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カテゴリー: Jump into the Sideway

CrossTuneのキャラ達が現代で学生やったりバンドやったりしてるよな話

お題:迅夜と峻で何か

じーっと見上げてくる視線に気付き、峻は怪訝そうに前を向いた。
峻の目の前の席に座る迅夜は、肘を立てカップに刺さったままのストローをくわえたまま、じっと峻を見ていた。
「なんだ」
「んー、いや、峻ってこういう店にいるの似合わないなぁって思って」
迅夜は淡々と、ストローを口から離さず器用に答えた。
ファーストフード店の一番奥の角の席。
さほど混んではいないから問題はないだろうと4人掛けの席に2人で座り、テーブルの半分には飲み物、もう半分にはノートと筆記用具。
この店に呼び出したのは、迅夜の方だった。
「悪かったな」
面倒な言い合いはごめんだ、とでも言いたげに、峻はぶっきらぼうにそう言い放つ。
「別に悪いって言ってないじゃん」
ようやくストローを離し、少し呆れたように迅夜は笑った。
一瞬ムッとした顔を作る峻だったが、すぐにそれを抑え再びノートに視線を落とす。
暗号のような殴り書き。
辛うじて数字だとは分かるが意味を成しているとは思えない羅列。
迅夜の書いたノートを、峻は溜め息を吐き出しながら右へ左へと眺める。
新しいの書いたから見て!という迅夜の誘いは、新作の暗号ができたから解読して!というものに他ならない。
不定期に飛び込んでくるその話を、峻は断りはしないのだが。
「聞いてくれれば答えるけど、全部お任せでもいいよ」
いつもみたいに。
語尾に星マークでも付きそうな声で、迅夜はウィンクをして見せた。
峻の溜息はもう一度深く深く吐かれ、そして「分かった」と頷くのだった。

+++++
15分

Jump into the Sideway

Somebody Sings for Somebody

 普段なら目の前に居る筈なのは峻一人である。しかし今日は珍しく―――本当に珍しい事に、左翊も目の前に座っていた。
 三人で話す事が珍しい訳でも、喫茶店に三人が集まる事が珍しい訳でもない。組み合わせは何通りかあるが、どの組み合わせでもこの喫茶店は利用している。では何が珍しいのかと言うと、答えはテーブルに広げられた数枚の紙の中にあった。走り書き、言葉の羅列、五線譜にアルファベット。そしてそれらを組み立てたもの。
 迅夜は一枚の紙を手に取ると、さっと視線を斜めに流した。しっかり読み取った訳ではないが、全く読んでいない訳でもない。三回程視線を流すと、紙を持つ手を静かにテーブルへ降ろした。表情は先程から変化無し。峻は無表情に彼の挙動を眺めていたが、隣の左翊はどこか落ち着かない様子で迅夜の手の動きを眺めていた。
「これ」
 一枚目の紙を手にしたまま、迅夜が口を開く。左翊は思わず顔を上げた。
「サイも書いたの?」
 どきりと心拍数が上がったのは、実のところ左翊だけではなく峻も同じ事だった。

サヨナラの詞
込めた別れ
約束は散る
明日また交わすから

スキの言葉
言えないのはあなたの所為だ
ずるい表情
また出会えた奇跡―――?

