Encounter
12
ポカンとした表情のまま取り残された2人は、しかし完全に真鈴の姿が消えた後に今のこの状況を思い出す。烈斗の甲高い声が、竜神の耳朶を叩いた。
「オレっち任されたんだよ!いっくぜぇぇ!」
今から始まるのは“楽しい遊び”なのか、と思わせるような声に、竜神は苛立ちと共に呆れさえも感じた。彼が、Mistyである理由が全く思い付かない。しかし唐突にビュンと飛んでくる物体に、全ての思考をストップさせる。冷静に“ソレ”を目で追い、そして次に飛んでくるものを避け、そしてそれらの正体に気付く。先程の爆弾と似た形のそれらは、全て烈斗が投げているもの。大きさこそ全て同じだが、飛んでくるスピードや導火線の長さが全てバラバラで。最初に飛んできたものはまだ地面に転がっているが、次に飛んできたものは竜神が避けた途端に至近距離で爆発した。
「ちっ」
子供が投げ付けるにしてはやけにスピードがあるそれらを、ましてやバラバラのタイミングで飛んでき、爆発するそれら全てを水の刃で打ち落とすには少々手こずった。仕方なしに後方へ飛び、左右へと飛び。避けることでいくつかをかわす。どこから取り出しているのか、それ以前にどうやって着火させているのかも謎である。
「(あのガキ、狙ってやがる)」
無造作に適当に投げていると思った爆弾は、それぞれの役割を持ったコースを進んでいた。あるものは足下に向けて投げられ、地面を穿つ。あるものは竜神の目の前で破裂し、真っ白の煙を辺りに広げる。そして一際スピードのあるものは、明らかに爆発の威力が大きかった。避けたものの、爆風は容赦なく竜神を襲う。両腕で顔を庇い、足に力を込めバランスを取る。その間に飛んできたものを、水の刃で打ち落とす。狙いは細い導火線へと定めている。
烈斗の投げ方はいたってシンプルだった。取り出した爆弾を、両手を使って投げる。ただそれだけ。ただ、腕の力は相当あるのだろう。いくら投げてもスピードの落ちない様子を見ると、子供だからと言って油断の出来ない体力を持っているようである。
爆発するからといって、怖じける事はない。竜神は少年を見据えると、彼に向けて走り出した。途中投げつけられた爆弾は水で打ち落とす。投げている者がいるのであれば、元を絶つのが一番早い。しかしあと数歩で少年に届くといったところで突然、烈斗は竜神の足下へ、勢いよく爆弾を投げつけた。何故?という疑問が浮かぶよりも先にそれは爆発し、そしてその直後地面が大きく揺れた。足下から火の粉が上がる。竜神は下がる他なかった。
「そんなに慌てるなよぉ」
むぅと頬を膨らませてそう言う烈斗の言葉など、竜神の耳には届いていない。苛立ちを浮かべた表情のままで、先程までいた場所の地面を睨んでいる。広く抉られたように穴の空いた地面からは、もうもうと土埃。それに混じって火薬の匂いが漂ってくる。既に地面には爆弾が埋められていた、なんて気付くのに時間は掛からなかった。
「オレっち、用意周到〜」
竜神が穴を睨み付けている事に気付くと、少年は楽しげに声を上げた。顔を上げると、烈斗はVサインまでこちらへと向けていて。口端をつり上げてにっこり笑う姿に、竜神は猛烈な怒りを感じた。
間を置かず、バラバラと小石のようなものが大量に投げられる。それが火薬だと気付き竜神は怪訝な顔を浮かべ、浮かべたがすぐに後退する。宙を舞う火薬に向けて、烈斗が別の爆弾を投げつけたから。パンパンと小気味よい破裂音を立てそれぞれは爆発していき、あとから投げられた爆弾は最後の締めと言わんばかりにドンと破裂した。突風が突き抜けるように。爆風にバランスを崩した竜神は身を屈めた。
しかし体勢を整える前に、また次が来た。
咄嗟に水壁を目の前へと展開させ、間近での爆発を防ぐ。火の付いた導火線に、水の壁。飛んできた爆弾は、水壁に触れた途端に爆発する能力を失った。その隙に竜神は体勢を整え、烈斗へと視線を向けた。しかし防いでるはずなのに、かの少年は得意げに笑みを浮かべていて。疑問符を脳裏に浮かべた竜神の目の前に、突然影が飛んだ。直後、猛烈な爆音。
