ノンストップ前途多難 −後編

 幸いなことに、午後最初の授業に遅れたのは自分だけではなかったようだった。教壇に立つ教師は、呆れたように笑いつつも、教室に飛び込んでくる生徒達を咎めることはしなかった。
 全員が揃ったのはチャイムから5分程経った頃。教室を見回し、席が全て埋まっていることを確認すると、彼女はうんうんと頷いた。
「よーし、全員揃ったね。じゃあまず自己紹介。化学担当の大橋湊、どうぞ宜しく」
 彼女が挨拶すると同時に、クラス中から笑いが起きる。無理もない。彼女はこのクラス、1年B組の担任でもある。午前中ずっと教壇に立っていたのだから、今更挨拶されても新鮮みはないというものだ。大橋もクスリと意地悪く笑うと、両手をパンパンと叩く。
「はーい、それじゃ授業の前に。遅れてきた奴、全員起立」
 えー、という軽い抗議すらも起きている。それでもガタリと椅子を動かし立ち上がったのは、廉も含めて8人。女子生徒も男子生徒もそれぞれ4人ずつだった。座っている生徒達は好奇心の目で彼らを見ている。
「大体理由は予想付くから、そっちから順にどこ行ってたか言いなさい?遠くまで行ってたんでしょ」
 廊下側の一番前の席に座っている女子生徒を指さしながら、大橋は言った。女子生徒は笑いながら、頭を掻いた。
「風上展望台です」
 女子生徒の返答に、その位置を知る生徒達からえー、と声が上がる。大橋も「あら」と意外そうな顔をする。廉も頭の中で地図を描き出し、その位置を思い出す。正門から延びる並木坂を登り切った最上部、つまり山の頂上にあるのが、風上展望台と呼ばれる東屋だった。
「よくそんな所まで行ったわねぇ」
 と、大橋は感心までしている。じゃあ次、と指したのは男子生徒で、こちらも校舎から遠く離れた場所を答えていた。ここに来て廉は不安になる。生徒会室は校舎のすぐ裏。離れていると言っても彼らの答え程遠くはない。それで遅刻したなどと言えば、あまり雰囲気は宜しくないのでは…と溜息をついた。
「最後、三鷹」
 ボーッとしている間に自分の番が来てしまったようだった。周りを見渡せば全員着席している。そういえば席順的に、自分が最後なのだったと気付く。諦めたように廉は答えた。
「生徒会室です」
 同時に周囲から「どこ?」との声が次々と上がる。別の生徒がそれに応え、更にざわめきは大きくなる。だから嫌なんだよと廉は項垂れ、そして大橋の顔を見てギョッとした。生徒の数人も彼女の表情に気付き出す。
「生徒会………室?何しに?」
 どこか青ざめたような、疲れ切ったような。けれど呆れてしまっているようにも見える表情で、大橋は呟くように問いかけた。一体何事かとクラス中がどよめき出す中、廉は不思議に思いながら口を開く。
「えっと、落と」
「三鷹廉いるかー?!」
 開いた口から紡がれた言葉は、ガラリと開く扉と共に発せられた大声によって掻き消された。クラス中の視線が一斉にそちらへと向く。反射的に廉もそちらへ視線を向け、そして向けたことを大きく後悔した。彼と、思い切り目が合った。
「やっっっっっっっと見つけた!探したよ三鷹廉」
 教室には廉しかいないかのような振る舞いで、高須咲希はズカズカと教室へと足を踏み入れ、そしてあっという間に廉の席の目の前までやってきた。にっこりと笑うと右手をぐいと差し出す。
「クラスも言わないで帰っちゃうから探しちゃったよ、レンレン。さ、行こう」
「や、あの、行こうってどこへ…ていうか授業中ですって!引っ張らないで下さい…!」
 手を差し出したついでにちゃっかり右手を掴む咲希に抗議の声を上げつつ、廉が引き摺られるままに立ち上がる。周囲の視線が気にならなくもない。ポカンとしたクラスメイト達は、不思議そうに2人のやり取りを見ていた。
「えーっと、高須。ちょっと」
 コホンと咳払いを1つしてから、大橋は声を掛ける。教室の後ろ側に付けられた扉の前まで来ていた咲希と廉は、同時に視線を向ける。咲希は疑問系、廉は助けを求める目だった。
「なにー?ミナっち」
「一応ここも授業中だから、ちゃんと説明してから行きなさい」
「あー、そっかそっか、ゴメン」
「説明したら行っても良いんですか!」
