Encounter
15
それはそれは太古の昔。世界に人間がまだ生まれていない、神成時代と呼ばれる時代。
この世界は“神”と呼ばれる者たちによって築かれていました。土地を作る神、植物たちを根付かせる神、水の流れを司る神。彼らは自分たちの住みやすい環境を、自分たちの手によって創り上げていました。世界の基盤を創り上げた1柱の創造神と、創造神を補佐する3柱の神を中心として。その世界は、何年も、何万年も続いていきました。
しかし、ある時突然“邪心”が生まれました。
創造神は、悪しき心を創ってはいませんでした。しかし、何万年という長い年月の間に“邪心”は生まれてしまったのです。初めは小さく、弱いものでした。誰のモノ、と特定する事も出来ません。しかし誰かが気付くよりも早く“邪心”は集まり、次第にその力を強めていったのです。
“邪心”とは心。つまり実体を持つモノではありません。今で言う人間が、誰しも持っている、その程度のモノです。ところが神々はその存在すら知り得ず、拒絶し、放置したのです。集まり固まった“邪心”は、やがて“邪神”として実体を持ってしまいました。そうなった時に神々は、事の重大さに気付いたのです。神々は絶望に項垂れ、生きる気力を失ってしまいました。不死である神にとって、生きる為の力は、生きようとする気力です。生きようとする気力を失った途端、神は消滅してしまうのです。“邪神”が現れた事によって、神々は次々と消えていきました。
創造神が崩壊とその原因に気付いた時、既に神々の数は以前の3分の1程度にまで減っていました。その現実と、仲間を救えなかった事を、創造神は酷く後悔しました。そして、この崩壊を食い止めようと決意しました。世界を創り上げた創造神、フェイゼニスの力は絶大で、崩壊を食い止める事に成功します。しかしまだ、崩壊の原因である邪神は残っていました。そこでフェイゼニス神は、補佐神である戦神≪イクサノカミ≫、護神≪マモリノカミ≫、導神≪ミチビキノミカミ≫らと共に、邪神を倒したのです。
邪神が倒された事により、再び世界に平穏が訪れます。けれど、世界に残された傷跡は深く、多くの神々が消え去ったのも事実でした。そこでフェイゼニス神は、これ以上世界を滅亡させないようにと、自分たちに似せた“ヒト”と呼ばれる生き物を創りだし、彼らに世界を託しました。そうして、自分たちは彼らを見守る事にしたのです。
「ッて、いきなりんなこと言われて分かるかーッ!」
結局、遊龍にはそう叫ぶことしかできなかった。
***
光麗とシーズが消えてから、数時間が経った。その間に陽は沈み、朝を迎えた。何が起きているのかさっぱりな状態で、残された遊龍と竜神には何をすればいいのかが分からなかった。とりあえず涼潤が戻ってくるのを待とうと結論づけたのだが、一向に彼女が戻ってくる気配はなかった。陽が昇り、いい加減捜しに行った方が良いと2人が立ち上がった時に、彼女が現れたのだった。
「何よぉ、せっかく私が“邪神ライヒンス”の話をしてあげてるっていうのにぃ。大体何でフェイゼニス神とライヒンス神の戦いを知らないのよ。常識問題よぉ?」
「んなこと知るかッッ」
突然やって来た真鈴は、遊龍と竜神、そして烈斗の様子に一瞬息を飲んだが、呼吸一つの間に平静を取り戻す。烈斗を呼ぶと、2人へと向き直り、こう問い掛けてきたのだ。
『邪神ライヒンスって知ってる?』
答えは生憎2人揃ってノーだった。そして、心底呆れた顔をした真鈴によって長い説明が始まったのだった。
遊龍が威勢良く叫ぶと、真鈴は複雑に顔を歪める。竜神はひとつ息をつくと、彼女へと視線を投げかけた。
「で。そんな話をしておいて、涼や光麗に関係がないとか言わないだろうな」
落ち着いた声の竜神に、遊龍も真鈴も言葉を止めて彼へと振り返る。真鈴は真っ直ぐに彼へ応えた。
「直接的には、関係はないかもしれない。でも、きっと関係が無い事はない」
静かに、けれどきっぱりとそう言うと、真鈴は強く拳を握る。未だ震える指を押し隠す。鋭い赤紫が脳裏をよぎる度、恐怖を感じる。だから、今ここにいる。どこにも、居たい場所が無くなったから。
「Mistyの目的よ。正確には峻くんの目的、かしら」