水壁の目の前で数個の爆弾は爆発し、壁が大きく揺れる。激しく波打ったと思えば、操る竜神の意思を無視して砕ける。固定された形は物理的な力を急激に加えられ、形を保てなくなっていた。バシャンと音を立てて崩れた水壁に気を取られた竜神は、更に迫ってくる影に気付くのに一瞬遅れた。
「ストラーッイク!」
歓喜の声を上げた烈斗にハッとし見上げると、すぐ目の前には数個の影。数や形や色や特性、それらを判断するよりも先に火は導火線の全てを燃やし尽くした。反射的に後退したものの、防御の為に集めた水はまだ量が少なく、身を守るものは何もなかった。
ドォンと轟音を響かせ土埃までも巻き上げた爆発に、竜神の姿は隠れてしまう。あとに残るは紅い髪の少年のにこやかな笑み。
「バッターアウトぉ!」
素直なガッツポーズと共に、烈斗の楽しげな声が響いた。
***
「どこ行ったのよ………」
ぼそりと呟きながら、真鈴は早足で歩いていた。イライラとした表情、言葉には刺が混じる。
「霧氷を逃がさないで」とは、シーズに言われていた言葉。はっきり言って、その時は言葉の意味を全く理解できていなかった。何故なら事前に、“光麗と霧氷は関係ない”と言われていたから。疑問を抱きつつここに来てみれば、当の霧氷は話を聞いてすぐに立ち去ってしまった。まるで最初から、彼が去る事が分かっていたかのような、シーズの言葉。
不安げに、顔を顰める。時々真鈴は、峻とシーズを怖いと思う事があった。この2人には、全て見透かされているような錯覚に陥る。そしてこちらはそんな彼らの考えを、全く読む事が出来ないのだ。特に、シーズ。笑みを浮かべて親しげに話しかけてくる彼は、峻以上に本性を想像する事が出来なかった。笑顔の裏で、何を考えているのか。良い考えは、あまり浮かばない。
峻には従っていたい。そう思うものの、当の彼と会話する事は滅多になかった。間にいつも、シーズの姿があった。
ざわりと揺れる木々に風の音を聞き、ふと真鈴は足を止める。空を見上げれば青と白。陽が昇りきっている時間帯で、気温は高い。森の中でなければきっと汗が滲むのだろう。木々に辺りを囲まれた空間は、有り難い事にヒンヤリとしている。静かな空間には、ざわざわという風の音が響くのみ。
真鈴は持っていた横笛を持ち上げると、おもむろに吹き始めた。軽やかな、それでいてしっとりとした旋律が奏でられる。音の流れに合わせて木々が、否、風が躍動する。風がぐるりと真鈴を中心に回ると、彼女は顔を上げる。笛の調べはまだ続く。
風によって運ばれてくる遠くの音を聞く。それが彼女の持つ能力だった。音使い。
聞こえるのは爆音。絶え間なく続くその音に、紅髪の少年の笑顔を思い浮かべる。いつも火薬を弄ってばかりの彼にとって、爆発というのはスリル満点の遊びなのだろうか。真似したくはないな、と胸中で呟き意識を集中させる。聞きたいのは、この音ではない。
違う音を聞き取り、静かに演奏は終了した。一際大きなうねりが森を吹き抜けて、風もやがて静まる。ふぅと一つ溜め息を零して、真鈴はまた歩き出した。
そこは、遊龍と竜神が最初に霧氷と会った場所だった。
真鈴が足を止めると同時に、紫の髪の青年は振り返る。立ち止まっていた彼は、休憩などというものをしていたわけではないだろう。咥えていた煙草を口から離すと、彼は強気に笑みを浮かべた。
「よう」
煙の匂いに顔を顰めるが、真鈴は一歩だけ足を進める。対する霧氷は微動だにせず、少女の様子を眺めているだけ。口を真一文字に結んでから、意を決したように真鈴は口を開く。
「どうして逃げたの?そしてどうしてここで待っていたの?」
純粋に、疑問。別にあの場を去る事に関しては疑問は抱かない。厄介事から去ろうとするのは当たり前だろう。けれど今この場で立ち止まっていた彼は、明らかに自分が来るのを待っていた。真鈴の表情はいつの間にか固くなっていて、不信の募る言葉で問いただす。それでも霧氷が表情を変える事はなく、小さく鼻で笑ってから真鈴へと真っ直ぐに視線を向ける。