「――っと、あとここがサイ。…当たり?」
 四色ボールペンの青と緑を使ってフレーズ毎に丸印を付け、迅夜はニッと笑った。全てのフレーズに丸が付け終わる頃には、峻も左翊も複雑な表情で項垂れる他無かった。
「………よく分かったな」
「何年の付き合いだと思ってんの。……なんかあった?」
 作詞や作曲といった曲作りの殆どは普段から峻が手掛けている。作詞であれば迅夜もする事はあるのだが、それが“曲”として成立するか否かは別問題であり、その言い分は九割以上峻の方が正しい。良く言えば独創的である迅夜の詞は、悪く言えばでたらめである。ともかく、それだけなのだ。左翊が今まで曲作り―――取り分け作詞に手を出した事は数少なく、音源として形になったものは一つも無かった。因みに、シングルカットされる曲は作詞者も作曲者も共に表記は“EA”である。アルバム収録曲の時だけ表記を個人名にする、というのは迅夜の気紛れなこだわりだった。
 まだ完成しきってはいない“新曲候補”の曲を再び眺めながら迅夜は答えが返ってくるのを待った。店内に流れる静かなBGMと、カウンターの奥から聞こえるグラスのぶつかる微かな音、そして迅夜が紙を捲る音しか、この場には響かない。待てども待てども二人からの返事はやってこなかった。
 そして曲の始めから終わりまでを四往復したところで、痺れを切らした迅夜が先に口を開いた。
「二人揃ってさぁ、恋してんの?」
 唐突な言葉と同時に、ピシリ、と場の空気が凍った。比喩でも何でもなく凍ったように動作を止めた作詞者二人を眺め、迅夜は呆れたように溜息を溢す。
「歌うの、俺なんだけど」
 一度だけ大袈裟に溜息と吐くと、迅夜は手元の紙面へと視線を落とした。描かれている五線譜のメロディラインに合わせてハミング、あぁでもないこうでもないとリズムを模索。溜息を吐いておきながらも迅夜の表情はどこか楽しげで、あっという間に一人の世界だった。動作が凍ったままの二人の事は完全に放置状態だったが、放っておいても暫くは溶ける気配がなかった。

「んー…、ルキってのは分かるんだけど」
 メロディラインから突然外れ、ぼそりと迅夜は呟いた。前後に繋がりの無い急な物言いは彼の言葉の特徴であり癖であり、欠点である。慣れない人が聞けば話が伝わらないのも無理はない。慣れている左翊や峻だって、不意を突かれる事が多いのだ。個人名が出された事で勢い良く顔を上げたのは峻だった。油断していたのだろう、明らかに目が動揺している。言うならば、“分かり易過ぎる反応”。迅夜はきょとんと首を傾げ、そして悪戯っ子らしい表情で笑った。
「あれ、違うの?」
 彼の疑問形は確信だ。視線はきっちり峻へと向けられている。何も返せずにいる峻の顔はさっと朱に染まり、そしてそのまま為す術無くテーブルに手を付いて目を伏せた。降参である。
「サイのはなぁ…心当たりのある女の子、居ないんだよね」
 白旗を上げた峻から、ターゲットは固まったままのもう一人へと移される。ここにきてようやく左翊は動作を再開させた。
「勘違いだからだろう、それは単に書いてみたくなっただけだ」
「あのねぇ、サイ。歌詞ってのは一番自分が現れる表現方法なの。何となくで書いたもの程、深層心理現してるものはない」
「それはお前の考えだろ」
「…ホントにそう思う?」
 面白そうな玩具を見つけた子供ような目で、迅夜は左翊の顔を覗き込んだ。じーっと左翊の目を見つめ、動きを観察する。不機嫌そうに眉を顰める左翊の瞬きの回数は、平常時に比べて多かった。クスッと迅夜は笑う。
「ま、俺も恋愛してない時に恋愛詞書く事はあるけど。理想?とかそんなので」
 言葉の途中で迅夜は視線を落とし、そして再び五線譜を目で追い始めた。小さくハミングするその様子に、危うく目を逸らしそうになっていた左翊は誰にもバレないよう静かに息を吐いた。

