Encounter

10
「情けない」

 ぼそり、と。呆れたような、怒りが混じっているような。若干判断のし難い声が聞こえ、遊龍と竜神はビクリと肩を震わせると同時に顔を上げた。予想を裏切らずそこに立つ人物を見つけると、そのまま動きは停止する。仲が良いとは言えない2人だが、今のこの動きは見事に一致していた。

「「涼………」」

 呟くように、目の前に立つ少女の名を呼ぶ。つかつかと歩いてくる少女は彼らの目の前までやってくると、両手を腰に当て2人を見下ろした。

「よ、よくこの場所が分かったな」
「……情けない。そんな怪我して、戻るに戻れなくて、挙げ句あたし1人にそんなに怯えて………。男としてどうなの?」

 竜神の言葉を綺麗に一蹴し、涼潤はつらつらと言葉を並べた。視線は竜神に向いているのだが、遊龍にももちろんぐさりと刺さる。いやでも涼潤の雷には怯えざるを得ないと思うぞと、心の奥底の奥でこっそり遊龍は呟いた。
 黙り込む竜神の様子を見て、涼潤は溜め息を零す。

「とにかく、その怪我は面倒ね。次いつMistyが来るか分からないのに。早く治さないと」

 それでも竜神は黙っていた。何も話したくはなかった。
 例えあの青年がMistyではないと信じたとしても、負けたことに変わりはない。付け焼き刃のような自分の実力を認めたくなくて、自分は強いと信じ込んで。“あの時”のような悔しい思いはもうしたくないと、強く思って。それなのに、また悔しがっている自分がいる。その事が無性に腹立たしかったから、彼女に対して何も言うことが出来なかった。
 拳を強く握り締める竜神を見て、視線を逸らして。遊龍も言葉を掛けられず、黙り込んでいた。が、次に飛んできた一言で彼らは目を見開くこととなる。

「ホント、情けないな。女の子1人にそんなに怯えて」

 聞こえたのは男の声で、ついさっきまで聞いていた声で。2人が同時に顔を上げると、視界に入ったのは紫。出で立ちは先程と何も変わらず、煙の揺れる煙草も咥えたままだった。霧氷は両腕を組むと、竜神を見据えてニッと笑った。

「てめえまた…っ」
「彼はここを教えてくれたの。あんたがボロボロになってるから、早く迎えに行った方が良いって。少しは感謝しなさい?」

 飛びかかろうとした竜神は、中途半端な位置で言葉を句切る。隣に座っていた涼潤の拳が彼の鳩尾に入ったのは気のせいだろうか。出来れば気のせいだと思いたい、と遊龍は目を軽く逸らした。霧氷は歩み寄ると、腰を屈めて竜神を見下ろす。

「そーだ、感謝しろ」
「てめえが言ってんじゃねえ…!いい加減に」
「あ、2人共いたぁ!」

 竜神が再度声を上げたが、その声はその場には非常に似合わない程ののんびりした声によって遮られる。遅れてやってきた光麗は、遊龍と竜神の姿を認めると嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「良かったぁ」

 にっこりと笑う光麗の姿に、涼潤と霧氷は苦笑し、竜神はその怒りのボルテージを急降下させたのだった。



***

「別に案内するつもりはなかったんだけどな」

 そう笑いながらいう霧氷に、遊龍は相槌を打つ。
 竜神が大人しく涼潤の治療を受けている間、遊龍は霧氷の傍にいた。元々、“強い人”という者に対する憧れが強いのだ。話を聞ける機会を得られるのであれば、どんな人にでも話を聞きたいと思う。それが遊龍だった。正直、竜神に怪我を負わせた本人、という部分では複雑な心境もあるのだが、そこを差し引いても彼に聞きたいことは沢山あった。
 遊龍が先を促すと、霧氷は笑いを苦笑いに変えて答える。

「道忘れて適当に歩いてたら落雷だろ。近付いてみたらあの子たちが居たってワケだ。折角だからお前らのこと教えてやって、ここまで戻ってきてしまった、と」
「道忘れたって…。よく戻って来れましたね」
「少し残ってた霧の気配辿ってきたんだよ。あとは勘だ」

 霧氷は、それが偉いことかのようにきっぱり言い切った。
 遊龍の中には、警戒心はなかった。霧氷は好戦的な性格はしているが、話していて嫌な感じは受けないし、危険も感じない。経験不足と言われればそれまでだが、根拠のない自信を何となく感じていた。彼の言葉の所々に散りばめられた既視感が、そうさせているような気もした。

「にしても」

 霧氷が唐突に口を開いたから、遊龍は思考を一旦追いやり顔を向けた。

「ずっと鳴ってた雷、あの子だったのか」

 視線をちらりと涼潤へと向けて、霧氷は呟くように、呆れたようにそう言った。遊龍はと言うと、申し訳なさそうに肩を竦め、同じく涼潤に視線を向けた。話題に上がっている彼女は今、竜神の傷に包帯を巻いているところだった。回復魔術とやらでの治療は終わっているらしい。全て完治させるには力が足りなかったのか、細かな傷は自然治癒に任せていた。