「だぁれが逃げるか、バーカ。アイツらがいると話が進まねえだろ。だから少し離れた。お前風属性だろ?追ってくると思ってたんだよ」
バカと言われてムッとするも、すぐにその感情は打ち消す。少しだけ見え隠れする彼の真顔に、出掛けた文句はまた喉の奥へと消えていった。
「なんで風属性って分かったの?」
「なんでって…。んな笛、趣味で持ってるとは思いにくいだろ。すぐ気付くっつの」
ソレ、と言わんばかりに指さすのは真鈴の持つ横笛。真鈴は風属性を持ってはいるが、風使いではない。光麗のように風と会話する事は出来ないのだ。けれど風の運ぶ“音”を聞き分ける事は出来る。それが音使い。音を運んで貰う為には風との交渉が必要で、その交渉には言葉が使えない為に代わりとして旋律を奏でる。音には音。笛である必要はないのだが、音使いには音を奏でる事の出来る楽器の常備が必須だった。
「それより」
一呼吸置いて霧氷が口を開く。真鈴は軽く睨み付けるように、彼に視線を固定する。彼の表情からはからかうような笑みは消えており、腑に落ちない部分があるのか、微かに首を傾げていた。
「さっき、光麗には攻撃する意味がないって言ってたよな。なんでだ?」
ドキリ、と。真鈴は身を固める。そう言えば先程烈斗に向けて大声で叫んだ気はする。割と近くにいた霧氷に聞かれても不思議ではないと、今更ながら気付いた。
「聞かれても別に隠す必要はないから」。そう言っていたシーズの言葉を思い出す。一体どこまで状況を先読みしているのだろうか。あくまで“霧氷に”聞かれた場合は隠さなくてもいい、という話なのだ。不信ばかりが募るのも仕方がない。
ひとつ息をつくと、紫の彼を見据えた。
「光麗ちゃんとあなたは、私たちが欲しい力を持っていないの。ただそれだけの事」
「力って、あの石碑に関係してんのか?」
「えぇ。力を持っているとあの石碑の文字を読む事が出来るらしいの。どういう理由なのかはさっぱり分からないんだけど、力が同調するからとか、そういう理由らしいわ」
「その“力”ってのは何なんだ?属性力?」
「さあ。詳しくは知らないわ。ただ、属性力とは違うものなんだとは思うけど」
肩を竦めるように真鈴はそう話して。しばし双方とも無言となる。対峙したままの状態で、間を風が駆け抜ける。この森は風が多い。この地域特有のものなのか、光麗がいるからなのか。その判別は付けがたいが、風のない日は殆ど無いようにも思われた。
霧氷は話に納得したのか、視線を逸らすと煙草を口に咥え、しかし火は付けないままで器用に口を開く。
「なるほどね。なんとなーく、分かったかな」
そうとだけ小さく呟くと、くるりと踵を返す。やってきた方角と真逆の方向、つまり遊龍たちのいる場所から離れる方角。思わず真鈴は「ちょっと」と声を掛ける。「あぁ?」と振り返る彼の瞳は酷く面倒臭いとでも言いたげで。けれど放っておくつもりはなかった。
「あの子たちの所へ戻らないの?」
「なんで?」
疑問を即座に疑問系で返され、真鈴はそのままたじろぐ。問い詰められているという口調ではないのだが、答えに窮してしまい間が空く。風が巻き上げる木の葉を見上げるフリをして、ワンテンポ遅れてから真鈴は口を開く。
「だって一緒に行動してたじゃない。それに、今の話だって………」
「別に。俺はただ自分の好奇心で話を聞いただけ。一緒に行動って、さっき光麗捜すの手伝っただけだろ。別にもう用もねえよ」
あっさりとそう言い放つ霧氷に、真鈴はどう答えるべきなのか分からなかった。そして気が付けば、「逃がすな」という指令があった事を忘れて呆然と彼の後ろ姿を見送っていた。
知り合い、友達、仲間。彼らはこれのうちのどれに当て嵌まるのだろう。誰かと共に行動するという事自体、真鈴にはそう経験がなかった。親しげに話していたら友達じゃないの?仲間じゃないの?疑問と羨望とを入り混ぜて、真鈴はしばらくその場に立ちつくしていた。
