Press "Enter" to skip to content

タグ: 晴乃

お題:雪

間引きを終え小綺麗になった植木鉢を手に、店の外へと一歩踏み出す。扉を開けたままの店内とさほど変わらない気温ではあるが、吹き付ける風は外ならではのもの。刺すような空気に、思わず晴乃は身を縮める。重く暗い空はいつもよりも低く見え、心なしか街の中まで沈んでいるように見えた。すっかり冷たくなっている植木鉢を持つ手も、徐々に温度を奪われている。そっと軒下に並ぶ他の植木鉢の隣に並べると、晴乃は右手で左手を包み込んだ。
色の少ない季節だった。並ぶのも花ではなく色の付いた葉が多い。まだこの季節になって半分くらいしか過ぎておらず、花の咲き乱れる季節までは遠かった。
手を握ったままぼんやりと灰色の空を眺めていた晴乃は、やがてその空からはらはらと舞う白に気付く。
「あ…」
この辺りではそう見られるものではないので、今日はとびきり気温が低いという事だろうか。そう思いながら、降ろしかけた視線をまた空へと戻していた。顔にいくつか着地し、ひんやりとした感触を感じるがそれも一瞬で、すぐに消えていった。地面にはなんのあとも残っていない。
「晴乃…?」
不意に聞き慣れた声に呼び掛けられ、晴乃は慌てて視線を降ろす。と同時に開けっ放しだった口をぱっと閉じる。格好悪い所を見られた、という後悔がぐるぐると頭の中を駆け巡っていたが、極力それを顔に出さないようにと晴乃は必死になっていた。
「風邪引くぞ」
役所からの帰りなのか仕事からの帰りなのか、その逆なのか、クラロスは少しの荷物を持って店から数歩離れた所に立っていた。
「あっ、いえ、大丈夫ですよ、本当、大丈夫です」
まだ少しぐるぐるとしていた頭の所為で咄嗟に言葉が出て来なかったが、なんとか笑う事は出来た、と晴乃は思っていた。
その間にも、ちらちらと舞い散る白は少しずつ量が増えていっていた。植木鉢を出す為だけに外に出てきていたので、晴乃の服装はあまり着込んでいるものではない。体温がどんどんと下がっていっている自覚はあった。
「クラロスさんこそ寒くないんですか?」
対するクラロスも、厚着とは言えない格好である。けれど寒がる様子は見えなかった。晴乃の視線に気付いたのか、言わんとする部分を察したのか、クラロスは微かに笑ったような気がした。
「俺は慣れてるから」
そう答える彼の声が、どこか遠くを向いているような気がした。
「そうなんですか?」
「昔住んでいた所は、雪が積もる所だったから」
やっぱり彼の視線は遠くを、彼の故郷を向いているのだと晴乃には分かった。
それが少しだけ淋しくて、羨ましくて、なんだかよく分からない気持ちがもどかしかった。
「そうなんですね。私、こうやって降るのは見た事あるんですけど、積もってる所は見た事ないんです」
この辺りじゃそんなに降らないですからね。そう付け加えて、晴乃はもう一度空を見上げた。量が増えたとは言っても、あくまで比較的。このまま三日三晩でも降り続けたりしない限りは地面も白くはならないだろう。
「いつか、行ってみるか?」
突然の言葉に、晴乃はしばらく空を見上げたまま瞬きを繰り返してしまった。そしてクラロスに振り返ってそこでも数度瞬き。晴乃の様子にクラロスも少しきょとんとしていて、向き合ったまま静かな時間が流れる。
「遠いから、無理に行こうって訳じゃないけど。雪が見たいなら」
他に深い意味も無い事は分かっていた。分かっているけれど、その気遣いが嬉しかった。
不自然に空いてしまった間を申し訳なく思いながら、晴乃はその間を吹き飛ばしたくて思いっ切り笑った。
「行ってみたいです。雪、見てみたいです」
刺すような空気も風も、今はしばらく感じないような気がしていた。

