Encounter
11
「ねぇねぇねぇねぇ!」
少年のものと思われる高い声が誰かを呼ぶ。歩幅の違いで後ろから走って追い掛けてくる彼を無視して、真鈴はスタスタと歩いていた。それでも治まらない彼の声に、うるさいなぁと小さく呟く。
辿り着いた先。目の前の地面には、複雑に組み合わさった模様や文字らしきものがおさまった円―――いわゆる魔法陣と呼ばれるものが描かれていた。その手前で立ち止まると、真鈴はそれに視線を落とす。この円の中に入れば、リュート大陸の森へと一瞬で飛ぶことが出来る。現に何度か利用しているのだが、その仕組みに関しては全くの謎だった。魔術師であるシーズが作ったというそれは、真鈴から見れば異界の物。彼は南の大陸から来たらしいが、南ではこういうものが当たり前のように存在しているのだろうか。
ふぅと溜め息を零すと、すぐ隣に歩み寄っていた少年が目に入る。紅い髪が揺れている。まだ幼さの残る彼もまた、Mistyのメンバー。どういった経緯で入ったのかは聞かされていないし、訊いてもいない。彼にも理由があるのだろうからそこは気にしていない。が、それでも今ここに居ることにはどうしても納得がいかなかった。今から彼らの元へと向かうのに。
指令を下すのは峻。だが伝えるのはいつもシーズだった。何を考えているのか分からない彼から伝えられる物事は、例えそれが峻からの言伝だったとしても、不信となってしまう。
「ねぇねぇ、なんでオレっち1人じゃないのー!」
ぴょこんと顔を覗き込んでくる少年は、そんな真鈴の考えに気付きもせずやんちゃに尋ねてくる。ほんの少しふて腐れたような表情を見て真鈴は、再び溜め息を零すと足を進めて魔法陣へと乗った。
「あっ!待ってよ鈴ねーちゃん!」
気付いた少年も慌てて真鈴の後を追い掛け、魔法陣へと足を踏み入れる。途端に2人の姿は、白い光に包まれて消え去った。
***
「それで?なんでお前は勝手にいなくなってんだ」
「だってー。気になったんだもん」
所変わって森の中。そこは辺りに比べると木々が少なく、開けた場所だった。陽が昇りきった後、ほんの少し傾いている時間。石碑の前に立つ光麗を見つけた遊龍たちは、今は思い思いの格好で散らばっている。涼潤は木陰で涼んでいるし、竜神は相変わらず仰向けで寝ている。光麗に問い詰める遊龍の隣では、霧氷が先程の光麗と同じく石碑と睨めっこしていた。
「遊たち捜してこの辺通った時にね、風さんが教えてくれて……。なんて書いてあるのか気になったの」
白い石碑は静かに佇んでいる。風化の具合からすると、相当昔からここに建てられていた物なのだろう。ずっと森の中で、全てを見てきたような。しかしただの石には見えない、とは思うのだが、では何なのか、と訊かれれば返答に困ってしまう。強いて言うなら石碑だろうと、遊龍は誰にも問われていないながら胸中で結論を出した。
「でもねっ、全然読めない字なの」
「確かに、この辺の文字じゃねえな」
光麗の言葉に肯定して霧氷は呟く。でしょ、と光麗は得意げに頷く。彼女の様子に遊龍は肩を竦めた。
「だからって勝手に、しかも急にいなくなるな」
「……はーい」
遊龍の言葉に素直に光麗は頷く。そしてほんの少しの間の後には、パッと顔を上げた。落ち込んでいる様子など全くなく、寧ろ好奇心に溢れた笑顔を浮かべている。
「それでさ、遊は分かる?読めないでしょ?」
彼女の切り替えの早さには遊龍も感心する。気持ちをあっという間に切り替えられる光麗に、呆れと同時に羨望の気持ちを抱いたことは過去にも多数あった。長く落ち込んでいる彼女を、そう言えば見たことがない。
五角錐の石碑をぐるりと周りながら、遊龍はそこに刻まれた文字のような絵柄のようなものを1つずつ見ていく。各面に刻まれているのは数行ずつの文、だと思われる。石碑の風化と同じく、刻まれた文字も崩れかけている。全文が残っている面は1つもなかった。
「ほんっと、ボロボロだな、コレ」
