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タグ: 左翊

Re.

E473.10.04.

 生まれた時のことなんてもちろん、覚えているわけがなかった。
 ああだった、こうだったと聞かされて、確かにそうだった、と勝手に記憶されているだけで。
 生まれ落ちた時、俺はきょとんとした目で放り出された世界を見つめ、泣くことも分からないまま、泣きそうな二つの顔を見つめていた。理由は、その時には分からなかった。
 数分間のまるで深海にでも閉じ込められたかのような静寂の後、俺は思い出したように大声で泣き始めた。泣きそうだった顔からも暗いものが消えて、それでも泣きそうで、泣きだしたことは変わらなかった。
 そこからやっと、俺の世界が始まった。
 数年間は、何の変哲もない暮らしだったはずだ。木々に囲まれてぽつんと建った家でのんびりと自由に育って。覚えていないことも、気付かなかったことも山程あるだろうが、その辺りはもう分からない。
 変わったのは、離れたところに住んでいたという祖母が死んだことと、妹ができたこと。その時からだった。

「生まれるべきじゃなかった。ってことは理解してる。じゃなきゃ、こんな歪んだことにはなってない」
 笑ってそう言ったつもりだったけれど、笑えていたんだろうか。随分と長く拘束されてしまっているけども、俺にとっては充分、笑い話だった。顔を上げれば、困った顔で口を開きもせずに瞳を揺らす姿が見える。あーこれは一応言葉を探してる顔だと分かるけどそんな顔をさせたくて言ったわけじゃなかった。
「俺がいなくてもこうなった事実は変わらない。いても変わらない。つまり必要はなかったってことだ」
 笑おうとした時に、あからさまに不機嫌に顔が顰められたのが見えた。表情への反論は間に合わなくて、口が開かれる。
「少なくとも俺は、お前に人生を変えられている。迅がいなければ、俺が変わっている」
 まあ、予想通りの返しかな。予想はしてたのにいざ聞くと小っ恥ずかしいにも程がある。
「その時は他の誰かが変えてくれたよ」
「そうだとしても、迅夜という人物に助けられたという事実は変わるだろう」
 居心地悪いったらありゃしない。それにこの話を長く続けるつもりなんてなかった。なんでそんな恥ずかしいこと言えちゃうかな、なんて思ってはみたけれど、多分こいつにそんなこと言っても無意味だと分かっていた。ふわふわと消え入りそうな中身だったくせに、俺と同じくらいに負けず嫌いで頑固だ。こっちが有利だと分かっている口喧嘩以外は正直面倒臭くてやりたくない。
「サイだって祝われるの嫌いなくせに、他人にはよく言うよね」
 溜息吐いて降参だと言わんばかりに手を上げれば、「今は気にならなくなった」だなんて返された。その真顔気に食わない。何歩も後ろにいると思ってたのに、いつの間にか何歩も先を歩いてる。止まっていた足を動かし始めたこいつと、止めてしまった俺、ってことか。なんかそれは、やだな。
「恥ずかしいついでに一回だけ言うが、迅がいてくれて俺は助かった。生まれ」
「やめ!!やめる!!それほんっとに恥ずかしいやつ!!!絶対やめて!」
 言い掛けた言葉だけで何言おうか分かっちゃうからやめたところで意味ないんだけど、ないけどな。音で聞いて堪るかって思ったらがむしゃらに叫んでしまってた。びっくりするよ何言ってんのほんと。
「…分かった」
「調子狂うってほんと…馬鹿なの?」
「馬鹿かもな」
 ほんとやめて欲しい、そういうの。心拍数上がりすぎだよ。ばーか。俺もだけど。

「どっちにしろ、もうしばらくは生きてなきゃなんないし、その後のことは分かんないし、…サイが心配するようなことにはなんないよ」
 いくらか待って落ち着いてきた頃に、そう笑って言ってやった。今度は笑えているはずだと、ちゃんと確信があった。肩の力を抜いて表情を緩めた顔が見えたから、間違いないはずだ。
 もうしばらくがいつまでなのかは分からなかった。一生あっても足りないのかもしれない。けどそれでも、そうだとしても、やらなければいけないことだった。気は遠くはならない。今の所は。
「その調子で」
「んー」
 吹っ切れたわけじゃない。まだ分からない。染みついた記憶の真偽はもう追う術がなくて覆すことなんてできない。ただ、それもまあ悪くはないもんだと、ようやく思い始めてきたところだった。

E495.10.04.

