Encounter

07
「なんでいちいち雷落とすんだよ………」

 ぼそぼそと呟く声が聞こえる中、4人は足の進むままに森の中を歩いていた。目的地なんてモノはないし、今からやりたい事があるわけでもない。探したい人物はいるが、森中を駆け回る事が出来る風に問いかけた所、彼らにも見つける事は出来なかった。結局、また待つだけの状態へと戻ってしまったのだった。
 先頭を歩くのは涼潤、その横に光麗。その後ろに遊龍が続き、更にその後ろを竜神が歩いていた。2人は各々荷物を持っており、それは風で飛ばされてきたという麻布に包まれた、食料品などだった。
 いい加減ぼそぼそとした声が鬱陶しくなってきた遊龍は、溜め息混じりに後方を振り返る。が、視線は鋭く睨んだ青紫とぶつかったため、何も言わずにまた前方へと向き直った。正直な所、遊龍自身は大して彼の呟きを気にはしていなかった。ただ、前方を歩く少女の機嫌に関わるのではないかという点だけが気がかりだった。
 落雷によって目を覚まさざるを得なかった竜神は、安眠妨害で機嫌を損ねていた。しかし涼潤の言い分はと言うと、

『あたしが話してた事、全然聞いてなかったアンタが悪い』

 発言主が遊龍であったら反論したであろう台詞も、涼潤の放ったものであれば口を出す事はできない。ましてや、自分以上に機嫌を損ねているであろう事は明白だったのだから。とは言ったものの、奥底では納得できていないのだろう。結局それは、涼潤へと聞こえない部分でのぼやきとなって表面へと現れていた。別名、遊龍への(分かりづらい)八つ当たり。

「お前、結構根に持つタイプなんだな………」

 軽く振り返ると、彼に聞こえるか聞こえないか程度の声で遊龍は言った。無論、呆れ声で。そしてその声は聞こえたのだろう、言葉にこそしなかったものの、彼の青紫はきつく遊龍を睨み付けた。はぁ、と溜め息。
 一方の涼潤はと言うと、竜神の機嫌にも気付いていたし、遊龍の困惑にも気付いていた。それに全くの反応を示さないのは、ただ単に自分が疲れていたから。気付かれぬよう気丈に振る舞ってはいるものの、時折霞む視界が自身の体力喪失を顕著に表していた。焦りもあるんだろうな、涼潤は酷く冷静に、そう思った。

 彼らの進む先の景色には何の変化もなく、行けども行けども木々の乱立だった。時々開けた場所に出るとそこは泉だったり、何もなかったり。不思議な森は永遠に続いているのではないかと錯覚させる程に、長く続いた。もちろん、森が広大である事は知っている。半日歩いた程度で全てを回りきれるとは思っていないが、歩き慣れていない彼らにとっては長い道程であった。
 森は大陸の端に位置している。なので歩いていればいずれは海に出る。もしこのまま何もないのであれば、海岸に辿り着くまで歩いてみよう、と先程休んだ時に提案したのは遊龍だった。





「そろそろ疲れないかー?」

 最初に声を上げたのは遊龍で。次いで光麗も頷く。陽はやがて沈む位置、赤は紫へ、紫は宵の色へと移り変わる。すっと流れるように飛んでいく鳥は夜の色、空に紛れた夜色も寝床へと帰る途中なのだろう。静かな風は、昼間の暑さよりも夜の匂いを運んだ。最後に休憩した時から、もう大分経った頃だろう。
 ぺたりと座り込んだ光麗は、ふぅと空を見上げた。歩いている時は気付かないが、立ち止まった途端に疲労が押し寄せてくる。思わず座り込むと、すっかり重くなった身体がストンと落ちた。彼女の様子を見た涼潤も、そうね、と頷き歩みを止めた。歩きながらの会話は殆ど無く、動きを止めた彼らが急に賑やかになったと感じた。

