Encounter -Another-

IN 喫茶店のカウンター
 モンブランを頬張りながら、天井を仰いだ。
 広くて綺麗とはお世辞にも言えないが、掃除は行き届いていると見える。床だけでなく、天井もそうだった。
 寂しさを感じさせる少ない明かりに故郷を見て、いやいや、と、頭を振った。そして残っていたモンブランを勢いよく口の中に放り込んだ。

「ど、どうかしたんですか?」

 その気迫に驚いたのか、喫茶店の店長―――莅黄が尋ねる。口の中が埋まっていた迅夜はしばし黙していたが、全てを飲み込むと、何でもない、と笑いながら首を振った。

「ちょっとな、考え事くらいすることだってあるだろ?」

 にかっと笑いフォークを莅黄に向ける姿はまるで子供のようで、先ほどの神妙な顔と同じ人物であるとは思いがたい。

 ルジールの事件での証拠品と思われるナイフを預かり、事件解決を役所に約束してきた迅夜は、まっすぐオーグ邸へは戻らず、街中をずっとウロウロしていた。ただ、住人に話を聞いて回るも、『ルジールは凄い』という話ばかりで情報は全くない。確かに、ここアクマリカではまだ彼らの被害は出ておらず、今のところアカラキやアサトの被害が大きいらしい。そのため、信憑性の高い情報よりも、商人や旅人から伝わった、誇張された噂話の方が多かったのだ。
 そうこうするうちに、そういえば昼食を取っていなかった事を思い出す。陽は真上を通り越し、あとは沈む一方。街中を回り回った迅夜は、再び役所まで戻り、受付人に食を集ろうとしたところで一つの店の存在を思い出す。疲れた顔をした受付人に爽やかに手を振り、そうして近くの喫茶店「セレナータ」へと入ったのだった。そこが、莅黄の店。
 以前来たときには飲み物しかなかった気がするが、メニューにはケーキや軽食が増えていた。金銭的にも余裕ができた事もあり、迅夜は嬉々としてモンブランとレモンティーを注文した。そして、今に至る。


 モンブランを食べつつ、考え込む。ルジールの事と、自分の事と。
 突っ走っているお陰で普段は考えずに済むが、一人で息をつくとすぐに影が迫る。油断できない。そういえばシャオクにやってきてもう6年くらい経つ。
 ルジールの“理由”は、なんだろう。ただの金儲け、とは何故だか思えない。だが、悪しき金を戒める正義、とも見えない。1度くらい会話するチャンスがあるのなら、聞いてみたいと思うのだった。
 ―――と、思い至り口を開く。

「なー店長」

 店長、とは莅黄の事。初めて店に来たあの日から、迅夜も左翊も、彼の事を店長と呼んでいる。
 呼ばれた本人はというと、コーヒー豆を挽いている最中で、カウンターを挟んだこちら側にもコーヒーの香りが漂ってきている。
 壁一面に作られた棚には、様々な種類の豆が置いてある。世界各地のコーヒーなのだそうだ。そんな事を前に影凜が言っていた気がする。ただしこれらは飾り物で、店に出す為の商品ではないらしい。莅黄が挽いている豆は、カウンターの陰に隠れて見えない、下方の戸棚にしまってあった。それでも種類はいくつかあり、先日お世話になったとき、迅夜と左翊、そして影凜は種類の違うコーヒーを飲んでいた。豆の種類とコーヒーの淹れ方と、それぞれが複数あるのでこの店のメニューは自然と豊富になる。お客が少ないのが不思議なくらいだった。

 呼ばれた事に気づき、顔を上げる。

「なんですか?」
「あのさ、ルジールの奴らって何の為に盗みしてるんだと思う?」
「へ?」

 何故そんな事を…と言うような顔で莅黄は迅夜を見やる。当然、なハズだろう。

「や、ほら。盗みとかしなくても充分生きていける世の中だぜ?あいつらみたいに技量もあれば、雇われ先はいくらでもある。けど、なんで盗みを選ぶっかなー、と思って」

 くるり、とフォークを回す。淡々と、しかしどこか楽しそうに話す迅夜に、莅黄は少々困惑する。

「僕に聞かれても…。殆ど外にも出ないから、彼らに関する事もあまり知らないんですよ」

 苦笑を浮かべながら、そう答える。そうとしか、答えようがない。
 確かに彼は、材料の買い出しに行く以外、外に出る事は滅多にない。この店に来ればいつでも彼はいるが、店の外で彼と会った事はなかった。

 そりゃそっか、と納得しようとしていた迅夜は、ふと、沈んだように見える莅黄の顔に目を留め、言葉を止める。

「ただ…」
「ただ?」

 短く発した莅黄の言葉を促すように、復唱する。彼にとって言い難い言葉なのか、その口は重そうであった。

「どんな土地でも、生きていく事が難しい境遇の人は…いると思います」

 その言葉が意外だったのか、迅夜はしばし瞬きを繰り返す。莅黄は目を逸らしたままだ。
 言葉が重い…というよりも、莅黄の言い方が重かった気がする。気のせいかもしれない。けれど、迅夜にも理解できないワケではない。光の裏には必ず影がある事を、迅夜だって知っている。ただそれを、表面に出すのが嫌いなだけで。