+++++
30分

CrossTune

お題:七夕

澄み切った空気が流れる朝の時間、晴乃は店の正面のドアを開き毎朝の日課を始めた。
夜の間は屋内に置いている植木鉢を、一つ一つ花の様子を伺って外へと出していく。
「おはよう、今日も元気だね」
そう花に声を掛ける。返事の声はないが、晴乃はまるで声が聞こえているかのようににっこりと笑った。
植木鉢を出し終わると、今度は何も入っていない空の容器を合間に置いていく。
小さな声で歌を口ずさみながら大きなじょうろに水を汲み、その容器に綺麗な水を張っていく。
全ての容器に水が入った頃、店の奥から晴乃を呼ぶ声があった。
はぁい、と返事をして店へと入っていく晴乃のそれもまた、毎日の日課だった。
晴乃が開店の準備をしている間、店長の奥さんが新しい花の準備をしている。
摘み取ったばかりの、店の庭で育てている新しい花たちを晴乃は受け取りに行ったのだ。
やがて店先へと戻ってきた晴乃は、その両手一杯に色取り取りの花を抱えていた。
花をぶつけないようゆっくりとしゃがみ込み、丁寧に水の張られた容器に入れていく。
容器が全て花に満たされ、こうして晴乃の朝の日課は終わるのだった。
しかし今日はいつもと少しだけ違った。
正確には今日だけではない、時々、日付によって変化が現れる。
今日は店長が花ではない大きな笹を持ってきた事で変化が現れた。
「これも飾ってくれないか?」
店長がそう言うと、初め晴乃はきょとんと首を傾げたのだが、今日という日付を思い出してにっこりと頷いた。
「七夕、ですね」
「ああ」
何の飾りもない笹は、恐らく店長が早朝に取りに行っていたのだろう。
店の準備をしている晴乃や奥さんよりも、いつも店長の朝は早かった。
それはこうして、店に関係していないようでしている準備を一人で行っているから、なのだろう。
晴乃は少し考えて、店先に置かれていた休憩用のベンチの端に笹を紐でくくりつけた。
笹は不安定ではあるが、程よい風にさわさわと揺れる涼しげな音と光景となった。
次に、店の奥からこぢんまりとしたテーブルを持ち出し―――見かねた店長が途中で加勢をし、そしてベンチの隣に置く。
「すみません、ありがとうございます」
「いやいや。これをどうするんだい?」
「せっかくなので、お客さんにも短冊を書いてもらおうと思って」
笹を見上げて、晴乃はそう言った。
「色紙とか、飾りに使えそうな物、お借りしますね」

店長が店の奥へと下がり、晴乃は一人でベンチに腰掛け飾りを作っていた。
色取り取りの色紙を切ったり、貼ったり。長く連なった輪飾りを作り上げると、満足げに晴乃は笑った。
長方形に切った色紙には紐を通して輪っかに結ぶ。その束はペンと一緒に箱の中に入れ、テーブルに置いた。
飾りの準備ができると、晴乃は立ち上がりよいしょと飾り付けを始めた。
色紙で作った飾りと、店に置いている花たち。一個一個丁寧に飾り付けていき、最後に残ったのは輪飾りだった。
背伸びをしててっぺんからぐるりと巻こうとするが、晴乃の身長ではどうしても届かない。
考えた晴乃は靴を脱いでベンチに乗ろうとし―――た、所で、常連客の姿に気が付いた。
「クラロスさん!」
慌てて晴乃はベンチから降り、靴をはき直す。服を整え、輪飾りを丁寧にテーブルに戻した。
「何してるんだ…?」
クラロスは、いつもと少し様子の違う店先を見て首を傾げる。
「あ、あの、今日、七夕で…」
すぐ隣に立つクラロスを見上げ、しどろもどろになりながら晴乃はそう答えた。
しかしクラロスの頭に浮かぶ疑問符は、どうやらまだ消えていないようだった。
笹を見上げ、輪飾りを見、
「たなばた………?」
そう呟くに留まった。
けれど先程の晴乃の様子は見ていたようで、輪飾りをそっと手に取り、もう一度笹を見上げた。
「これを飾ればいいのか?」
「えっ、あっ、はい」
びっくりした様子の晴乃を余所に、クラロスは笹のてっぺんからさらりと輪飾りを掛けた。
そして、笹の下の方に固まっていた飾りのいくつかを上の方に移す。
そんな彼の様子をぽけーっと見ていた晴乃は、はっと気付いてぺこんと頭を下げる。
「あっ、あの、ありがとうございます!」
「……別に。バランスが悪かったから」
クラロスは気付いているのかいないのか、顔を真っ赤にした晴乃に、表情も変えずにそう言った。
「あの、これ」
笹を見上げていたクラロスに、晴乃はそっと短冊を差し出した。
クラロスは当然、首を傾げる。
「これ、書いていきませんか…?」
「何を?」
渡された物を受け取りつつも、クラロスにはそれが何をするべき物なのか分かっていないようだった。
常連客と言っても、普段のクラロスは様子を見に来るだけで話す事はあまりない。
しかし今日は話題がたくさんあって、どうやら彼も忙しそうではない。
少しだけ堅い、けれど嬉しそうな顔で晴乃は笑い、七夕の事、短冊の事を話し始めた。
まだ書いていない短冊への願い事が、早速叶った、晴乃はそんな気がしていた。

+++++
40分

CrossTune