このまま「さようなら」と言う気は全く起きなかった。彼らの笑顔は、まだ幼い少女にとっては初めてのモノだった。

「まあ立ち話もなんだし、とりあえず中に入りなよ」





 街から離れた、小さな森。その中に立つ小さな小屋が、シズキの研究所だった。周囲には木漏れ日が差し込み、入り口の反対側にある窓からは海が見える。風の音と波の音、鳥の声や虫の羽音ばかりの静かな場所だった。窓から外を覗けば、海岸線がずっと長く延びている。あの線のどこかで、シュンはルキを見つけた。
 シズキはシュンより3つ年上の、魔術師だった。魔術師という言葉自体はうっすらと聞いた事があり、不思議な術を操る事の出来る者、という漠然としたイメージをルキは浮かべた。“不思議な術”というのは畏怖の対象とされているらしいが、シズキを見ていてもそのような感情は一切生まれなかった。
 彼は1人でここに暮らし、日々様々な研究を行っているらしい。シュンと出会ったのは4年前で、彼の力の危険性を見抜き、力を封じる為に“楔”となる誓約を考えた。それ以来、シュンは居候という形でこの小屋に住んでいる。だが彼はあちこちに出掛けては誓約を立て、楔の力を強くしようとする為、いつ戻ってくるのかも分からないという状況だったようである。前にこの小屋へと戻ってきたのは、3ヶ月近くも前の事だったそうだ。
 部屋をぐるりと見渡したルキに、肩書きは研究者なんだ、とシズキは笑って言った。部屋の中は分厚い本や紙切れが散らばっており、雑然としている。別の部屋に通じていると思われる扉の隙間にも、数枚の紙が挟まっていた。この散らかり具合を「研究者だから」という言葉で言い訳したいらしい。「また散らかしてる」と呆れるシュンに、「じゃあ君が片付けるかい?」とからかい口調で返す。2人のやり取りがあまりにも自然で、滑稽で。ルキは小さく吹き出した。

「シュンの方こそ、」

 腰に両手を当て、シズキは大袈裟に溜め息を吐いてみせる。ん?と疑問符を浮かべ彼の言葉の続きを待つシュンが、16歳だとは未だに思えなかった。シュンとシズキ。どう比べて見ても子供と大人程の差はある。

「全く、そんなにボロボロになって。もう少し考えて行動したらどう?着替えを持って行くとか、店で買うとか。色々できるでしょ」
「別に、俺はやりたいようにやってるだけだからいいの」
「だったらもうちょっと早く戻ってきなさい。それに君も………ルキだっけ?君だってそんな格好して……。男物しかないけど、着替えてきなよ。みっともない」

 シズキの言葉がルキに向いても、彼女は黙ったままだった。会話がストップした事で、2人の視線が揃って少女へと向けられる。いつの間にか俯いていた彼女の表情は見えないが、肩が微かに震えているのだけは分かる。シュンが首を傾げて、そっと覗き込む。
 ただ、嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて。
 初めて自分の事を気に掛けて貰えた。自分の存在を認めて貰えた。初めて、人と人として会話をする事が出来た。

「どうしたの?ルキ」

 初めて、名を呼んでくれた―――
 それが、それだけで、嬉しくて。今まで抱いた事のない感情が、まるで爆発するように、栓を抜かれたように。溢れ出してきて。

「って、ど、どうしたの?!急に泣き出して!」
「どこか怪我してるの?ルキ!」

 ボロボロと零れる涙に慌てふためくのは、自分よりも年上だと言っていた2人の男で。その光景が可笑しくて笑いたくて、それでも涙は止まらなくて。痛くても辛くても死にたくなっても流れる事の無かった涙は、初めて出会った優しい場所で延々と流れ続けた。
 安堵するという事は、こういう事なのかもしれない。無防備に泣きじゃくっても、身の危険なんて考える必要なんて無い。泣いて泣いて涙が枯れるまで泣き続けても、彼らはここにいてくれるのだ。本当はずっと、求めていたのかもしれない。求めている事にすら、気付かないままに。





