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タグ: 麻宮晞沙

お題:電話

ジリジリと電話のベルが鳴った。
いつもと同じ音なのに、何故か切羽詰まっているように聞こえる。
そういう日の電話は大抵、そういう内容の電話だった。
「もしも…」
「椏夢くん?!ちょっとお願いがあるんだけど!」
椏夢の声を遮って、若い女の声が電話から鳴り響いた。
「晞沙さん…少し深呼吸しましょうか」
ゆっくりとした声で、椏夢はそう伝えた。

「また…ですか」
「またって言わないでよ…こっちだってワケ分かんなくて困ってるんだから」
「すみません」
コンクリートで固められた土間には所狭しと背の低い棚が並べられ、そこには沢山の駄菓子屋玩具が並べられている。
普段は子供たちで賑わうその空間に、今は年若い少女と青年だけが並んでいた。
少女の方は困ったような焦ったような、慌てたような顔。
青年の方は困ったような、笑っているような顔。
その様子がどうしても少女は気に入らなかったらしい。けれどそれもいつもの事なのだった。
伍柳椏夢。この駄菓子屋の店主である彼は、いつだってその表情を崩す事がない。
「渓汰君、今日はどの辺りで?」
「用水路の所…落ちてなければいいんだけど…」
泣きそうな声でそう伝える少女、晞沙は、学校帰りだったのか制服を着たまま、鞄も持ったままである。
二人の話題に上がる名前、渓汰とは、晞沙の弟だった。
所謂霊感体質というものを持つこの少年は、他の人には見えない姿を見掛けては、よくふらふらとどこかへ行ってしまうのだった。
連れ攫われている訳ではない事が救いではあるが、それがいつもそうとは限らない。
「用水路…。あの人の所かな」
椏夢は目を閉じて少し考えると、そう呟いた。
晞沙が椏夢を頼ってくるのにも理由がある。彼もまた、渓汰と同じく霊の姿を見る事ができるのだ。
「悪い人じゃないよ。ただ大分長いから、そろそろ行った方がいいかなって思ってた所だったんだ」
晞沙には、二人の見える世界が分からなかった。
「今から、来てくれる?」
「そうですね。お客さんも来てないし、大丈夫かな」
念の為に、と、店の周りの道路も確認し、駄菓子屋はいつもより少し早い時間に閉店した。

「渓汰ー?」
呼び掛ける声に返事はない。
椏夢と晞沙は、人通りの少ない道をゆっくり歩いていた。時間の割に陽はまだ少し高い位置にいる。
晞沙の話では、渓汰はこの道を晞沙と二人で歩いている時に、不意にいなくなってしまったのだという。
隠れられるような場所は少ない。
用水路に引きずり込まれて連れ去られちゃったんじゃ…そう泣きそうになりながら話す晞沙を宥めるのはもう何度目だったろうか。
歩いた先、椏夢は足を止めた。
そこは用水路の上を道路が走る、小さな橋となっている場所だった。
一点を見つめる椏夢の視線の先に、晞沙は何も見る事はできなかった。
「どうやら、あの方も少し困っているみたいです」
暫く黙っていた椏夢は、そう言って柔らかく笑った。
当然晞沙は首を傾げるばかりである。
橋の横まで歩いた椏夢は、ぐっと身を乗り出し橋の下を覗き込む。
前日に雨が降っていればそこは雨水で埋まっていただろうが、今日はそうではなかった。
「賑やかそうですね」
用水路の淵に器用に腰掛けた少年が、びっくりしたようにこちらを見ているのを見付けた。
「あ、あゆ兄~」
観念した声で青年の名を呼ぶと、少年、渓汰はしょんぼりと肩を竦めた。
けれどすぐにハッとして椏夢を見る。
「ねーちゃん、いる…?」
「いるよ」
椏夢の優しい声に、今度こそ本当に渓汰は肩を限界まで落とした。

細い用水路の淵を綱渡りのように歩いて橋の上へと上がってきた渓汰に、晞沙はまず一発げんこつを喰らわせた。
けれど彼が抱きかかえていた子猫を見付けると、黙り込み、そうしてもう一発げんこつを喰らわせたのだった。
痛がる少年とぷんと怒っている少女を置いて、椏夢は何も見えない空間へと向き合っていた。
「疑ってすみません。貴方は関係なかったんですね」
そう伝えると、椏夢はふわりと笑う。
様子に気付いた晞沙は恐る恐る彼に近付き、そして耳打ちする。
「あの、なんて」
「ここにいる方を渓汰君が見掛けて近付いてきたらしいんですが、その後用水路に落ちてしまっていたあの子猫を見付けたそうなんです。それで渓汰君、あんな所に」
上れなくなった子猫を見付けても幽霊では助ける事ができないから、嬉しかったそうです。そう椏夢は付け足した。
「じゃあ、連れ去られたわけじゃないんだ、よかった…」
そうほっと息を吐き、けれどすぐに少年へと振り返る。
「って、よくない。危ないでしょ、一人であんな所に行ったら!」
「だってかわいそうだったんだもん」
子猫を抱きかかえたまま、渓汰はそう言った。
渓汰の言葉に反応したのか、子猫はうなーんと上を見上げて鳴いた。

ふわりと。
唐突に光が飛んだ。
子猫がびっくりしたように短く鳴き、そしてすぐに腕を動かして光を捕まえようとする。
晞沙も渓汰も驚くが、すぐにその正体に気付いて表情を和らげた。
椏夢は相変わらず微笑みながら、その光を目で追っていた。
やがてふわふわと、数が増えていく。
「ホタル…こんな所にも出るんだ」
晞沙がそう呟くと、椏夢はゆっくり頷いた。
「このホタルを、見たかったそうなんです」
光を見つめながら椏夢はそう言った。
「毎年楽しみにしていたそうで、だからまだ消えたくなかった。だから長い事留まっていたんですね」
さわさわと風が流れ、草を揺らしていく。
「綺麗ですね」
それは、晞沙には見えない人物へと投げられた言葉だった。

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40分

憂き世の胡蝶