Press "Enter" to skip to content

タグ: 黒翔

お題:プレゼント

迷い無くまっすぐ歩みを進める路地裏。
久しぶりに顔を覗かせたというのに、そこにはよくもまぁ目ざとく見付けるものだと思わせる程の視線があった。
「ボスだ!」
「リーダー!」
「お兄ちゃん!」
「隊長久しぶり!」
見事にバラバラの言葉が全て自分に向けられている。そんな事にも慣れっこだった。
駆け寄ってきた子供たちは輝くような笑顔を惜しみなく溢れさせている。
と同時に、勢いを全く止める様子もなく次々と突撃してくる。
一人二人ならば気にもならないが、五人六人と続くと流石に足が揺らいだ。
「いい加減にしろお前らッ」
ぶつかる寸前の数人を両腕で押さえ、身を捩って数人を避ける。
派手な音を立ててひっくり返った子もいたようだが、どうやら悔しそうに笑っているので問題ないのだろう。
毎回恒例の少し乱暴な歓迎だ。
しかし時が経つにつれ力が強くなってくるなとぼんやりと感じた。
「ねーちゃんはいないの?」
腕を掴まれたままだった一人が見上げながらそう訊ねてきた。
掴んでいたはずが、いつの間にか体重を掛けてぶら下がるような体勢になっている。
手を離してやろうかどうしようか少しだけ考えて、やめることにした。
「そのうち来るんじゃね?いつもの事だし」
「一緒に来ればいいのにー」
「ばーか。誰がアイツと。つうか今どこにいるのかも知らねえよ」
「リーダー早く来ないかなぁ」
「ボスだって」
「隊長だろ!」
ついさっき掛けられた言葉が再び繰り返される。
だが今度はこれが、どれも自分に向けられてはいないという事も分かっていた。
続く言い合いに呆れ笑いが浮かんでしまう。
しばらく放っておいても盛り上がってはいるだろう。
不意に、とても低い位置から服の裾を引かれる事に気付いた。
何かと思い視線を向けてみると、周囲の子供たちよりも随分背丈の低い子供がこちらを見上げていた。
「どうした?」
子供は裾を掴んだまま、きょろきょろと辺りを見回す。そしてもう一度こちらを見上げた。
「ねこさんはいないの?」
遠慮がちな小さな声で、そう聞こえた。
数秒、それが何を指しているのかを考え、理解したと同時に苦笑いをせざるを得なかった。
「アイツはここには来ないな。知ってるだろ」
「でも…もうなかなおりしてもいいとおもうよ」
「お前くらいだよ、そう言うの」
低い位置の頭を軽く撫でてやり、溜息混じりに息を吐いた。
「ま、どっちにしろ、そんな呼び方してたら余計に出てこねえよ」
おそらくはまだ分かってもらえない注意を投げ掛け、手を離した。
案の定首を傾げる様子に、猫に懐く猫、なんて言葉を頭に過ぎらせた。

+++++
20分

CrossTune

お題:昔話

まるで手負いの獣みたいだね。
そう呟かれた言葉を、笑いながら否定する。
「みたいっつうか、そのものだろ」
目の前でぐったりと倒れながらも、一向に殺気の無くならぬ目。
澄んだ空色の瞳は「綺麗だ」と評することができそうだというのに、その印象が却って冷たい殺意を強調させている。
おそらくもう動けないであろう状態に見えるにも関わらず、目を逸らせばその一瞬で刈り取られそうだと思える目だった。
「どうすんの、そいつ」
答えは分かってるよ、と同時に聞こえてきそうな問い掛けが投げられる。
わざわざ聞くなよと言い掛けたのを飲み込み、息を吐き出す。
「どうするっつっても、置いとくワケにもいかねえだろ」
言葉には出さずに雰囲気だけで、「だよね」と返ってくる。
とは言え、相手は「近付くことは許さない」と言いたげに睨み付けてくる状態である。
「アイツが寝たら考えるよ」
ちらりと視線を送ると、鋭利な刃物が何本も迫ってくるような錯覚を覚えた。
それが彼の返事だということは、つい数日前に身をもって知っている。
危うく一歩足が下がる所だったのをすんでの所で止める。
「寝たら、ねえ」
ふんふんと頷きながら、どうにも腑に落ちないと言った雰囲気を漂わせている。
そう思った途端、隣の影がスタスタと歩きだし、一瞬で殺意の矛先がそちらへと向けられる。
「あ、おい」
止めようとした言葉は欠片も間に合わず、次の瞬間にはゴスッと鈍い音が辺りに響いていた。
ぽかんとすることしかできない。
ニカリと笑った顔がこちらを振り返ったと思うと、「手負いの獣」はむんずとその身体を持ち上げられていた。
「寝るまで待つなんて、悠長だねェ」
どうやら痛がる間もなく一瞬で気を失ったらしい。覗き込んで見た表情は、思いの外平穏なものだった。
目を覚ました時のことは、その時考えよう。