 歌詞の直しもメロディの大きな変更も無かった。基本的に迅夜は、峻が作った曲を頭ごなしに否定はしないし自分の作った曲を否定させない。“歌いたいように”、“演奏したいように”曲を作るのが彼らのモットーである。勿論、三人で演奏する以上軽く文句の一つや二つや三つや四つ出るのは常である。その度に何度も喧嘩腰の言い合いが発生しており、納得するまで喧嘩するのはプラスだ、と迅夜が言ったのはもう大分前の事になる。しかしどうやら今回は、激しい言い合いは発生しないまま終わりに向かいそうである。あとは実際に音を付けた時にどう意見が変わるかどうか次第。迅夜が大きく両手を伸ばして身体を仰け反らせると、峻と左翊は同時に息を吐いた。言い合いは発生しなかったものの、いつになく緊張した曲作りだったと、二人は感じていた。
「んーじゃぁ、あとは明日?空いてるんだっけ」
「明日…いや、明後日の午前からでいいか。明日は空いてない」
「あれ、そうなの?…分かった、勝手に歌っとく。峻は?」
「俺も明日は空いてない」
「………。何それ、二人ともデート?あ、二人でデー」
「「それは違う」」
 二人分の否定に、冗談なのに…とふて腐れる迅夜の声が続いた。バサバサと紙を纏め、半透明のクリアファイルへと仕舞い込む。筆記用具と共にファイルも全て鞄に入れ込むと、テーブルの上はすっかり片付いていた。ぽつんと残された三つのグラスは、どれも空だった。迅夜は鞄を手に持つと、じとっと目前に座る二人を眺めた。
「“それは”って、二人共付き合ってる人居ない癖に」
 ぶすっとした表情のまま、迅夜はそう言って立ち上がった。と同時にガタンとテーブルが音を立てる。おもむろに迅夜が見下ろすと、固まったままの表情で彼を見上げる二人と目が合った。今更気に留める事はない。思わず吹き出した迅夜は、鞄から財布を取りだしひらりと千円札を二枚落とす。
「んじゃ、また明後日。お二人はごゆっくり」
 くすくすと笑いながら財布を鞄にしまうと、迅夜は返事も待たずに店を出ていってしまった。残された二人は暫し呆然と、閉まってしまった扉を眺めていた。

 言いたくない事は言う必要はない、暗黙の了解でこのルールが適用されているEncAnoterであるが、実の所迅夜には、全てがバレているのだ。彼の類稀な、直感という荒技で。

Jump into the Sideway

Evening 7 7

 今日は多分、珍しい日だったのだと思う。
 同居人の二人の帰りが遅いというのは、朝方に聞いた事だった。一方は普段通りだが、珍しいのはもう一方。不思議に思い理由を訊ねると、地域のイベントに参加するだとか付き添いを頼まれただとか。困ったような、嬉しそうな表情を見て、涼はあぁと納得した。そういえば今日は年に一度の祭りがある日だ。存在は知っていたが日付の感覚が少々間違っていたらしい、まだ先の事だと思い、何の予定も組んでいなかった。
 聞き流すように頷いていて、そしてその表情がどうやら酷くつまらなさそうにしていると映ってしまったのだろうか。予定帰宅時刻が通常通りであるもう一人の同居人からメールが来たのは、昼休み時間の事だった。内容は軽い心配と、誘い。メールを開いた涼は、思わず溜息混じりに笑ってしまった。直接彼に原因は無いというのに、いちいち律儀だなぁと思わざるを得ない。しかし周囲に「楽しそう」と指摘されるくらいには、自分の表情は崩れていたらしい。OKの返事をし、そして待ち合わせ場所と時間を決める。送られてきた場所は既知の公園で、時間は18時半。

 待ち合わせ時間よりも少し早く到着してしまい、ぼんやりとベンチに座る。思えばこうやってゆっくりと空を見上げるのは久し振りのような気がする。まだ明るい空である。雲を見上げたまま、思わず身体を倒しそうになった。斜めに傾けたまま固定、不自然な格好で思わずメロディを呟きそうになる。恐らく数秒の時間が、不思議な事に数分の時間に感じる錯覚。
 不意に携帯が着信を告げた。急速に戻ってくる現実に非現実を感じる。それがなんだか無性に勿体無くて、目に入った同居人に対して理由のない八つ当たりをぶつけてしまう事になった。
「遊、何やってんの、おっそい!」
「ユウ君、こっち!」
 ぶつけてしまったのだが、その少しだけ棘の入った言葉はすぐ後ろから聞こえた柔らかい声に中和された。同時に発せられた言葉、そしてワンテンポだけ遅れて気付く言葉の一致に、涼は思わずきょとんとした。視線の先にいる同居人の姿はまだ少しだけ遠い。涼はほんの少しの興味で声の主へと振り返った。目が合った。穏和という言葉がよく似合いそうな青年は、にっこりと笑って会釈をしてきた。どうやら彼も一致した言葉に気付いていたようである。笑顔につられて涼も会釈を返した。
「ご、ごめん涼、待った…?」
 心配そうな声が背後から聞こえ、涼は振り返る。叫ばれて思わず走ったのだろう、少しだけ息を切らした遊は、不安そうにこちらの様子を伺っていた。何気なく見た携帯のディスプレイには18時半の文字。時間通りの到着に、彼を責める要因は何一つ無い。それに一瞬だけ発生した苛立ちは、偶然を共有したあの笑顔にすっかり掻き消されている。
「ううん、待ってない」
 でも謝るのは好きではないから。ついさっきの自分の発言は対しては言及しない事にした。矛盾する言葉に首を傾げられているが、細かいことは気にしないでいてくれる彼である。涼が立ち上がると遊は既に息を整えていて、出発の準備は整った。
 小さな出来事を、なんだか忘れる事がないような気がする。そう思っていたらどうやら感情は表情に出ていたらしく、「どうかした?」と声を掛けられた。それを涼は軽くかわしてくすくすと笑う。
「なんか、良いことありそうな気がするんだ」
 首を傾げたままの遊を置いて、涼は足取り軽く歩きだした。

