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お題:祝うその2

「誕生日おめでとう」
そうにこやかに言われて手渡されたのは、小さな袋だった。
口を赤いリボンで結んだ桃色の袋。
咄嗟にどう行動すればいいのかが分からなかったルキは、しばらくその袋を見つめているだけだった。
「……いらないの?」
返事もなく行動もないルキに首を傾げたシズキはそう訊ねた。
袋から視線を外し、ルキは彼へと疑問を込めた視線を向ける。
「なんで、今日なの?」
ルキはこの家に来る以前のことを覚えていない。
いつどこで生まれたのかも何一つ。
そんな彼女が、今日が誕生日だと言われてすぐに納得できるはずがなかった。
「確かに、アレに書いてあったのを自分の名前だと思ってるし、それが名前なんだったら一緒に書いてあった日付も誕生日かもしれないよ。でも、正しいかどうかなんて分からないじゃん」
ルキの名前自体も、本当の名前であるのかどうか定かではない。
身に付けていたプレートに書かれていた字のようなもの、それを名前としているのだ。
生まれた時から持っている名前だとは、彼女は思ってはいなかった。
「なんでシズキは、これが誕生日だって思うの?ただの数字かもしれないのに」
少しだけ疑いを込めて、少しだけ責めるように、プイと視線を逸らして流黄は言った。
シズキの表情は彼女には見えなかったが、いつもの困ったような笑顔であろう事は確信していた。
「うーん。じゃあ、ルキの誕生日がそれじゃないとしたら、いつが誕生日なのか分からなくなっちゃうね」
やっと返ってきた答えは一見正論のようで、しかしルキの問いに対する答えには全くなっていなかった。
え、と声を出す間も置かずにシズキは続けた。
「そうだ、それならルキがここに来た日を誕生日にしようか。あ、でもそれだと今日じゃなくなっちゃうね。パーティとプレゼントはまた今度だなぁ」
「えええ!ケーキお預け!?食べられると思ったのに!!」
突然響き渡った声はシュンのものだった。悲痛な叫び、という言葉がよく似合う。
「だって誕生日じゃないみたいだから。それにどっちみちシュンの誕生日ではないよ」
「ねえルキ、今日じゃ駄目なの?どうしても駄目?プレゼントも用意したんだよ!」
シズキの声を盛大に遮ってシュンはルキへと駆け寄る。
当然、困惑したのはルキの方だった。
疑問はあるが、否定しきる程の理由を持っていない。可能性は僅かでもあるのだから。
「だ、ダメって、わけじゃ、ないけど」
途切れがちのルキの言葉に、シュンの表情はあからさまに変わっていた。
「じゃあ今日にしよ?今日がいいよ!ね、ケーキ食べよう!」
「う、うん」
一体今日が誰の誕生日であるのか、ルキ本人が一番分かっていなかった。
「じゃあ決まりだね」
一連のやり取りを見ていたシズキは、最後にそう言って笑った。
疑うのもバカらしくなるような、この家。
「なんかすごく言いくるめられた気がするんだけど」
ぼそりと呟いたあとに、ま、いっか、とルキは思い直すことにした。

+++++
20分

CrossTune

お題:迅夜と峻で何か

じーっと見上げてくる視線に気付き、峻は怪訝そうに前を向いた。
峻の目の前の席に座る迅夜は、肘を立てカップに刺さったままのストローをくわえたまま、じっと峻を見ていた。
「なんだ」
「んー、いや、峻ってこういう店にいるの似合わないなぁって思って」
迅夜は淡々と、ストローを口から離さず器用に答えた。
ファーストフード店の一番奥の角の席。
さほど混んではいないから問題はないだろうと4人掛けの席に2人で座り、テーブルの半分には飲み物、もう半分にはノートと筆記用具。
この店に呼び出したのは、迅夜の方だった。
「悪かったな」
面倒な言い合いはごめんだ、とでも言いたげに、峻はぶっきらぼうにそう言い放つ。
「別に悪いって言ってないじゃん」
ようやくストローを離し、少し呆れたように迅夜は笑った。
一瞬ムッとした顔を作る峻だったが、すぐにそれを抑え再びノートに視線を落とす。
暗号のような殴り書き。
辛うじて数字だとは分かるが意味を成しているとは思えない羅列。
迅夜の書いたノートを、峻は溜め息を吐き出しながら右へ左へと眺める。
新しいの書いたから見て!という迅夜の誘いは、新作の暗号ができたから解読して!というものに他ならない。
不定期に飛び込んでくるその話を、峻は断りはしないのだが。
「聞いてくれれば答えるけど、全部お任せでもいいよ」
いつもみたいに。
語尾に星マークでも付きそうな声で、迅夜はウィンクをして見せた。
峻の溜息はもう一度深く深く吐かれ、そして「分かった」と頷くのだった。