「っていうか」
隣の声が笑っているような、呆れているような、そんな言葉を発する。
担ぐ係はこちらに回ってきて、代わりに空いた両手をひらひらと顔の前で振られる。
「アンタもアンタで、よく生きてるよね」
「うっせえな」
視界を盛大に邪魔する手の平と包帯が、今は最高に鬱陶しかった。

+++++
30分

CrossTune

お題:バトル物その2

ドカンという衝撃音と同時にもうもうと立ち込める土煙に巻き込まれぬよう、影凜はそっとその場から数歩離れた。
とても面白くない、と不愉快を全面に出した表情は、見る人が見れば何が起きているのか一目瞭然だった。
土煙が収まるのを待たずに、次の動きが始まる。
キラリと一瞬光が走り、続いて影が飛び出す。その影を追ってもう一つの影が飛び出し、そして、
「ダリアてめえええ」
怒号が鳴り響く。
先に飛び出した影は身軽に数度跳ぶとストンと影凜の隣に着地した。
「何さ、折角久しぶりの再会なのにつれないねェ」
先に跳んだ影―――ダリアは、ケラケラと笑いながらそう言い放った。
その視線の先、土煙がようやく収まりつつある景色を背景に、額からたらりと流れる血を気にも留めずに黒翔は黒い笑みを浮かべて立っていた。
「再会の度に人のこと殺す気かッ」
「やっだなァ!アンタがこれ如きで死ぬなんて思ってないし、死ぬならその程度だったて事だし?」
「殺意満々じゃねえか!」
胸を張り満面の笑みで言い切ったダリアに対し、黒翔は血管が千切れそうになるまでギリギリと拳を握った。
土煙が収まった先、そこには車輪が四つ付いた車<グラン>が止まっている。つい今し方までダリアが乗っていた物だ。
車を猛スピードで走らせて駆け寄ってぶつかる事で止めようとするダリアの操縦の腕前は別に、悪い訳ではない。
だが正しい運転だとも言えない。
酷いじゃれつき方だと誰かが表現していたが、全くその通りで、その通り過ぎて全く納得が出来ないとぼやいていたのは黒翔だった。