 森の中。乾いた木々を集めるのは容易い事だったし、遊龍がいるお陰で火をおこす事も楽に行えた。それほど大きくない焚き火が出来るのはあっという間の事だった。猛獣がいるわけでもない、焼かねば食べられない食料があるわけでもない。寒さをしのぐわけでもないが、自然と彼らは火を囲んで円となった。パチパチと揺れる、灯火。
 次第に周囲は暗くなり、表情は赤に照らされるのみ。頼りなく揺れる影は、しかし消える事はないように見える。誰も何も話さず、辺りの音は風とパチリと燃える木の音だけ。

「ねえ、みんなさ。森に来るまでどんなことしてたの?」

 静寂を打ち破ったのは光麗だった。3人の視線が一斉に光麗へと向く。涼潤は目をぱちくりとさせて。視線を向けられた光麗は、変だったかなぁ…と小さく呟いた。

「どうして?」

 至極当然のように、涼潤は尋ねた。咎める口調ではなく、純粋な疑問として。首を傾げる涼潤の隣で、竜神は溜息をつき遊龍もまた息をつく。光麗はうーん、と少し考えてから顔を上げた。

「だってさ、みんなの事知りたいし………。遊とだってそういう話した事ないし」
「別に話すよーな事じゃねーだろ」

 まるで何かを思い出すかのようにゆっくりと話す光麗に、呆れて遊龍は口を挟む。別に悪い事だとは思わないが、話したいと思うわけでもない。何してた、と聞かれても、普通に生活していた、としか言いようがないところもある。パチリと音が鳴り火の粉が飛んだ。光麗は微かに口を尖らせていた。

「ホント、光は変わってるよね」

 光麗と遊龍のやり取りを見ていた涼潤は、少しだけ笑みを浮かべてそう言った。大きくはない声も、他に音のない森の中では大きく聞こえた。一筋の風が火の粉を一握連れ去った。

「昔の事、あまり思い出したくないって言ってたのに」

 どこか遠くへと語りかけるように吐き出された言葉に、光麗は一瞬それが自分へ向けられていると気付かなかった。僅かに間を空けて、小さく頷く。

「うん。確かに嫌だけど………うーんと…」

 首を傾げて、まるで誰かに問いかけるように光麗はそう言った。答えは出なかったけれど。考え無しで喋るな、とは遊龍の言葉。けれどすぐに、遊だってそうじゃんと返される。あー、とあらぬ方を向いて押し黙る遊龍を置いておいて、涼潤はふっと笑った。変な子、と小さく呟く。それは誰にも聞こえてはいない。

「そうねぇ…。森に来る前、っていうか両親が殺される前、か。楽しく暮らしてたわ。家族と」

 遊龍と光麗は慌てて外れていた視線を涼潤へと向ける。記憶を辿るように笑みを浮かべつつ、しかし涼潤の表情はどこか憂いを帯びていた。小さく口が動いたような気がしたが、それは音とはならなかった。続く言葉はなく、光麗も黙ってしまう。遊龍が何か言おうとした時には、涼潤はその表情を一変させた。

「やぁね、光が聞きたいって言うから話したのに。………ごめんね」

 大きく笑ってそう言って。でも後半は自嘲気味で。光麗は慌てて両手を振った。

「ううん、そんな事ない。…こっちこそ、ごめんね」

 ひゅうと風が音を立てる。辺りはすっかり闇。互いの表情はぼんやりとしか分からないが、それでも笑みを浮かべているのは涼潤だけだった。4人の距離はそう遠くない。焚き火を囲んだ彼らの距離は、手を伸ばせば向かい側に座るものに届く程度。それでも小さな声はパチリという炎の音に消される。遊龍は乾いた木の枝を火の中へと放り込んだ。

「そのあと、かな」

 大分の間を空けて、再度口を開いたのは涼潤だった。炎を見つめていた遊龍はゆっくりした動作で涼潤へと視線を向ける。すると彼女と目が合った。ほんの少し、それを逸らす。

「両親殺されてからは、必死に蒼い髪の男を捜してた。1回見つけたんだけどね、また逃げられちゃった」

 彼女の表情が明るいから、調子が狂う。遊龍はほんの少しの困惑と、それと同居するほんの少しの好奇心との狭間で揺れた。深く聞いて良いのかいけないのか、分からなかった。結局口はまた開けないまま。見かねた涼潤が肩を竦めて自身の話を切り上げた。