+++++
15分

Jump into the Sideway

Somebody Sings for Somebody

 普段なら目の前に居る筈なのは峻一人である。しかし今日は珍しく―――本当に珍しい事に、左翊も目の前に座っていた。
 三人で話す事が珍しい訳でも、喫茶店に三人が集まる事が珍しい訳でもない。組み合わせは何通りかあるが、どの組み合わせでもこの喫茶店は利用している。では何が珍しいのかと言うと、答えはテーブルに広げられた数枚の紙の中にあった。走り書き、言葉の羅列、五線譜にアルファベット。そしてそれらを組み立てたもの。
 迅夜は一枚の紙を手に取ると、さっと視線を斜めに流した。しっかり読み取った訳ではないが、全く読んでいない訳でもない。三回程視線を流すと、紙を持つ手を静かにテーブルへ降ろした。表情は先程から変化無し。峻は無表情に彼の挙動を眺めていたが、隣の左翊はどこか落ち着かない様子で迅夜の手の動きを眺めていた。
「これ」
 一枚目の紙を手にしたまま、迅夜が口を開く。左翊は思わず顔を上げた。
「サイも書いたの?」
 どきりと心拍数が上がったのは、実のところ左翊だけではなく峻も同じ事だった。

サヨナラの詞
込めた別れ
約束は散る
明日また交わすから

スキの言葉
言えないのはあなたの所為だ
ずるい表情
また出会えた奇跡―――?

「――っと、あとここがサイ。…当たり?」
 四色ボールペンの青と緑を使ってフレーズ毎に丸印を付け、迅夜はニッと笑った。全てのフレーズに丸が付け終わる頃には、峻も左翊も複雑な表情で項垂れる他無かった。
「………よく分かったな」
「何年の付き合いだと思ってんの。……なんかあった?」
 作詞や作曲といった曲作りの殆どは普段から峻が手掛けている。作詞であれば迅夜もする事はあるのだが、それが“曲”として成立するか否かは別問題であり、その言い分は九割以上峻の方が正しい。良く言えば独創的である迅夜の詞は、悪く言えばでたらめである。ともかく、それだけなのだ。左翊が今まで曲作り―――取り分け作詞に手を出した事は数少なく、音源として形になったものは一つも無かった。因みに、シングルカットされる曲は作詞者も作曲者も共に表記は“EA”である。アルバム収録曲の時だけ表記を個人名にする、というのは迅夜の気紛れなこだわりだった。
 まだ完成しきってはいない“新曲候補”の曲を再び眺めながら迅夜は答えが返ってくるのを待った。店内に流れる静かなBGMと、カウンターの奥から聞こえるグラスのぶつかる微かな音、そして迅夜が紙を捲る音しか、この場には響かない。待てども待てども二人からの返事はやってこなかった。
 そして曲の始めから終わりまでを四往復したところで、痺れを切らした迅夜が先に口を開いた。
「二人揃ってさぁ、恋してんの?」
 唐突な言葉と同時に、ピシリ、と場の空気が凍った。比喩でも何でもなく凍ったように動作を止めた作詞者二人を眺め、迅夜は呆れたように溜息を溢す。
「歌うの、俺なんだけど」
 一度だけ大袈裟に溜息と吐くと、迅夜は手元の紙面へと視線を落とした。描かれている五線譜のメロディラインに合わせてハミング、あぁでもないこうでもないとリズムを模索。溜息を吐いておきながらも迅夜の表情はどこか楽しげで、あっという間に一人の世界だった。動作が凍ったままの二人の事は完全に放置状態だったが、放っておいても暫くは溶ける気配がなかった。