+++++
25分

CrossTune

HUM A TUNE

 行きつけの楽器店の地下に備えられている少し狭いレコーディングスタジオ。良心的な値段で貸切る事が出来、思う存分演奏が出来る数少ない場所である。自前の楽器を持ち込む事も、店の――正確には店長の私物を借りる事も可能。これで利用者が殺到しないのは、恐らく店長の人柄の所為だろう。面倒見は良いが何事においても大雑把で適当。好かれやすいが嫌われやすい、と言ったところだろう。店に立ち寄るのは毎回のように店長と話し込む常連ばかりだった。
 スタジオに置かれたキーボードに手を乗せ、目を閉じて深呼吸。五拍の間の後に目を開いた峻は、誰も知らない、自らの脳内だけに存在しているメロディを奏で始めた。静かに、時に激しく。学生としてキャンパスに通っている時は決して誰にも見せていない表情。隠したい訳ではない、単にここが特別な場所なのだ。
 終息へ向かうメロディは次第にその速度を落とし、静かにアルペジオを重ねて終了した。数秒の空白の後、パチパチと乾いた音がスタジオに響く。怪訝そうに振り返った峻の目には、扉の枠に寄り掛かってこちらを見ているこの楽器屋の店長の姿が映った。ここでもう一度峻は眉を顰める。店長といえど、客がスタジオを使用している間は地下に降りてくる事、ましてやスタジオ内に入ってくるなど今まで一度も見た事が無かった。
「なんて曲?」
 峻の不信感を知ってか知らずか、店長はそう声を掛けてきた。
「…考えていない」
「譜面は?」
「無い」
 いかにも不機嫌、といった声で問い掛けに答える。しかし相手には全く詫びの表情など表れておらず、逆に興味深そうに笑みを浮かべるばかりだった。
「何か用があるのか?」
 店に戻ろうとする気配を見せない店長に、つい峻は尖った声を向けていた。仕方ない、自分の安息の時間を邪魔されてしまったのだから。峻の声に、店長は笑う事を止めた。数秒峻の様子をまじまじと観察し、そしてにやりと笑った。
「閉店時間」
「……え」
 集中していると時間を忘れる、それは峻がよく指摘される癖のようなものだった。邪魔になるからという理由で外していた腕時計に目をやると、時計の針はこの店の閉店時間をとっくに通り越していた。閉店時間が来たから店長が呼びに来たのではなく、閉店時間になっても帰る様子がないから呼びに来たのだと、この時になって漸く峻は気付いた。手早く荷物を片付け始める。
「悪い。すぐ出る」
「気にすんな、こっちは気にしちゃいねぇから」
 相変わらずアバウトな性格の持ち主である。定められた開店時間及び閉店時間は店の入り口にも記載されているが、それ通りに店が開かれる事も閉められる事も珍しい。閉店時間が遅くなる原因の多くは今日の峻のように利用客にあるのだが。
 荷物を纏め終え、スタジオを出ようとした時。ふと店長が口を開いた。
「なぁ、さっきの曲。譜面に起こしてくれねぇ?」
「…何故?」
「何故って…、気に入ったから。書いてくれりゃ今日の使用料、それで良いから」
 きょとんとした目で店長を見た。普段よりも少しだけ真面目に見える今の表情から察するに、どうやら冗談を言っているつもりはないらしい。正気だろうかと訝しむと同時に、少しだけ感じる正体の分からない高揚感。何度か瞬きを繰り返した後に、漸く峻は口を開く事が出来た。
「そんなもので良いのか」
「そんなものって思ってねぇから良いんだよ。んじゃ交渉成立」
 くすくすと声を上げながら笑う店長の表情は、心底嬉しそうだった。思わず峻も息を吐いて笑った。

「そうそう、」
 まだ笑ったままの店長は話題を切り替えた。もしかしたら彼は単に世間話をしに来ただけなのかもしれないと峻は思った。人付き合いは得意な方ではないが、嫌いという訳でもない。初めてこの店に訪れた時はバイト生にも関わらず客そっちのけでドラムを叩いていた彼を好ましいとは思えなかったが、店に通う内、会話を繰り返す内にどうやらすっかり慣れてしまったようである。呆れる事はあるが咎める事はない。バイト生だった彼はいつの間にか店長へと昇格していた。
「例の“歌姫”、拾われたらしいよ」
 途端に峻の表情が変わった。驚きと焦燥と少しだけの安堵が混ざった複雑な表情。変化を眺めていた店長はやはり楽しそうに笑ったままである。
「この間本人から連絡あって。ギターの出来る奴が拾ったらしいから安心しとけ?」
 からかうような笑みを向けられてもそれが彼の表情だから今更気にはしない。彼の話にはやたら比喩が多い事も以前よりは気にならなくなってきた。意味は凡そ見当が付く。
 歌姫―――、たまたま通り掛かった地下通路で下手くそなギターと共に歌声を奏でていた見知らぬ人物を称した呼び名。見当はあるかと店長に訊ねたのはかれこれ一月程前の事である。“歌姫”と名付けたのは店長だがいつの間にか峻もその呼び名を使うようになっていた。本名も素性も見知らぬ人物、他に呼びようが無かったのだ。しかし当然違和感はある、姫と称せるだけの歌声は持っているが対象は自分と同じ年頃の少年。
「そうか…」
 短い返事を溜息混じりに呟いた。気には掛けていたがそれだけだ。どうやらいつの間にか知り合っていたらしい店長にも、“歌姫”の詳細を聞いてはいない。跡を追うつもりも今後を模索するつもりも無い。ギターが出来る奴、の点にだけは心底安堵したが、それで充分。今だって何も思っていない、筈だ。峻の表情を観察していた店長は、ふっと小さく笑った。
「気になんねぇの?」
「何が?」
「一目惚れして気に掛けてた相手が見知らぬ奴に取られた、とか思うと思ったんだけど」
「それは無い」
 店長はニヤニヤとからかうように笑い、峻の返事に声を上げて笑った。「冗談だよ」と言うも、本人はそれを冗談だとは思っていないのだろう。以前真顔で「音を好きになるのは人を好きになるのと同じだから」と言っていた人物だから。“あいつに惚れた”という言葉は、彼にとっては“あいつの「音」に惚れた”という意味になる。一つ息を吐き、峻は荷物を持ち上げた。
「帰る?」
「あぁ」
「なんか用事ある?」
「あぁ」
 同じ言葉で二度返事をすると、なんだそっかと残念そうな声が返ってきた。首を傾げ、視線だけで理由を問い掛ける。峻の動作を理解したのか、店長は小さく笑った。
「今夜、例の二人と飲みに行くんだけど。予定無いならはっしーも誘おうかと思って」
「………。俺はまだ未成年だが」
「安心しろ、あいつらも未成年だ」
「それは安心出来ないだろう」
「酒は飲まねぇって事だよ」
 呆れたように見ると、呆れたような笑いが返された。酒好きを豪語する彼だから「飲み」と言われればアルコールを連想するのも無理はない。本当に大丈夫だろうかと、ほんの少しだけ気に掛けておく事にした。因みに、あだ名で呼ぶ事に許可を与えた覚えは無い。
「来たかった?」
 興味本位の目で、訊ねられる。
「いや、別に」
 首を振るが、表情は少しだけ笑っているという自覚はあった。ただの興味だが、“歌姫”と話をしてみたいと思わなかった訳ではない。どんな事を考えて音を奏でているのか、聞いてみたいとは思っていた。きっとその表情を察したのだろう。楽しそうに笑ったままの店長は、ぽんと峻の肩を叩いた。
「ま、次暇な時にでも。また誘うから」
「…あぁ」
 三度目の同じ返事。しかしそれは違いの分かりづらい、嬉しさの混じった声だった。

