Encounter

 状況は変わらない。
 ただ1つ、彼の動きを除いては―――――
14
「兄ちゃんさ、本気出してる?」

 烈斗の震える声に、竜神は顔を上げた。
 烈斗の投げる爆弾で、辺りの地面は削られ白煙を上げている。小さな身体のどこに隠し持っていたのか、既にかなりの量の爆弾が投げられている。双方とも、無傷ではない。直撃こそは免れているものの、能力で爆弾を操っているわけではない烈斗も自信の攻撃を避ける事は出来ないらしい。火薬の臭いが充満する中、互いに息を切らしている。そんな時の烈斗の言葉は、竜神の動きを完全に止めた。しかしそれは謀ったわけではなく。少年の方も動きを止め、先程とは打って変わって弱々しくなっている瞳で竜神の様子を眺めていた。
 いつの間にか影は長くなっている。そんな些細な変化に気を配る者はこの場には居なかったが。爆発が止まり、辺りは急激に静寂に包まれた。至近距離での爆音が続いていた為に麻痺しかけていた聴覚は、静寂すら音と感じさせていた。
 唐突な烈斗の言葉に、竜神は訝しげに首を傾げる。黙ったまま次の言葉を待つ様子はどこか不機嫌で。けれどそれは嫌悪だけではなく不可解さも含まれているようだった。視線を紅髪へと向け、言葉を促す。視線の先の少年は口を開閉させ、言い淀んでいた。けれど。

「…っ、だってさ!兄ちゃんが強いから峻サマが追ってるんだろ?そんなに強いんだったら………オレっちもう殺されてるんじゃないのっ?!」

 堰を切ったように叫んだ。
 突然の叫びに一瞬面食らった竜神だったが、烈斗の様子―――握り締めた拳と下向き加減の顔、そして真一文字に引き締めた口、そんな彼の様子に、次第に緊張が解かれる。思っていた通りのことが表面に現れたと、竜神は気付く。
 Mistyで、峻の命令で動いているとはいえ、やはりまだ子供なのだ。自分は殺されるかもしれない。そう考えて恐怖を感じない子供など、きっといない。殺気の込められていない攻撃は、彼にとってはゲームのようなもの。不意に現実に返る度、恐怖を感じた。だから時々声が裏返っていたのだろうと合点がいく。
 烈斗からは続きの言葉は発せられず。先に口を開いたのは竜神だった。

「お前は死にたいのか?」

 ビクリ、と。竜神の声が耳に届いた途端、烈斗の肩が跳ねるように震えた。顔を上げ、真っ直ぐに竜神に視線を合わせると、言葉を紡ごうと口が数回開閉した。そう言えば彼の瞳も自分と同じ青紫だと、竜神は不意にそう思った。

「んなワケ、ないよっ」

 ようやっと紡がれたのは、そんな言葉。確実な否定を吐き出した少年の肩は小さく震えていて。潤んだ瞳が真っ直ぐに竜神を捉えており、今にも泣き出しそうな少年は必死に助けを求めていた。

「けど、峻サマに嫌われたくない!」

 ―――やりたくないけど、やらなきゃいけない

「何でそこまであいつに従ってるんだ。あいつの方こそ人殺しだろ」
「分かってる!分かってるけどっ、峻サマは大切な人だから…っ、嫌われたくないから!」

 大切な人
 得て、失って、得たもの
 例え壊れた事に気付いても、それは大切なモノだから
 離れたくない


「………なんで、Mistyにいるんだ?」
「それはっ、……峻サマが大切な人だから……、一緒にいたいから、だからその為には何でもしなきゃいけないから……っ」

 途切れ途切れに、断片的な言葉を紡ぐ。はっきりとした答えは返ってこないが、少年が迷い続けている事だけは読み取れる。死にたくないが、死ぬかもしれない。死なすかもしれない。少年の瞳から一筋の雫が零れた事に気付き、竜神は拳を強く握り締めた。必死に堪える少年の姿が目に焼き付く。
 “死”という言葉が嫌いだった。
 終われば、もう元には戻せないから。失ったものは返ってこないから。
 誰であれ、それを望む事が許せなかった。
 だからずっと誓っている。

