Encounter -Another-

IN 彼らの部屋
 明日来るかもな、なんて格好良く言ってからもう5日は経っている。そろそろ、暇とか言ってしまいたくなるのも無理はない。何もしないで5日間を過ごすというのは、憧れていた程キラキラしたものではなかった。特に迅夜には苦手分野。その為左翊は、屋敷がストレスで破壊される前に迅夜を散歩に行かせた。2人揃って外出するのは流石にマズいという事でいつも左翊が留守番で、そして夜になるたび小言を零すのも左翊だった。そんな訳で、あれから6日目の今日は珍しく迅夜が留守をしていたのだった。

「今日は逆なんですね」

 部屋に入ってきたのはオーグ家の長男だった。左翊が出掛けて一刻も経っていない。もしかしたら、長男がこの部屋を尋ねてくるのは朝の日課なのかもしれない。そういえば左翊はこの男に対する愚痴をよく零していた気がする。

「いっつも俺ばっか出掛けてるからさ、たまには」

 曖昧に笑って返す。人付き合いの苦手な左翊が、この目前に立つ人物とどうやってコミュニケーションを取っていたのかが気になるところだが、敢えてそこには触れない事にした。折角なので、と、部屋に備えられた椅子へと促す。この家の住人をこの家でもてなすというのは些か妙でもあるが。

「性格もまるで真逆なんですね」

 しげしげと迅夜の行動を眺めていた長男がそう零す。食事の席以外で会うのは初めてで、彼の印象は左翊の愚痴の中でしか知らない。要するに、お喋りで自分勝手で少々気に障る奴、との事。左翊目線からの情報なので若干のずれはあるだろう。迅夜も彼に興味を抱き、視線を合わせてみる。

「まぁ、あいつ、無愛想だから」

 そう言って笑ってごまかす。きっとお喋りな彼から見た左翊の印象も最悪なのだろう。
 特別に飾ったものは部屋にはない。貸し与えられたままの状態に、遠慮がちな2人分の荷物が置いてある程度。今その部屋には、普段にも増して静寂が漂っている。
 長男が部屋に踏み込んだ時、迅夜はその手に持つ色取り取りのものに気付く。視線をそちらに持って行くと、長男はその手を挙げる。

「部屋が殺風景なので、飾っては如何ですか?」

 初め迅夜はその言葉の意味を理解していなくて、理解した次には頭に疑問符を浮かべた。いくら殺風景でも男2人の部屋に花束は似合わないだろう。しかしほんのり笑うその表情は、よくよく見るとどうやら苦笑のようだった。行動に訝しんだ迅夜が頭を傾げると、彼は話の続きを話してくれた。

「………と、妹が」

 そこでようやく納得する。彼と年の離れた妹は、そういえば左翊に好意を持っていたと思わなくもない。食事の時やたらと話を振ろうと必死になっていたように感じる。当の本人は微塵も気に留めていないだろうが。長男が毎日左翊の元を尋ねた理由にも納得がいく。しかし折角プレゼントを持ってきた今日は、残念ながら人物が入れ替わっていた。
 左翊に伝えておくよ、と花束を受け取り迅夜は礼を述べた。そして振り返り部屋を眺め、棚の上に置いてあった何も入っていない大柄の花瓶を見つける。

「僕自身は、迅夜さんに興味があるんですけどね」

 花瓶に手頃な高さのテーブルに移し、花束を崩していた迅夜に声がかけられる。一輪の向日葵を掴んだまま手を止め、彼の方へ振り返ると、椅子には座らず棚や天井を眺めている姿が目に入る。

「あなたは何故ここに居るんですか?」
「は?」

 あまりにも前後が不明瞭な問いに、迅夜は聞き返す。何故ここにって、依頼されてここに来ているのだ。邪険に扱われては堪ったものじゃない。なんて思ったものの、そのままを口にする訳にもいかないのでとりあえず返事を待つ事にする。

「変な意味ではないんですけど…。シャオクの方じゃないのにな、と思って」

 あぁ、またそれか
 迅夜は胸中でこっそり呟いた。もう何度目だろう。そういや依頼で街の人と近付くたびに聞かれている気がする。これならいっそ潔く、色具で瞳の色を隠してしまおうか、と何度も考えた事をまた繰り返す。瞳の色を隠したところで、肌の色までは隠せないのだが。