Jump into the Sideway

HUM A TUNE

 行きつけの楽器店の地下に備えられている少し狭いレコーディングスタジオ。良心的な値段で貸切る事が出来、思う存分演奏が出来る数少ない場所である。自前の楽器を持ち込む事も、店の――正確には店長の私物を借りる事も可能。これで利用者が殺到しないのは、恐らく店長の人柄の所為だろう。面倒見は良いが何事においても大雑把で適当。好かれやすいが嫌われやすい、と言ったところだろう。店に立ち寄るのは毎回のように店長と話し込む常連ばかりだった。
 スタジオに置かれたキーボードに手を乗せ、目を閉じて深呼吸。五拍の間の後に目を開いた峻は、誰も知らない、自らの脳内だけに存在しているメロディを奏で始めた。静かに、時に激しく。学生としてキャンパスに通っている時は決して誰にも見せていない表情。隠したい訳ではない、単にここが特別な場所なのだ。
 終息へ向かうメロディは次第にその速度を落とし、静かにアルペジオを重ねて終了した。数秒の空白の後、パチパチと乾いた音がスタジオに響く。怪訝そうに振り返った峻の目には、扉の枠に寄り掛かってこちらを見ているこの楽器屋の店長の姿が映った。ここでもう一度峻は眉を顰める。店長といえど、客がスタジオを使用している間は地下に降りてくる事、ましてやスタジオ内に入ってくるなど今まで一度も見た事が無かった。
「なんて曲?」
 峻の不信感を知ってか知らずか、店長はそう声を掛けてきた。
「…考えていない」
「譜面は?」
「無い」
 いかにも不機嫌、といった声で問い掛けに答える。しかし相手には全く詫びの表情など表れておらず、逆に興味深そうに笑みを浮かべるばかりだった。
「何か用があるのか?」
 店に戻ろうとする気配を見せない店長に、つい峻は尖った声を向けていた。仕方ない、自分の安息の時間を邪魔されてしまったのだから。峻の声に、店長は笑う事を止めた。数秒峻の様子をまじまじと観察し、そしてにやりと笑った。
「閉店時間」
「……え」
 集中していると時間を忘れる、それは峻がよく指摘される癖のようなものだった。邪魔になるからという理由で外していた腕時計に目をやると、時計の針はこの店の閉店時間をとっくに通り越していた。閉店時間が来たから店長が呼びに来たのではなく、閉店時間になっても帰る様子がないから呼びに来たのだと、この時になって漸く峻は気付いた。手早く荷物を片付け始める。
「悪い。すぐ出る」
「気にすんな、こっちは気にしちゃいねぇから」
 相変わらずアバウトな性格の持ち主である。定められた開店時間及び閉店時間は店の入り口にも記載されているが、それ通りに店が開かれる事も閉められる事も珍しい。閉店時間が遅くなる原因の多くは今日の峻のように利用客にあるのだが。
 荷物を纏め終え、スタジオを出ようとした時。ふと店長が口を開いた。
「なぁ、さっきの曲。譜面に起こしてくれねぇ?」
「…何故?」
「何故って…、気に入ったから。書いてくれりゃ今日の使用料、それで良いから」
 きょとんとした目で店長を見た。普段よりも少しだけ真面目に見える今の表情から察するに、どうやら冗談を言っているつもりはないらしい。正気だろうかと訝しむと同時に、少しだけ感じる正体の分からない高揚感。何度か瞬きを繰り返した後に、漸く峻は口を開く事が出来た。
「そんなもので良いのか」
「そんなものって思ってねぇから良いんだよ。んじゃ交渉成立」
 くすくすと声を上げながら笑う店長の表情は、心底嬉しそうだった。思わず峻も息を吐いて笑った。