***
土を踏みしめて歩いてみるものの、自分が今どの辺を歩いているかだなんてさっぱり分からない。空を見上げても雲が流れるだけで、残念ながら正確な位置は掴めない。これといって向かう場所があるわけでもないが、現在位置すら把握できない事には不満を抱いていた。
霧氷は進むままに足を進め、そして真鈴と分かれた場所から大分離れた位置で歩みを止めた。目の前には僅かに開けた場所。森には時折、広場のように開けた場所があった。まるで誰かを待ちかまえているかのように、何か事が起きるかのように。木々の覆い茂る森を抜けたかのように錯覚するそこは、それでもまだ森の中奥にあるのだった。
ぐるりと木々に囲まれたその空間には、黒の姿が静かにこちらを向いて立っていた。
「キリ」
先に口を開いたのは、向こうだった。
背格好は霧氷と同じくらいだが、顔にはどこか幼さがある。黒の帽子から零れる髪も、また黒。衣服も白と黒で構成されており、比較的落ち着いた印象を受ける彼の背には、長い柄が見える。一目見ただけで大剣だと分かるそれを、肩に掛けたベルトで吊り下げていた。白と黒の彼の姿の中で、唯一瞳だけが霧氷のそれと同じ深緑の色をしていた。
「お前も来てたのか、雨亜」
陽気に右手を挙げ、霧氷は呼びかける。雨亜と呼ばれた青年は、無表情のまま視線だけで頷いた。歩みを進めた霧氷は彼の近くまで辿り着くと、腰に手を当てニッと笑った。
「勝手に抜け出してきたんじゃねえの?」
「当たり前。オレに指令は出ていない」
「………いいのかよ、それで」
「何がだ?」
淡々とした口調は、しかし嫌みを感じさせない。口を歪めて霧氷は呆れの表情を浮かべるが、対する雨亜は平然と言葉を返す。相変わらず、と呟いて霧氷は溜め息を零した。その後で薄く笑うと、黒髪の彼もつられて小さく笑った。
ゆっくりとさらに、歩み寄る。と同時に。
ガキン、と金属のぶつかる音が響いた。1度きりのその音は、余韻を引き摺りしばらく森に響いたあと、静かに消えていく。一瞬の間に抜刀された霧氷の刀は、雨亜の持つ大剣によって防がれている。見た目では明らかに貧弱に見えてしまう霧氷の刀も、決して大剣に劣っているわけではなかった。変形することなく、大きな刃を受け止める。互いに譲ることなく、拮抗したままで。しばらくの間、刀と剣は十字にぶつかったままだった。
長かったか、短かったか。やがて同時に2人が後方へと飛び、体勢を整えると2人は揃って刃を退いた。これは彼らの、挨拶代わり。
霧氷の瞳と同じ色の瞳は、逆さまに彼の姿を映している。同じように霧氷の瞳には雨亜が映っていた。刃は退いたまま、それでも2人の間には緊迫の空気が流れる。黙ったまま、静かな空間。すっと通りすぎた風を合図に、霧氷が先に笑みを零した。
「腕、落ちてねえな」
ピリリとした空気は一瞬で消え去り、残るのは穏やか。森の雰囲気がそうさせているのだろうか。懐古の念を抱きながら、霧氷は雨亜に向けてニッと笑った。
「そっちこそ。今度は上に行ったと思ったのに」
深く被った帽子で表情がよく読めない雨亜も、どうやら笑っているようで。言葉とは裏腹に、口元に乗せられた笑みには悔しさは込められていなかった。強い風に飛ばされないように帽子を片手で押さえ、雨亜は軽く上目遣いのように霧氷を眺めた。霧氷は霧氷で、そんな彼を愉快そうに眺めていた。
風が一度途切れた時に、合図したわけでもなく2人は同時に歩み出す。
「ま、殺り合うのは」
歩み寄り、真横同士にすれ違い。すれ違い間際に互いの拳と拳をコンとぶつけた。
「今じゃない」
静かな言葉は相手に届くだけで充分。互いの横を通り抜けて、そしてそのまま向かうままに歩みを進める。交わす言葉はなく、真逆の方向へと。
道は違う。けれど向かう場所は同じだから。「こんにちは」も「さようなら」もいらない。キラリと陽の光を反射させ、雨亜の持つ刃が光る。霧氷は新しい煙草を取り出し、口に咥えて火を付ける。背を向けたまま距離を空ける2人は、やはり同時に胸中で呟く。
「(次会う時、絶対に勝つ)」
そう心に決め込んで。