Encounter

27
「何ボーッとしてんだ」

 不意に声を掛けられて、真鈴は現実に引き戻される。
 森に作られていた魔法陣に足を踏み入れ、その後新しく視界に映った光景は見慣れた別の森だった。魔法陣にはなんの変化もなく、いつもと変わらず目的地へと到着する。あまりの変化の無さに一抹の不安を覚える程、あっさりと離島へと辿り着いてしまっていた。
 魔法陣を抜け少し歩いた所で夜を迎え、霧氷、雨亜、烈斗、そして真鈴は休息を取っていた。そして今は、もうすぐ夜が明ける刻限。烈斗だけが静かな寝息を立てている。
 目前に広がる森の木は次第にその数を減らし、木々の隙間からは、灰色の塔がちらちらと見えている。離島の、塔。その姿を見る事が初めてなのは霧氷だけだったが、塔が姿を現した時、真鈴も烈斗も思わず身構えてしまった。やっと着いたという気持ちと、戻ってきてしまったという気持ち。そして、戻ってきたけれど、戻るつもりはないのだという不安。石造りで灰色の塔は、夜の闇の中に重々しく佇んでいた。
 現実に引き戻された頭で、再び真鈴は考えた。今度は、冷静に。
 峻に会いたい、彼を助けたい、彼の力になりたい。
 その一心だけで今ここにいるし、彼が好きだったからこそ今までもMistyという場所に居た。その事に、彼が好き、という理由以外に何が必要だろうか。
 けれど、と彼女は思う。自分は何も知らなかった。Mistyというものの意味も、存在している理由も、峻の目的も。例え物理的に近い位置に居たとしても、きっと心理的には近くない場所にいたのだろう。彼が考えている事など、知るよしもなかった。
 峻が一体どういう人物で、彼が何を求めているのかなど真鈴は知らなかったし、同じように、彼と行動を共にしているシーズの事など、これっぽっちも分からなかった。

「ちょっとね、考え事してた」

 間を空けて、真鈴は霧氷に返事をした。何も分からないから、今から確かめに行くのではないか。彼女の最終結論は、そこだった。少なくとも“今”は、ぐるぐる悩む事は無意味なのだ。知らないのだから。

「大丈夫。絶対に、会う」

 それは自分へ宛てた言葉だった。そう決めると、どことなく気分がスッとするような気がしてくる。気休めだろうがなんだろうが構わない、立ち止まりさえしなければ。
 木々の影からちらりと覗く石の塔を見上げた。重苦しく見えたそれは、淋しげに佇んでいるようにも見える。灰色の塔全体がまるで深い水底に沈められているかのような、暗く朽ち果てたような気配。心持ちひとつで見え方も変わってしまう。真鈴はもう一度強く頷き、自分の道を決め込んだ。
 そう言えばと思い返すのは、水使いの少年だった。打ち上げられた水柱を頼りに彼と会ったのは、昨日の朝方の事。あんなド派手な演出をしておきながら、待っている人物は自分たちではないと言い切ってしまうのだから、思わず真鈴は笑ってしまったものだ。合図は出しているものの新しく知った情報もないと言うので、現在地から少し南に行った所に魔法陣がある事、その魔法陣は塔のある離島へと繋がっている事を教え、自分たちは先に行くと伝えてすぐに別れた。「なんで居るんだ」と言わんばかりの不審そうな目を霧氷に向けていた気もするが、双方共にその点に触れようとはしていなかった。果たして遊龍とは合流出来たのだろうかと、真鈴は考えを巡らせる。彼が何か情報を持っていればいいと、彼女は思ったのだった。
 東の空は、ゆっくりと白み始めている。白に近い空からは星が姿を消し、闇は光を受け入れる支度を始める。また、新しい朝が始まる。

「何考えてたかは知らねぇけど」

 霧氷が真鈴へと振り返り、言葉を発する。そういえば、珍しく煙草を咥えていないと雨亜は思った。ストックが無くなったのか、はたまたそういった気分ではないのか。双方の可能性が考えられるので本人に訊ねない限り理由は分からないのだが、今その事について訊ねる気など雨亜には無かった。

「決めたならもう迷うな。いちいち浮いて沈んでって繰り返してたら身が持たねぇから」

 比喩の意味を理解した真鈴は肩を少し上げて小さく笑い、そして首肯した。いつの間にか目を覚ましていた烈斗も身を起こして、真鈴に続いて首を縦に振る。頭の動きに合わせてさらりと揺れた赤の髪を、霧氷は面白げにぐしゃりと撫でた。「何すんだよ!」と喚く烈斗だったが、表情を眺める限りではどうやら満更でもないようである。