 シュンの髪の色は、空と海の混じる色だった。
 それを知ったのは、散々泣き続けてそのまま眠ってしまったあの日の翌日。ルキが目を覚ますと既に陽は高く、眩しい光が顔に差していた。鳥のさえずりがすぐ近くに聞こえる。まだ完全には覚醒していない思考回路を必死に巡らせ、目を擦りながら身を起こす。その途端、ガタンと音がした。

「おはようルキ!大丈夫?」

 椅子に座っていたと思われるシュンは、ルキが目覚めると同時に立ち上がったのだろう。あっという間に目の前にまでやってきたシュンは、首を傾げて少女の顔を覗き込む。大泣きしてそのまま寝入ってしまった彼女の瞳は、まだ赤く腫れている。けれどそこにはもう、涙はない。聞こえるか聞こえないかの声量で、ルキは「おはよう」と呟いた。微かな声だったが確かに耳へと届き、僅かに言葉を止めたシュンは、しかしすぐにまた明るい表情へと戻る。

「おはよう!」

 2度目の挨拶を受けた時、そこでルキは彼の髪の色に気付く。前日は確かに青灰色だった彼の髪は、透き通るような蒼へと変わっていて。ボサボサだった髪型も、流水のようだと比喩したくなる程サラリと流れていた。青灰色だと思っていた髪は、ただ汚れていただけだったのだ。本当の色は、光をキラリと反射させる蒼天の色。ボロボロだった衣服はさっぱりとした小綺麗なものへと着替えられている。まるで別人だと思ってしまっても、無理はなかった。ルキはしばし呆然と彼の色を見つめ、シュンは照れ臭そうにそっぽを向いた。それでもまだ不思議そうに視線を投げてくる彼女に、シュンは居心地の悪さを感じた。

「おはよう、ルキ。よく眠れた?」

 助け船を出したのは、シズキだった。柔らかな声音が上から降ってくると、少年と少女は同時にその声の主を見上げる。ふわりと浮かべた笑みに、思わずルキは自然と笑顔を返した。今まで口にする事の無かった「おはよう」という言葉が、いとも簡単に口から零れる。眠りに落ちる瞬間まで傍らには人がいて、目覚めた時にも人が居てくれる。単純な事なのに、それがこんなにも居心地の良いものだなんて、知らなかった。自分がこんなにも笑顔を浮かべる事が出来るだなんて、知らなかった。

 シズキが1人で暮らしている小屋には、人数分の寝台は用意されていない。話し合う事もなく眠ってしまったルキに布を掛け、シュンはその横に転がって眠ったらしい。そう聞いたルキは、どうにも居たたまれなくなり、ごめんなさいと謝った。気にしないで、と笑うシュンにはシズキからの説明が待っていた。2人が眠ったのを確認したシズキはシュンに布を掛け、その傍らに横になったのだとか。

「優しいのは良い事だけど、自分の分もちゃんとやらなきゃ。風邪引いたらどうするの」
「そのまま寝る気はなかったんだよ。気が付いたら寝てただけ」

 言い訳にもならない言い訳で応戦するシュンだったが、ハイハイ、と軽く流してしまうシズキには全く敵わないのだった。その後、シュンに見えない場所で小さくくしゃみをしていたシズキを見掛けたルキは、彼らを似た者同士と呼ぶ事にした。



「じゃあ行ってくるね」

 簡単な食事を済ませると、シュンは右手を挙げ淡々とそう言った。
 すっかり“朝”は過ぎてしまったので、食事は朝食兼昼食となった。カゴに入ったパンと、小皿に盛られた野菜のサラダ。空になった食器を運んでいたシズキは不思議そうに首を傾げ、両手でパンを頬張っていたルキはその動きを止め、意味が分からないと眉を顰めた。シュンの表情はいつもの無邪気さを含んだ笑みではなく、口元だけで笑うシンプルなものだった。目の前に立つ2人の態度にシュンは、挙げていた右手を降ろし口を尖らせた。