 少しの間をおいて、迅夜が息をひとつつく。その僅かな音に、莅黄は顔を上げた。

「まっ、それもそっか」

 どうでもいいけどっ、などと言っているような軽い言い方で、さっさと迅夜はこの話題を切り上げた。先ほどのシンとした間など、無かった事にしようとしているかのように。

「ルジール見つけたときに聞いてみりゃいいよな」

 それは嫌みでも挑発でも何でもなく、純粋に楽しんでいる声だった。あまり人付き合いの得意でない莅黄ですら分かるほどに。彼は、楽しんでいる。
 不思議とその態度に、不快感を抱く事はなかった。


「さぁて!そろそろ帰んねぇと!」

 一呼吸置いて声を上げる。その声にはっと我に返り、莅黄は迅夜を見やる。ちょうど迅夜は席から立ち上がるところで、視線が合う事はなかったが、迅夜がまだ笑っている気がした。

「早くしないと、サイが待ちくたびれてるだろうしな」

 きっと笑っている理由はここにもあるのだろう。迅夜の話では、昼前からずっと街に出てきているらしい。留守番を頼まれている長身の連れは、今頃何をしているのだろう。少しだけ、気になった。

 迅夜の荷物は、麻でできていると思われる肩掛けの鞄ひとつだけだった。中身は少量なのか、軽そうに見える。というより、ほとんど何も入っていないのだろう。鞄の薄さがそう感じさせた。実際、鞄の中にはナイフ―――役所から貰ってきたあの魔具しか入っていなかった。


「迅夜さんの今の仕事、」

 不意に莅黄が声を掛けた。ん?と、迅夜は振り返る。

「もしかして、ルジールに関係する事なんですか?」

 ただの興味、そんな顔。そう見えるように、している。
 問われている内容と、問われている意味をゆっくりと考えて、迅夜は笑う。笑われた事が予想外だったのか、莅黄は逡巡目を泳がす。その様子すら、迅夜はしっかりと見ていた。

「さぁて、どうでしょう?」

 笑いながら、そうとだけ答える。茶目っ気たっぷりに人差し指までピンと立てて。
 彼らしい笑いだったが、いつもの子供っぽさだけが欠けている笑いだった。そう、不敵、と呼ばれる笑みに近いのかもしれない。そこまできて、莅黄は気づく。

 彼はもう、知っているのだと。


× × ×


 カボチャのスープを新メニューにリクエストして帰っていった迅夜を見送り、静かになった店内で莅黄は一人佇む。ただ話を流していればいいのに、ついつい余計な事まで言っていた気がする。
 コーヒー豆の入った瓶を転がしながら、ぼんやりと迅夜の出て行った扉を眺める。扉が開く事は少ない。先代の店長の頃から客足は少なかったものの、ここの所更にさっぱりである。味が悪いとは思わない。主張しない建物に看板、ひっそりとした立地。そういったところが原因なのだろう。けれど、そこを改めようとは思っていない。今のこの空間が、莅黄は好きだった。
 壊れないで欲しい。不意に思うのは、そんな感情ばかりであった。


×××××


「遅い」

 第一声は、それだった。当然だろう。陽はもう落ちている。

「ごめんって、ホント!」

 謝る迅夜の顔は相変わらず笑っているので、いまいち真剣さが足りていない。とはいうものの、左翊も本気で怒っているわけではないので、迅夜が本気で謝ってくる事はないだろう。そういう奴だ。

「寂しい思いさせてごめ…」
「一回本気で死んでくるか?」
「んなに怒るなよ」


 迅夜がオーグ邸に戻ってきたのは、ちょうど陽が落ちた頃だった。オーグ邸を出たのは昼前だったというのに、寄り道が多いにも程があるだろう。こちらは対ルジール用の準備をすっかりし終えてしまった。帰宅後すぐの夕食後、左翊はそう一気に愚痴を零していた。

「一体どこまで行けば日が暮れるんだ」

 呆れながら、ぶつぶつとまだ呟いている。呟きながら手を伸ばすのは、食後のデザートに、と手渡されたリンゴだ。そしてそのまま丸かじり。一方の迅夜は、ブドウを皮ごと摘みながら、今日の一日を振り返る。

「んーと…。宿行ってー、うっちゃんとこ行ってー、情報収集してー、店長んとこ行ってた」

 要点のみ。
 彼との会話は、時折面倒だと思う事がある。彼は彼の世界そのままに喋っている。そこを理解しなければ、話が進まない。全く…と思いつつ、リンゴをもうひとかじりする。

「で、何かあったのか?」

 問われてから思い出したのか、あぁそうだと迅夜は話し出す。ブドウに伸ばした手を止める。

「ルジールが使ったっぽい魔具貰ってきた」
「は?」

 どこで、誰に。
 彼の一言ではまるで、ルジール本人に出会ったか、ルジールの起こした事件に直接遭遇したかのようではないか。
 それを言うのも面倒になったので、とりあえず続きを促しておいた。