触れると崩れそう、と感じながらも石碑へと手を伸ばす。そして指先が石碑に触れそうになったその時に、ふと手を止めた。首を傾げながらもう1度、刻まれた文字を眺めた。脳裏に浮かぶ言葉をそのまま、言葉にする。
「『その力、攻めしもの也。故にその力、烈火の如く』………?」
「え、なにそれ?」
遊龍の言葉に、光麗が不思議そうに尋ねる。言葉を発した遊龍自身も、キョトンとして何度も石碑の文字を確認した。しかしその言葉が浮かんでは離れず、そしてはたと気付く。“文字を読んでいる”のだと。
「『その力、導きしもの也。故にその力、多々の事知りたり』。これはこっちの面ね」
ふっと聞こえた声に、遊龍と光麗は同時に顔を上げる。遊龍が見ていた面から右回りに2つめの面、その面に見ていた涼潤は、顔を上げると首を傾げて遊龍に視線を向けた。
「遊はこっち、読める?」
「いや、ここだけ。涼は」
「あたしもこの面だけ。……どういう事?」
怪訝な表情を浮かべる2人に、光麗も霧氷も置いてけぼりを喰らっている。ざわりと揺れる木の枝から、数枚の木の葉が散った。光麗がつまらなさそうに頬を膨らませる。
「なんで2人だけ分かるのー?」
「いや、なんでって言われても………」
それは遊龍自身も知りたいことである。“分かる”事が分からない、という非常にややこしい状態になっている自分が不思議でならなかった。そしてその文が指す意味も、全く見当が付かなかった。
「『その力、護りしもの也』」
突然また、別の声が混じる。いつの間にか起きていた竜神もまた、石碑の1面―――涼潤の見ていた面の左側にある面を眺めていた。眠たげな目はそのままだが、どことなく不愉快さを滲ませていた。
「『故にその力、鉄壁に似て非なる』。意味分かんねえな、コレ。ここだけ読める………分かるってのも変だし」
辺りがシンとする。不快感が漂う中での静寂は、どこか歪な空気を醸し出す。
静寂の中不意に、違う雰囲気が混じった。
ポトリ 、と小さな物が落ちてきた。一同の集中が一斉に途切れ、反射的に上方へと視線を向ける。そしてすぐに落ちてきた物へと視線を落とす。地面に落ちたそれは、手で握れば綺麗に隠れてしまいそうな大きさの、球体。ポト、と落ちてくるのはそれ1つではなくて。更に降ってきたそれらを見た涼潤は、慌てて声を上げる。
「ッ!全員それから離れて!」
言葉とほぼ同時に霧氷と涼潤は後方へと飛ぶ。一瞬遅れて竜神が、そしてそれから更に少し遅れて遊龍が動く。物体が散らばった場所から5,6歩程離れた位置まで後退して、その場を見て。しかしその場にまだ佇む影を見つけて遊龍は息を飲む。状況が理解できていない光麗だけがそこに取り残されていた。
「まずいッ、光―――っ」
慌てて駆けだした遊龍が光麗の元に辿り着くのと、降ってきた球体―――爆弾が破裂するのはほぼ同時。激しい爆音と熱風を感じた遊龍は、しかし思っていた衝撃がやってこないことに違和感を覚え振り返る。目の前には、透明な壁が立っていた。ゆらゆらと揺れるそれは見覚えがある。水の、壁。
「光!大丈夫?!」
竜神の表情を覗うよりも先にすぐ近くで声がして、顔を上げるとそこには涼潤が居た。不安げな顔でこちらを覗き込む彼女の顔には、焦りの色が見えた。無我夢中の勢いに任せたまま抱え込んだ光麗を解放すると、少女は震える口で安堵の息をつく。爆発による怪我はなかった。所々にある擦り傷は、多分遊龍が庇った時に擦ったものだと思われる。
「痛い………」
風がぐるりと周り、光麗の髪を揺らす。擦った傷は大した物ではないが、怪我に慣れていない光麗にとっては鋭い痛みだったのだろう。うっすらと涙の浮かぶ目を涼潤に向けて、困惑の表情を浮かべる。涼潤はほんの少し目を逸らすと、一度目を閉じ、開いた後は光麗から目を逸らさなかった。
「ごめんね。もっと早くに気付ければ良かった」
「……ううん。光こそ、ゴメンね」