「んー…、ルキってのは分かるんだけど」
 メロディラインから突然外れ、ぼそりと迅夜は呟いた。前後に繋がりの無い急な物言いは彼の言葉の特徴であり癖であり、欠点である。慣れない人が聞けば話が伝わらないのも無理はない。慣れている左翊や峻だって、不意を突かれる事が多いのだ。個人名が出された事で勢い良く顔を上げたのは峻だった。油断していたのだろう、明らかに目が動揺している。言うならば、“分かり易過ぎる反応”。迅夜はきょとんと首を傾げ、そして悪戯っ子らしい表情で笑った。
「あれ、違うの?」
 彼の疑問形は確信だ。視線はきっちり峻へと向けられている。何も返せずにいる峻の顔はさっと朱に染まり、そしてそのまま為す術無くテーブルに手を付いて目を伏せた。降参である。
「サイのはなぁ…心当たりのある女の子、居ないんだよね」
 白旗を上げた峻から、ターゲットは固まったままのもう一人へと移される。ここにきてようやく左翊は動作を再開させた。
「勘違いだからだろう、それは単に書いてみたくなっただけだ」
「あのねぇ、サイ。歌詞ってのは一番自分が現れる表現方法なの。何となくで書いたもの程、深層心理現してるものはない」
「それはお前の考えだろ」
「…ホントにそう思う?」
 面白そうな玩具を見つけた子供ような目で、迅夜は左翊の顔を覗き込んだ。じーっと左翊の目を見つめ、動きを観察する。不機嫌そうに眉を顰める左翊の瞬きの回数は、平常時に比べて多かった。クスッと迅夜は笑う。
「ま、俺も恋愛してない時に恋愛詞書く事はあるけど。理想?とかそんなので」
 言葉の途中で迅夜は視線を落とし、そして再び五線譜を目で追い始めた。小さくハミングするその様子に、危うく目を逸らしそうになっていた左翊は誰にもバレないよう静かに息を吐いた。

 歌詞の直しもメロディの大きな変更も無かった。基本的に迅夜は、峻が作った曲を頭ごなしに否定はしないし自分の作った曲を否定させない。“歌いたいように”、“演奏したいように”曲を作るのが彼らのモットーである。勿論、三人で演奏する以上軽く文句の一つや二つや三つや四つ出るのは常である。その度に何度も喧嘩腰の言い合いが発生しており、納得するまで喧嘩するのはプラスだ、と迅夜が言ったのはもう大分前の事になる。しかしどうやら今回は、激しい言い合いは発生しないまま終わりに向かいそうである。あとは実際に音を付けた時にどう意見が変わるかどうか次第。迅夜が大きく両手を伸ばして身体を仰け反らせると、峻と左翊は同時に息を吐いた。言い合いは発生しなかったものの、いつになく緊張した曲作りだったと、二人は感じていた。
「んーじゃぁ、あとは明日?空いてるんだっけ」
「明日…いや、明後日の午前からでいいか。明日は空いてない」
「あれ、そうなの?…分かった、勝手に歌っとく。峻は?」
「俺も明日は空いてない」
「………。何それ、二人ともデート?あ、二人でデー」
「「それは違う」」
 二人分の否定に、冗談なのに…とふて腐れる迅夜の声が続いた。バサバサと紙を纏め、半透明のクリアファイルへと仕舞い込む。筆記用具と共にファイルも全て鞄に入れ込むと、テーブルの上はすっかり片付いていた。ぽつんと残された三つのグラスは、どれも空だった。迅夜は鞄を手に持つと、じとっと目前に座る二人を眺めた。
「“それは”って、二人共付き合ってる人居ない癖に」
 ぶすっとした表情のまま、迅夜はそう言って立ち上がった。と同時にガタンとテーブルが音を立てる。おもむろに迅夜が見下ろすと、固まったままの表情で彼を見上げる二人と目が合った。今更気に留める事はない。思わず吹き出した迅夜は、鞄から財布を取りだしひらりと千円札を二枚落とす。
「んじゃ、また明後日。お二人はごゆっくり」
 くすくすと笑いながら財布を鞄にしまうと、迅夜は返事も待たずに店を出ていってしまった。残された二人は暫し呆然と、閉まってしまった扉を眺めていた。

 言いたくない事は言う必要はない、暗黙の了解でこのルールが適用されているEncAnoterであるが、実の所迅夜には、全てがバレているのだ。彼の類稀な、直感という荒技で。