「なんか、すみません」
「いや………。つうか、あんな雷落とされてたらそりゃ怖がるわ」

 苦笑いでしか返せない遊龍に、霧氷は思い付いたように尋ねた。

「そういや。お前らはなんでMistyを追ってるんだ?……ま、俺も理由言ってないから言わなくても良いけど」

 うーんと遊龍は悩むが、返答は出来なかった。自分1人だったら話していたかもしれないが、竜神のあの警戒心を見たあとだとどうにも気が進まない。言い悩んでいると霧氷は軽く鼻で笑ってから、「言わなくていいよ」と退いてくれた。情けない、遊龍はそう思うのだった。
 会話が途切れたのが気になって、遊龍は脳内を詮索し始める。訊きたいことが沢山あったはずだ、と。そして不意に霧氷を見た時にその内の1つを思い出し、口を開く。

「あの、霧氷さん」
「ん?」
「霧氷さんの目、緑っすよね。ってことはイオの人ですか?」

 気怠げな彼の瞳が映すものを涼潤から遊龍へと変える。その色は深く濃い、深緑の色だった。不思議そうに数度瞬きをすると、霧氷は答えた。

「そうだけど。イオの闘の村。よく緑がイオだって知ってたな。お前ロザートだろ?」

 意外そうにそう言うと、遊龍の瞳の色を覗う。漆黒に映るのは紫の姿。そう言えば前にも似たようなことを訊かれたな、と遊龍は思った。確かそれは、涼潤がこの森に来た時のこと。

「よく言われる。そんなにロザートが他の街のこと知ってるって珍しいんですかねー」
「そりゃな。ロザートは閉鎖的だし、排他的だし。周りの街の事なんて、悪く言うか存在してないように扱うかのどっちかだ。まあ、こっちもロザートのことは悪い部分しか聞かないけどな」

 街の外に出てみてから、少しずつ他のことを知っていっている気がする。生まれてからずっと、同じ街の中にいて、それが突然環境が変わって。接することの無かった他の街の住人と関わって。その事が不思議で、面白かった。街を出ることは不本意であったが、案外苦ではなかった、と思う。

「オレも前は全然知らなかったんですけどね。変な人に会ってから色々教え込まれたって言うか………」
「変な人?」
「ロザートにいた頃にスイワの人と会ったんですよ。それが滅茶苦茶な人で―――霧氷さん?」

 苦笑いを浮かべながら話し出した遊龍だったが、突然に表情を固め、考え込んでしまった霧氷を怪訝に思い、話を中断する。彼はまだ思案しているようで、遊龍の呼びかけには答えなかった。遊龍は可能性の1つに思い至り、もう1度声を掛けた。

「あの、もしかしてその人のこと、……知ってます?時々霧氷さんの話し方がその人のと似てる時があって、気になってたんですけど」

 そう言うと、霧氷は顔を上げて遊龍を見た。遊龍を見て、そしてやっぱり突然、盛大に笑った。

「んなまさか。俺はスイワなんて行ったことないし変な奴とも会ったことがないしな。気のせいだろ」

 一気にそう言った霧氷は、言い終わったあともまだ笑っていて。その声量の大きさとわざとらしさに遊龍は逆に違和感を覚える。だがこれ以上訊いてもきっと話してはくれないだろうと、問うことを止めた。もしかしたら。ふと思う。“あの彼”と知り合いだということを認めたくない、そんな事を思っているんじゃないか―――そう思ったが、それはそれで確証がないのだった。遊龍がそう考えている間、霧氷はギュッと腰の刀を握り締めていた。

「って、もう1人の子どこ行った?」

 いつの間にか笑うのを止めていた霧氷が辺りを見回して呟く。え、と問われた遊龍も辺りを見回す。涼潤と竜神の姿は見えるのだが、光麗の姿がどこにもない。やけに会話がスムーズに進むと思っていたが、彼女が居なかったからだと今更気付いた。風が静かにそよぐところを見ると、取り立てて大事ではないのかもしれない。そう言えば彼女は、涼潤たちがここに来た時、1人だけ遅れてやってきていた。もしかしたら、来る途中に何かあったのかもしれない。しかしそれだけでは全く居場所の見当が付かなかった。

「光の奴、どこ行ったんだ?」
「光が居ないの?」

 様子に気付き、涼潤が歩み寄った。治療は終わっていたらしい。竜神は先程の場所に座ったまま、こちらに視線を向けていた。辺りを見回してみても、どこにも少女の姿はない。

「あぁ。気付いたら居なくなってた」

 まるで風だ。自由奔放で、マイペースに生きている。遊龍は不意にそんな風に思った。

「そう言えば、さっきここに来る途中で何か見てたみたいだから……。もしかしたらそこに戻っているのかも。どこにMistyが潜んでいるか分からないもの、早く捜した方が良いわね」
「だな。俺も捜すよ」