「遊は?何かしてたの?」

 表情には謝罪が含まれていた。上手く話せない事に対する謝罪。申し訳なさそうに笑う涼潤に、遊龍は「平気だ」、と笑う事しかできなかった。
 視線が遊龍に向いた事で光麗もほっとしたのか、彼女の表情からも困惑が消えていた。竜神の表情はよく分からない。というか聞いているのか寝ているのかが曖昧である。

「オレも別に変な事は………あ」

 不自然に切れた言葉に、両隣の涼潤と光麗は首を傾げる。反応のない、正面に座る竜神はやはり寝ているという事にしておく。遊龍は視線を焚き火へと移して続きを話す。

「ここに来る前にスイワの人と会って。それで毎日山に通ってた時期があった」
「すいわ?」
「ロザートより北の方にある街………というか集落ね」

 光麗の疑問に涼潤が説明を加える。遊龍は視線を少しだけ上げ、パチリと飛ぶ火の粉を眺めたあと再び視線を戻す。涼潤は続きを促すように視線を向けた。

「それでどーってワケでもないけど、3ヶ月くらい?山に通っててさ。ロザートしか知らなかったから新鮮だったなーと」

 それだけ、と付け加えて勢いよく話を締めた。何が言いたかったのかはとりあえず自分でも分かっていない。光麗が首を傾げたままでいるところを見ると、遊龍がどうこうと言うよりもスイワがなんなのかよく分かっていないのだろう。

「スイワはね、山の中にあるような集落なの。殆ど山で。あんまり他の街の人たちは行かないんだけどね。ちょっと意外」

 光麗へ向けて補足をしていた涼潤の言葉の後半は、遊龍へと向けられている。彼女の言葉を聞いて少しは理解したと見られる光麗も頷いている。意外ー、と復唱される。あのなぁ、と呆れたように溜め息を零して遊龍はやっと視線を上げた。上げた時に竜神と目が合い、そして勢いよく同時に双方目を逸らした。起きてたのかよ、と遊龍は胸中で叫ぶ。

「そういえばさ」

 思い付いたように光麗が声を上げる。ピコーンとランプでも点灯しそうな勢いで。案の定3人の視線が一斉に彼女へと向けられた。2回目の今度は光麗も驚きはしなかった。

「涼ちゃんと竜くんって、いつから一緒にいるの?」

 ずっと気になってたんだ、と呟く光麗の横で遊龍が青ざめる。彼もその事について聞こうと思っていたまさにそのタイミングで、竜神が起きている事に気付いたからだった。できれば彼のいない所でこっそりと聞きたかった。そう思っていたのだが先を越された。仕方がないので表情が不自然でないように話に耳を傾けた。

「(まさか恋人同士とかじゃねーよな、っていうかこの際それ以外ならなんでも良い………いや待て、姉弟…んなまさか。………兄妹?なワケねーよな)」

 考えられる偏った可能性を全て否定しながら、遊龍は視線を涼潤へと向ける。話題を振られた当の本人は、苦笑いを浮かべながら返答に困っているようだった。右手を顎に当て考え込んでいる。

「うーん、なんだろ。なんて言えばいいのかなぁ。ねえ、竜」
「はぁ?」

 突然話を振られた竜神は半分沈んでいた意識を引き戻す。どこまでちゃんと話を聞いていたかは定かではないが、大方の流れは掴んでいるらしい。不機嫌な声で一言、

「知らね」

とだけ言うと残りの判断を涼潤へと委ねた。だよねぇと涼潤が肩を竦めるが、遊龍の脳内では疑問符が増殖していた。

「あたしが10歳くらいの時に近くの村に行って、そしたら竜に会って。それで知り合ったって感じだから………幼馴染み?」
「(曖昧すぎる!)」

 思わず胸中で突っ込みを入れた遊龍だったがそれ以外は言葉に出ない。そこまで深く考える必要があるのか無いのか、今の遊龍には判断できなかった。涼潤は視界にポカンとした表情の遊龍が入ったが、敢えて無視してみる事にした。
 と、ちょうどその時に、ポンと光麗が手を打った。その表情は新発見をしたかのような満面の笑み。