Jump into the Sideway

collapsed sweet

「チョコ、欲しい人ー??」
 やけに明るい声が部屋に響いた。各々作業をしていた二人は揃って顔を上げ、そしてきょとんと首を傾げた。あどけない笑顔でこちらを見ている人物の手には、両手持ちの鍋。
「チョ…コ…?」
 ひとまず浮かんだ疑問は、彼女の言葉と所持品との不一致。中身は見えないがどう見てもチョコレートの雰囲気ではない。眉を顰め、青年の方がまず口を開いた。
「ミユ、料理したのか」
 疑問というより詰問である。しかしミユと呼ばれた女性は動じることなく満面の笑みでウィンクをしてみせる。
「料理じゃなくてお菓子作り」
「もっと危険だと思う…」
 ぼそりと呟いたのはげんなりとした顔の少年。青年は無表情だったが、少年の方はすっかり顔が青ざめている。恐る恐る彼は立ち上がると、そっと鍋の中をのぞき込んだ。茶色い、液体。香りは確かにチョコレートである。
「え…っと、これで、完成形…?」
「完成にしようと思ったんだけど、これからどうしたらいいのか分からなくなっちゃって…、どうすればいいと思う?」
「それ聞く前に言って欲しかったです」
 間髪入れずに少年は息を吐いた。もぉ、と頬を膨らます彼女の顔は可愛らしいと形容できるが、容姿と中身は別問題である。鍋の中のドロドロのチョコレートは、次第に固まりつつある。
「あのさ、これってチョコ溶かしただけ?」
 鍋に手を伸ばしながら少年は問い掛けた。意外とすんなりと鍋は手渡され、少年の手元に移る。覗き込んでみた限りでは、チョコレート以外の物質は入っていないように、見える。
「そう、溶かしただけ。鍋にチョコ入れて火に掛けただけだから」
「あ、じゃあ焦げてるね」
「えっ、そんなぁ!」
 ミユの顔には悔しさと落胆とが浮かんでいる。少年にとっては苦笑しか出ないやり取りだがまぁ一応嫌いではない。満更でもないのだ、意外と。椅子に腰掛けたままの青年は何を思っているのか分からないが無表情のままこちらを見ている。安心している訳ではなかろう。
「どうにかしてみるから、待ってて」
 少年は鍋を少し持ち上げると、ミユに向かって笑って見せた。少しだけ彼女の表情が緩んだ。

「ごめんね、はーちゃん」
「別に」
 少年の姿がキッチンに消えた後で、ミユは小さく呟いた。
「二人に贈りたかっただけなの」
「分かってる」
 やがてキッチンからはチョコレートの甘い香りが漂ってくる。

 文字で当てはめるならぺたぺたではなかろうかという足音が聞こえる。聞こえると嬉しい反面、転ばないか不安になる足音。少年はすぐに振り返った。思った通りの小さい姿がそこにはあった。両手を背中に回して、にっこりと笑う。
「おにーちゃん、ぷれぜんと!」
 まっすぐに目を見上げて笑う少女に思わず少年の頬が緩むが、ふと考えて首を傾げる。今日は誕生日でもなければクリスマスでもないし、何か特別なことをした覚えもない。見に覚えがないプレゼントという単語に不思議そうに少女を見ていると、にこっと悪戯に笑い、少女は両手を目の前に出した。その手には綺麗な紙で包まれた何か。少年はますます首を傾げた。
「なーに?これ」
 少女の目線に合わせて身を屈め、優しい声で問いかけた。分かっていないという事を怒られるかもしれないと思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。少女はサプライズの種明かしをするかのようにVサインをして見せた。
「あのねっ、きょう、ばれんたいんっていうひなんだって!おかーさんがいってたの。だいすきなひとにおかしをあげるひなんだって」
 嬉しそうに、楽しそうに、少女はそう言いながら少年の手に“プレゼント”を渡した。紙のくしゃりという音に混じって、がさっと中身が動く音がした。小さくて固い物が複数入っているような音で、重量はさほど感じない。少年の直感が正しければクッキーといったところだろう。少しだけ意外なサプライズを遅れてじわじわと実感した少年は、思わずにっこり笑って少女の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。少女はくすぐったそうに目をつむる。
「ありがと、これ俺が貰ってもいいの?」
「うんっ、だってだいすきなんだもんっ」
「そっか、ありがと。俺も大好きだよ」
 ぎゅうっと抱きしめると、まだ小さい少女はくすくすと嬉しそうに笑いだした。少年もつられて声を出して笑う。