「そうそう、」
 まだ笑ったままの店長は話題を切り替えた。もしかしたら彼は単に世間話をしに来ただけなのかもしれないと峻は思った。人付き合いは得意な方ではないが、嫌いという訳でもない。初めてこの店に訪れた時はバイト生にも関わらず客そっちのけでドラムを叩いていた彼を好ましいとは思えなかったが、店に通う内、会話を繰り返す内にどうやらすっかり慣れてしまったようである。呆れる事はあるが咎める事はない。バイト生だった彼はいつの間にか店長へと昇格していた。
「例の“歌姫”、拾われたらしいよ」
 途端に峻の表情が変わった。驚きと焦燥と少しだけの安堵が混ざった複雑な表情。変化を眺めていた店長はやはり楽しそうに笑ったままである。
「この間本人から連絡あって。ギターの出来る奴が拾ったらしいから安心しとけ?」
 からかうような笑みを向けられてもそれが彼の表情だから今更気にはしない。彼の話にはやたら比喩が多い事も以前よりは気にならなくなってきた。意味は凡そ見当が付く。
 歌姫―――、たまたま通り掛かった地下通路で下手くそなギターと共に歌声を奏でていた見知らぬ人物を称した呼び名。見当はあるかと店長に訊ねたのはかれこれ一月程前の事である。“歌姫”と名付けたのは店長だがいつの間にか峻もその呼び名を使うようになっていた。本名も素性も見知らぬ人物、他に呼びようが無かったのだ。しかし当然違和感はある、姫と称せるだけの歌声は持っているが対象は自分と同じ年頃の少年。
「そうか…」
 短い返事を溜息混じりに呟いた。気には掛けていたがそれだけだ。どうやらいつの間にか知り合っていたらしい店長にも、“歌姫”の詳細を聞いてはいない。跡を追うつもりも今後を模索するつもりも無い。ギターが出来る奴、の点にだけは心底安堵したが、それで充分。今だって何も思っていない、筈だ。峻の表情を観察していた店長は、ふっと小さく笑った。
「気になんねぇの?」
「何が?」
「一目惚れして気に掛けてた相手が見知らぬ奴に取られた、とか思うと思ったんだけど」
「それは無い」
 店長はニヤニヤとからかうように笑い、峻の返事に声を上げて笑った。「冗談だよ」と言うも、本人はそれを冗談だとは思っていないのだろう。以前真顔で「音を好きになるのは人を好きになるのと同じだから」と言っていた人物だから。“あいつに惚れた”という言葉は、彼にとっては“あいつの「音」に惚れた”という意味になる。一つ息を吐き、峻は荷物を持ち上げた。
「帰る?」
「あぁ」
「なんか用事ある?」
「あぁ」
 同じ言葉で二度返事をすると、なんだそっかと残念そうな声が返ってきた。首を傾げ、視線だけで理由を問い掛ける。峻の動作を理解したのか、店長は小さく笑った。
「今夜、例の二人と飲みに行くんだけど。予定無いならはっしーも誘おうかと思って」
「………。俺はまだ未成年だが」
「安心しろ、あいつらも未成年だ」
「それは安心出来ないだろう」
「酒は飲まねぇって事だよ」
 呆れたように見ると、呆れたような笑いが返された。酒好きを豪語する彼だから「飲み」と言われればアルコールを連想するのも無理はない。本当に大丈夫だろうかと、ほんの少しだけ気に掛けておく事にした。因みに、あだ名で呼ぶ事に許可を与えた覚えは無い。
「来たかった?」
 興味本位の目で、訊ねられる。
「いや、別に」
 首を振るが、表情は少しだけ笑っているという自覚はあった。ただの興味だが、“歌姫”と話をしてみたいと思わなかった訳ではない。どんな事を考えて音を奏でているのか、聞いてみたいとは思っていた。きっとその表情を察したのだろう。楽しそうに笑ったままの店長は、ぽんと峻の肩を叩いた。
「ま、次暇な時にでも。また誘うから」
「…あぁ」
 三度目の同じ返事。しかしそれは違いの分かりづらい、嬉しさの混じった声だった。

