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タグ: 涼潤

お題:花火(その2)

「わぁ!」
森の一角に、そんな声が上がった。
真っ暗な森の中に眩しい程の光が生まれている。力強く吹き出すその光を間近に眺めながら、光麗は飽きることなく笑い声を上げていた。隣の涼潤も、そんな姿を見ながら、そして自分の手元の光を眺めて、にこりと笑うのだった。
「どこからこんなにたくさん…」
呆れ声を呟くのは竜神だった。光麗達がしゃがみ込む場所から少し離れた地面には、手持ち花火が山となっている。そして竜神の足下には燃え尽き水を掛けられた花火が山となっている。
「風が運んできたんだと」
火花の吹き出す手持ち花火を片手で三本持って、遊龍は竜神に答えた。その答えている間に左手に持つ三本の花火に火を点ける。一気に火が噴き出して、遊龍の周囲は更に明るくなった。「危ね…」と呟く竜神の声は綺麗に無視されている。
「知ってたけど、やった事なかったんじゃね?」
パチパチと音を立てる花火を見つめながら、遊龍はぼそりと呟く。竜神は何も言わずにちらりと視線を向ける。
「街ん中じゃ出来なかっただろーし。こっち来てからだって一人でやっても面白くなかっただろーし」
「お前が来たの去年だろ」
「そうだけど、もし火事になっても消火できなかったし」
あぁ、と竜神は納得してしまった。現に、今の自分の役割は使い終わった花火の完全消火だ。
少し離れている場所の少女二人の会話は聞こえない。ただ、時折聞こえる笑い声は光麗のものだけでなく涼潤のものも混ざっていて、楽しくないという雰囲気には見えなかった。
「竜はやんねーの?」
「っ、だから危ないって言ってんだろ!」
遊龍が不意に竜神へと振り返った所為で、花火の先が竜神へと向けられる。六本分の火花が吹き出したままで、慌てて竜神は一歩後ずさる。と同時に一本ずつ勢いが弱まり終わりを迎えていく。思わず六本全てが沈黙するまで、二人は無言で花火を見ていた。そして辺りが静かに暗くなった時、堪えきれずに遊龍は吹き出していた。暗闇の中には、イライラとする竜神の表情が浮かんでいた。
「遊ー!」
声が掛けられて遊龍は笑いながらも振り返る。見ると光麗が大きく手を振っていて、どうやら火種を要求されているらしいのだと気付いた。
「ねえ!これに火、つけて!」
好奇心に溢れる表情で地面に置かれている花火を指差している。それはどう見ても今までの手持ち花火とは形も大きさも違う花火で、涼潤も、近寄った遊龍も竜神も一瞬言葉を失う。
「これって…」
「これって大きい花火なんだよね!」
円筒状の物体は、その場にいる全員が初めて見るものだった。風はなんてものを運んできたんだ…と遊龍は思うが、光麗からは期待の眼差しが向けられている。今この場で、点火を行えるのは遊龍一人だけだった。
「光、これは少し危ないから」
「そう、危ないから」
「離れて見てないと駄目よ」
「そっち?!」
遊龍の叫びを無視して、涼潤は光麗の手を引いてさっさと離れて行ってしまった。その後ろに竜神も着いていく。円筒状の花火の傍に、遊龍が一人だけ残されていた。
「マジですか…」
頬を撫でていく風は、まるで遊龍の事を慰めているようにも思えた。しかしその風がやがてピタリと止まると、風も花火を期待しているのか、と思わざるを得なかった。
森の中、少しだけ開けたこの場所の空は広く空いている。とはいえどれくらいの高さが上がるのか分からなかったので、迂闊に点火するのは少し躊躇った。振り返って離れた所に座り込んでいる三人を見ると、じっと遊龍の事を見ている。引くに引けない。それにきっと風だって危ないものは運んできていないだろう、もし危なかったら竜の野郎に任せておこう。そう結論づけて遊龍はぐっと拳を握った。
何本か届けられていた花火を等間隔に並べ、自分も少しだけ距離を置く。そして一つずつ着火する。
ドン―――と低く激しく響く音が、森の中に広がった。
思いの外高く打ち上がった空の花は、森の丁度真上に大きく広がる。見上げていた四人の顔を赤や青や黄色に照らしながら。
「すごーい!」
はしゃぐ声が後ろから聞こえて、遊龍はつい吹き出して笑ってしまった。