 地下のスタジオを後にし、店舗へと戻る。閉店後の店らしく照明は薄暗い。ガラス窓から見える外の景色は真っ暗闇だった。峻は一直線に出入り口である扉へと足を進めた。その後ろを店長が着いていく。この店長は出口まで客を見送る事はあっても「有り難うございました」とは言わない。自分に対してだけなのかと思っていたが、どうやら店に来る客全てに対してこの対応をしているらしい。きっと彼に商売人としての才能はゼロである。峻は扉を開けた。
「譜面、宜しく」
「分かった」
 双方の簡潔な二言で、店は閉店した。扉が閉まり、「Close」と書かれたプレートが減速しながら揺れる。本日の閉店時間は記載された閉店時間の約一時間半オーバー。プレートの動きが治まり、明かりの消えた店の奥に向かって峻は小さく吹き出して笑った。忘れないよう小さな声でメロディを呟きながら帰路を歩く。タイトルも歌詞もまだ何もない、けれど確かに自分の中に存在しているメロディライン。
 足取りが少しだけ、軽かった。

Jump into the Sideway

White world

一面の、白。

「すっげぇ…」
 思わず感嘆の声を漏らした迅夜は次の瞬間には相方の眠る布団の上へと飛び乗っていた。
「ね、サイ、雪!雪積もってる!」

 季節毎のなにかしらのイベントの度に人が集まってしまう事にはもう慣れている。呼んだ訳ではないしそう決めている訳でもない、ただの溜り場。だから莅黄は朝起きて外の景色を見た途端に、今日一日が騒々しい日になる事を悟ったのである。何か温かいものを用意しておいた方が良いだろうか、なんて思ってしまう程には彼らが遊びに来るのを期待している自分が居るのも、もう認めてしまっている。あぁでもどうせ暴れるんだろうな、だったらいっそ冷たいものでも用意した方が良いかもしれない。いやでもそれだと暴れない人達が気の毒だろうか。ぐるぐると考え込んでいた莅黄は自分の顔がいつの間にか綻んでいた事に気付かない。