 テンポ良く抗議の声を上げた廉だったが、あっさりとそれはスルーされ。
「条例通り、彼、三鷹廉くんは生徒会予備軍に入ったので、ちょっくらお借りしまーす。あ、お騒がせしたお詫びにミナっち、今夜飲み行かない?」
「どうせステラのドリンクバーでしょ。アルコールが出るとこだったら行くけど」
「ダメダメー、俺未成年だから」
 後半余計な部分も付属した気もするがこの際置いておき。このクラスにとっては大凡説明になっていない言葉を述べ、咲希はガラリと扉を開けた。どうにかして!と大橋に目で訴える廉の視界は、自身の教室の扉によって阻まれた。少しの間を置いて教室の中から、「じゃあ授業始めるぞー」という声が上がる。
 あ、俺もうスルーされてる。
 諦めにも似た表情で、廉は咲希に引き摺られていくのだった。

△▽△▽△

「遅い」
 集合室に入った途端言われた言葉はそれだった。自分への言葉なのか咲希への言葉なのかは分からないが、発した本人の機嫌はすこぶる悪いということだけは分かった。ギンギンと睨み付けられる視線(2人分)が激しく痛い。
 結局引き摺られるままに、廉は生徒会室へと戻ってきてしまった。咲希は相変わらずニコニコしているし、柳は椅子に腰掛けながら携帯ゲームを弄っているし、撫子は椅子に腰掛けコーヒーを啜っている。一体この状況がどうなっているのか、廉には理解できなかった。
「じゃ、掃除ヨロシク☆」
「……………………へ?」
 唐突に放たれた咲希の言葉に、たっぷりと間を空けて廉は変な声を上げた。廉の声の直後に、「え?」と咲希の声が返ってくる。互いに無言のまま首を傾げ、先に口を開いたのは咲希だった。
「レンレンってば掃除担当っしょ?」
「や、担当も何もこの状況が全く理解できないんですが」
 再び降ってくるよく分からない単語に、廉は言葉に感情を込めることを止めた。しかし淡々と話しきった後にこちらに向いている視線が3対に増えていることに気付く。はた、と息を止めた。
 しかし降りかかるのは罵倒の言葉ではなく。というより、こちらに意識は向いていないようだった。
「キオ、まさかお前まだ説明してないのか?」
「え、だってなっちゃんが話すって言ってたじゃん」
「あたしコイツ認めないって言ったじゃん。ってか、あたしが来る前にシーヤが話したんだと思ってたんだけど」
「まさか。コイツ連れてくる時にキオが話せば良かっただろ」
 ぐるぐると回る会話の内容は要するに、責任転嫁。何も出来ないまま突っ立っているだけの廉に、突然3対の視線が向いたのは彼らの会話が3周ほどした後。思わずビクリと肩を震わすが、それ以上動けなくなるだけの視線が混じっていた。冷や汗がだらだらと流れる。
「んーじゃあ仕方ない」
 皮切りは咲希だった。はぁと息をつく柳と撫子の間で咲希は満面の笑みを浮かべる。
「まずこのメンバーは綾錦<あやにしき>。通称カラフル」
「あの、どの辺が」
「黙って聞け部外者」
「はい、すみません」
 冷たく放たれる撫子の言葉に、廉は素直に頷く。てゆーか俺ってまだ部外者?思っても口に出来ないのでとりあえず続きを待つ。
「カラフルっていうメンバーは生徒会予備軍なのね。こっから毎年生徒会のメンバーが決まる。もちろんならない人もいるけど、カラフル外から生徒会のメンバーになることはない」
 何故そんなに笑っているのかと疑問に思う程咲希は笑顔だった。もしかして彼は笑顔しかできないのでは、とさえ思う。
 下手に言葉を挟むと噛みつかれる勢いで黙らされるであろう事だけは十分理解したので、黙って先を促した。
「そんでこの建物………あ、カラフル城って言うんだけどね、ここにはカラフルの為の部屋と生徒会のための部屋がある、と」
「(カラフル城って………)」
 突っ込みたい。激しくそう思う廉だが、多分おそらく同意の言葉は得られないだろう。苦笑いを浮かべたまま、どう返事して良いのか悩む。そうこうする内に次の言葉が紡がれる。
「で、カラフルのメンバーになる為には“やる気”とか“好奇心”とか、そういう意欲は全くいらない。てか寧ろ邪魔。なる為にはただ1つ。導かれた運、ただこれだけ!」