「ところでこれ、じゅんが作ったの?」
 クッキーを口に運びながらふと素朴な疑問を浮かべた。少女が料理をしている光景は今のところまだ見たことがない。目を向けると、丁度少女もクッキーに手を伸ばしているところだった。
「んーん、おかーさんがつくってくれた!」
「あっ、…そっか」
 そりゃそうだよな、と思いつつ、それでも少年は嬉しそうに三枚目のクッキーを口に運んだ。

「さて、今日は何の日でしょう」
 やけににこやかな声が二人の耳に届いた。にっこりと笑った表情を見上げても、あぁまたかくらいにしか思わない程度の仲にはなっている。目線だけで何?と聞き返す少女に、興味深そうに見上げる少年。結局最初の少年に対する答えが出てこないまま、部屋はシーンとした。
「答えてくれてもいいじゃない」
「だって意図が分かんない」
「誕生日?」
「それだったら分からなくないでしょ」
 少しだけ苦笑を浮かべて少年は、そっとテーブルの上に丸い皿をおいた。盛り付けられているのはチョコレートケーキ。三人分には丁度良い大きさのワンホールだった。きょとんとしたまま、少女は彼を見上げた。
「………何?」
 心当たりがない。暦を思い返し、今日の日付を脳裏に書き出す。正確には心当たりが無くもないのだが彼からの問い掛けとしては少々違和感がある。
「もしかしてバレンタイン?」
 先に口を開いたのは座っていた方の少年だった。ケーキを映す目がキラキラと輝いている。テーブルの横に立ったままの少年は、にっこりと笑った。
「うん」
「男なのに?」
「そこ気にしなくても良いじゃない…。大事な人に贈らせてよ」
 少女の辛辣なつっこみに少年は苦笑し、困ったように頭を掻いた。2月14日、バレンタイン。大切な人にチョコレートを贈るというイベントだが、女性から男性に贈るのが一般的だと聞いていた。少女は怪訝そうに表情を顰めた。
「そういう趣味だったんだ…」
「ねぇ、もう少し素直に喜んでくれないかなぁ」
「俺は嬉しいよっ、ケーキ貰えるんでしょ?」
 少しだけ空気が重くなった残念なやり取りの後、少年の弾んだ声が響いて場の空気は緩んだ。まあ、そうだけど、と少女が呟く。何だかんだ言って甘いものが好きな二人である。サプライズのケーキが嫌な訳がない。
「よかったら、お茶にしようか」
「うんっ」
 昼下がりのティータイム。そう言えば三人がこの時間に揃うことはそう多くない。言葉に出さずとも、どうやらそれは三人に共通する感情だったらしい。一緒に過ごすだけで、こんなにも楽しい。

「あっ、あのさ」
 お茶を淹れようと踵を返した少年に向かって投げた少女の声は、思ったよりも大きくなっていた。びくっとした少年二人が少女を振り返る。途端、パタパタと少女は自分の部屋へと走っていってしまった。突然の行動に意味を理解できず顔を見合わせる二人の元に、思ったより早く戻ってきた少女は何かを力任せに押しつけた。二人がそれぞれ手元を見ると、それは小さな箱だった。一瞬だけ理解が遅れるが、思い付いた結論は会話の流れ上間違ってはいないと思われた。
「お、女の子が、男の子に贈る日だって、聞いてたから」
 真っ赤になった少女はすっかり顔を俯かせている。再度顔を見合わせた少年たちは打ち合わせすることなくにっこりと笑い、そして。
「……っ?!」
 声にならない声を上げて、少女は状況を理解できずに二人を見上げた。ぎゅっと、両側から抱き締められている。
「ありがとう。僕も大好きだよ」
「俺の方が好きだって!ありがとっ」
 少女の顔は真っ赤になったまま、完全に動作を停止させている。少年二人は、おかしそうに笑ったままその腕を離そうとはしなかった。