「色々理由があってな」

 酷く曖昧な答えに、問いかけた側は多少なりと不服の表情を覗かせたが、こちらの気を察したのかそれ以上に追求はしてこなかった。有り難い。笑ってごまかしている割には笑えていないんだと思う。明後日の方向へと向けた視線は彼と目を合わせない為の逃げだった。手にした向日葵を1本ずつ丁寧に花瓶の中へと入れる。間に霞草を入れ込み、入らないフリをしてわざと時間をかける。話を発展させたくなかった。

「話、思いっ切り飛ぶんですけど…」

 突然また話題が降ってきた。前の話をすっかり棄却し、そして一言断りを入れると長男はやっと椅子に腰掛けた。肩越しにその様子を見ていた迅夜も、花束の半分程を入れきったので一段落、といった風にちゃんと彼に向き直った。

「この家、あまり好きではないんです」

 向かいの椅子に腰掛けようとして、迅夜はその動作を止めた。この男は何故こんなに突拍子もない話ばかりをするのだろう。これではいちいち聞き返さなくてはならないではないか。もしかしたらそういうリアクションを求めるのが好きな人物なのかもしれない、なんてふと思った考えは今は関係ないので置いておく。きっと何か意味があるのだと解釈し、続きを促した。相手が座り、自分が立っているという今の構図が滑稽だったので、途中で止まっていた動作を再開した。

「深い理由は特にはないんですけど、できるなら地位も財産も継ぎたくないと思っています」

 迅夜は彼が言わんとしている事を大雑把に理解した。今このタイミングで聞く家の事情だなんて、厄介でややこしいだけだ。次に発せられるであろう言葉を想像して、できれば違う言葉を発して欲しいとか願ってみたりして、面倒臭いとばかりに頭を掻いた。

「だからぶっちゃけ、盗賊が入ってくれると嬉しかったりするんですよ」

 敵は身近にいたり、ってか?
 とりあえず笑っておいたが、内心からは笑えなかった。


×××××


「おー久しぶり」

 見慣れた顔が出迎えてくれた。受付専門ではないと言いながら、彼はいつも受付け席に座っている。他の仕事をしている様子が残念ながら想像できなかった。そう言うと、ちゃんと大きい仕事もしてるんだぞ、なんて返ってきたが信憑性に疑問を持った。
 左翊は1人で役所へと足を運んでいた。1人だなんて珍しいな、と言いながらレモンティーを出してくれる受付人に、たまにはな、と笑って答える。迅夜には内緒にしているが、1人で役所に来た時の待遇は格別に良い。散歩に出ろよ、と相方に言われたものの、自分1人で行く場所なんて決まっている。というかそこしかない。そうでなければきっと、街から出てしまうだろう。それくらい、人嫌いだった。特に雑踏というものが。
 レモンティーを啜りながら役所の奥を見やると、若い役人たちがバタバタと走り回っている。どうやら提出する書類に不備があったようだ。紅茶を淹れるのが得意だという最年少の役人も走り回っていて、この慌ただしい中でよく淹れられたな、と感心にも似た感情を抱きレモンティーに視線を落とした。ちなみにこちら側―――つまり待合い席兼受付けには左翊以外に誰も居ない。

「そういやお前、魔具の鑑定できるらしいな」

 受付人に声をかけられて、左翊は顔を上げる。思わず目が合った受付人の顔をよく眺めてみると、些か疲れているように見える。うっすらクマもあるようで。どうやら慌ただしいのは奥の彼らだけでは無さそうだった。あまりにも眺めすぎていた所為で、気持ち悪いぞ、と言われて顔を逸らされた。

「あぁ、一応鑑定はできる」

 間を空けてしまったが問いに答える。きっと先日のルジールの魔具についての事だろう。迅夜は外出する時には必ずこの役所に立ち寄っている。魔具を調べた結果でも伝えていたのだろう。
 魔具の鑑定が出来る者は少ない。鑑定に必要な特別な知識はそう易々と手に入るようなものではなく、一般の人間が知るには高すぎる壁があるのだ。その為、魔具職人やそれなりにコネのある専門の鑑定士くらいにしか恐らく鑑定はできない。
 左翊はそのどちらにも見えなかった。

