「みえないかげ」
大和カンナは扉の前で少し困っていた。後輩の忘れ物を届けようと部屋までやってきたのはいいが、肝心の部屋の主はどうやら不在のようだった。
まあ、いる事の方が少ないよね。
半分以上予想していた結果に少しだけ笑い、そしてどうしたものかと考える。
先日部屋に遊びに来た後輩は、どういうわけかゲーム機の充電器を忘れていったのだった。おそらく無いと困るであろう物ではあるが、待っていても彼が取りに来る様子がない。そうして届けてみようと思えばこの有様である。
カンナの部屋によく遊びに来る後輩、禄風瑠璃は、同じかそれ以上に先輩である斉藤空の部屋に入り浸っていると聞いていた。
ちょっとだけ覗いてみようかな…ゲームしてるんだったら使うかもしれないし。
そう思って、ゆるゆると足を向け歩き出した。
夜の寮内は静かで、時折談話室の方から聞こえてくる笑い声が響いている。
薄暗い廊下。翳る月明かり。そうこうするうちに、ぼんやりとした思考がじんわりと近寄ってきた。
カンナは瑠璃と空の二人に対して、正体の分からない漠然とした不安を持っていた。
へらりとした瑠璃も、他人に興味を持たない空も、方向性は違えど何を考えているのかが分からない。
分からないと思うたび、単純な思考回路は安直に死を連想させていた。
戦場という生と死の境目をかいくぐって生きている自分にとって、死にたくないと思っている自分にとって、不安とは「死」そのものだった。おそらくその所為だろうと思っていた。
死んでほしくないな。
脳裏に浮かんだ言葉はあまりにも陳腐なものだった。
死んで欲しい人間なんていないというのに。皆が戦場に赴くこの学校で、死なない保証がある人などいないというのに。
ただなんとなく、戦場とは違う場所にある陰が、二人のすぐ近くにはあるような気がしていた。
足を止める。
止めて、溜息を吐きだした。扉の向こうは斉藤空の部屋である。
扉の隙間から暗い廊下に向けて明かりが細長く漏れており、しかし室内からは何の音も聞こえず入る事を戸惑う。
何か真剣な話をしていたら申し訳ないな、でも渡したらすぐに帰るしな。
そうやって自分を宥めてから、ようやっと扉をノックした。コンコン
―――コンコン
――――――コンコン
2回ノックを3セット。
しかし部屋の主が出てくる様子も、返事すらもない。
一瞬だけ、心臓に良くない光景を想像する。次に想像したのは逆に何もない部屋だった。
「いやいやいや、さすがにそれは…ないよね」
自らの想像に首を振り、苦笑いを浮かべて息を吐く。最近、なんでも悪い方向に考えすぎだ。暗い廊下に突っ立っているという今の状況も良くないのかもしれなかった。これを渡したらすぐに帰ろう。帰って寝よう。それがいい。
…あぁだから、ドア開けてくれないかなぁ。
どこか縋るような気持ちで扉を見ていたが、閉ざされた扉はまるで動く気配がなかった。
ひとしきり唸った後、うん、と一人頷く。
「ちょっとだけお邪魔しますね…」
誰に言っているのかも分からない呟きを残し、カンナはそっとドアノブに手を掛けた。
ガチャリ。扉が開く。
…開くって、なんで鍵掛けてないんですか先輩。勝手に扉を開けながら思う事でもないが、カンナは胸中で呟いた。
薄暗さに慣れた目に室内の光は少し眩しかったが、眩むほどの強さでもない。
そうして扉の隙間から部屋を覗いてみると、部屋の広さには不釣り合いなコタツが中央を陣取っているのが見え、そして
「…風邪ひきますよ……」
コタツに入ったまま、そしてゲーム機を両手に持ったまま撃沈している後輩と先輩の姿が目に入ったのだった。
起こして布団に入れるか、部屋に帰らせるか、それとも見なかった事にして立ち去るか。再びカンナは迷う事となった。
漠然とした不安が、寝落ちしている二人に気付ける能力だったらなんて平和なんだろう。
そんなことを思いながら、カンナは肩を竦めて笑った。