「好きなんて、言ってない」
 少女がようやく絞り出した言葉は、二人には通じない嘘だった。

CrossTune

HUM A TUNE

 行きつけの楽器店の地下に備えられている少し狭いレコーディングスタジオ。良心的な値段で貸切る事が出来、思う存分演奏が出来る数少ない場所である。自前の楽器を持ち込む事も、店の――正確には店長の私物を借りる事も可能。これで利用者が殺到しないのは、恐らく店長の人柄の所為だろう。面倒見は良いが何事においても大雑把で適当。好かれやすいが嫌われやすい、と言ったところだろう。店に立ち寄るのは毎回のように店長と話し込む常連ばかりだった。
 スタジオに置かれたキーボードに手を乗せ、目を閉じて深呼吸。五拍の間の後に目を開いた峻は、誰も知らない、自らの脳内だけに存在しているメロディを奏で始めた。静かに、時に激しく。学生としてキャンパスに通っている時は決して誰にも見せていない表情。隠したい訳ではない、単にここが特別な場所なのだ。
 終息へ向かうメロディは次第にその速度を落とし、静かにアルペジオを重ねて終了した。数秒の空白の後、パチパチと乾いた音がスタジオに響く。怪訝そうに振り返った峻の目には、扉の枠に寄り掛かってこちらを見ているこの楽器屋の店長の姿が映った。ここでもう一度峻は眉を顰める。店長といえど、客がスタジオを使用している間は地下に降りてくる事、ましてやスタジオ内に入ってくるなど今まで一度も見た事が無かった。
「なんて曲?」
 峻の不信感を知ってか知らずか、店長はそう声を掛けてきた。
「…考えていない」
「譜面は?」
「無い」
 いかにも不機嫌、といった声で問い掛けに答える。しかし相手には全く詫びの表情など表れておらず、逆に興味深そうに笑みを浮かべるばかりだった。
「何か用があるのか?」
 店に戻ろうとする気配を見せない店長に、つい峻は尖った声を向けていた。仕方ない、自分の安息の時間を邪魔されてしまったのだから。峻の声に、店長は笑う事を止めた。数秒峻の様子をまじまじと観察し、そしてにやりと笑った。
「閉店時間」
「……え」
 集中していると時間を忘れる、それは峻がよく指摘される癖のようなものだった。邪魔になるからという理由で外していた腕時計に目をやると、時計の針はこの店の閉店時間をとっくに通り越していた。閉店時間が来たから店長が呼びに来たのではなく、閉店時間になっても帰る様子がないから呼びに来たのだと、この時になって漸く峻は気付いた。手早く荷物を片付け始める。
「悪い。すぐ出る」
「気にすんな、こっちは気にしちゃいねぇから」
 相変わらずアバウトな性格の持ち主である。定められた開店時間及び閉店時間は店の入り口にも記載されているが、それ通りに店が開かれる事も閉められる事も珍しい。閉店時間が遅くなる原因の多くは今日の峻のように利用客にあるのだが。
 荷物を纏め終え、スタジオを出ようとした時。ふと店長が口を開いた。
「なぁ、さっきの曲。譜面に起こしてくれねぇ?」
「…何故?」
「何故って…、気に入ったから。書いてくれりゃ今日の使用料、それで良いから」
 きょとんとした目で店長を見た。普段よりも少しだけ真面目に見える今の表情から察するに、どうやら冗談を言っているつもりはないらしい。正気だろうかと訝しむと同時に、少しだけ感じる正体の分からない高揚感。何度か瞬きを繰り返した後に、漸く峻は口を開く事が出来た。
「そんなもので良いのか」
「そんなものって思ってねぇから良いんだよ。んじゃ交渉成立」
 くすくすと声を上げながら笑う店長の表情は、心底嬉しそうだった。思わず峻も息を吐いて笑った。