「何言ってんの。……さっきの、光が避けてたらすごいことだよ」
少しだけムッと頬を膨らませて、けれど光麗の表情からは幾分か困惑は消えていた。涼潤がそっと傷に手をかざすと、ほんのり白い光が傷を包む。擦り傷はあっという間にその存在を消していき、痛みも徐々に退いてくる。
じっとその様子を見ていた遊龍は、物珍しそうに、感心したように、溜め息を零す。
「ホント、すげーよな。この力」
「それはどうも。……じゃ、あとは頼んだわよ」
「え?」
遊龍の言葉に簡潔に返し、涼潤はすっと立ち上がる。“あとは頼んだ”の言葉の意味が一瞬理解できず、彼女を見上げる。だが涼潤は立ち上がると、遊龍たちを見下ろすことなく歩みを進めた。少し離れたところに、竜神たちが居る。その方向。
すたすたと歩みを進める彼女の後ろ姿に、ならあっちは任せて大丈夫か、と遊龍は安堵する。
だから。彼女を呼び止めていれば良かっただなんて、今この時に気付くことはなかった。
***
爆発が起きたその場所から少し離れたところに佇むのは、竜神と霧氷。彼らの視線は、木の上へと注がれていた。遊龍たちの位置からでは聞こえなかった声は、竜神と霧氷には丸聞こえで。木の上から聞こえてくるのは、口論のようなもの。
「ちょっ、バカ烈!」
「なんでだよー!アイツらに攻撃入れるって言ったの鈴ねーちゃんじゃん!」
「光麗ちゃんは関係ないのよッ」
明らかに子供の声が混じる言い争いに、竜神は眉をひそめ開きかけた口を閉じる。けれど彼らが降りてくる気配はなく、仕方なしに声を発した。
「そこにいる奴、出てこいよ」
ガサリ、と枝が揺れ音を立てた。息を飲む気配が下にまで伝わってくる。
「鈴ねーちゃんが叫ぶから!」
「あんたが変な攻撃するからでしょうっ」
「変って言うなぁ!」
若干声量の上がった口論の後に、2つの影が木から飛び降りた。危なさを見せない、慣れた飛び方。しかし声から察した通りの少年の姿に、竜神は少なからず目を瞠る。オレンジの髪を持つ少女と、紅い髪の幼い少年。少女の方はともかく、こんな子供がいるとは―――。
しばらく双方は黙ったままで、ざわりと風が通りすぎる。少女が口を開きかけたその時に、少年の方が先に口を開いた。
「あー!お前らどうせオレっちの事ガキっぽいとか思ってんだろ!」
ビシッと人差し指を突き出して叫ぶ少年の姿に、彼の言葉を肯定しない理由はなくなる。甲高い声で喚く彼に対して抱くのは、驚きでも何でもなく、苛立ちだった。先程とは違う意味で呆然と立ちすくむ竜神と霧氷の様子と少年の様子とを交互に見比べて、仲間であろう少女ですらげんなりとした表情を浮かべている。
「コイツ、俺が殺る」
「いや竜神、お前は手ぇ出すな。俺が殺る」
「何こそこそやってんだよ!無視するなぁ!」
「「黙れ」」
殺気立った2つの姿に怯むことなく少年は更に喚くが、その言葉はあっさりと一蹴される。放っておけば彼らの苛立ちは爆発するだろうと、見かねた少女が少年の前に出た。そんな少女をまた追い越そうと歩み出た少年を手で制し、コホンと咳払いをひとつすると、視線を真っ直ぐ竜神、そして霧氷へと向けた。
「初めまして、かしら。お2人さん」
凜とした、風が歌うような声。オレンジの髪の少女、真鈴はそう言うとにっこりと微笑んだ。気を抜けば前へと飛び出しそうな少年を制しつつ、視線は目前の2人に向けたまま、更に口を開く。
「やかましくてごめんなさいね。こいつ烈斗って言うんだけど、まだまだガキんちょで」
「ガキって言うなぁ!」
見上げた視線を真鈴にぶつけるものの、彼女の視線は前に向いたままだった。対して竜神と霧氷は、訝しげに彼らの様子を見ている。苛立ちは募っているのだろうが、状況がよく飲み込めていない。早いところ用件を聞きたいのだと、竜神は少女と少年を睨み付けた。
「ま、それはさておき」