「無理、勘弁」
「なんでですか?莅黄さんが美味しいもの用意して待ってて下さってますよ」
「確実性が無い」
「温かいですよ?」
「そこに行くまでと帰る時に冷える」
「…弱気ですねぇ、らしくない」
「不可抗力には逆らわねぇ主義だ」
「そうでしたっけ」
「大体異常気象を喜べる程の感性は持ってねぇよ」
「“稀少なモノ”、“特異なモノ”が大好きな方が何を言ってらっしゃるんですか」
「…分かったら一人で行ってこいっての」
「分かりませんので黒翔さんが行く気になって下さるまで行きません」
 常々思う、何故この笑顔に逆らえずに行動を共にしてしまうのだろう、と。溜息。似合わないのは百も承知だ、無理なものは無理。外の空気はまるで肌を刺すかのように凍り付いている。

 扉が開くと同時に鳴るベルに、莅黄は顔を上げた。最初に現われるのはどちらだろう、そう思ったのだが答えはそのどちらでもなかった。そして騒動の悪化を覚悟する。
「今日は非番で…。何か温かいものは貰えないか?」
 人を追い返す事の出来ない莅黄でも思わず「帰った方が良い」と言い掛け、しかしそれよりも先にまた、扉が開いた。二対の視線の先にはやはり二対の目、軽く見開いた後に楽しげに細められるのは片方。肩から髪から、もう降っていない筈の白い雪がぱらりと落ちる。
「あれ?うっちゃんも来てたのー?!」
 嬉々とした声に表情を陰らせたのは同席者三名。

「タイミングが悪かったな」
「申し訳ありません…」
「いや、店長が謝る事ではないだろう。どう考えても」
「………はい、…あ、いいえ」
 スローテンポなローテンション。カウンターテーブルの奥に入る莅黄と、どうせなら、と共に入っている役所の受付人。当然莅黄は彼が雑用の手伝いを名乗り出た時点でその提案を断ったのだが、彼曰く、“料理や掃除をしている方が連中の騒動に巻き込まれずに済む”。思わず納得して頷いてしまった莅黄は、役人や受付人と呼ばれながらも一応軍人という肩書きを持つ彼に布巾を握らせる事になってしまった。引き返せぬ今となっては、目前に広がる喧騒から回避する為には致し方が無い、そう思う事しか出来ない。

「だからっ、なんでいっつもいっつも!」
「それはこっちの台詞だっつってんだろうが、ここはお前らの溜まり場じゃねぇっての」
「店長の店はみんなのものでしょ、俺らが居て何が悪いの!」
「だったらこっちが居ても文句言うんじゃねぇよ」
「盗人の癖に!」
「だったら捕まえてみやがれこのガキ」
「……どっちもガキだろ」
「あら、貴方も喧嘩売っちゃうんですか?」
「………。…お前には売らない」
「つれないですねぇ」
 ぎゃんぎゃんと喚く二人の傍らで絶対零度の笑みが空気を凍らす。逆らわない方が良いとは思いつつ、これでも負けず嫌いな部分のある左翊である。結果面倒を引き起こす事になろうとも何もせずに黙っているのも癪で、思わず小さく溜息を吐いた。首を傾けて疑問符を浮かべるような顔をする彼の頭の中にきっと疑問符は存在していない。