「俺は」

 少年にまで聞こえたのか、聞こえていないのか。それでも竜神は微かに、確かに言った。

「どんな奴であろうと、決して殺さない―――――」



***

 目が覚めると、陽が大分傾いているのが分かった。オレンジに染まりつつある空が、遠くに見える。ざわりと揺れる木々が風の訪れを告げる。光麗は大きく伸びをすると、そっと立ち上がり風に微笑みかけた。少し離れたところに2つの人影が見える。立ち並んだ2人に動きはない。随分と眠り込んでしまったようで、最後に何をしていたのかを思い出すのに数秒掛かった。そしてその数秒の間に、隣に人影が立っている事に気付く。木に背を預けながら、遠くの―――森の奥の奥を眺めているようで。光麗は背の高いその人物を見上げた。

「あの、どなたですか?」

 まだぼんやりとした頭で、警戒心の欠片もなく光麗は口を開く。呼ばれて気付いたのか、呼ばれるまで待っていたのか。そっと静かに顔を向けたのは、見知らぬ青年だった。薄い茶色の髪と、同じ色の瞳。目が合うと、彼のその瞳はすっと細められ、どこか笑みを浮かべたような表情となる。そのまま数秒が過ぎ、口元にも笑みが浮かべられた時、彼はようやく口を開いた。

「初めまして、遠風光麗」

 聞いた事のないテノールの声が、自分の名を呼んだ。ゆったりとして、柔らかで。不快のない、寧ろ心地よさを感じたその声は、光麗が“何故名前を知っているのだろう”という疑問を思い付く前に言葉を続けた。

「君の知りたい事、教えてあげられるよ」
「知りたい……こと?」

 唐突な言葉に、疑問を感じる事を忘れた。名乗る事のない男の不思議な物言いに、興味が向けられて。思わず復唱した言葉に男は頷き、再び柔らかく笑みを浮かべた。

「うん。例えば、両親の事とか」
「ッッ!?」

 言葉を詰まらせ、次が続かない。幼い瞳は大きく開かれ、不規則に揺らぐ。揺らぐが、視線は真っ直ぐに男へと注がれる。細められたままの瞳は、そんな少女を映す。小さな肩が小刻みに揺れるのを眺め、男は―――シーズはやはり静かに笑った。

 風が大きく唸りを上げて森を駆け抜けた。



***

 間に合ってくれ。何も出来ないなんて、情け無さ過ぎる ―――――

 遊龍は、全力で走っていた。何か、唐突に嫌な予感が頭をよぎった。
 光麗の元を離れて、しばらくの時間が経って。それでも涼潤たちの姿は見当たらず、首を傾げながら、光麗の元へと帰るつもりだった。けれど、不意に鼓動が高まった。何があるのかは分からない。けれど、それは突然で。そう思った途端に、強い風が、まるで自分を追い抜いていくように駆け抜けていった。その所為で嫌な予感は、妙に現実味を帯びてしまった。
 風の言葉が聞きたい。そう強く思っても、叶う事はない。
 走っているからなのか、それだけではないのか。強い風は遊龍と併走しているかのように真っ直ぐに駆けていく。それに負けじと遊龍も、強く地面を蹴った。一体どれくらい離れたところまで歩いてしまったのだろう。遠いのか、近いのか。その感覚すら分からなかった。

「何もっ」

 もしかしたら、風は道案内をしているのかもしれない。そして自分は、無意識に彼らを追い掛けていた。それはつまり、やっぱり。

「何も起きてんじゃねーよ!」

 風の少女を、連想させた。



***

 同時に、顔を上げた。2人とも風上に顔を向け、そして黙り込み。突然吹き荒んだ風は、一方通行に駆け抜けると再び穏やかさを取り戻した。否、静かになっただけ。気配だけは、荒んだままだった。

「行かなくて良いの?」

 真鈴が先に声を掛けた。涼潤は何も言わずに、視線だけを彼女へと向ける。その瞳はまだ鋭いものだったが、どこか暗い影を宿していると真鈴は気付く。この少女も、何を考えているのか分からない。不意に伏せられた顔には、表情らしい表情を窺う事が出来なかった。
 風が、廻った。遠くの音が耳に届く。風が伝えるもの。

「あなたは、気付いてないでしょ?」

 真鈴の言葉に、ハッと涼潤は顔を上げた。まだ、睨まれている。けれどその反面、彼女は怯えているようにも見えた。複雑な表情を浮かべた彼女は、しかしまだ何も言わなかった。引き締められた口が、無言で言葉の続きを促す。真鈴はドキリとして、そして自分が緊張している事に気付いた。自分もまた、彼女を怖がっている。
 陽が傾いてきている所為で、辺りは薄暗い。頬を撫でる風がどこか不快だった。

「あなたが気付いているのは、あなたの仲間の“誰か”が危険だという事。風の“音”を聞く事が出来るから、私には分かる。この声は、光麗ちゃん。それと、……シーズ。2人が今、接触してるの」