 地下のスタジオを後にし、店舗へと戻る。閉店後の店らしく照明は薄暗い。ガラス窓から見える外の景色は真っ暗闇だった。峻は一直線に出入り口である扉へと足を進めた。その後ろを店長が着いていく。この店長は出口まで客を見送る事はあっても「有り難うございました」とは言わない。自分に対してだけなのかと思っていたが、どうやら店に来る客全てに対してこの対応をしているらしい。きっと彼に商売人としての才能はゼロである。峻は扉を開けた。
「譜面、宜しく」
「分かった」
 双方の簡潔な二言で、店は閉店した。扉が閉まり、「Close」と書かれたプレートが減速しながら揺れる。本日の閉店時間は記載された閉店時間の約一時間半オーバー。プレートの動きが治まり、明かりの消えた店の奥に向かって峻は小さく吹き出して笑った。忘れないよう小さな声でメロディを呟きながら帰路を歩く。タイトルも歌詞もまだ何もない、けれど確かに自分の中に存在しているメロディライン。
 足取りが少しだけ、軽かった。

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Sacred prayer for you SideB

「ね、流黄ちゃん、お願い!」
「………何で私が」
「だって流黄ちゃんしか頼める人居ないのよぉ」
 両手を顔の前で合わせて必死の懇願。行き付けの喫茶店で流黄は、目の前の真鈴の行動に困惑した。時期が時期だから呼ばれた時からうすうす用件には気付いていたが、実際にこう頼まれてしまうとどうしたものかと思ってしまう。真鈴の用件は簡単だ、『バレンタインのチョコを峻に渡して欲しい』というもの。彼女はEncAnoterでキーボードを担当している彼の熱烈なファンなのだ。しかし当然接点などある筈もなく、実際に彼の事を見たのも過去に何度か参加したライブでのみ。対して流黄は、峻と同じ業界で活動している上所属しているレコード会社も同じ、峻が流黄の楽曲を手掛けているという繋がりもある。要するにこの二人は仲が良いのだ。だからといって真鈴を峻に紹介する、なんて事は無かったのだが。
「そういうのさ、不公平じゃん」
「流黄ちゃんだけずるいじゃない」
「ずるいって…」
「だって流黄ちゃんだってあげるんでしょ?」
「……そりゃ…、あげるけど」
「ほらぁ!」
 声を上げた真鈴に、流黄はむっと顔を顰めた。嫌いではない、嫌いではないのだが時々好きになれない時がある。彼女が心底峻の事が好きだという事は知っているのだが、だからといって人に頼ってばかりではどうにも手助けする気にはなれない。小さく溜息を溢して流黄は思案する。どう言ったら彼女は納得してくれるのか、自分が折れるしかないのか。誠意を見せる為にか真鈴は注文した飲み物に口を付けていなかったが、思案に結果を得られない流黄は自分の分のグラスに手を伸ばした。中身は100%のグレープフルーツジュース。好むのは甘いものだがお茶以外に好んでいる飲み物は100%果汁のジュースばかりだった。因みに真鈴が注文したのはアイスカフェラテ。
「渡せるだけで良いのよ、別にお返しとか返事聞きたいとか会ってみたいとかそういうつもりは…」
「ちょっとはあるでしょ?」
「そりゃちょっとはあるわよ、悪い?」
 ストローに口を付けたまま、はぁと溜息。友人の頼みなのだから聞きたいとも思うのだが、如何せん乗り気になれない。乗り気になれない理由に思い当たる節はある。真鈴から直接指摘されているが、どうやら自分自身自覚の無いまま彼の事を好いている、らしい。指摘されても納得はいかなかったが全否定する事も出来なかった。それを承知の上で真鈴も頼んでくるのだから、本当にただ渡したいだけなのだろう。以前はちょこちょこと言っていた“お近付きになりたい”という言葉も、最近ではあまり聞く事はなくなったとそういえば思う。もう一度だけ流黄は溜息を溢すと、仕方なさそうに真鈴を見た。