CrossTune

七夕当日の話

「てかさ、昨日っから何読んでんの?」
窓を叩く雨音は一向に弱まる気配を見せず、相変わらず昼間の空は暗いままだった。
ごろんとベッドに転がった迅夜は、隣のベッドに腰掛け視線を落としている左翊に問い掛けた。
彼はまだ半分にも到達していない本を読んでいる最中である。
「市場で見付けた古本だ。内容を見ないで買ったら、俺にはよく分からない」
「でも読んでんだ」
目を離さずにいるところを見るに、内容が嫌いなわけではないらしい。が、好きでもないらしい。
珍しいの、なんて呟きながら、左翊の様子を観察するのも飽きたのか迅夜はまたごろんと寝返りを打った。
視線の先にある窓の外。曇った窓ガラスからはぼんやりとした景色しか見えないが、ひっきりなしに新しい水滴がぶつかっては流れていく。パラパラという音が心地良いような、耳障りのような。無音の室内に響き渡るせいで、賑やかしい音も却って静かだと錯覚する。
「七夕の本?」
ぽつんと迅夜が訊ねた。
昨日の左翊の言葉を思い返してだろう。暇潰しなのかなんなのか、どうやら黙り込んだまま時間を使えないようである迅夜は、左翊の返事も待たずに更に口を開く。
「サイちょっとロマンチストになった?」
「そんなわけないだろ」
間髪入れずに一蹴。左翊もまた、本を読んでいるようでその世界にのめりこんではいないらしい。パラパラと目を滑らす程度。
「七夕は、少し話題に出てきただけだ」
とうとう飽きたのか、左翊は本をパタンと閉じてしまった。そして手元に放ると、窓の外に視線を向ける。
「当日に降る雨は、オリヒメに会えなかったヒコボシの涙なんだと」
似合わない。分かってる。ぼそりとしたやり取りの後、ふーんと迅夜は声に出していた。
「見栄張って綺麗にして、それで会えなくて泣いちゃうんだ」
転がり、天井に目を向けた迅夜は、その天井の微かな模様を眺めながら呟く。
「やっぱ自業自得だよね」
「夢がないな」
「えっ、サイあるの?!」
「ない」
思わずがばりと起き上がった迅夜に、左翊は冷たく静かな視線を投げた。
ちぇーっとつまらなさそうに口を尖らせ、しかしすぐにふっと吹き出していた。

「…で、結局何の本だったの?途中で止めちゃってるし」
古い本の表紙はすっかり色褪せておりタイトルも読み取れない。何が気になって手に取ったのかという問いにも答えが得られないまま、今度もまた左翊からの答えが期待できないようだった。

―――『遠くの人に伝える言葉』

CrossTune

七夕前日の話

「まーた雨だ」
窓を叩く水飛沫を見ながら、迅夜はうんざりといった声で呟いた。時間の割に暗い空は、この雨がしばらく止まないであろう事を告げている。今度は溜息が溢れた。
「雨だな」
ちらりと窓を一瞥し、またすぐに手元に視線を戻したのは左翊だった。わざわざ見ずとも音を聞けば外が土砂降りであることは分かる。左翊にとってはその程度の興味だった。
「明日には止むと思う?」
窓の外を見つめたまま、迅夜はそう投げ掛けた。対する左翊は、迅夜がそこまで天気に拘る理由が分からずに少しだけ首を傾げる。視線を上げても、迅夜はまだ外を見たままだった。
「さあ。何か用事でもあったか?」
「んー、用事って言うか、ほら、明日七夕じゃん?どうせなら星見たいなぁって思ったんだけど」
たなばた。一瞬言葉と意味が結び付かずに再度首を傾げた左翊は、今度はすぐに合点がいった。そういえばそんなイベントがあったような気もする。7月7日の星祭り、のようなもの。
「なんかちょっと違う気もするけど」
「星を見るんだからそうだろ」
「そうなんだけどなんか、なんかさあ!ニュアンスって言うか、ロマンとか」
「分からない」
「サイの分からず屋」
いつの間にか窓に背を向けていた迅夜は、子供のように頬を膨らませ左翊のことを睨んでいた。呆れた溜息を溢すと、更に迅夜の表情が険しくなったような気がした。
会話は終了したと判断し、左翊は視線を落とす。趣味と言うほどではないが、予定のない雨の日などには本を読むこともある。頻度が高くないせいもあり読む速度は大層遅く、興味が薄れれば途中でも読むのを放棄してしまうので一冊を読み切ることがあまりないのだが。この本は読み切れるだろうかと読み進めた時、ふと気になる文を見付けた。

「七夕の前日の雨は、ヒコボシが自分の使う車を洗っているから、だそうだ」
「へ?」
自分でもらしくない台詞だと思いながら、左翊は読んでいた本のページを開いたまま迅夜に差し出した。窓の傍から離れ左翊の目の前にやってくると、迅夜はその本のページに視線を落とす。指差された一文には、今まさに左翊が読み上げた言葉が書かれている。
「へえ」
顔を上げ、もう一度窓の外を見る。ざんざんと激しく降る雨は、なるほど空の上での洗車の様子だと思えばそう見えなくもない。
「んじゃこれは二人が出会うための準備、ってこと?」
「そういうことらしいな」
いや、別にそういうのは興味ないが。と付け足すも、迅夜は聞いてもいないようだった。ふーんだのへーだの、しきりに一人で感心しているように見える。言わなければ良かっただろうかと、左翊は聞こえないように小さく息を吐いた。

「けどさ、洗車したくてこんなに雨降らして、それで明日も雨になっちゃって会えなくなるんだったら、それは自業自得だよね」
やや置いて、ぼんやりとした声が聞こえた。
窓の外は相変わらずざんざんと音を立てており、迅夜の言う「自業自得」はどうやら当てはまる事態となりそうでもある。
「見栄張らなくたっていいのにね」
そう言った迅夜の心境は、今の所左翊には分からないものだった。

