「守るべきもの」
探していた人物の後ろ姿を見付け、カンナは足を止めた。相手もこちらに気付いたのか、歩みを止める。
「龍人隊長」
低く呟き、ギリ、と、長刀を握る手に力を込めた。
名を呼ばれた龍人が振り返り、視線がカンナの視線とぶつかる。
ちらと長刀に目を向けた龍人の表情が曇ったように見えた。
「…なんのつもりだ?」
「それは…こっちの台詞です」
一瞬で警戒心を露わにする龍人に、カンナの声は僅かに震える。けれど後に退くつもりはなかった。
「俺達を、黒を裏切るつもりなんですか」
龍人の表情が変わる。
おそらくそこに浮かんでいたのは"疑問"だったが、カンナは気付いていなかった。
「俺達の黒を、壊すつもりなんですか」
「…何言ってんだ、オレは…戦争をやめさせたいだけだ。こんな、黒だの白だのの戦いなんて」
「氷上先輩が守ろうとした黒軍を壊すつもりなんですか!」
知らず、叫んでいた。
ずっと溜め込んでいた思いが、爆発したようだった。
龍人の表情が歪む。
「…氷上先輩が命を賭けて守ったものを、龍人隊長は、守ろうとは思わないんですか」
目の前で、手を伸ばせば届いたかもしれない場所で散った氷上涼平の姿は、今でもまだ瞼に焼き付いていた。
それが、今のカンナの戦う理由だった。
彼が守ろうとした黒軍を、何が何でも守り抜く。
例えそれを崩そうとするのが、同じ黒軍の仲間であったとしても。
「あいつが守ろうとしたのはこんなんじゃねえ…」
「言ったんですか、氷上先輩が。賢人司令や、三弦先輩が間違っていると」
「…お前…誰に聞いたんだ」
カンナの言葉に、龍人の目が焦りに変わっていた。
答えるつもりはなかった。
黒を裏切る者は、許したくなかった。
「俺は、氷上先輩の意思を…黒軍を、守る」
「おい大和!少し落ち着け!」
龍人の声が聞こえても、言葉は耳に入ってこなかった。
長刀をもう一度強く握り直すと、カンナは勢いを付けて駆け出した。
諦めたのか、覚悟を決めたのか。
目を逸らさず向き合った龍人に刃を振り上げた。
勢いよく振り下ろした剣先は龍人に僅かに届かず空を切る。
大人しくやられる気は、ないらしい。
軽い跳躍でかわした龍人の回し蹴りが即座に飛んでくる。
力では敵わないのは分かりきっている事。武器を落とせばこちらの負け。
すんでの所を退いて避け、二撃、三撃と繰り出される蹴りをギリギリの所で避ける。
普段の自分ではできない技を、無意識下で行っていた。
龍人の焦る顔が見えた。色眼鏡を通さない世界で、それはとても鮮明に映っていて。
着地した龍人にできた一瞬の隙が、時間が止まったかのように見えた。
きっといつも通り叫んでいた。けれどその声は自分自身にすら届いていなかった。
肉を裂く感触。
噴き出す血飛沫。
低い位置を薙ぎ払った刃は龍人の脛を切り裂いていた。
バランスを崩し倒れ込んだ龍人から低い呻き声が聞こえる。
立ち上がろうともがく姿を見下ろし、カンナは刃をギリと構える。
「…龍人隊長、今まで、ありがとうございました」
俯せに倒れ込み、腕の力だけで起き上がろうとする様子を見るに、もう足は使えないだろうと思った。
このまま置いていても、きっと彼は足の力で戦う事はできない。
けれど、きっと。彼が生きていたら、決めた道を迷うと思った。
「俺は、黒軍の為に戦います」
振り返った龍人の紅い眼が、怒りなのか、恐怖なのか、絶望なのか、カンナには分からない感情で揺れていた。
その背に、深く刃を突き刺した。
血溜まりの中動かなくなった龍人の傍らに、どさりと膝を着く。
決して手放さないようにとがむしゃらになっていた長刀も、ガチャンと足下に転がった。
何の音も聞こえなくなった世界に、ぽたりと雫が落ちる。
泣いていた。
声は少しも出なかったが、ぼろぼろと溢れ出てくる涙は止まらず、血の海に混ざっていく。
守りたいものを、守ったのに。
どうして苦しいのかが分からなかった。分からないと、思いたかった。
「俺は、黒軍の為に戦う。だから」
裏切る者は許さない。
例えそれが、共に戦った、慕った、仲間であっても。