「渡すだけ、で良いの?」
 途端にパッと笑顔を輝かせる友人に、流黄は呆れたような笑みを向けた。貶している訳ではない、しょうがないなぁ、なんて言う保護者のような視線。
「渡して貰えればそれだけで充分よ。…お願いしていい?」
「仕方ないから、持って行ってあげる。要らないって言われても責任は取れないけど」
「いいのいいの、それは。渡したっていう自信になるから」
 彼女は強いな、と時々思う。一途なのかどうかはさておき、好きな物事に対しては一直線。決めたらとことん突き進んでいる。きっと今回のバレンタインも前々から決めていた事なのだろう。彼女に対して可愛いと言ってしまっては怒るだろうか、と流黄はらしくもない事をふと考えた。
「そういえば、」
 思い出したように流黄は口を開いた。鞄とは別に持参していた紙袋をテーブルの上に乗せていた真鈴は、動きを止めて流黄を見る。
「シュンだけ?渡すの」
 ただ純粋に脳裏に浮かんだ疑問を流黄は口にしていた。問い掛けの意味を理解した真鈴は、笑いながら紙袋に手を掛け動作を再開させる。中から出てきたのは、揃いの小さな箱が数個、それらとは形の異なる箱が一つ、そしてまた別のラッピングを施された袋が一つ。中身を出し終えた紙袋は丁寧に畳まれてテーブルの端に置かれた。流黄は興味深そうにそれらを一つずつ眺める。真鈴は一つきりの箱を手に取ると流黄の手元へと置いた。
「これが、峻くん宛の。よろしくね」
 真鈴はにっこりと微笑んだ。そっと流黄は箱を手に取り、肩を竦めて笑う。一つだけ形が明らかに異なっているのだ、宛先を聞かずとも理解できる。そして残りの小さな箱軍はどうやら頼み事ではなく紹介のようで、真鈴は一つ一つを丁寧に並べながらくすくすと笑った。
「弟と、隣の二人。あとは元同級生とその友達。それだけで五人分必要になっちゃんだから堪んないわよ。あ、あとついでにインカの残りの皆さんに」
「それちょっと酷い」
「なんとなーくの想像なんだけど、峻くんだけにあげたら悪い気がして」
「それはそうなんだけど、多分それあげてもそんなに変わらない気がする」
 そうは言いながらも流黄は可笑しそうに笑っていて、申し訳なさそうな顔をしていた真鈴もつられて笑い出していた。所謂義理チョコ。峻宛ての箱と比べても明らかに大きさが異なっている小さな箱を三つ流黄の手元に置き、真鈴の手元には彼女が直接手渡す分の五人分と、最後に取り出された袋が残された。流黄の視線は自然とそちらに向く。ピンクとオレンジの不織布に包まれ口をリボンで結ばれているそれは、ふわふわとした柔らかな印象。流黄の知る範囲では、他に真鈴が渡しそうな相手は思い当たらない。流黄の視線を追って彼女の様子に気付いた真鈴は、にっこりと笑ってその袋を流黄に手渡した。
「で、これは、流黄ちゃんに」
 予想していなかった言葉に一瞬きょとんとした流黄は、思わずそれを受け取るのを忘れる。真鈴はくすくすと笑うと、流黄の手にそっと袋を持たせた。
「ほら、よくあるでしょ。友チョコって」
「え、でも、私…真鈴の分用意してない」
 少しばかり戸惑っている流黄に向ける視線は、先程までの我が侭いっぱいだった彼女のそれとは違い、すっかり保護者のような目になっていた。面倒見の良い姉だとか先輩だとかは、きっとこういう目をしているのだろう。そしてそれは彼女に対しては比喩ではない。
「いいの、お返し欲しくて作ったんじゃないんだから。素直に受け取っておきなさい」
 流黄が袋を持った事を確認すると真鈴は手を離す。先程畳んだ紙袋を広げ直すと、残された小さな箱たちを丁寧にまた詰め直した。その間流黄は、真鈴に渡された袋を両手で持ってずっと見つめていた。リボンを解くのがなんだか勿体なかった。

「…ありがと」
 漸く言えた礼の言葉に、真鈴は嬉しそうににっこりと笑った。

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