 スッと、涼潤の顔色は失せた。鼓動が止まるかと思った。思わず駆け抜ける風を掴んで、叫びたくなった。けれど、身体は硬直したままだった。
 伝える真鈴の口元も震えていた。よくもまぁ、あんなに強気に言葉を発せたものだと我ながら驚く。早いところこの場を去りたいと、我が身の危険を感じた時にそう思った。だからこれは好機かもしれない。だから、涼潤がすぐに駆け出さなかった事が不思議でならなかった。彼らは仲間、じゃないの――――?
 ふと涼潤の表情に目を向けた時、その冷たい光に真鈴は身を竦めた。ほんの僅かな間に変貌した彼女の表情は、あまりにも。

「シーズ。あいつが居るのね」

 小さく、小さく呟くと涼潤は、まるで真鈴などその場にいなかったかのように、振り返る事なく駆けだした。ただ目前の事へ、一目散に。揺れる長い焦茶色の髪が、木々の間へと消えていった。
 涼潤の姿が完全に見えなくなって、脱力したように真鈴は地面にぺたりと座り込んだ。視線はまだ、涼潤が消えた方角を向いている。けれどぼんやりとした視界で、自分の視線が定まっていないと気付いた。地に着いた指が細かく震えて。
 恐怖だった。あの少女の表情はあまりにも冷たくて、酷薄で。うっすらと笑みすら浮かべていたあの顔を、思い出す度に身が震えてしまった。

「なんなの、あの子………。何をそんなに、憎むの?」

 強い憎悪の宿った赤紫の瞳を思い出して、それが殺意だったと思い当たる。だからこんなにも、震えてしまうのか。あの瞳に自分の姿が映された事が怖かった。けれどきっと、彼女の瞳には自分は映らなかった。通り越して、遠く。“彼”の蒼しか、映されていなかったように感じた。
 自分のみの事よりも、これから先起こるかもしれない出来事が。誰かの命が奪われるかもしれないという事が。例えそれが行き過ぎた予測だったとしても、外れる可能性があったとしても。ただひたすらに“死”が怖かった。

「殺さないで……」

 小さな呟きが、風に揉まれて消え去った。



***

「お父さんやお母さんのこと、知ってるんですか?」

 しばらく口を閉ざしていた光麗が、ようやっと口を開く。静かに、柔らかく。笑みを浮かべた口元で、シーズはその顔を光麗へと向ける。少女の真っ直ぐな視線が彼にぶつかり、一拍おいてシーズは答えた。

「知ってるよ。どうして死んでしまったのか、もね」

 光麗の瞳が大きく揺れた。風がざわつき、木の葉が散って。少女の心の乱れを顕著に表す。一度下を向いた少女は、震える拳をギュッと握り締め、懸命に気を落ち着かせようとした。言葉が揺れるのを抑えようと、息を吸い込み、吐き出し。そして、スッと顔を上げた。

「教えて下さい、お父さんたちのこと。どんなことでもいいんです、知りたいんです!」

 引き絞るようにそう言って、少女はまた俯いてしまう。膝の上で握った拳が震えているのを、シーズはしばらく見つめていた。静かに、風が不協和音を奏でる。

「どんなことでも、ね」

 光麗から視線を外し、森の奥よりももっと遠くを見つめるかのように視線を投げ、シーズは誰にも聞こえないような呟きを漏らす。うっすらと浮かべた笑みは相変わらずだが、今は落ち着いた、静かな表情も混じっていた。再び光麗に視線が戻されると、彼はふっと目を細めた。
 そっと差し出された手に気付き、光麗は顔を上げる。

「聞く勇気があるのなら教えてあげる。僕に着いてくるかい?」

 問われた光麗の目には、迷いはなかった。疑うことなく、力強く真っ直ぐに、首を縦に振った。


 不意に感じた違和感に竜神が振り返ると、そこには見知った姿と見知らぬ姿があった。気配が絶たれていたのか、背の高い男が現れた事にすら気付かなかった。何をしているんだ、そう思った瞬間に、彼らの横の茂みからガサリと盛大な音を立てて遊龍が飛び出してきた。その切羽詰まった様子を見た途端、風が忙しなく騒いでいる事に気付く。様子が、おかしい。
 竜神と遊龍の様子に気付いた烈斗もその視線を追い、この場にいるはずのない男の姿を認める。

「光ッ!」

 目の前に映った光景に遊龍が叫んだ一瞬あと、仄白い光がシーズと光麗を包み込み。そして光が消えたあとには、2人の姿はどこにもなかった。