Encounter -Another-

Explosion
 炎精霊の紅い光が、魔具であるナイフにぶつかって弾けた。さすがに3度目ともなると、そのナイフを落とす事もなくなる。別にナイフを狙っているわけではない。足や脳天、どんなに直撃コースを狙っても全てナイフに阻まれている。小さく舌打ちし、いい加減うんざりしてきた左翊は、効率の良い方法を思案する。相手、影凜の目的は今の所、自分の足止めのようである。しかもご丁寧に、廊下の続く側を彼は背にしていた。こちらは袋小路だ。相手は逃げやすいし、こちらは相方と合流しづらい。強行突破とも行きたいが、彼に背を向ける事は得策とは言えない。かといって、すぐ後ろ、廊下の突き当たりにある窓を破って外に飛び出すというのも、良策とは考えがたかった。逃げ道にはなりうるが、ルジールの捕獲、財宝の警備、といった目的から反してしまう。影凜が自分の跡を追って来るという保証もない。
 影凜の、普段の穏和な表情に押し隠された冷徹な殺気は、時折鋭くなる眼光から読み取れた。彼の実力を、正直な所甘く見ていた。それは容姿の所為でもあり、普段の表情の所為でもあった。上手く本性を隠している、という所もあるがそれ以上に左翊は、自分自身の能力低下を感じていた。平和ボケ、という言葉が不意に脳裏に浮かんだ。

「もうお終いですか?」

 静まった空間に響くテノール。男の割に高く通ると感じた声も、演技だったのかもしれない。今の彼の声音は、馴染みのあった声よりもいくらか低くなっていた。

「なんでそこまで殺気立てる必要があるんだ」

 口を開いた左翊は、視点を一点に固定したまま次の様子を観察した。対して影凜は、ん?と首を傾げはしたものの、すぐに元の表情―――街で会った時の穏やかさよりは幾分落ち着いた笑顔だ、に戻ると返答する。

「話題転換ですか?まあ、私としてもあなたとお話ししてる方が時間が稼げるので助かるんですが」

 にっこりとそう言うと、彼は右手を顎に当て、大袈裟に思案する。左翊は何も答えず影凜の言葉を待った。

「そうですねぇ。この作戦においては、確かにそう真剣にならずとも平気です。あなたを足止めするだけなのですから。……ですから、これは私個人の感情です」

 すっと表情が変わる。細められて瞳には再び冷たい殺気が宿る。浮かべられた笑みに、穏和という言葉は欠片も当てはまらなかった。

「あなたを見ていると、イライラするんです。なんだか自分を見ているようで」

 顎に当てた右手はそのままだったし、左手も魔具など握っていない。だが攻撃を加える隙を見出す事が出来なかった。互いに動きを見せないまま時が過ぎる。長いのか短いのかも分からない。ただ遠くから、ガラスの割れる音が微かに聞こえた。それを皮切りに、影凜が僅かに顔を上げた。

「ところで、」

 ふと彼は口を開く。両手は既に降ろされ、胸よりも少し下の所で組まれている。どちらの手にもナイフは見当たらない。先程まで扱っていたナイフを、どこへ隠しているのだろうと左翊は観察したが、その行動を彼の言葉によって止められた。止めざるを得なかった。

「思い過ごしかもしれないんですが、私、あなたの事を知っているような気がするんです。昔に、どこかでお会い――」

 バシッと、唐突に。言葉を勢いよく遮るように飛んできたのは、何度か見ていた左翊の符で。両手にナイフを握った状態で防御していた先程と違い、今の両手は空である。後方か左右かに避ける他無かった。すんでの所で雷を避けた影凜は、目の前に左翊の姿を見た。と同時に後方へと飛ばされる。腹部への衝撃に、かはッと咳き込む。

「どうしたんですか?」

 にっこりと笑うつもりだったのだろう。だが突然の衝撃による痛みの波はまだ去らず、言葉の途中で咳き込みそうになり顔を顰めた。誰にも聞こえない呟きで、悪態をつく。そして見上げた目の前には、すっかり表情を無くした左翊が立っていた。チッ、と舌打ちをすると影凜はすぐさまその場から後退した。