「昔、教わってな」

 言葉少なにそう呟くと、思わず目を伏せてしまった。意識していなかったが、声のトーンまで下がっていたらしい。

「………大丈夫か?」

 受付人にそう聞かれるまで気付かなかった。何を考えていた訳でもないが、一言で言ってしまえば“落ち込んで”いたのだろう。ぱっと顔を上げ、ぎこちなく少しだけ笑って、何でもないと言ったがきっと、余計に不自然だったのだろう。目をぱちくりさせ、少し置いて表情を苦笑に変えた受付人は、話を続けた。

「そう、で。魔具の話なんだけどな」

 落ち着きを取り戻して、表情もまたいつもの無表情に戻り。しかし左翊のその表情はまた違う色を浮かべる。疑問符。受付人の顔がいやに真剣だった。へらへらした、どちらかと言えば温和な顔がこうも真剣だと、調子が変わる。あぁそっか、軍人なんだった、なんて事を今更のように思い出して。表情の睨めっこだけでは先に進まないので、先を促す。 

「そんな重大な話じゃねーよ。気張るなって」

 少しだけ流れたピリピリとした空気に耐えられなかったのか、受付人の方からその空気を消した。どんな深刻な話なのかと構えていた左翊は気が抜けるが、少しだけ安堵する。

「あのな、お前に仕事を掛け持ちして貰いたいんだ」

 ぱりくりと、瞬きを繰り返して意味を租借する。役人が言うにはおかしな言葉ではないかと、考え、確認する。

「掛け持ち?…禁止のハズだぞ」
「それ承知の上で。魔具の鑑定、最近多くてな」

 役所経由の仕事、というものには実は規約が沢山存在している。仕事には2種類あり、登録無しで引き受けられるものと、登録制のものがある。登録無しの方は楽に引き受けられる事もあり、利用する人が多いのだがやはりその分収入は少ない。対して登録制の方は、登録が面倒な事や役所からの監視がある事などの理由から利用する人は少ない。そしてこちらの方が規約が多いのだ。だがその分、レベルの高い仕事を受ける事ができ、収入は格段に望める。迅夜と左翊はもちろん登録制である。登録制の仕事の規約に、「仕事の掛け持ちを禁ずる」というものがあった。

「ここの役所に居るのは武術担当の奴ばっかなんだよ。なのに最近魔具の横流しが多くてな。そのせいでこっちはてんやわんやだ。1人や2人、魔術担当が欲しいんだよ」
「軍人になれと?」
「そこまで言ってない。仕事の一環として手伝って欲しいだけだ」

 その場に漂う空気は少しだけ重く。受付口の向こう側で動き回っている者たち―――もちろん軍人だ、もどうやらこちらに注意を向けているようだった。魔術絡みの仕事が人手不足というのはその様子から痛い程よく分かった。それでも、簡単に頷くわけにはいかない。迅夜との、約束があったから。

「今すぐ、ってわけにはいかない」

 ようやく開かれた口から出てきた返答は、そんなものだった。彼らしい言葉少なな一言だったが、受付人は少しだけ落胆する。大方予想していた答えだとしても、違う答えをこっそり期待してしまっていた。それでも言葉の中に希望を見つけて、問いを返してみる。

「いつだったらいい、とかあるのか?」
「もうしばらく待ってくれるなら、手伝えるさ」
「いつ?」
「いつだろな」

 明確な答えが得られないまま、問答が続き。結局は受付人が黙る形でそれは終わった。迅夜が居なければ静かに事は済むと思っていた受付人は、少々考えが甘かった。長年迅夜と行動を共にしていた左翊だって、一筋縄でいく相手ではなかった。諦めて嘆息した受付人に、苦笑を漏らしながら左翊は言った。

