Encounter -Another-

IN 役所の受付口
 一夜が明けた。
 はっきり言って、昨日は何の仕事もしていない。が、ひとまずの歓迎というものなのだろうか。早速昨日から日給が支払われている。1日が終わるのは夜中だと考えているこの街での日給は、次の日の朝、朝食の終了後に支払われるのが当たり前だった。しかし、迅夜も左翊も、日給式の仕事はした事が無く、いきなり手渡された布袋にまさかお金が入っているとは思ってもいなかった。部屋に戻って中身を見た2人は、互いに顔を見合わせ、それが報酬だと気付くのに多少時間が掛かっていた。

 報酬と気づき、それは今使えるお金であると理解した迅夜は、滞納している宿代を支払いに外出している。陽も昇り気温も上がってきている時間帯。何もなければ昼頃には帰ってくるだろう。
 左翊は一人部屋に残り、屋敷全体の敷地図を眺めていた。ちなみに部屋は昨日のうちに変えて貰っている。最初に通された個室の、おそらく3分の1程度の広さの部屋。屋敷で一番小さい個室らしいが、普段泊まっている宿とはやはり格段に大きさが違う。
 ベッドは柔らかく、座りにくい。が、他に椅子と机もあったにも関わらず、左翊はベッドに座っていた。どうやらこちらの方が作業しやすいらしい。

「広いな…」

 一人呟く左翊は、丁寧に色づけされた数枚の地図を見やる。屋敷の敷地図、平面図(地下2階から地上2階まである)、そして屋敷の周辺図。周辺図には、屋敷以外には木々と道くらいしか描かれていない。この周辺に、他の住民はいないという事だ。

「…細工しておかないと、2人じゃ足りないな」

 そう呟くと、左翊は部屋をあとにした。



×××××


 昨日影凛に貰った地図のお陰で、迅夜は全く迷うことなく街に着く事が出来た。
 辿り着いた宿の店長に所持金の話をすると、さすが有名何でも屋!なんておだてられ、その調子で世間話やら何やらを長々と話し込んでしまった。既に昼食の時間は過ぎている。
 だが世間話も全くの無駄ではなく、ルジールについて少しだが情報を手に入れる事が出来た。
 どうやらつい昨日、トレイトに向かう予定だった荷馬車が道中で何者かに襲われ、荷物こそは奪われなかったものの、転倒し崖から転落したらしい。幸いにも、乗車していた商人の2人は怪我だけで済んだらしい。だが馬の方は重傷で、もう車を引く事は出来ないだろうとの事。ちなみに宿の店長は、夕べは馬刺だったんじゃないかぁ〜などと笑っていた。
 その馬車転落事件の犯人がルジールではないか、という話らしい。商人の1人が、突然車内に乗り込んできた男の姿をちらりと見たらしい。大判の布を被っていてはっきりとした顔は見えなかったが、隙間から覗く瞳は青く、零れる髪は濃い金色。そして目元に走る大きな傷。鋭い眼光に気圧されて何も出来なかったと商人たちは言っていた。
 話を聞く限り、犯人は1人らしい。ただし、馬の脚には細身のナイフが5本、刺さっていた。馬車に乗り込んできた男が投げるには、角度がおかしかった。

 そんな話を思い出しつつ、迅夜は役所へと向かっていた。少し、目的があった。


× × ×

「うーっちゃん!いるー?」

 役所に入るなり、そう呼ぶ。中にいた市民が、心底驚き畏怖すら表しながら迅夜を睨んできたが彼は気にしない。

「だーかーらー、そういう呼び方をするなって言ってるだろがッ!」

 呼んでからそう経たないうちに、いつもの受付人の男が出てきた。その対応の仕方に、さらに市民が驚いていた。こんなことあり得ない、とでも言いたげな顔をしている。無理もない。市民にとって役人とは、お偉いさんなのだ。兵役も済んだ、軍事力を持った集団が役人であり兵士である。そんな彼らへのこの態度、自分たちが行えば処罰を受けるに決まっている。

 用が済んだのか、彼らはそそくさと役所をあとにした。彼らの対応をしていた役人も、苦笑を浮かべながら迅夜を見、部屋へと戻っていった。こうして受付口には迅夜と受付人の男2人だけとなった。
 ちなみにこの対応は、アクマリカ役所公認である。


「どうしたんだ、仕事中じゃないのか?」

 誰もいなくなった受付口に毎度の苦笑を浮かべつつ、受付人は早速話題を迅夜へと向ける。仮にも役人、他にも仕事はあるのだ。用事は早く済ませたい。

「そう急かすなってー」

 が、そんな事微塵も気にしない…というか気付いていない迅夜なので、へらへらと笑いつつ単刀直入には言ってこない。いつもの事なので慣れっこではあるがいい加減成長して貰いたいと常々思っている受付人だ。