「荷馬車が襲われた事件、聞いてる?」
「あぁ、ここの長男坊がわざわざ伝えに来てくれたさ。トレイトに行く途中だったやつだろう?」

 仕掛けを作り終え部屋で休んでいたところに、オーグ家の長男がやってきた。彼がこの家で一番のおしゃべりなのだ。食卓でもうんざりしてしまう。できれば、部屋には来て貰いたくなかった。追い出す手段がない。
 部屋にやってきた彼は真っ先に事件の事を話し、概要を話したあとはひたすら自分の感想を述べていた。噂通りルジールは天才的だとか、自分にはあんな芸当できないだとか、顔を出さないのは格好良さを聴衆に想像させる為だとか、なんとか。正直、どうでも良い感想ばかりだった。事件の事をまだ知らなかったので情報自体は有り難かったのだが、プラスアルファの感想が長すぎた。早く迅夜が帰ってこないかと思ったが願い虚しく、小一時間程喋り通した後、彼の母親―――つまりオーグ夫人の呼ぶ声で、長男は部屋を出て行ったのであった。
 迅夜の話は、そんな長男の話よりも遙かに詳しかった。役所が絡んでいるのだから当然なのだが。

「そうそう。で、これさ。誰が作ったやつか分かる?」

 と取り出したのは、昼間預かってきたナイフ。ポンとベッドに放る辺りが危なっかしい。仮にも毒素系の魔具なのだ。慎重に扱うべきである。

「刻印がないって事は、本人が作ったやつだな」
「あ、やっぱ?」

 渡されたナイフをまじまじと眺めて、左翊は呟く。その言葉に、迅夜が身を乗り出す。
 左翊の魔術に関する知識は、迅夜のそれに比べると少々劣る。だが魔具に関しては、若干迅夜よりも知識があった。
 魔具職人は自分の作ったものの証として、独自の刻印を施す。その習慣に関する知識は迅夜にもあったものの、どれが刻印なのかという見極めはできない。マークのようなものは沢山刻み込まれている。その中に紛れる本物の刻印は、左翊曰く、他とは違う特別な彫り方がされているらしい。それなりの目を持つ人でないと判別ができないような、僅かな違いで。
 その特別な刻印が、このナイフにはない。

「魔具職人じゃない人にわざわざ作らせて、それを5本も一気に消費なんてバカな事しないだろうしな」

 因みに、魔具には使い捨てのものとそうでないものと、種類は様々ある。このナイフは、後者だと思われる。

「だよなー。ダルいっての。俺魔具好きじゃねぇのに…」

 ブドウを食べ終え、リンゴに手を伸ばしながら不満の声を上げる。余談だがこの果物、オーグ邸で作られているものらしい。オーグ夫人の趣味はガーデニングなのだとか。カゴに盛られた果物は、リンゴ、ブドウが5個ずつと、イチゴがごろごろと。種類こそは3つだが、数が多すぎると思う。何人で食べると思っているのだろう。

「仕方ないだろ…。仕事だ」

 カゴに残るブドウに手を伸ばし、左翊はそう言う。請け負った仕事で、好き嫌いは言っていられない。当たり前の事だが、迅夜は必ず影で我が侭を言う。仕事を放棄する事はないものの、愚痴の聞き役は今のところ左翊か受付人しか居ないので、そっちの身も考えて欲しい。因みにアクマリカに来る前は、聞き役は左翊一人だった。今は少しマシになった方なのだ。


「そーそー、店長の事なんだけどさ」

 話題が変わった。迅夜の声音が、僅かに変わっている。少しだけ、低い声。

「あいつは関係ないんだと思う。悪く言えば被害者。酷く言えば傍観者」
「関係あるだろ、それだと」
「だっけ?」

 とぼけた声を出すが、顔はいたって真面目なままだった。その風貌に、左翊はそれ以上の追求をやめる。

「店長自身、嫌な思いはしてないんだと思うよ。だからなんか、聞き出すのが可哀想になっちゃった」

 言葉の後半は、笑いと一体化していた。冗談で言っているつもりはないのだろう。彼らしい。左翊もそこに反対を唱えるつもりはなかった。店長の性格は、ある程度は読めているつもりだ。


「今夜辺り、来そうな気がする」

 ぼそっと、迅夜が呟く。彼の声音は、コロコロと変わる。時々、二重人格を思わせる程にがらりと表情まで変わってしまう事もある。長年の付き合いでタイミングが多少分かるようになった程度で、それでも突然変わる事には未だ慣れていない。

「盗みとかじゃなくて、様子見。俺だったら、覗きに行くな。この時期で」

 窓の外に広がるのは広大な庭と、遠くの街明かり。ここは2階、建物の中央部分に位置する部屋。倉庫に一番近い部屋。見張りをするにはもってこいの場所だ。ルジールが現れてくれるのならむしろ有り難い。


 喋りが止まり、シンとした部屋。
 2人の気持ちは、来るかもしれない盗賊への好奇心で、少しだけ高ぶっていた。