 窓の外には静かに白の世界が広がっている。一年を通して比較的温暖な気候であるシャオク大陸に雪が降る事は、そう滅多にある事ではない。中央部に位置するアクマリカも沿岸部に比べ幾分か降雪し易いとは言え、それだけである。降るのは年に一度か二度、積もるのは数年に一度有るか無いか。その数年に一度がどうやら昨夜だったらしい。辺り一面を白に染め上げた雪雲は、次第に風に押し流されていく。太陽が存在を主張し始めると共に、屋根の上の白は地面へと滴り落ち始めていた。
 扉の前に立ったままだった迅夜は、ふと気付いたように口を尖らせた。狭い喫茶店内、視線をぐるりと回してカウンター席に腰掛ける三人とその奥の二人を見やる。
「っていうか何でみんな部屋ん中に居んの?勿体ないじゃん」
 指差す方向は窓の外。店に来る途中の道端でも既に雪を握り締めたり投げたり飛び込んだりと延々はしゃいでいた相方に、いつか言い出すだろうと分かっていた左翊は溜息を零す事しか出来ない。そしてその現場を見ていない四人からも、合わせたように溜息。
「十分騒いだろうが」
「だって積もるなんて滅多に無いよ?」
「だったら一人で行ってこい」
「僕とお役人様はやる事沢山ありますから…」
「どこまでもお子様ですねぇ」
「お前は犬か」
「何、みんなして猫側なの?」
「…、誰が猫だ」
 あからさまに不機嫌な声に、一瞬で空気が変わった。全ての犬猫がそうだという訳ではないだろうが、印象としては犬は外、猫は中。恐らく今の迅夜が本当に犬だったとしたら、千切れんばかりに勢い良く尻尾を振っているに違いない。迅夜の走り回り具合は犬というより寧ろ猪だったが。座ったままの黒翔は、立ったままの迅夜を見上げて睨み付けた。
「もしかして黒翔、寒いの苦手?」
 ニヤニヤと笑みを浮かべながらからかいの声。人の弱点を見つけた時の彼の表情は新しい玩具を見つけた子供のようで言ってしまえばタチが悪い。一瞬で顔色を変えた黒翔は思わず立ち上がり、その瞬間に内心で後悔した。感情を表に出さないよう、見下ろすように迅夜を睨み付ける。
「誰が苦手だって?」
「“黒翔”が、“寒い”のが苦手?だってそうじゃん、誰も外出ないし」
「ほーぉ、俺に苦手があると思ってんのか、上等だ表出ろ」
「苦手な癖に無理しちゃってー、大丈夫?」
「今この場で息の根止めてやろうかこのガキ」
「…黒翔さん、そんなお子様の挑発に乗る事なんて無いですよ?なんなら私が」
「お前は黙っててくれると助かる」
「あら、酷いですねぇ。先に貴方から始末しましょうか?」
「あの…店内で喧嘩はやめて下さい…」
「………これ以上やったらお前ら全員連行するぞ」
 手に鮮やかな赤の光を携える迅夜と、その胸倉を掴む黒翔。互いに己の武器を取り出す左翊と影凜。この光景に見慣れてしまった自分はどうすればいいのだろうかと莅黄は一度本気で役所の受付人に相談した事があった。残念ながら明確な回答はまだ得られていない。実際に喧嘩が行われた事は幸いにもまだ一度も無いのだが、いつか現実になるのではと気が気でない。彼らが本気で暴れたら店が一溜まりもない事くらい、莅黄の想像でも分かるのだ。
 チッと舌を鳴らし、黒翔はその手を離す。口喧嘩の後の行動に発展しないのは、黒翔の場合は莅黄の存在の所為だとも言える。“莅黄の言う事なら聞く”という程ではないが、彼はどうやらこの店の店長にはあまり逆らえないようである。お陰で大体の騒動は莅黄がストップを掛ける事で粗方治まる事が多い。但し動作限定、言い争いに関してはさほど効果はない。
「連行されたら困るって、こいつら俺らが捕まえるんだから」
「だったらさっさと捕まえて連れてこい」
「捕まるかバーカ」
「捕まえるし。報奨金貰うし」
 見上げるように睨み付ける、表情は余裕。因みに莅黄の提案で、この店内にいる間は何でも屋と盗賊の追い掛けっこは“一時休戦”扱いとなっている。役所非公認、受付人除く。左翊はカウンターテーブルに肘を着き、随分と前に出された珈琲の残りを飲み干した。すっかり冷め切っており冷えた身体は温まらないが、気を落ち着かせる為には十分である。ひとまずこの店から宿へと帰る方法を考える。何となく視線をぐるりと回し、そして彼は窓の外の光景に気付いた。暫し思考回路を巡らせ、室内に差し込む陽光から経過時間をぼんやりと考えて、納得。呆れたように相方へと視線を向けた。
「迅。雪、溶けてる」
「え、うっそぉ!?」
「あらあらぁ」
 相方の発言が耳に届くと同時に、迅夜は弾かれたように窓枠へと飛びついた。窓の外は白。しかし左翊の言うように、所々にもう地面が見えていた。無理もない、出された飲み物を啜りつつケーキを食し、延々と不毛な言い争いを繰り返している内に時間は昼を回っていたのだ。曇りならばいざ知らず、天候は晴天、気温は徐々に上がってきていた。
「うっそぉ…つまんねぇ、折角降ったのにさぁ」
「お前はもう十分遊んだだろ」
「足りないって、雪合戦してねぇもん」
「……人を巻き込むな」
 窓にぺったりと張り付いたまま、口を尖らせた迅夜は盛大に溜息を溢した。一連の様子を見ていた黒翔はふぅと息を吐く。
「残念だったな、遊べなくて」
「誰も出てくんないからじゃん」
 声を掛けられ迅夜はぐるんと首を回して後方を見る。角度の所為でもあるがその視線は黒翔を睨み付けているようでもある。黒翔は再度、呆れたように大袈裟に溜息を溢した。
「っとに、ガキ」
「寒いの嫌いな奴に言われたくない」
「ガキは寒い中延々と遊ぶんだろが」
「うっさい。…懐かしかったんだもん、騒ぎたくなるじゃん」
「…は?」
 不意に小さくなった声。黒翔が疑問符を浮かべるのとほぼ同時に、迅夜はハッとして窓の外へ視線を戻した。自分は今何も言っていないと、そういう雰囲気を醸し出して。窓ガラスに映る顔は情けなく口を尖らせている。本当に、どこの子供だろうか。いきなり会話を終了させられた黒翔は首を傾げるばかりだった。