「ジンに言われてるんだ。お偉いさん方の仕事引き受けるのはS≪最高ランク≫になってからだ、ってな」
「………そりゃいつになるか分からねえな」

 同じく苦笑を返しながら、受付人はそう言った。


 鐘が鳴った。それは昼の合図。真ん中の刻を知らせる鐘は、左翊が帰る時間の目安として考えていたものだった。無意識に振り返り、壁で見えない外に目を向けた。外の気温は高そうだ。人混みと、熱気と、砂埃も立っていそうだな、なんて考えて、そろそろ帰ると受付人に告げた。おぅ気をつけて、と軽く見送る受付人は、どうやら先程の問答に深く落胆はしていないようだった。

「次ここに来るのはジンだろうな」

 憐れむような楽しむような口調で左翊がそう言うと、受付人はやはり苦笑しながら肩を竦めた。役所の戸を開け出て行く左翊を見送って、慌ただしい同僚たちに声をかけようと後ろを振り返り、そして後ろから掛けられた言葉に思わず動きを止める。

「澤神。まぁ、魔具の件はまた考えとくさ」

 発した言葉に不覚にも驚いてしまって、一瞬置いて勢いよく振り返る。うっかり返事をするのを忘れてしまった受付人を置いて、役所の扉はばたんと閉まった。静寂と共に佇む扉を見つめ、あの扉の音は少しばかり大きすぎるんじゃないかなんて思ってから、先程の左翊の言葉を整理する。顔に浮かべた笑みは、魔具の件の事だけではなくて。



「あいつ、俺の名前覚えてたんだ………」

 小さく呟いたつもりだったが、後ろをうろうろしていた同僚たちに聞こえてしまったらしく、微かに笑い声が起きた。


×××××



 一回あんな話を聞いてしまえば、警戒を解く事ができなくなってしまう。そんなだから、折角夕食のメニューに好物のカボチャのスープが含まれていても気分は晴れないままだった。迅夜は憂鬱そうに溜め息を吐くと、窓の外を眺める。陽は沈み、太陽が残した光ももう見えない。オーグ家の夕食は、日没と共に始まるのが日課だった。陽が沈み、太陽に感謝してその日を終えるための食事をする、という理由らしい。宗教的な事をよく分かっていない迅夜と左翊には、深くは理解できなかったが。
 昼過ぎに帰ってきた左翊にオーグ家の長男の話をし(左翊曰く、殆ど愚痴だったようだが)、少し様子を見てみるかという事で午後は違和感の無いように長男を監視していた。彼の趣味は読書で、自室で読書にふける彼を監視し続けるのは些か暇というものだった。更にその様子からでは、ルジールを招き入れる可能性というか、そもそも彼らと接点があるようには見えなかった。可能性としては侵入してきたルジールを手助けする、というのが一番高いのだが、そればかりは連中が侵入してこない限りどうしようもない。念のため、長男が部屋を出た隙に左翊が仕掛けを用意したのだが、出来ればそれは発動しないでもらいたい。
 長男に対する警戒が杞憂で終わればいいのだが、と話して夜が更けていく中、どうやら長男とは関係のない所で物事が動いたようであった。



 かたん、と小さな音が響いた。



 僅かな音は、眠っている者には届かない音だったのだろうが、目覚めている者には大きな音だった。ベッドから降り、迅夜はそっと靴を履いた。左翊は既に立ち上がり、廊下の様子を伺っている。迅夜は反対側に位置する窓から外の様子を覗いた。新月の夜で、輝くは星明かりのみ。離れた場所に位置する街の明かりももう見えない。シンとした世界だが、窓を開ければ虫の声が聞こえてくるのだろう。
 部屋の中へと視線を戻すと、ふわりと目の前をよぎるものがあった。すぐさまその意味を理解した迅夜は、にやりと笑みを浮かべる。

「やっとお出まし?」

 すっとソレを掴み、握り潰してその手を開くと、白い粉がはらはらと降る。燃えかすとなった符は、その役割を終えて消えていく所だった。

 テーブルに置いていた左翊の符がまた1枚燃えて、舞った。



×××××



 タンタンと、塀を乗り越えた所で違和感に気付く。何かが、作動した。

「やーっぱり、面倒臭い方たちですねぇ」

 小さな声がそう呟くと、喉の奥で笑う声が隣から聞こえる。

「面白ぇ。遠慮無く、正面突破だ」



 黒い影は、静かに着地した。