 霧氷も話に乗ると、遊龍も頷いた。その様子を見て竜神は慌てて立ち上がり、こちらへと歩み寄ってきた。



***

 光麗は1つの岩を見ていた。岩というには整った形。大きさは光麗の背丈よりも少し大きくて、色は白っぽく、所々風化はしているが元は綺麗な五角錐だったと分かる。それぞれの面には彫刻が施されているが、それもまた、風化によって所々が崩れていた。
 いわゆる、石碑。
 光麗は無言で、その石碑を眺めていた。



***

「見つけたみたいだね」

 ガラス板に向かって、シーズはそう呟いた。峻は黙っている。シンとした空間に、2人以外の姿はない。薄ら暗い空間は、夏だというのにひんやりとしている。ガラス板に映るのは、石碑を眺める光麗の姿。

「読めなかったら、どうしよっか」
「“力”を持っているなら、読めるはずなんだろ?」

 シーズの言葉に、峻は静かに疑問系で答えた。シーズはつまらなそうに視線をまたガラス板へと映すと、薄く口元だけで笑った。



***

「ったく、なんでこう急にいなくなるかなー」
「朝急にいなくなったのはどちら様でした?」

 誰に向けたわけでもない遊龍の呟きは、涼潤の言葉に凍り付いた。彼女の言葉にさほど怒りは込められてはいないが、反射神経というものだ。背を向けたまま振り返らずに掛けられた言葉に、遊龍はそれ以上何も言えなかった。
 光麗を探し始めて、まだそんなに経っていない。バラバラになって捜すと集合する時が面倒ということで、4人は一緒になって歩いていた。とりあえずは、涼潤たちが来た道を逆戻りしている。先頭を歩くのは涼潤で、その傍に霧氷。少し間を空けて、竜神、遊龍と続いた。
 前の2人と後ろの2人の間が少し空いた頃。涼潤がちらりと霧氷に視線を向けると、小さな声で話し出した。

「言っておくけど、あたしはまだ、あなたのこと信用したわけじゃないから」

 霧氷が涼潤へと視線を向けるが、目を合わせる気がないのか、彼女の視線は既に前に向けられていた。歩みの速度も落とさず、その声は淡々としていた。

「あいつと同じ事言うんだな」

 霧氷が可笑しそうに笑うが、涼潤はなんの言葉も返さなかった。あいつというのは竜神のことだろう。治療中の態度を見ていても、それは一目瞭然だった。黙り込んだまま何も返さない彼からは、嫌悪にも似た空気を感じた。それに対して遊龍は、どうやら霧氷と仲良くしていたようだが。
 返事のない涼潤に、霧氷は続けて言葉を投げた。

「もし俺がMistyで、隙を見てお前らを全滅させようとしている………だったらどうする?」

 少しだけ、間が空く。けれどそれは、答えないから生まれた間ではなく、思考する為の間だった。その少しのあと、涼潤は軽く鼻で笑うと短く告げた。

「不意打ち如きで倒せる程、あたしは弱くない」

 その発言には、竜神のそれとは違う自信が満ちあふれていた。





 遠くないとは言え、距離が空いていて、尚かつ小声で話されていては彼らが何を話しているかなんて分からない。会話内容が気になるものの、彼らの雰囲気から距離を縮めることも出来ず、付かず離れずの状態で遊龍と竜神は歩いていた。

「なー、竜。あの2人、何話してるか分かるか?」
「分かるか」

 遊龍が不意に声を掛けたが、竜神の返事は目に見えて不機嫌で。あーあ怒ってる、と遊龍は苦笑を洩らした。竜神が霧氷のことを快く思っていないことは一目瞭然だったし、涼潤に対して好意を持っている事くらい、とっくに気付いていた。そうなれば今の状態に対して不満を抱いていることくらい、容易に想像できて。

「妬いてんのか?」

 からかい口調で遊龍はそう言ったが、竜神は黙ったまま歩き続けていた。心なしか、ペースが上がった気がする。しかし遊龍はペースを変えることなくのんびりと歩いた。少し離れた竜神の背に向かって、ふと思い付いた言葉を投げかけた。

「お前もしかして片想い?」

 途端。竜神の足が一瞬止まった。振り返ることもなく返事もないが、一瞬止まった彼の動きで遊龍は察する。
 あ、図星。
 僅かな反応は本当に一瞬のことで、すぐにまた歩み出した彼のペースは格段に先程より上がっていた。それでも涼潤たちに追いつくペースではないから、後方から見ていた遊龍は思わず失笑した。



***

 風が通る。木の葉を乗せた風は、光麗の周りをぐるりと回って過ぎ去った。小さく開閉させる口から言葉は紡がれず、見つめるものは石碑だけだった。