「俺は過去など知らない」

 まるで呟くように、若しくは自分自身への言葉であるかのように、低い声がその場に流れた。影凜が5,6歩離れた位置で態勢を整えるのを確認すると、左翊は床を蹴った。その手にはどこから取りだしたのか、数枚の色の付いた符。応戦する影凜もやはりどこから取り出したのか、3本のナイフを右手に揃えた。左手に握った数枚の符を器用に右手で引き抜き、左翊はそれを影凜へと投げつける。その直後には別の符を影凜の立つ位置の丁度左右に当たる壁へと投げた。まるで吸い込まれるかのように壁へ向かう符は、辿り着いたその位置にぺたりと張り付き、そして仄かな白い光を発すると、そのまま沈黙した。影凜へと向かった符はやはりナイフに阻まれたが、炎と雷の熱はナイフにまとわりつき、思わず3本の内1本を落とした。一瞬影凜の視線は落ちたナイフへと移り、その瞬間に左翊は左手に残っていた符を全て投げつける。すぐ目の前の至近距離、避ける手段はなく符は魔力を爆発させた。
 投げた符がなんの魔力を封じた符だったのか、左翊は把握していなかった。だから何故爆発が起きたのかも、それによってどういう状況になっているのかも分かっていない。そしてまだ、冷静さは戻ってきてはいなかった。
 ビュンと空を切る音と共に鋭く煌めく銀色が頬を掠った。避けたわけではないし、外したわけでもない。明らかにガタガタな狙いは、しかしそれでもスピードだけは落ちていなかった。爆発の煙が割れた窓から出て行き、風が流れる。視界が広くなった時、その場には左手にナイフを3本持った影凜が立っていた。

「………急に、どうしたんですか?」

 明らかに冷え切った声の中にも敬語は健在のようで、しかし抑揚のない声からは怒りすらも感じさせた。今の彼を見ても、きっと誰しも女性と間違う事はないだろう。
 すっと額から頬へと流れてきた赤い血を右手で拭いながら、影凜は左手のナイフを見やった。右腕も、左腕も。軽くもなく酷くもない傷が刻まれ赤が滲む。痛みを堪えているのか、感じていないのか。それらを気にも留めず影凜は右手を左手のナイフへと移した。それはゆっくりとした動作で、左翊は眺めていた。けれど次の瞬間にはシュッという音とバシンという音が同時に聞こえた。思わず振り返りそうになり、止めた。次が来た。
 右手でナイフを1本取りだし、1本投げる。同じように右手で複数取りだし、全てを投げる。右手で3本持ち、符による攻撃を防ぐ。そして、3本のナイフを左手に持ち、右手で投げる。おそらく一番スピードを持つのが、最後の選択肢のものだったのだろう。鋭い反射神経を持ち合わせていなければあっという間に串刺しとなるそれらを、左翊は最小限の動きだけで避けた。同時に、同等のスピードで雷の符を投げ間合いを詰める。3本目のナイフを避けた時、左翊は影凜の目の前にいた。

「――っ!」

 目を見開き動揺を見せた影凜の背後へと瞬間的に回り、そして彼の背中へ符を投げつける。―――つもりだった。

「?!」

 覚悟した痛みを感じず、影凜は振り返り一歩下がる。途端背後から飛んでくる己の武器を器用に掴むと、全てを左手に収めた。計5本のナイフ。正面に立つ相手に視線を送り、様子を眺めた。
 左翊の手の中には、何もなかった。ズボンのポケットやベルトに収めていた符は既に1枚も残っておらず、そして代わりとなるような武器も携帯はしていなかった。

「無駄遣い、ですか?」

 息を荒げた影凜が、苦しそうに笑った。どこが痛むのかは、端から見るだけでは見当も付かない。少し前の自分の言葉と同じ言葉を返され、左翊は黙り込んだ。けれどそれもほんの僅かな時間。止めていた手をギュ、と握り締めると再び床を蹴った。影凜めがけて。

「……!」

 終始無言だった左翊が、何か口を開いたような気がした。けれどそれは誰にも届かず、小さな風となって消えた。高く蹴り上げた右足でナイフを天井へ飛ばすと、そのまま右足で影凜の身体を後方へと飛ばす。受け身は取れたのだろう、すぐさま体勢を戻した影凜だったが、その場で咳き込んでしまう。その間に、左翊は天井から降ってきた影凜のナイフを3本取り、1本を影凜の目の前の床へと投げつけた。は、と彼は顔を上げた。見上げた先で左翊は、2本のナイフを左右真横の壁へと投げつけていた。その壁には、そう言えば先程貼り付けられた符。符にナイフが刺さると同時に、2本のナイフの柄同士を結ぶ直線が現れた。そしてそれは半透明な壁となった。