「………お前ってさ、単純だな」
「!…っ何よ、悪かったわね単純で。コレでもめいいっぱい悩んで考えた結果なのよ、あなたに分かる?この乙女のデリケートさ!」

 不意に投げられた抑揚の無さ過ぎる声に、真鈴はキッと反論する。振り返った先には、視線を真鈴から外して佇む黒髪。何を考えているのかさっぱり分からない程度に無表情な雨亜は、悪びれた様子もなくひとつ息を吐いた。そして真鈴へと視線を向け、一言。

「……乙女?」
「正真正銘の乙女じゃないのよッ!」

 再び始まった、と言っても過言ではない殆ど一方的な言い合いに、傍観者となる他ない霧氷と烈斗は、肩を竦めて嘆息した。呆れると同時に、漫才のようなやり取りに少しの笑いが込み上げる。

「好きなヤツ程苛めたい…ってか」
「え!」

 ぼそりと呟いた霧氷に、烈斗はハッと彼へ視線を向ける。しかし待っても言葉の続きは得られず、仕方なしに二人の方へと視線をやる。捲し立てる真鈴と、一言二言の言葉を返す雨亜。やり取りを見ている分には楽しめるが、お世辞にも仲が良いとは言えないような二人である。烈斗はうーん、と首を傾げた。少年の表情を見た霧氷はまた、ニッと笑うのだった。
 ―――が。その表情は急に止まる。
 一瞬で表情と、そして空気が変わった事に烈斗は敏感に気付き、怪訝そうに霧氷を見上げる。彼の視線は、一点に定められていた。先程までのからかいの表情は、既に微塵の影もない。

「キリ」

 様子に気付き、そして気配も感じた雨亜は霧氷の元へと歩み寄る。彼もまた、表情こそ無のままであるが発する空気は臨戦態勢のそれだった。一変して張り詰めた空気に不安を隠せず、真鈴は烈斗のもとへと戻る。二人を後ろ手に、霧氷は腰の刀を抜き、雨亜は背の長剣を抜く。

「分かってる」

 じっと凝視する一点は、ただの地面。しかし、四人のいる場からほんの数歩離れたその場所には、木々のものとは異なる無数の影があった。蠢いている。感じる気配だけを信じるのであれば、この妙な空気の発生源はそれらであり、後方から不意打ちを喰らう事はない。念の為、と振り返った雨亜の目には、不安に小さく震える真鈴が映る。こういう時、霧氷なら「大丈夫」の一言でも投げ掛けられるんだろうな、とふと思いながら、雨亜は彼女に向かってひとつだけ頷き、そしてまた前方へと視線を戻した。
 「何かいる」と霧氷が呟いた時、影には別の動きが発生する。曖昧な平面だった影には、次第に実体が現れる。それは無数の蛇。夜闇にぼんやりと広がる影と同色の蛇は、ゆったりと地を這って四人へと近付く。意思があるのか無いのかは判別付かないが、彼らの標的が自分たちであるという事だけは、否応なく理解出来た。

「何よぉ、何なのあれ…!」

 思わず真鈴は上擦った声を上げ、烈斗は息を飲む。互いの距離が縮まる程に、目のない黒蛇の体躯は赤く染め上げられていく。朝日が照らしている訳ではない。まるで熱を帯びているかのように思えた炎の色は、どうやら思い過ごしではないようであった。炎を纏った蛇の軌跡は、黒く焦がされていく。

「おいおい、なんなんだコイツら。どっから出てきやがった」
「…知ってる、シーズの炎蛇だ」
「炎蛇?」

 疑問に小さく答えた雨亜へと、霧氷は視線をちらりと向ける。しかしすぐに正面へと―――炎蛇へと視線を戻した。動作がゆっくりとは言え、段々と近付いてきている事は事実である。いつ飛び掛かられても不思議はない。炎蛇、と小さく呟いて、雨亜は口を開く。

「魔獣とかそこらの一種らしい。シーズの奴、召喚が好きらしいから」
「……魔獣も召喚も、魔術に関する知識なんざねぇよ」
「オレもだ」

 霧氷が自嘲気味に笑うと、雨亜もつられて鼻で笑う。焦りだとか不安だとか恐怖だとか、そんな感情を持つ気は更々無い。そんな暇があるのであれば、その時間は現状打開の為に使用する。かつて一人の男に叩き込まれた、戦闘方法。これが二人に共通する物事の考え方だった。