+++++
30分

CrossTune

お題:7/4

あっという間の出来事だった。
今までの生活が突然変わってしまった。
そんな経験初めてだ、とは言えないけれど、慣れている、とも言えない。
慣れたくは、ない。

のんびりと時間の流れる森に突然やってきた少女と少年は、森に住む少年と少女を大きく戸惑わせた。
詳しい話はまだよく分かっていない。
何せ聞く前に一人は倒れてしまい、もう一人は最初から喋る事ができていなかったのだから。
元々酷い怪我を負っていたのだろう少女の気力は、一体どれ程のものだったのだろうか。
そんな素振り、全く見えなかった。

遊龍が水を汲んで戻ってくると、相変わらず光麗は不安そうな顔で少女、涼潤の顔を覗き込んでいた。
設備も何もある訳がない森の中で正しい治療が行えるはずもなく、かといって何もせずに放置するなどできず、手当たり次第必死になって二人で止血を行った結果、それはどうやら失敗には終わらなかったらしい。
呼吸も初めより落ち着いてきており、気を失っているというよりも、眠りについている、と言った方がしっくりくるようになっていた。
「大丈夫かなぁ…」
遊龍が戻ってきた事に気付くと、光麗は彼を見上げてそう呟いた。
大丈夫だ、と自信を持って言う事は遊龍にはできなかった。
けれど、駄目だとも言えない。ただ今は、大丈夫だろう、と祈っておく事だけ。
風がくるりと辺りを回った。
遊龍の表情を見、風の声を聞き、光麗はゆっくりと頷いた。

そして、そっと視線を涼潤からずらす。
そこには涼潤と共にやってきた少年、竜神の姿があった。
喋る事ができない、そう涼潤は言っていた。実際彼は、ここに来てから一言も言葉を発していない。
遊龍や光麗の事をどう思っているのか二人には分からなかったが、ただ一つ、涼潤の事が心配なのであろう事だけは伝わってきた。
その割には彼女を連れて帰ろうとする素振りだとか、治療を手伝おうとする様子だとかが見られなかったのは、「動けない」と言われていた事が原因なのだろうか。遊龍は竜神をちらりと見、そして小さく唸るのだった。

「なんか、また変わるな」
光麗に向けて、遊龍はそう呟いていた。
前回の変化の原因は紛れもなく遊龍自身なのだが。
風の少女が小さくこくりと頷くと、ひゅうと風が通りすぎた。
今はまだ、ゆったりとした時間が流れていた。

+++++
20分。

CrossTune

いつか、会えたら

「七夕って、一年に一回だけオヒリメさんとヒコボシさんが会える日なんだって」
 空を見上げたままの光麗が、呟くようにそう言った。隣に座っていた涼潤は、彼女が何を言おうとしているのか分からずに首を傾げる。
 夜空には小さな星達が無数に煌めいている。落ちてきそうな程、と誰かが表現しているのを聞いた事があった。彼らが一斉に落ちたら、この辺り一帯には光のシャワーが降り注ぐのだろうか。光麗の言葉の続きを待ちながら、涼潤はぼんやりとそんな事を考えていた。
「お互いに大事な人同士なのに、会えなくなっちゃって。それで、一年に一回だけ会えるんだってお母さんに聞いたんだ」
 涼潤に話していると言うよりは、独り言に近いのかも知れない。吐き出したかった言葉を、そっとじわりと外に流しているような。そんな話しぶり。
「風じゃなくて?」
「うん。風さんは現実のことを教えてくれるけど、物語のことは知らないから」
「物語、なの?」
「うーん、どうなんだろう。本当かもしれないし、作り話なのかもしれないって、お母さんが言ってたの」
「そっかぁ」
 どこにでも昔話や言い伝え、伝説、そういった類のものはあるだろう。場所や人との繋がりによってそれは変わってくるのだろうが。涼潤は、オリヒメとヒコボシの話は聞いたことがなかった。

「大事な人と会えないって、辛いね」
 オリヒメとヒコボシがどういった間柄なのかは知らない。勝手な思い込みかも知れない、けれど聞き流せなくて。なんとなく、涼潤はそう呟いた。
 間が空いたまま返事はない。
 首を傾げられているのかと思い誤魔化すように笑って光麗の方を向くと、そこには少しだけハッとした表情の光麗がいた。その表情に、逆に涼潤が戸惑ってしまう。
「あっ、ごめん。変なこと言ったね」
「ううん。光も会えないのは、つらいもん」
 首をふるふると振り、少しだけ淋しそうな顔をして見せた。
「一年に一回だけでも会えるんだったら、我慢できるのかなぁ」
「…、一回会えちゃったら、あたしだったら次の日も会いたくなっちゃうな」
「なっちゃう!なっちゃうよね!オリヒメさん達すごいなぁ」