 バーン、と。効果音でも付きそうな勢いで人差し指を突き出した咲希に、ポカンと口を開ける。勢い付けられた彼の行動はイマイチよく分からないが、冷静に考えてみると言葉の意味は何となく掴める。それはつまり。
「要するにコレを拾ってここまで届けた奴が半強制的にメンバーになるわけだ」
 淡々と柳があとを続ける。その手には廉が届けたあの黄緑色の封筒。うんうんと頷く咲希は満足げで。撫子だけは椅子に腰掛け、不機嫌にコーヒーを飲み続けていた。廉は恐る恐る手を挙げる。
「あの…」
「ん?」
「半強制的ってのは………」
「………。あぁ。コレを届ければメンバーに入れると知っている奴が届けた場合は強制退場だ」
「なるほど」
 明らかに嫌そうな表情を浮かべた柳だったが、どうにか返事を貰えた。多分、下手に出れば大丈夫なんだろう。多分。
 仕組み自体はなんとなく理解した。“やる気”や“好奇心”をバシッと否定するこの会なら、“入りたくてやってきた人”を追い出すくらいするだろう。そして“知らなかった人”や“入りたくなかった人”は、知らず知らずのうちに巻き込まれていくのだろう。今の廉のように。
「封筒の件については始業式の日、新2年生に話してる。つまり知らないのは1年生だけ。1年生しかここには入れないようにする為にね」
 1年生には何があってもバレないように細心の注意を払っているんだ、と。悪戯っ子のようにウィンクをする咲希は、どう見ても楽しんでいるようにしか見えない。
 だからあの時売店にいた生徒達はあんな反応を返したのか、と今更ながら廉は納得した。
「んで本題」
 声の調子は変わらず、しかし態度を切り替え咲希は話し始めた。
「早速カラフルに入ってきた1年生は、最初から生徒会に入れるワケじゃあない。何するかって言うと当たり前だけど、雑用」
 語尾に星マークが付きそうな勢いでにっこりとそう言い放つと、咲希は部屋の片隅を指さす。そこに置かれているのは掃除機にモップにハタキ。その奥には小さな部屋があり、僅かに見えるコンロからそこが給湯室だと分かる。
 視線を咲希へと戻すと、分かった?とでも言いたげな目で見られる。大いに意味は分かるのだが出来れば認めたくないと、苦笑いを浮かべているところに違う声が入り込む。
「ストレートに言っちゃえばいいじゃない。パシリだって」
「や、そこはオブラートに包んでさぁ」
 撫子の言葉を否定するわけでもなく咲希は返事をする。柳は溜息をつくかのように顔を背けると一言。
「要するにパシリだ。諦めろ」
 決まりだ。この場にいる全員、ドSだ。
 廉は思わず胸中でそう呟くと、柳の持つ黄緑色の封筒を恨めしそうに睨み付けた。


 とりあえずその後聞いた話では、教師達もこの綾錦という組織を認めているらしい。その為、授業中に招集が掛かっても欠課にはならないそうだ。それが嬉しいのか嬉しくないのかは、イマイチ分からない。1年生の雑用係に招集が掛かってもそれはつまり、パシリに使われるというだけだろう。
 あんなににこやかに笑っていた咲希ですら、「超絶無糖の紅茶が飲みたい」だの「シティの無糖ガトーショコラが食べたい」だの、次から次へと注文を突きつけてきた。やっぱりド級の笑顔で。柳は真逆で、「砂糖たっぷりのミルクティーが飲みたい」だの「シティ限定の氷砂糖(激甘)が食べたい」だの、こちらはこちらで聞いただけで吐きたくなるような注文を付けてきた。
「ヤッちょんそれ人外の食べ物ー」
「そっちの方が宇宙外生物だ」
 や、俺からすればどちらも食べ物じゃありません。と、心の中で冷静に突っ込みを入れる。足して2で割れば丁度良いのに…と呟いたところで撫子に引き留められる。
「部外者、コーヒー」
 ガチャンと空のカップを突きつけられる。はい、と頷き受け取る廉だったが、ふと思う。そういえば彼女は今何杯のコーヒーを飲んでいるのだろう。ひぃふぅと数えてみたがとりあえず両手の指で足りないことだけは確かだった。
 カップを手に給湯室へと足を向けた廉だったが、向かったその瞬間給湯室から出てくる人影と真正面に対峙した。互いに目を見開く。姿から感じる印象は白。しかしそれは見知らぬ人物だった。
「だだだだっだっ誰?!」