「まいーや。あのさ、昨日馬車の事故あったらしいじゃん」
「事故?あぁ、あったな。俺の担当じゃないから詳しくは知らないが…。それがどうかしたか?」

 役所内でもその事故は話題になった。専ら最近の話題が盗賊ルジールに関する事ばかりなので、必然的にそうなるのは目に見えていた。
 事故調査は、自分より2つ年下の若い役人が担当している。机が隣なので、事故の大まかな流れだけは聞いていた。余談だが、年の近いこの役人とは、親しい間柄だったりする。自分たちは役人の中でも若い方なのだ。ちなみに自分は下から3番目である。

「それでさ、馬に刺さってたナイフ、見せて貰いたいんだけど」

 さらっと迅夜の発した台詞は、一般人からは想像も出来ない程無謀な希望であって。というか自殺行為の頼みだ。それくらい、役人の調査は徹底している。

「見てどうするんだ?」
「ん?ルジールに関係するモンだったら、役立つかもしんないし。役人さんの手伝いにもなるよ」
「………仕事上手だな」

 迅夜がこうも役人と仲良くしていられるのは、彼の仕事達成率が高いという事もある。役人お手上げの事故処理などを、あっさりと無報酬でやってのける。そこに感心した役人たちは、迅夜に対して色々と甘いのだ。
 まぁだが、彼の性格あってこそのこの関係図だったりもするが。

「絶対というわけにはいかないが…担当の奴に聞くだけ聞いてみるさ。今時間はあるのか?」
「んー、まぁ、あるっちゃある」
「曖昧だな。………護衛を左翊1人にやらせてるのか」

 そういえばいつもの連れがいない。気に留めていなかったが、彼らの受け持った仕事は皐戸家の護衛だったはずだ。なのに迅夜1人でここに来ている。という事は、今皐戸家には左翊1人しかいない。
 確かに凄腕で有名な2人組だが、いくらなんでも油断しすぎではないだろうか。

「だーいじょうぶだって。俺の相方だぜ?そんなヘマしないって。それに、」
「それに?」
「ルジールの連中、昼間には現れないね。絶対夜中に来るさ」

 自信満々に答える迅夜の言葉には、何の根拠もない。が、なぜか本当の事のように感じる。まだ子供のように見える彼も、仕事の時はまるで別人のような力を発揮している。そう思えた。

「なんで?」
「なんとなく」

 答えはまるっきし子供なのに。本当に、不思議な奴だ。迅夜は。


× × ×


「流石に全部とはいかなかったが」

 戻ってきた受付人の手には、布にくるまれた細身の物体があった。それを受付口に置き、丁寧に布を開く。中から現れたのは、細身の短いナイフ。手と腕を使えば、簡単に手の裏へと隠す事が出来るだろう。蔦が柄に絡まっているような、綺麗な装飾が施されている。 迅夜はそれを受け取り、まじまじと眺めていた。その様はまるで鑑定士のようで、その口からは『3000セイル!』、などという言葉が発せられるのではないかと思われた。
 けれど勿論そんなわけはなく。
 一通り観察し終えた迅夜は、再び布の上にそっとそのナイフを置く。窓から差し込む陽の光を写し、ナイフがきらりと光った。

「ふーん」

 鑑定し終えた迅夜の第一声はそれだけで。ただ、その顔には満足そうな笑みが浮かべられている。受付人には、それが何を表しているのか分からなかった。

「何か分かったのか?」
「これ、魔具だね。馬が再起不能になったって言うからどんな刺さり方したのかと思ったけど、実際は痺れ薬の染み込んだ刃のナイフだったってワケだ」
「………よく分かったな」

 確かに、このナイフが魔具、つまり、魔力のある者が作った武器であるという事は役所の調べでも分かっていた。が、誰しもこれが魔具である事、ましてや、痺れ薬である事など、見ただけでは分からなかった。状況分析と生物学、そして文献を漁り、つい先程分かったばかりの事実だったのだ。
 それを、逡巡観察しただけで迅夜は見抜いた。魔術師である彼の事、そんな事容易いのかも知れない。役所にも魔術師は必要なんだと、受付人は少し思った。

「迅夜さーん!だったらもっと早くにここに来てくだされば良かったのに…!!!」

 扉の後ろからそんな声が聞こえた。あの声は、この事件担当の役人だ。彼は寝ずに文献漁りをして、魔具の存在をやっと知ったのだと言っていた。
 役人たちは武術専門ばかりだ。魔術に関しては疎い者が多い。

「悪い悪いっ、そう気を落とすなってー」

 軽く笑いつつ、迅夜は扉の向こう側へと向かって声を掛けた。
 そういえば迅夜とあの役人はこれが初めての会話のような気がする。


「多分ね、ルジールの連中、あの荷馬車の荷物を奪う気なかったんだと思うぜ」

 唐突に、迅夜は小声でそう言った。小声なのはきっと、扉奥の役人たちに聞こえないようにするため。
 耳を傾けて、受付人は気になる話題の先を促した。

「あいつらが、馬車が転倒したくらいで獲物を諦めるはずねぇ。それに、覆面の男が中に入ってきた時点であいつらの勝ちになるんだ。馬に魔具を、しかも5本も刺す必要性がないってワケ」
「つまりそれは」
「うん。きっと、俺らへの挑戦状。ルジールからのな」