「せ い や く!いつも行ってるだろ?」
「そうじゃなくて。ルキが居るのにまた行っちゃうんだ、って思って」

 シュンの不機嫌な声を即座に一蹴するかのように返したシズキは、ほら、と言わんばかりにルキへと視線を投げた。ルキはちらりとシズキを見上げると、すぐにシュンへと向き直る。薄汚れていた髪も衣服も綺麗になっていた彼だが、右目に巻かれた包帯だけはまだ汚れたままだった。恐らく取り替えていないのだろう。昨日は気にならなかったが、彼は右目を怪我しているのだろうか。ふとそんな考えがよぎった。
 シズキからルキへと視線を移し、更にシュンはその視線を不安定に揺らした。視界から目の前の2人を排除したまま、えーっと、と口ごもる。腕を組んだり爪先で床を突いたりと、どことなく忙しない。その様子を見て肩を竦め、呆れたように笑うのはシズキだった。離れたくて離れようとしているワケではないと、容易に想像が付いたのだ。ただ彼は、不器用なだけ。ずっと続けてきていた事を、まだ無理矢理続けようとしているだけ。ただ少しだけ、不安がって、意地を張って。
 止めはしないけど…、そう言ってシズキはポンとシュンの頭に手を乗せた。

「夜ご飯までには帰っておいで」

 柔らかい声音で、二言三言。砂にじんわりと水が染み渡るように、シズキの言葉はそれだけでシュンの固くなっていた表情を溶かした。また、いつもの表情が現れる。キョトンとしたルキの目の前で、途端シュンは目を見開き、うん、と大きく頷いた。「夜ご飯はお肉がいい」と言う彼の表情は、悪戯子っぽく光っていた。

 それから、シュンが毎日朝早くに出掛け、陽が沈む直前に戻ってくるというのはどうやら彼の日課になったようである。長い時は1月以上は戻ってこない、と言われていた彼も、今では毎日帰ってくる。そして、陽がもうすぐ沈むという頃合いに窓の傍へと寄り、外を眺めている事がルキの日課となっていた。蒼い髪が赤に照らされているのを見つけると、何食わぬ顔で扉の近くへと移動し、そして扉が開くと同時に現れる笑顔の「ただいま」を、真っ先に受け止める。今ではすっかり、「おかえり」とたった一言発する事が、彼女の楽しみとなっていた。
 ルキが扉に向かって走り出すと、シズキは自室から出てくる。さて夕食は何にしようかと思案しながら、後方で繰り広げられる問答に耳を傾けることが、彼の日課なのだった。





「シュンってさ、なんであんなに必死なの?」

 脚の長い椅子に腰掛けながら自身の足をぶらぶらと揺らすルキは、向かいの席に座るシズキへと問い掛けた。外へ出掛ける時以外は自室に篭もりっぱなしのシズキに、休憩だと言って部屋から出てくるよう促したのは、つい数十分前の事。忙しいんだよ、とルキの行動に呆れながらも居間へと出てきたシズキは、足を組みながら結局ここでも何かの資料に目を落としていた。彼が一体何の研究をしているのかは、聞いた事がない。部屋にも入った事はなく、今彼が手にしている資料も隠れて何が書いてあるのか分からない。出会って暫く経ち、彼らの事を少しずつ知っていっている。それは思い込みではないと思う。彼らの性格も行動パターンも、分かってきた。ただ、彼らが“何をしているのか”という点においては、全く分からないままだった。
 ルキの声に顔を上げたシズキは、彼女の問いに逡巡思案する。表情だけで判断するならば、どうやら問いの答えを隠そうとしているワケではないらしい。うーん、と小声で呟くと、シズキは資料をテーブルに置き、ルキへと向き直った。