「閉じ込めたつもりですか?」

 見上げるように影凜はそう呟くと、少しだけ落ち着きを取り戻したのか、左翊は口を開いた。

「少しの時間稼ぎだ」

 そうとだけ言うと、床に落ちていた残りの2本のナイフを拾い上げ、背を向けて廊下の奥へと走り去っていった。
 影凜は少しの間を置いて立ち上がると、ナイフの刺さる壁へと近寄る。まだ痛む腹部と背中は無視できる。それでも走って左翊を追い掛ける事はどうにも難しかった。半透明な壁は、触れると微かに波紋を広げ、それが水である事を示した。といっても体当たりで破れるようなものではないようで。しかしナイフへ手を伸ばすと、ただ刺さっていただけであろうそれはあっさりと壁から抜け落ち、同時に、壁を形成していた水はバシャリという音と共に崩れ去った。後には水浸しの床が広がった。
 左翊が走り去っていった廊下を見つめ、影凜は1人呟く。

「もしかして、彼は………」

 続きは言葉には表れず、壁から引き抜いたナイフを2本、ギュ、と握り締めた。


×××××


 ガシャンと盛大に窓ガラスが割れた。てっきり窓から飛び出したのかと思った迅夜は、その考えの浅はかさに舌を打つ。視線を正面の窓に固定したまま廊下へと飛び出した瞬間に、真横から感じた殺気。顔を右に向けた途端、刃が飛んでくる。それを屈んで避け、後方へと飛びながら「炎咲」を呟く。男の湾刀にまとわりつく炎の花は上へと昇り、柄へと伝わる。しかしそれは、男の右手に到達する寸前の所ですっと消えた。迅夜は眉をひそめた。
 大広間を抜け男を追った迅夜は、最初と同じように1部屋ずつ様子を伺った。大広間から少し離れた部屋の中で男に追いつき、しかしまた廊下へと逃げられたのだった。それがこの場面。スピードとその身のこなしように感嘆していた迅夜だったが、やがてそうも言っていられなくなる。

「そっか」

 気付き、小さく呟く。手を止めた迅夜の様子に男も動きを止める。呟きは聞こえたのか聞こえていないのか、しかし男は迅夜の言葉を待っているようにも見えた。

「相方、影凜さんだったね。………魔具持ってるだろ」

 挑戦的な目で迅夜はそう言った。例え押されていてもそれを感じさせない表情。男は面白そうに笑った。

「だから?」
「見たところお前、魔術は使えない。だったらこっちが有利。けどそうも言ってられない状況。って所」

 言葉の羅列で、曖昧な返事をする。男の表情は変わらず、しかし眼光が鋭く光る。けれど迅夜はひとつ息をつくと、表情を変える。それは不機嫌な顔。

「それはとりあえずどうでも良いとして、お前名前くらい名乗れ。俺の情報だけ掴んでるんじゃねぇよ」

 はぁ?と眉を寄せた男に向け指をビシリと指した迅夜は、小声で何事かを呟く。途端壁や床に深い傷を付ける突風が吹き荒れた。―――鎌鼬。一瞬男は目を見開いたもののすぐに無表情へと戻り、一歩引き湾刀を構える。目の前には迅夜が迫る。ガシャンとぶつかったのは男の湾刀と、迅夜の持つナイフ。このナイフは以前、役所から拝借したものだった。

「油断でもさせたつもりか?」
「なんかムシャクシャしたから。名前は知りたいと思うけど」
「ばぁか」

 バシッとナイフは弾かれる。拮抗していた競り合いは瞬時に終わり、大きさで勝る湾刀に小さなナイフが敵うはずなかった。けれどその様子を見ても迅夜は眉ひとつ動かさなかった。弾かれたナイフが壁に突き刺さった。
 横一文字に払うように湾刀が動き、迅夜は一歩後退する。直後の隙を見て間合いを詰めた迅夜の手には炎の塊。湾刀で防ぐには刹那の時間が足りず、男は左足で大きく蹴り上げた。再び一歩下がった迅夜はしかし同時に「風車」と呟く。突風が男を吹き飛ばした。壁に背を打ち付けたと見られる男は、一瞬の間の後立ち上がる。その反動で、胸元から赤い石のような首飾りが零れた。

「やっぱり」

 迅夜は楽しそうに言葉を発した。男は小さく舌打ちするとそれをまた服の下へと仕舞い込む。だが直後、双方が表情を変える。と同時にバシッとナイフが男の足下に突き刺さった。2本のナイフ。2人の視線がそちらへ移った隙に、男の脇を1つの影が通り過ぎた。

「悪い、ジン。使い切った」

 影は迅夜のすぐ横へと来ると小さく呟く。迅夜が顔を向けると、肩で息をし、そしてすっかり顔の色を失っている左翊と目が合った。今の言葉と彼の様子を見て状況を察した迅夜は、キッと睨み付けると彼の左頬に平手打ちを喰らわせた。清々しい程の音は廊下に響く。