 言葉とは裏腹に、迅夜は満面の笑みである。きっと楽しんでいるのだ。この、ゲームを。追う者と、追われる者のゲーム。
 少しだけ考える顔をして、受付人は迅夜に視点を合わた。

「つまり、ルジールは、お前たちが追ってるって事を」
「知ってるさ。当然だろ」

 何でもないように、さらっと言う。最初から、こうなる事は分かっていたのだろうか。
 置いたナイフをまた見つめ、迅夜は蔦を目で辿っていた。細かい装飾も潰れていない。まだ作られたばかりの物だ。彼らは、魔具を扱う店と通じているのか、あるいは彼ら自身が魔具を作れるのか。どちらにせよ、魔具は少々厄介だ。魔力を発する量が少ないため、所持していると気付かない事もある。種類も様々で、日々新しい魔具を作ろうと魔具職人たちは躍起になっている。知らない種類の方が多い。



「―――で、さ。これって貰って良いモンなの?」

 不意に声を掛けられて受付人は少し驚く。迅夜は真剣にナイフを眺めていたのだ。いきなり話題が逸れてはこちらの脳内処理も追いつかない。間を置いて、受付人は答える。

「……貰ってどうするんだ?」
「参考資料☆」

 事件に使われた物は、本当のところ門外不出になる。事件が解決したあとも、再びどこかで使われる恐れがあるからだ。だから全ての証拠品は役所内で処分する事になっている。
 が。

「もーいいですよー!迅夜さんなら大丈夫でしょー」

 再び扉の向こうから聞こえた声はそんな事を言っていて。

「無くしたらタダじゃおかないからなー!」

 別の声がそんな事まで言っている。つまりもうこれは、役所公認の異例事項。
 迅夜は笑みを浮かべると、嬉々としてナイフを布でくるみだした。持ち帰る気満々なんだろう、コイツは。

「きっちりお役に立つようにしますよー!」

 くるんだナイフをその手に持つと、扉の向こうに返事を返した。
 そうやってから、受付人に向き直り、もう一度にっと笑った。

「んじゃ、またなー」

 晴れ晴れと役所を出ていく迅夜は、まるでもう、勝負をしたかのように勝ち誇った顔をしていた。


×××××


 ふう、と一息着いた左翊は、辺りを見回す。我ながら、少しばかり張り切りすぎたかも知れない。
 屋敷全体は何も変わってはいない。普段と何一つ違う様子は見られない。
 否。少しだけ、異なる部分があった。
 屋敷の外柱や扉、窓などに、紙のような物が貼り付けてある。ぴったりと貼り付けてあり、風に飛ばされるという事はなさそうだった。

「何をしていらっしゃって?」

 そんな左翊に声を掛けてきたのは、10歳くらいの少女。この屋敷に住むお嬢様…とでも言うべきだろう。皐戸家の若き長女だった。
 好奇心が強いのだろう。先程から視線を感じていた。きっと作業している間中、ずっと見ていたに違いない。
 金持ちのお嬢様らしく、服や髪の装飾が豪華だ。これでも普段着なのだろう。ひらひらとしているスカートは、歩く時に邪魔なんじゃないかと思った。

「知らなくても良い事ですよ、お嬢様。この家を、安全に導くための小道具なだけです」

 正直、人と話すのは好きではない。淡々と感情無くそう説明し、彼は足早に家の中へと入っていった。

「変な方」

 少女はそんな彼の様子を見て、そう呟いた。
 貼り付けてある紙には、何か文字らしき物が書かれている。しかしそれを眺めてみても、なんと書いてあるのかは分からない。これが字なのかどうかすら怪しい。

「変なの」

 もう一度少女は呟くと、自身も駆けて家の中へと入っていった。


× × ×


 「やはり慣れない…」

 ぼそりと、仰向けに寝転がりながら左翊は言った。
 もう昼も過ぎている。迅夜はまだ帰ってこない。住み込みの召使いが、昼食の用意が出来たと呼びに来たが、空腹ではないと答え断った。1人であの食卓へ向かえる程、この家が好きというわけではない。おしゃべり好きの皐戸家の食卓だ。質問攻めに遭うに決まっている。
 別に嫌いなわけではない。ただ、生活環境がここまで違うと、どうにも居心地が悪いのだ。順応性の高い迅夜と自分は別だ。

 仰向けのまま、目を閉じる。
 脳裏に浮かんだとある姿に、はっと身を起こす。考えないようにしているのに。気を抜くといつも思い出してしまう、あの姿。
 思い出すたびに、もう一度会いたいという衝動に駆られてしまう。だから、考えないのに。辛くなるから。
 あの少女は、今もまだ、元気でいるだろうか ―――?



 離れない思いを消したいとも消したくないとも思い、再び左翊は目を閉じた。