「アイツの持ってる力の事、聞いた?」
「……街を1つ消したってやつ?」
「うん。そう」

 静かに笑う彼の瞬きは、とてもゆっくりで。会話が途切れたのではと思う程の間を置いて、彼は深く息を吐き出した。いつも飄々とした笑顔ばかりのシズキが、こんなにも別の顔―――すぐに崩れてしまいそうな、脆弱な表情を突然浮かべるとも思わず、ルキは少なからず動揺する。聞いてよかったのだろうかと、今更後悔する。しかし返事も相槌も待たずに彼は静かに話し出した。

「シュンが今やってる事って、その力の暴走を未然に防ぐ為のものなんだ。シュンがちゃんと力の事を理解していれば、もしくは力と同調する事が出来たら、大きな力は暴走する事なく、シュンが制御して扱う事が出来ると思う。でも今はまだ、そこまでは至っていない。だから、下手すると暴発を引き起こしかねないし、最悪の場合、シュンが力に飲み込まれてしまうかもしれない。弱い力は強い力に負けてしまうからね。そうなりたくないから、力を押さえつける為にシュンは必死になってるんだ。“誓約”を交わす事によって“自分のやるべき事”を見つけ、それを達成する為には巨大すぎる力は不要。これで無意識に力を制御する事になるんだ。……問題は、全部僕の推測で、解決方法も僕個人の考えに過ぎないって所かな」
「え?」

 ルキが聞き返し、ようやっとシズキは固かったフッと表情を崩した。精一杯に明るく笑うシュンとは違って、シズキは柔らかく、全てを包み込むように笑う。その笑顔を見ていると、安堵する事が出来るのに。なのに今は、どこか不安げな彼の心情が読み取れてしまい、素直に笑い返す事が出来なかった。テーブルに置いた両の手に目を落とし、口元だけはまだ笑っていて。小さく息をつくと、視線をルキへと戻した。

「僕がやっている事が、正しいのか正しくないのか、分からないんだ。ただ、今はまだ力が暴走するようには見えないから…あの時みたいな不安定な気持ちは持っていないと思うから、大丈夫なのかな、って思ってるくらい。それだけなんだ」

 どこか自嘲気味に笑うシズキを見て、ルキは彼の研究している内容を垣間見たような気がした。彼はきっと、シュンを守りたいんだと。そう思った。そしてそれと同時に、シュンが必死になっている理由も、シズキと同じなんだと思った。
 そろそろ戻るね、と言って部屋への扉を閉めたシズキは、その数分後にシュンの帰宅によって再度部屋から出てくる事となる。呆れたように溜め息を零すが、決して心底嫌がっている表情ではないという事は、すっかり分かりきってしまっている。シュンとルキは揃って今夜の夕食のメニューを提案し、彼にまた溜息をつかせたのだった。



 自分たちの関係はなんなのだ、と問われた時、恐らくルキはすぐに答える事が出来ない。適した言葉を見つける事が出来ないのだ。だがもし、その関係を表す言葉が「家族」だと人から例えられた時、それを否定する事はないだろう。「友達」とは違う、もっともっと深いものがあると、そう考えていた。
 どうやらそう考えているのは彼女だけではなく、シュンも、シズキも同じだったらしい。小屋の入り口である扉の上には、小さな字で「朧」と書かれていた。なんと読むのかまでは分からなかったのだが、文字である事は分かっていた。ふとその意味をシズキに問い掛けた時、彼はこう説明したのである。「家族でいう名字みたいなものだよ」、と。隣で聞いていたシュンは無邪気に笑い、発した本人であるシズキは、「どう?」と言わんばかりにルキへと視線を投げかける。彼らがどんな答えを期待しているのかは分からない。分からないが、彼女は素直に「いいね」と言って笑った。



 笑って、笑って。楽しい事ばかりを考えていられたら、きっと幸せなんだろう。
 裏に潜んでいた、気付かなかった事にも気付かなければ。
 知らないままでいられたなら、崩れる事なんて無かったんだろう。