CrossTune

お題:白い世界

「大丈夫か?」
声を掛けられて迅夜がハッと顔を上げると、不安げな灰色の瞳がこちらを見ていた。足を止められた所為でこちらも止めざるを得なくなり、地をぎゅっと踏みしめた。
「平気」
「そう見えない」
「平気だってば」
視界の全てが白だった。
正確には”全て”ではない。顔さえ上げてしまえば周りの景色も前を歩く左翊の姿も見えるのだから、他の色などいくらでもあった。けれど慣れない足下に必死になり下ばかり向いていると、目に入るのは白ばかりだった。
「ちょっと、何も考えられなくなりそうになっただけ」
訝しがる表情が離れてくれないので、誤魔化すように笑いながらそう言うと、左翊は更に眉をしかめた。駄目だこりゃ、面倒臭いな…、迅夜はそう思って溜め息を吐き出した。実際、原因を作っているのは自分だ。この道に慣れている左翊には何も堪えるものはないのかもしれない。
「…俺の事見ていればいいだろう」
「サイ、その言葉すごく気持ち悪い」
「………悪かった」
言わんとする意味は一応分かっているが思わず苦笑いを浮かべる。居心地悪そうに左翊も視線を逸らした。
再び歩き出し、出来る限り白以外の色を視界に入れようと視線を動かす。時折足を滑らすが、転ばなければ問題はないだろう。白に入り乱れる黒、灰、青…
「赤は、映えるな」
突然ぼそりと声が聞こえた。
シーンという擬音が実際に聞こえてきそうな程静まり返った白の世界には、足音以外の音が聞こえず、低く小さな左翊の声もよく聞こえた。「なんで?」と返すのを一瞬躊躇う。
「白に飛び散って広がった赤、一度見たら忘れられない」
聞いてもいないのに左翊の言葉が続いた。それは迅夜に投げ掛けていると言うより、自分自身へと向けている独り言のようで、とても遠くの世界を見ているようだった。
「ねえサイ、重たいモノ俺にも押し付けるのはやめてよね?」
「……悪い、そういうつもりじゃなかった」
前を歩く左翊の表情は見えない。
―――見えなくて正解だった。見えていたら、どこに巻き込まれるのかが分からなかった。
“何も考えられなくなりそう”なのは、もしかしたら左翊も同じだったのかもしれない。

「ってかこの道どこまで続くのホントに!寒いんだけど!」
「まだしばらく掛かる。大体そんな薄着で出てくる方が悪いだろう」
「すぐ着くって言ったのサイの方じゃん、全然すぐじゃない!」
「歩いてれば着く」
「遠い!」

見える世界はまだまだ真っ白だった。

+++++
20分

CrossTune

お題:祝う

「さーい、なんか欲しいものある?」
出会い頭に問い掛けられ、左翊の思考回路は一旦停止した。
唐突に何を言っているのだろうかとまずは言葉の意味を考え、次にその言葉が発せられた意味を考える。
が、とうとう答えは出ないまま、相方の問いへの返事も止まったままだった。
「急に、なんだ」
ある意味ではありきたりの言葉を辛うじて返し、迅夜の反応を眺めると、今度は彼の方がきょとんとしているのだった。
「急にって、急でもないでしょ。サイ、今日誕生日だよね?」
せっかくお祝いになんでも奢ろうと思ったのに、とつまらなそうに呟く迅夜を、左翊は瞬きを繰り返しながら眺める。
「奢ってくれるのは有り難いが、なんで」
ぶぅとそっぽを向いていた迅夜は、左翊の言葉を聞いてぴたりと動きを止める。
そしてぎこちなく左翊へと振り返る。
しばらく迅夜も左翊もお互いの疑問符しか浮かんでいない表情を見て、やがて双方に意味が全く伝わっていないのだと気付いた。
「なんでって、誕生日でしょ?そう、誕生日おめでとうでしょ?だからお祝いを…って思ったんだけど」
「お祝い…?祝うのか?誕生日を」
「祝わないの?」
「祝ったことがない」
何の冗談を、といった迅夜の顔は、左翊の何も変わらない表情を見て次第に驚きへと変わっていく。
対する左翊はというと、変わらず疑問符ばかりを浮かべている。
ただ迅夜の表情の変化を見て、何かしらの差が二人の間にはあるのだろうと分かっていた。
「うーん、そりゃ、育ち方違えば考え方も違うとは思うけど…そっか、そういう所も違うんだ」
迅夜の言葉は、酷くぼんやりとした言葉だった。
それ以上は何も聞かないよと、それだけを暗に伝えてくる。
だから、左翊も返事をしなかった。

「まあ、でも、俺的には祝っておきたいから、何かあったら奢るよ」
会話が終わって静まり返った部屋に、迅夜の声が流れた。
「あぁ」
迅夜の考え方は左翊には分からなかったが、彼の気持ちだけは受け取ることにした。

+++++
15分

CrossTune