「そうそう、」
 まだ笑ったままの店長は話題を切り替えた。もしかしたら彼は単に世間話をしに来ただけなのかもしれないと峻は思った。人付き合いは得意な方ではないが、嫌いという訳でもない。初めてこの店に訪れた時はバイト生にも関わらず客そっちのけでドラムを叩いていた彼を好ましいとは思えなかったが、店に通う内、会話を繰り返す内にどうやらすっかり慣れてしまったようである。呆れる事はあるが咎める事はない。バイト生だった彼はいつの間にか店長へと昇格していた。
「例の“歌姫”、拾われたらしいよ」
 途端に峻の表情が変わった。驚きと焦燥と少しだけの安堵が混ざった複雑な表情。変化を眺めていた店長はやはり楽しそうに笑ったままである。
「この間本人から連絡あって。ギターの出来る奴が拾ったらしいから安心しとけ?」
 からかうような笑みを向けられてもそれが彼の表情だから今更気にはしない。彼の話にはやたら比喩が多い事も以前よりは気にならなくなってきた。意味は凡そ見当が付く。
 歌姫―――、たまたま通り掛かった地下通路で下手くそなギターと共に歌声を奏でていた見知らぬ人物を称した呼び名。見当はあるかと店長に訊ねたのはかれこれ一月程前の事である。“歌姫”と名付けたのは店長だがいつの間にか峻もその呼び名を使うようになっていた。本名も素性も見知らぬ人物、他に呼びようが無かったのだ。しかし当然違和感はある、姫と称せるだけの歌声は持っているが対象は自分と同じ年頃の少年。
「そうか…」
 短い返事を溜息混じりに呟いた。気には掛けていたがそれだけだ。どうやらいつの間にか知り合っていたらしい店長にも、“歌姫”の詳細を聞いてはいない。跡を追うつもりも今後を模索するつもりも無い。ギターが出来る奴、の点にだけは心底安堵したが、それで充分。今だって何も思っていない、筈だ。峻の表情を観察していた店長は、ふっと小さく笑った。
「気になんねぇの?」
「何が?」
「一目惚れして気に掛けてた相手が見知らぬ奴に取られた、とか思うと思ったんだけど」
「それは無い」
 店長はニヤニヤとからかうように笑い、峻の返事に声を上げて笑った。「冗談だよ」と言うも、本人はそれを冗談だとは思っていないのだろう。以前真顔で「音を好きになるのは人を好きになるのと同じだから」と言っていた人物だから。“あいつに惚れた”という言葉は、彼にとっては“あいつの「音」に惚れた”という意味になる。一つ息を吐き、峻は荷物を持ち上げた。
「帰る?」
「あぁ」
「なんか用事ある?」
「あぁ」
 同じ言葉で二度返事をすると、なんだそっかと残念そうな声が返ってきた。首を傾げ、視線だけで理由を問い掛ける。峻の動作を理解したのか、店長は小さく笑った。
「今夜、例の二人と飲みに行くんだけど。予定無いならはっしーも誘おうかと思って」
「………。俺はまだ未成年だが」
「安心しろ、あいつらも未成年だ」
「それは安心出来ないだろう」
「酒は飲まねぇって事だよ」
 呆れたように見ると、呆れたような笑いが返された。酒好きを豪語する彼だから「飲み」と言われればアルコールを連想するのも無理はない。本当に大丈夫だろうかと、ほんの少しだけ気に掛けておく事にした。因みに、あだ名で呼ぶ事に許可を与えた覚えは無い。
「来たかった?」
 興味本位の目で、訊ねられる。
「いや、別に」
 首を振るが、表情は少しだけ笑っているという自覚はあった。ただの興味だが、“歌姫”と話をしてみたいと思わなかった訳ではない。どんな事を考えて音を奏でているのか、聞いてみたいとは思っていた。きっとその表情を察したのだろう。楽しそうに笑ったままの店長は、ぽんと峻の肩を叩いた。
「ま、次暇な時にでも。また誘うから」
「…あぁ」
 三度目の同じ返事。しかしそれは違いの分かりづらい、嬉しさの混じった声だった。

 地下のスタジオを後にし、店舗へと戻る。閉店後の店らしく照明は薄暗い。ガラス窓から見える外の景色は真っ暗闇だった。峻は一直線に出入り口である扉へと足を進めた。その後ろを店長が着いていく。この店長は出口まで客を見送る事はあっても「有り難うございました」とは言わない。自分に対してだけなのかと思っていたが、どうやら店に来る客全てに対してこの対応をしているらしい。きっと彼に商売人としての才能はゼロである。峻は扉を開けた。
「譜面、宜しく」
「分かった」
 双方の簡潔な二言で、店は閉店した。扉が閉まり、「Close」と書かれたプレートが減速しながら揺れる。本日の閉店時間は記載された閉店時間の約一時間半オーバー。プレートの動きが治まり、明かりの消えた店の奥に向かって峻は小さく吹き出して笑った。忘れないよう小さな声でメロディを呟きながら帰路を歩く。タイトルも歌詞もまだ何もない、けれど確かに自分の中に存在しているメロディライン。
 足取りが少しだけ、軽かった。

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