 思わず大声を上げてしまった廉は直後に後悔する。背後からの視線が痛いというか既に何か固いものが背中に直撃したような気がする。痛みを堪えて振り返る。
「うっさい、急に大声出してんじゃねーよ」
 あからさまに不機嫌を体現している撫子の手はこちらを向いており、足元を見ると平たい皿が落ちている。あ、皿投げつけられたんだ、と理解するのに時間は掛からない。床には毛の長い絨毯が敷き詰められていた為、皿は割れなかったようだ。拾い上げて室内へ視線を戻すと、咲希も柳もこちらを見ていた。
「どしたの?」
「あの、今知らない子がそこに………」
 振り返るとそこにはもう誰も居らず。嫌な展開、と廉はこっそり呟いた。すみません気のせいでした、と言おうと、もう一度室内に視線を向けると目の前には咲希が歩み寄っていた。
「うわぁっ」
「どんな子?」
 廉の反応などお構いなしに咲希は尋ねた。彼の笑みはもう好奇心なのかなんなのか分からない。とりあえず訊かれるままに答えることにした。
「俺より背は小さくて…髪は白?灰色?肩くらいまでだったような」
 何しろ一瞬の出来事だった。はっきりとは覚えてはいなかったが、制服を着ていなかったことだけは確かだった。
 何点かの少ない特徴を述べると、うんうんと楽しそうに咲希は頷き。そして彼は振り返るとキョロキョロと辺りを見回し、そして競歩並みのスピードで窓まで歩み寄る。彼の動きをその場の3人は見送った。そして。
「やーっぱ、かっしーだ。挨拶くらいすればいいのに」
 ガシリと。カーテンの陰に隠れた1人の人物を捕獲する。初めはバタバタと逃げようとしていたのだが、やがて観念したのか大人しくなる。その姿を見て「あ」と廉は呟いた。肩まで伸びたバサバサの銀色の髪に、首に巻いた長いスカーフは白。スカーフの影から見える衣服も淡い色合いで、ワンピースにも見える長いシャツは明らかに制服ではない。その姿は、さっき廉が対峙した人物そのものだった。いつの間にあちら側まで移動したのかは分からないが、間違いなかった。
「あら、ハク。久し振りじゃない」
「珍しいな。カシワがここにいるなんて」
 柳と撫子が反応するところを見ると、あの人物もカラフルのメンバーなのだろう。しかし三者三様の呼び名の所為で、本名は見当が付かない。今更なのだが彼らの呼び名のバラバラさはいっそ見事だと思う。
「レンレン、ちょっと」
 咲希が手招きする。手に持った皿をそのままに、廉は咲希の元へと歩み寄った。がっしりとその人物の肩を掴み、咲希はにっこりと笑った。
「この子ね、木白。木に白でコハク。カラフルのメンバーで、聴報委員長」
 木に白、と言われ頭に浮かべると別の1文字が浮かぶ。そして、だからカシワか、と納得した。と同時に彼の役職に疑問を持つ。
「あ、聴報ってのはね、読んで字の如く新聞部の意味」
 廉の疑問を読み取ったのか、咲希は説明を加えた。そう言えば校舎のエントランスに校内新聞があったような、気もする。
「かっしーはね、1人で新聞作ってるの。校内中どこでも駆け回るからね」
「神出鬼没過ぎて滅多に出会うことはない幻の存在だし」
「どの学年にも毎年出没する謎の存在だからな」
「そう言えばハクって今年は何年?」
「さあ、去年は2Cだったから3B辺りじゃないのか?」
「性別は?」
「去年女だったから、今年は男じゃないのか?」
「あのすみません流石にもう訊いても良いですか」
 我慢ならずに廉は会話を中断させた。痛い目線がこちらを向くが、前よりそんなに冷たく感じないのは気のせいか、はたまた慣れてしまったのか。右手をこそりと挙げると廉は尋ねた。
「要するにこの人は何者なんですか?」
 廉の問いに対する答えもやはり三者三様で。
「カラフルの良き友、頼れる聴報委員長」
「神出鬼没の座敷童、または学校の七不思議」
「永遠に学校に居座る学外人、若しくは学校の中心にいる最高の部外者」
 気が遠くなるような気がして、廉は頭を抱えた。
 その後、咲希が手を緩めた隙に木白はあっという間に姿を眩まし、集合室に残っている面々は何事もなかったかのように、また各々好き勝手にやり出す。

 学校開始2日目。
 早くも廉は、胃薬常備を考え始めるのだった。