 そういう人がいるの?
 なんて聞けなかった。
 ただ、そういう人がいるんだ、と思っただけで。

「でもまぁ、一生会えないよりは、一回でもいいから会いたいなぁ」
「うん」
 頷いた光麗が、不意にクスクスと笑い出した。笑う理由が分からず、涼潤はきょとんとする。涼潤の様子に気付いた光麗は、申し訳なさそうに、けれどすぐににっこりと笑った。
「ごめんね。ちょっと、風さんが面白いこと教えてくれたから」
「面白いこと?」
「うん」
 返事のあともにこにことしている光麗から、話の続きを聞くことが出来ない。どうやら”内緒”の事のようだ。風の声が聞こえない涼潤には、話の内容を知る手立てはなかった。
「ずるいなぁ」
「えへへ」
 悪戯っこく笑う光麗に、涼潤もつられて笑うのだった。

 空には星、無数の願い。
 いつか叶うことを信じて、その日まで。

CrossTune

collapsed sweet

「チョコ、欲しい人ー??」
 やけに明るい声が部屋に響いた。各々作業をしていた二人は揃って顔を上げ、そしてきょとんと首を傾げた。あどけない笑顔でこちらを見ている人物の手には、両手持ちの鍋。
「チョ…コ…?」
 ひとまず浮かんだ疑問は、彼女の言葉と所持品との不一致。中身は見えないがどう見てもチョコレートの雰囲気ではない。眉を顰め、青年の方がまず口を開いた。
「ミユ、料理したのか」
 疑問というより詰問である。しかしミユと呼ばれた女性は動じることなく満面の笑みでウィンクをしてみせる。
「料理じゃなくてお菓子作り」
「もっと危険だと思う…」
 ぼそりと呟いたのはげんなりとした顔の少年。青年は無表情だったが、少年の方はすっかり顔が青ざめている。恐る恐る彼は立ち上がると、そっと鍋の中をのぞき込んだ。茶色い、液体。香りは確かにチョコレートである。
「え…っと、これで、完成形…?」
「完成にしようと思ったんだけど、これからどうしたらいいのか分からなくなっちゃって…、どうすればいいと思う?」
「それ聞く前に言って欲しかったです」
 間髪入れずに少年は息を吐いた。もぉ、と頬を膨らます彼女の顔は可愛らしいと形容できるが、容姿と中身は別問題である。鍋の中のドロドロのチョコレートは、次第に固まりつつある。
「あのさ、これってチョコ溶かしただけ?」
 鍋に手を伸ばしながら少年は問い掛けた。意外とすんなりと鍋は手渡され、少年の手元に移る。覗き込んでみた限りでは、チョコレート以外の物質は入っていないように、見える。
「そう、溶かしただけ。鍋にチョコ入れて火に掛けただけだから」
「あ、じゃあ焦げてるね」
「えっ、そんなぁ!」
 ミユの顔には悔しさと落胆とが浮かんでいる。少年にとっては苦笑しか出ないやり取りだがまぁ一応嫌いではない。満更でもないのだ、意外と。椅子に腰掛けたままの青年は何を思っているのか分からないが無表情のままこちらを見ている。安心している訳ではなかろう。
「どうにかしてみるから、待ってて」
 少年は鍋を少し持ち上げると、ミユに向かって笑って見せた。少しだけ彼女の表情が緩んだ。

「ごめんね、はーちゃん」
「別に」
 少年の姿がキッチンに消えた後で、ミユは小さく呟いた。
「二人に贈りたかっただけなの」
「分かってる」
 やがてキッチンからはチョコレートの甘い香りが漂ってくる。

