Press "Enter" to skip to content

タグ: 季雪

予言或いは遊戯

「はーやと君」
 軽快な声と共に降ってくるのは、鋭利な殺気と氷の雨だった。比喩でもなんでもない、仮に例えるとしたら針の雨だろう。音もなく降りしきる雨は、次々と地面に突き刺さって消えていった。声が聞こえるよりも前に後退していた隼人には、一本たりとも刺さらなかった。
「なんだ、つまらない。全部外れかな?」
「外れだ。用がないなら帰れ」
 そうは言わずにさ、とビルの影、路地裏の隙間から現れたのは、さらりとした白髪を揺らす長身痩躯な男だった。自身の背丈ほどはある棒を背に、声と違わない笑顔と軽い足取りで近付いてくる。ただしその目は少しも笑ってはいなかった。
 ぴたりと足を止めたのは、隼人から十歩ほど離れた場所だ。首を傾げてにこりと笑った男は、真っ直ぐ隼人へと凍て付いた視線を投げ付けた。
「いい話といい話、どっちから聞きたい?」
 極々短い導火線に火を付ける心地を覚えながら、隼人は男を睨み付けた。何の手応えもないということは分かりきっていたが、そうでもしなければ導火線など無いも同然だ。頭の中では九割以上、腰に手を伸ばしている。
「聞く意味が分からない。どうせ悪い話の二つ三つ押し付けに来たんだろう」
「まあ俺にとっての『いい話』が隼人君にとっての『悪い話』っていう可能性は否定しないかな」
 目を細めて首を傾ける男の表情は、平穏な街中であれば人好きのするものだったかもしれない。少しでも裏の世界を覗いたものであれば、竦み上がるような気味の悪い予感を覚えるだろう。慣れきってしまった隼人にとっては、ただただ苛立ちを覚えるものとなっていた。武器を手に取らないまま最後まで聞いてやった自分を褒めてやりたいが、とっとと撃ち殺さなかったことを責め立ててもいる。
 コツン、と石造りの道に棒が突き立てられる。
「ひとつ、俺の弟子が君の息子と遭遇したみたいだ」
 じと、とあからさまに様子を窺う目が疎ましい。男の作り物の青い瞳は、「さあどうだ?どうだ?」と問い詰めるように隼人を眺めていた。あの両目を撃ち抜ければどれだけ気が晴れるだろうかと思案して、しかし悔しいことにこいつの話を聞かなければならない状態へとなっていた。
「それがどうした。干渉しないんじゃなかったのか」
「干渉はしてないよ。様子を時々覗いているだけ。君だって気に掛けているだろ? だから」
 パァン、と、空を切り裂く音を奏でた。
 一発の銃声に、表通りの空気がいくらかざわついた。ざわついて、すぐに雑踏へと紛れていく。負傷者はいない、銃弾も残らない。男の白髪が僅かに揺れた、それだけだった。男の背後の空間に白く亀裂が入ったのが見え、この空間が表通りからは遮断されているのだと気付かされた。
「久しぶりの俺の勝ちかな?」
「次は当てる。その前に用件を言え」
 冷え切った声に、男はようやく満足したように笑って見せた。人の神経を逆撫ですることが趣味だと公言しているかのような態度が、どこまでも気に食わない。空間に走った亀裂はいつの間にか消えていて、何事もなかったと言わんばかりに平穏な表通りの景色が映っている。
「ふたつ、邪神様はどうやらとっくに目覚めていたようだ」
 男の笑顔とは裏腹に、ぞくりと背筋を冷たいものが落ちていった。氷なんて生温いものじゃない、光の一切届かない深い闇、そこから伸ばされた手に掴まれたような、連れ去られたかのような悪寒だ。そしてこれは自分自身の感覚ではない、一番案じていた者の感覚だ。
「どちらにせよ、俺にも君にもできることはもうない。待つだけだ」
「仕組んだのはどこのどいつだ」
「俺だって言いたいならそう思っててもいいけど、俺を叩いたって埃は出ないよ。原因は知ってるけど、それだって元凶じゃあない。全部を潰したいなら、世界を潰すことかな」
 つらつらと迷いなく吐き出される言葉を、否定することができなかった。腹が立つ以外の何物でもないこいつが、嘘を吐くことがないのもまた事実なのだ。まるで先見の目でも持ち合わせているかのように、一歩先で振り返って笑う。だから、こいつを殺すことができないのだ。
「用が済んだならとっとと消えろ」
「そうさせてもらうよ。君のその顔が見れて俺は満足だ」
 男が言い終わるや否や、ガシャンとガラスが割れる音が路地裏に響いた。景色が崩れ、しかしその後ろには同じ景色がまた続いている。砕け散ったガラスは地面に落ち、そして消えていった。降りしきった針の雨と同じように。
 立ち尽くしていた隼人の目の前には、もう男の姿は見当たらなかった。