「もしかして2人は付き合ってるとか!」
「「「!!!!!!!!!!!!!!!!」」」

 今までにない勢いで3人の視線は光麗へと集中し、そして3人は共にギョッとした表情を浮かべている。発言主を除いて言葉を失ってしまったその場に、光麗がキョトンとした顔で首を傾げる。

「なんか変なこと言ったっけ…?」

 3人が無言で強く頷く様に、尚更光麗は首を傾げた。ううん…と考え込んではいたが、代わる言葉は見つからないようで、そのまま黙り込んでしまった。場の収集は残された3人に任される。あまりの直球さに、遊龍はもはや呆然としていた。


 ぷっ、と。しばらくの間の後に小さく吹き出した。
 遊龍が怪訝そうに視線を送った先で、涼潤は膝に顔を埋めていた。その肩は僅かに震えていて。

「っっあっっはははははははっっ」

 埋めていた顔を上げると涼潤は、お腹を抱えるように大きく笑っていた。思わず遊龍も、そして光麗も目をぱちくりとさせる。けれど聞こえてきた声は彼女のものだけではなくて。

「っっくっ」

 思い切り押し殺しているのは分かるのだがそれでも漏れ聞こえる声は間違いなく竜神のもので。顔は下に向けているから表情は分からないのだが、震える肩を見ればそれはもう大きく笑っているのだろうと推測できた。思わず遊龍はギョッとする。

「(こいつも笑うんだ………)」

 どんな言葉を掛けるべきなのか皆目見当も付かず、ともかくその場が治まるまで、遊龍と光麗は黙ったまま過ごした。それはしばらく続き、治まったと思えば思い出し笑いなのか、再び笑いの波がやってくる。そうして次第に笑い声が小さくなるのを聞きながら、長すぎ、と遊龍は胸中で呟いた。

「もう、さ。光、あんた面白すぎ」

 少しは落ち着きを取り戻したのか、涙を拭いながら涼潤は光麗に声を掛ける。まだキョトンとした光麗は、目をパチパチさせていた。竜神は完璧に顔を伏せていて、その肩はまだ小刻みに震えていた。まるで深呼吸のように息をついて、涼潤はゆっくりと話した。

「さっき言った通り、10歳くらいの時に知り合って、その後竜が動けなくなっちゃったから、あたしが面倒見てたの。それだけ」

 ウィンクでもしそうな調子でこう言い切ると、涼潤はまたクスリと笑った。そしてそこで、遊龍もつられて吹き出してしまった。あまりの爆笑っぷりに、全部どうでも良くなってしまったかのようで。気が晴れてしまった。


「星、きれい」

 いつの間にか空を見上げていた光麗がそう呟く。つい今し方の騒動の原因という点をすっかり忘れきっているようで。騒々しかった森の一角に、また静寂に似た穏やかさが戻ってきた。
 遊龍と涼潤も顔を上げる。紺碧の空には無数に散りばめられた星屑達。白い屑星が赤や黄色に瞬いた。ざわりと揺れる木々が一部を隠し、また戻る。

「あ、流れ星」

 一瞬で消えた一筋に、光麗は歓喜の声を上げる。一体何をするためにここに来たんだか。遊龍はそう思ったが口には出さなかった。一瞬光る筋に声を上げそうになったのは、彼女だけではない。まるでキャンプだ。テントはないけれど。

「(………無事で、いられますように)」

 言葉には出さずに、涼潤は流星に向かって祈った。笑みから遠ざかった静かな表情は、空を見上げた2人には見つからなかった。
 限界だったのか、ごろりと横になった竜神は焚き火に背を向け、そしてそのまま眠り込んでしまったようだった。その様子を見て涼潤も、言う。

「もう寝よっか」
「そうだね」

 光麗もこくりと頷いた。
 遊龍が右手をぎゅっと握ると、あっという間に焚き火は消える。直後、辺りは闇と静寂に包まれた。
 辺りを照らすものは、僅かな星明かりのみとなった。