 文字で当てはめるならぺたぺたではなかろうかという足音が聞こえる。聞こえると嬉しい反面、転ばないか不安になる足音。少年はすぐに振り返った。思った通りの小さい姿がそこにはあった。両手を背中に回して、にっこりと笑う。
「おにーちゃん、ぷれぜんと!」
 まっすぐに目を見上げて笑う少女に思わず少年の頬が緩むが、ふと考えて首を傾げる。今日は誕生日でもなければクリスマスでもないし、何か特別なことをした覚えもない。見に覚えがないプレゼントという単語に不思議そうに少女を見ていると、にこっと悪戯に笑い、少女は両手を目の前に出した。その手には綺麗な紙で包まれた何か。少年はますます首を傾げた。
「なーに?これ」
 少女の目線に合わせて身を屈め、優しい声で問いかけた。分かっていないという事を怒られるかもしれないと思ったが、どうやらそれは杞憂だったらしい。少女はサプライズの種明かしをするかのようにVサインをして見せた。
「あのねっ、きょう、ばれんたいんっていうひなんだって!おかーさんがいってたの。だいすきなひとにおかしをあげるひなんだって」
 嬉しそうに、楽しそうに、少女はそう言いながら少年の手に“プレゼント”を渡した。紙のくしゃりという音に混じって、がさっと中身が動く音がした。小さくて固い物が複数入っているような音で、重量はさほど感じない。少年の直感が正しければクッキーといったところだろう。少しだけ意外なサプライズを遅れてじわじわと実感した少年は、思わずにっこり笑って少女の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。少女はくすぐったそうに目をつむる。
「ありがと、これ俺が貰ってもいいの?」
「うんっ、だってだいすきなんだもんっ」
「そっか、ありがと。俺も大好きだよ」
 ぎゅうっと抱きしめると、まだ小さい少女はくすくすと嬉しそうに笑いだした。少年もつられて声を出して笑う。

「ところでこれ、じゅんが作ったの?」
 クッキーを口に運びながらふと素朴な疑問を浮かべた。少女が料理をしている光景は今のところまだ見たことがない。目を向けると、丁度少女もクッキーに手を伸ばしているところだった。
「んーん、おかーさんがつくってくれた!」
「あっ、…そっか」
 そりゃそうだよな、と思いつつ、それでも少年は嬉しそうに三枚目のクッキーを口に運んだ。

「さて、今日は何の日でしょう」
 やけににこやかな声が二人の耳に届いた。にっこりと笑った表情を見上げても、あぁまたかくらいにしか思わない程度の仲にはなっている。目線だけで何?と聞き返す少女に、興味深そうに見上げる少年。結局最初の少年に対する答えが出てこないまま、部屋はシーンとした。
「答えてくれてもいいじゃない」
「だって意図が分かんない」
「誕生日?」
「それだったら分からなくないでしょ」
 少しだけ苦笑を浮かべて少年は、そっとテーブルの上に丸い皿をおいた。盛り付けられているのはチョコレートケーキ。三人分には丁度良い大きさのワンホールだった。きょとんとしたまま、少女は彼を見上げた。
「………何?」
 心当たりがない。暦を思い返し、今日の日付を脳裏に書き出す。正確には心当たりが無くもないのだが彼からの問い掛けとしては少々違和感がある。
「もしかしてバレンタイン?」
 先に口を開いたのは座っていた方の少年だった。ケーキを映す目がキラキラと輝いている。テーブルの横に立ったままの少年は、にっこりと笑った。
「うん」
「男なのに?」
「そこ気にしなくても良いじゃない…。大事な人に贈らせてよ」
 少女の辛辣なつっこみに少年は苦笑し、困ったように頭を掻いた。2月14日、バレンタイン。大切な人にチョコレートを贈るというイベントだが、女性から男性に贈るのが一般的だと聞いていた。少女は怪訝そうに表情を顰めた。
「そういう趣味だったんだ…」
「ねぇ、もう少し素直に喜んでくれないかなぁ」
「俺は嬉しいよっ、ケーキ貰えるんでしょ?」
 少しだけ空気が重くなった残念なやり取りの後、少年の弾んだ声が響いて場の空気は緩んだ。まあ、そうだけど、と少女が呟く。何だかんだ言って甘いものが好きな二人である。サプライズのケーキが嫌な訳がない。
「よかったら、お茶にしようか」
「うんっ」
 昼下がりのティータイム。そう言えば三人がこの時間に揃うことはそう多くない。言葉に出さずとも、どうやらそれは三人に共通する感情だったらしい。一緒に過ごすだけで、こんなにも楽しい。