「用が済んだなら帰るか?」
 堪らず左翊は立ち上がり、迅夜に声を掛ける。会話の強制終了の直後から店内はすっかり静まりかえっていた。平和とも取れるが慣れではない。少しの間唸り続けていた迅夜も、漸く振り返って笑顔で頷いた。ほんの少し前の彼の表情は既に影も形もなく、これだから彼の考えている事が読めないと思ってしまうのだ。
「ん、もういいや。雪溶けちゃったし」
 くるんと向きを変えた迅夜はカウンター席へと寄り、ポケットに突っ込んだままでくしゃくしゃになった紙幣をひらひらと莅黄の前へと落とした。釣り銭を用意しようと慌てた莅黄に対して、迅夜は手をひらひら振って笑う。
「いつも言ってんじゃん、お釣り要らないって」
「え、いえ、でも…」
「遠慮無く受け取っとくの、そういうのは」
 ニカッと笑った顔に、莅黄は申し訳なさそうに礼を言った。いつもの事だった。今この場にいる五人に、莅黄は釣り銭を渡した事がない。僅かな差ではあるが、回数が重なればそれなりの量となる。そしてそれは悲しくも有り難い収入源だった。
 立ち上がった左翊を連れ、迅夜は扉へと向かう。雪は止み、溶けている。しかしそれでも気温が低い事には変わりなく、冬はまだまだ終わらない。扉を開けた迅夜は外気の冷たさに身を震わせた。陽射しはあるものの澄み切った空気は尚更冷気に拍車を掛ける。寒がりな割に薄着が好きな迅夜に対して、左翊は呆れたように何度か上着を投げ付けた事があった。そういえば今日に限って投げ付けていないな、と今更左翊は思い出した。
「迅」
 丁度外へ一歩踏み出した迅夜に声を掛けたのは、先程から黙ったままだった黒翔だった。寒さに顔を顰めながら迅夜は動きを止め、「何?」と面倒臭そうに振り返った。言外に「早くしてよ」と言っている。黒翔を除いた全員が、訝しげな目で彼を見ていた。座ったままの黒翔は視線を迅夜に合わせると、仕方なさそうに…という上から目線で彼を見た。
「次、雪降ったら遊んでやるよ」
「……は?」
 表情はニヤニヤとしたからかいだ、しかしどうやら本気も含まれている。それに気付かない程バカじゃない、冷静に考えた迅夜はついさっきの自分が見せてしまった表情を思い出し、軽く後悔した直後に盛大に笑い飛ばした。
「寒いの嫌いな癖に。強がり」
「嫌いとは言ってねぇだろが」

 外に出て、宿に向かう途中。道の端々に残る白には沢山の小さな足跡が残されていた。街に住む子供たちはきっと、積もった雪というものを初めて見たのだろう。今は丁度昼食の時間帯だからか、動き回る姿は少ない。しかし子供たちが声を上げてはしゃぎ回っている光景は容易に想像が付く。迅夜の口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
「ねー、サイ」
 呼び掛けられ、左翊は足を止めずに視線だけ迅夜へと向けた。どこか楽しそうな彼の表情は、妙な企みや策略のない純粋な笑顔。この顔を見てしまうと、彼もまだまだ子供なんだと、そう思ってしまう。
「次雪降るの、いつだろ」
 思わず左翊は溜息を吐きたくなって、小さく笑った。

CrossTune