「焦るな落ち着け、動揺するから我を忘れるんだろ。覚えとけ」

 思わずそれは、怒鳴り声となっていた。何も言えないでいる左翊から目を逸らし、ジンジンとする右手を軽く振るう。視線を男へと戻した迅夜は、そこでもう1つ増えた影を見掛ける。男の視線はそちらへと向いていた。

「すみません、黒翔さん。足止め、出来ませんでした」

 淡々とした口調で、切羽詰まったような声で。全く気取ってもいないその声で一瞬誰だか分からなかったが、よく見れば見知った顔だった。淡い金色の髪と暗い室内で仄かに光を反射させる空色の瞳。女性と間違えたあの時の彼は、今は間違いなく青年だった。

「………影。お前、どうした」

 黒翔と呼ばれた男は彼に言葉を掛ける。気遣いという風ではなく、疑問。影凜の口調が普段と大きく異なっていることに対する、疑問だった。彼は滅多なことでは取り乱さないということを、黒翔が一番理解していた。
 影凜は無言で左翊へと視線を向け、黒翔もそれを追う。対する左翊はまだ荒い息を吐きながら、誰とも視線を合わせようとはしなかった。迅夜はそんな彼を見、そして黒翔と影凜へと視線を向けた。黒翔と、目が合った。

「提案だ」

 先に口を開いたのは黒翔だった。左翊と影凜は眉をひそめるが、迅夜だけはひとつも表情を変えなかった。ただその言葉の先を待つだけ。

「ここらで俺らは撤退する。お前らはそれを邪魔しない。どうだ?」
「待」
「その話、乗った」

 反論の異を唱えようとした左翊を遮り、迅夜は答えた。左翊の視線が睨みであることには気付いているが、迅夜はそれを無視する。どうやら相手側も似たような状態のようで、影凜の視線は鋭く冷たいものだった。それを気にも留めず、黒翔は踵を返す。

「とんだ痛み分けだな」
「それはこっちのセリフ」

 既にガラスなど残っていない窓枠に手を掛け、黒翔はちらりと後方へ視線を向けた。不敵に笑うその言葉に、迅夜もやはり嫌みたっぷりにそう返した。黒翔と、そして影凜は窓の外の夜へと消えていった。
 風が吹き抜ける。迅夜の魔術ではない、自然の風。まるで突風のようなそれは2人を囲うように回るとまたすぐに窓の外へと飛び出していった。静寂が訪れる。

「なんで」
「なんでじゃねえだろ。お前のそれで、何が出来るんだ。後でちゃんと話せ」

 左翊の言葉をまたしても遮り、迅夜は自分たちへ与えられた部屋へと足を向けた。スタスタと歩く迅夜の少し後ろを、左翊は着いて歩く。あちこちに散らばるキラキラとした欠片は、黒翔が破砕した窓ガラスの破片だろう。無事でいる窓は少なかった。

「悪い」

 小さく呟いた左翊の言葉は、迅夜へは届いていなかった。


×××××


 次の日の朝食の席はまず、状況の説明からだった。あの大騒動、住民はやはり全員目を覚ましていたようで、そしてルジールが忍び込んだであろう事も気付いていた。忍び込むと言うにはやや派手な演出ではあったが、迅夜は1つ1つを説明していった。第1倉庫へは侵入していないということを説明すると、主人は「なら安心だ」と言って食事を始めた。破壊された窓については新しく作り直すと言うことで、食事の後主人は街へと下っていったのだった。使用人達は廊下や長男の部屋の片付けやらでバタバタと動き回っていた。その朝食の席、左翊は姿を現さなかった。


「お前さ、ちょっと頭冷やしてこい」

 そう声を掛けたのは、朝食の席から戻ってきた迅夜。昨夜部屋に戻ってきてからすぐベッドに転がった左翊は、影凜と何があったのか話そうとはしなかった。話したくないわけではなく、自分の中で整理が着いていないのだろう、ということまでは迅夜も察した。けれど朝になっても様子は変わらず、不貞寝のような彼の態度に迅夜はいい加減呆れた。
 声を掛けられ、左翊は顔を向けた。自分よりも年下の彼は、両手を腰に当て、呆れたように怒っている。我ながら情けないとは思うものの、感情のコントロールは苦手だった。何を言えばいいのか分からずに口を閉ざしたままでいると、迅夜に腕をつかまれ無理矢理引き起こされる。そして、迅夜は左翊を部屋から追い出した。

「とりあえず今日1日ずっと外にいろ」

 バタンと閉まった扉の向こう側で、迅夜はそう言った。その声はやはりどこか不機嫌だった。