+++++
40分

CrossTune

ある日の平凡な日常

静かな森の中の少し開けた場所は、周囲に木が多い茂っていて空は丸く切り取られ、まるでどこかの闘技場のようだった。観客は、いない。
その空間にヒュンと短い風切り音が響いた。
一度だけではなく二度、三度。
その音に混じって軽い足踏みの音も聞こえる。
じり、と地面を強く踏み込む音がして、次の瞬間にはより一層大きな、地面を蹴る音が響いた。
そんな音も、景色も、霧氷の耳にも、目にも届いていなかった。
彼の目に入るのは目の前にいる男の姿のみ。聞こえる音は男の動きが発する微かな空気の揺れだけ。
飛び込んだ速度は霧氷の方が早かった。躊躇の欠片もない目で男を睨みつけ、右手に握る刀を大きく薙ぐ。完全に男を斬り裂いたように見えた。
だがその切っ先はほんの僅かに届いておらず、男を何一つ傷つけることなく空中で静止した。
届かなかった訳ではない。
わざとギリギリの距離で避けていた。
むっとした顔で霧氷が口を開こうとするよりも先に、男の方が口を開いた。
「惜しい、けど不正解」
霧氷に顔を向けながらも目を閉じている男の声は笑っている。霧氷は表情を堅くしたまま男をじっと見ている。
「あんなに大きく薙ぎ払わなければ当たっていたかもしれない」
「どうせ避けますよね」
「だから言ってるでしょ、”かもしれない”、って」
霧氷があからさまに悔しそうに唇を噛むのを見て、一層男は楽しそうに笑った。
「どうせ避けるって思ってて、どうやって人が殺せる?」
男が目を開いて霧氷を見据える。
声も表情も笑っているが、目だけは凍てついたアイスブルー。一瞬、霧氷の身が強ばった。
その一瞬で男は一気に距離を縮めた。まるで腕と一体化しているかのように持っていた細長い棒は、霧氷が刀を振るう速度よりもずっと早く空を切る。すんでのところを霧氷は避けるが、それはさっき男がやって見せたような余裕のあるかわし方には到底及ばないギリギリのものだった。歯を食いしばりながらバランスを保とうとするが、それを許す男ではなかった。
さっと身体を沈めた男を見て、霧氷はとっさに刀を構える。太陽の光がキラリと反射し男の目に差し込む。しかしそれすら見えていないかのように棒はまっすぐに霧氷へと向かう。ガツンと鈍い音がして一瞬だけ刀と棒が交差した。そしてそれは本当に一瞬で終わり、次に見えたのは宙をくるくると回り飛んでいく刀だった。トスッと軽い音がして、霧氷の背後の地面に刃が食い込んだ。
振り返る間などない。続く三撃目は霧氷の右肩の関節を的確に、そして容赦なく撃ち付けた。声を上げる間もなく吹き飛ばされ地面に転がる。すぐに立ち上がれないところを見ると、ダメージは見た目以上に大きいようだった。左腕一本で身体を支え起き上がるのを男は見守るように眺めていたが、その口元が不意に笑みの形を作る。立ち上がった霧氷は左手で右肩を押さえており、その右肩からはだらりと力なく右腕が垂れ下がっていた。
「きー君、まだやる?」
笑いながら男はそう訊ねた。霧氷の足は少しふらついていて、顔はすっかり険しくなっていたが、男を睨み付ける目は少しも変わっていなかった。
「やる」
返事を聞いて、嬉しそうに男は棒を振り上げた。
やる、そうは言っても、霧氷には男の攻撃を防ぐ手段はもう残っていなかった。刀までの距離と男までの距離、走る速度、どう考えも間に合わない上に、間に合ったところで刀を握れるような手ではなかった。
容赦のない攻撃を避けられたのは二撃目までで、三撃目はこめかみを直撃した。勢いよく飛ばされ再び地面に転がった霧氷だが、まだ立ち上がろうと左腕を動かしていた。その首元にゴンと棒が当てられる。
「終わりかな」
霧氷が見上げると、にっこりと笑う男が見下ろしていた。
「まだ…」
「最初に言ったよね。これは棒じゃなくて、刃物だと思え、って」
ぐっと力が込められ、首元が棒に強く押される。これがもし霧氷の使っていたような刀だったら、とっくに動脈が切られている。その前に、右腕は断ち切られているし顔が半分なくなっていた。
悔しそうに霧氷がギリリと歯を鳴らすと、男はあははと笑いながら棒を自分の肩に担ぐようにして持ち上げ、一歩下がった。その様子を見て霧氷もゆっくりと起き上がる。足を投げ出したまま左手で首元を触ると、その手にはうっすらと赤が滲んでいた。男の持つ棒は何の変哲もない棒だったが、一瞬太陽の光にキラリと光ったように見えた。
「肩、動かないでしょ」
今までのやり取りが何一つなかったかのように男は霧氷の元へと歩み寄る。対する霧氷もまた、何もなかったかのように男に向かって頷いた。
男は霧氷の隣に屈み込み彼の肩の様子を見る。そしてすぐに両手に力を込めた。バキッと音がして霧氷は顔をしかめたが、男は至って涼しい顔だった。
「覚えた?ここ狙えば案外すぐ外れる」
ぽんと右肩を叩き、男は立ち上がる。恐る恐るといった具合で霧氷が肩に力を入れると、ぎこちなくもすんなりと動くようになっていた。
「今度試してみます」
霧氷も男の隣に並んで立ち上がった。
「きー君は生き延びそうな感じで根性あるね」
棒で自分の肩をぽんぽんと叩きながら、男は笑いながらどこかを見つめた。
「あー君の方が根性はあるんだけど、あいつは最後まで飛び込んでいくからすぐ死にそうだ」
男の言葉に、霧氷は苦笑いを返すだけだった。
「起きたら適当に宥めておいてよ」
「嫌ですよ面倒くさい。季雪さんが面倒見てくださいよ」
「やだよ俺だって面倒くさいんだから」
笑いながらそう言う横顔に見えた瞳がすっと冷えきっているのを見て、霧氷はそれ以上何も言わなかった。
男が、季雪が面倒くさいなどと思っていない事などはどう見ても明らかだった。

CrossTune