竜神の様子に気付いたのか、真鈴は話を切り替える。よく見ればまだ幼さの残る顔立ちの少女は、もしかしたら霧氷と同じ年頃なのかもしれない。視線は鋭く睨み付けているものの、それが付け焼き刃の物であることは、霧氷から見れば明白だった。瞬きを繰り返す睫の長い瞳からは、殺気なんてものは感じない。
「察しているとは思うけど、私たちはMisty。あなた達の力を開花させる為に来たの」
「……力?」
怪訝な表情を浮かべたまま、霧氷は一言で問う。竜神は黙ったまま、真鈴の続きを待っている。烈斗と呼ばれた少年は、どうやら大人しくすることに決めたようだ。静かに少女の傍らで待機していた。
「あなた達の中に眠っている力。それを貰いたいんだけど、持っている当人がその存在にすら気付いていないから。だから開花させるの。花は咲いてから摘んだ方が、楽でしょう?」
静かなリズムを刻むように。テンポよく話す彼女の声は、やはり風を連想させた。
話している内容は、正直なところよく分からない。眠っている力などと言われても、それに思い当たる節はない。気付いていないと言われてしまっているのだから、どこか知らない場所に、気付いていない力があるのかもしれないが。竜神は眉を顰める。生憎そう言った、確信の持てない曖昧な話を聞くのは好きではない。ちらりと隣を見やると、少し上にある深緑の瞳は、真っ直ぐに真鈴へと注がれていた。
「つまり要するに、どういうことだ」
霧氷の第一声はそれで。あまりのストレートさに思わずガクリと肩を落とした真鈴だったが、気を取り直し、ほんの少しの笑みと困惑を強気の表情で押しつぶして、視線を霧氷へと向け直した。
「別にあなたは分からなくて良いの。“あなた達”って言うのは、石碑の文字が読めた、そこのあなたと、あっちの2人」
視線だけで竜神と、遊龍、そして涼潤を指すと、真鈴は表情を消した。霧氷の表情が、一瞬変わった気がしたから。その勘は当たっていたのか、思い過ごしだったのか。先程と変わらぬ表情で、霧氷はそこに佇んでいる。おそらく、この場に必要であった竜神よりも、彼は何かを察している。どこまでの事かは、分からないが。
対する竜神は、疑問符を浮かべる頭を煩わしく思い、少女へと睨みを送る。知らぬ知識があるという状態が、果てしなく嫌いだった。かといって、今持つ疑問が全て解消されるわけではない事も分かっている。少女を睨み付けても、やはり答えは返ってこなかった。
「じゃ、俺抜ーけた」
「へ?」
唐突な霧氷の言葉に、真鈴は素っ頓狂な声を上げる。竜神も隣に不信の視線を送るが、否定を返す言葉は得られなかった。ヒラヒラと両手を振りながら、霧氷は面倒臭いとでも言いたげに口を開く。
「だって俺は関係ねえんだろ?意味の分からねえ力なんぞ興味ねえし。あとはどうぞごゆっくり」
あっという間に踵を返し、霧氷はその場を立ち去ろうとする。その背に向けて、慌てて真鈴は叫ぶ。
「ちょっ、待ちなさいよ!」
「あぁ?」
「じ、事情を知った奴を、逃がすわけないでしょう?」
震える声が、精一杯の強がりから現れるものだなんて、気付かないわけがない。霧氷はそう分かりながら、ゆっくりと振り返る。きっと睨み付ける双眸は、彼女本来のものではない。あーあ、頑張っちゃって。霧氷は胸中で呟くと、その呆れを表情にも出さずにニヤリと笑った。
「じゃ、精々俺を逃がさないことだな」
真鈴の言葉を綺麗に無視して、あっさりと霧氷は歩き出した。その場の3人が呆然とその背を見送ってしまい、木々の間に姿は消える。ハッと気付いた真鈴が、ようやっとその足を動かす。
「ま…待ちなさいってば!」
「鈴ねーちゃん?!」
掛けだした真鈴の背を、今度は烈斗の声が叩く。真鈴はちらりと振り返ると、細く長い指で烈斗と竜神を交互に指さす。パチクリとした竜神を尻目に、真鈴は用件を手短に伝えた。
「烈っ、あんたはそっちやってなさい!」
言葉だけを残して。真鈴の姿も霧氷を追って木々の間へと消えていった。残された2人は、しばらくの間ポカンとその消えた辺りを見つめているのだった。