「あっ、あのさ」
 お茶を淹れようと踵を返した少年に向かって投げた少女の声は、思ったよりも大きくなっていた。びくっとした少年二人が少女を振り返る。途端、パタパタと少女は自分の部屋へと走っていってしまった。突然の行動に意味を理解できず顔を見合わせる二人の元に、思ったより早く戻ってきた少女は何かを力任せに押しつけた。二人がそれぞれ手元を見ると、それは小さな箱だった。一瞬だけ理解が遅れるが、思い付いた結論は会話の流れ上間違ってはいないと思われた。
「お、女の子が、男の子に贈る日だって、聞いてたから」
 真っ赤になった少女はすっかり顔を俯かせている。再度顔を見合わせた少年たちは打ち合わせすることなくにっこりと笑い、そして。
「……っ?!」
 声にならない声を上げて、少女は状況を理解できずに二人を見上げた。ぎゅっと、両側から抱き締められている。
「ありがとう。僕も大好きだよ」
「俺の方が好きだって!ありがとっ」
 少女の顔は真っ赤になったまま、完全に動作を停止させている。少年二人は、おかしそうに笑ったままその腕を離そうとはしなかった。

「好きなんて、言ってない」
 少女がようやく絞り出した言葉は、二人には通じない嘘だった。

CrossTune

Evening 7 7

 今日は多分、珍しい日だったのだと思う。
 同居人の二人の帰りが遅いというのは、朝方に聞いた事だった。一方は普段通りだが、珍しいのはもう一方。不思議に思い理由を訊ねると、地域のイベントに参加するだとか付き添いを頼まれただとか。困ったような、嬉しそうな表情を見て、涼はあぁと納得した。そういえば今日は年に一度の祭りがある日だ。存在は知っていたが日付の感覚が少々間違っていたらしい、まだ先の事だと思い、何の予定も組んでいなかった。
 聞き流すように頷いていて、そしてその表情がどうやら酷くつまらなさそうにしていると映ってしまったのだろうか。予定帰宅時刻が通常通りであるもう一人の同居人からメールが来たのは、昼休み時間の事だった。内容は軽い心配と、誘い。メールを開いた涼は、思わず溜息混じりに笑ってしまった。直接彼に原因は無いというのに、いちいち律儀だなぁと思わざるを得ない。しかし周囲に「楽しそう」と指摘されるくらいには、自分の表情は崩れていたらしい。OKの返事をし、そして待ち合わせ場所と時間を決める。送られてきた場所は既知の公園で、時間は18時半。

 待ち合わせ時間よりも少し早く到着してしまい、ぼんやりとベンチに座る。思えばこうやってゆっくりと空を見上げるのは久し振りのような気がする。まだ明るい空である。雲を見上げたまま、思わず身体を倒しそうになった。斜めに傾けたまま固定、不自然な格好で思わずメロディを呟きそうになる。恐らく数秒の時間が、不思議な事に数分の時間に感じる錯覚。
 不意に携帯が着信を告げた。急速に戻ってくる現実に非現実を感じる。それがなんだか無性に勿体無くて、目に入った同居人に対して理由のない八つ当たりをぶつけてしまう事になった。
「遊、何やってんの、おっそい!」
「ユウ君、こっち!」
 ぶつけてしまったのだが、その少しだけ棘の入った言葉はすぐ後ろから聞こえた柔らかい声に中和された。同時に発せられた言葉、そしてワンテンポだけ遅れて気付く言葉の一致に、涼は思わずきょとんとした。視線の先にいる同居人の姿はまだ少しだけ遠い。涼はほんの少しの興味で声の主へと振り返った。目が合った。穏和という言葉がよく似合いそうな青年は、にっこりと笑って会釈をしてきた。どうやら彼も一致した言葉に気付いていたようである。笑顔につられて涼も会釈を返した。
「ご、ごめん涼、待った…?」
 心配そうな声が背後から聞こえ、涼は振り返る。叫ばれて思わず走ったのだろう、少しだけ息を切らした遊は、不安そうにこちらの様子を伺っていた。何気なく見た携帯のディスプレイには18時半の文字。時間通りの到着に、彼を責める要因は何一つ無い。それに一瞬だけ発生した苛立ちは、偶然を共有したあの笑顔にすっかり掻き消されている。
「ううん、待ってない」
 でも謝るのは好きではないから。ついさっきの自分の発言は対しては言及しない事にした。矛盾する言葉に首を傾げられているが、細かいことは気にしないでいてくれる彼である。涼が立ち上がると遊は既に息を整えていて、出発の準備は整った。
 小さな出来事を、なんだか忘れる事がないような気がする。そう思っていたらどうやら感情は表情に出ていたらしく、「どうかした?」と声を掛けられた。それを涼は軽くかわしてくすくすと笑う。
「なんか、良いことありそうな気がするんだ」
 首を傾げたままの遊を置いて、涼は足取り軽く歩きだした。

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