遊龍も、竜神も。ビクリと動きを止めた。同時に真鈴へと向けられた視線は、疑心と警戒。誰もが黙り、静かすぎる空白が流れる。雲行きが怪しい空は、新しい朝だというのに太陽の光を隠す。どんよりとした灰色は、誰かの表情のようだった。
「言って良いのか?そんなこと」
竜神が口を開く。固まった空気の中で、誰しも動きを止めている。けれど真鈴は、臆すことなく凜と話し出した。
「確かに、峻くんに怒られるかもしれない。でもシーズがあんなコトしたんじゃ、今更何しようが変わらないと思うのよね。それに彼があぁじゃ、私たちきっと峻くんの所に戻れないから」
真鈴の横で、不安気に烈斗は彼女を見上げた。煤で黒く汚れた衣服を見下ろして、真鈴は口を引き結ぶ。そのあと、大丈夫、とでも言うように微笑みかけ、再び視線を正面の2人へと戻した。遊龍が真鈴の言葉への疑問を口にする前に、彼女はまた話し始める。
「さっきの神話、聞いてて気付かなかった?フェイゼニス神の補佐神である、戦神、護神、導神。彼らの力が、あなた達の力なのよ」
「「………は?」」
真面目な顔で、突拍子もない話をされて。正直なところ、神話がどうという話すらも2人には曖昧な世界だった。言われている言葉が理解できず、2人の声は見事に重なった。
「………。つまりねぇ。人間たちを見守る事にした神たちは、人間たちに紛れ込んだの。様々な人たちに転生して、今もずっと。それが今、あなた達に転生しているの。だから、あなた達にはその神の力が宿っているのよ」
しばし沈黙。
はぁはぁと息を切らして全力で説明した真鈴は、ちらりと2人の様子を見やる。ぽかんとした彼らの様子に、ほんの少しの期待とそれを上回る不安を抱く。最初に口を開いたのは、竜神。
「面倒だ。お前が言え」
「おうよ」
お前と呼ばれたのは言うまでもなく遊龍で。喧嘩の絶えないこの2人にしては珍しく、意見が一致した。
「だ・か・ら!いきなりそんな神だの転生だの力だのと言われて納得できるか!ワケ分かんねーんだよ!」
精一杯に叫ぶと、遊龍は大きく肩を落として溜息をつく。隣で聞いていた竜神までも頷いていた。真鈴は2人の反応に落胆し、そして頭を抱え込んだ。確かにそう簡単に信じられるような話ではない。けれど事実である以上、これ以外の説明方法が浮かばないのだ。どうしたものかと悩んでしまう。
「仕方ないわねぇ。じゃあ信じなくても良いわよ。続きを話すわ。要するに、神の持つ大きな力を手に入れたいと考えたのよ、峻くんは。その為に色々と準備をしてきた。私たちも手伝える事は手伝った。そうやってここまで来て…、来たのに」
「シーズとかいう奴が勝手な行動を取った、か」
言葉を竜神に遮られ、真鈴の動きが止まる。握る拳の強さが更に強まる。
「そのシーズって奴は何者なんだ?それに、そいつだけが裏切ったって言えるのか?」
竜神が疑問を口にする。神の力には関係のな光麗を連れて行き、リーダーである峻の計画を勝手に変えた。けれど計画は、元々こうなる予定だったのかもしれない。彼女たちに知らされていないだけで。全ては憶測に過ぎなく、考えても正解を得る事は出来ないのだが。考えられるパターンをいくつも考えては、不快さに表情を歪める。
真鈴が返答に戸惑っているのは、秘密事だからと言うわけではなく、本当に知らないからなのだろう。
「シーズは異大陸の人で、魔術師なのよ。とても強いらしいわ。それ以外はよく分からない。あの人、何考えてるのか分からないのよ。でもきっと、彼がMistyに居る理由は、私たちとは違う理由なんだと思う」
「絶対アイツ、何か企んでるよ!峻サマが変になったの、アイツが居るからだもん」
ずっと黙っていた烈斗が、半ば叫び気味に訴えた。その目は真剣で、必死で。泣き出すんじゃないかと思う程くしゃりとした表情は、それでも何かを堪えているようで。ギュッと真鈴の衣服の裾を掴んでいた。
「(これは……)」
遊龍の脳裏には、疑問符と不安感と、とにかくよく分からないものがごっちゃとなって渦巻いていた。何も整理が着かない。結論も何も、出すどころじゃない。
「(更にヤバイ事になってるのか?もしかして)」
ぶわりと通り過ぎる風は、4人の間をすり抜け空高くへと舞い上がっていった。
***
風が薙いで
髪を揺らして
純粋に、知りたいだけだった
ただ、それだけだった
家族の事を知るのに、勇気なんていらないと思っていた
後悔なんてしないと思っていた
だから、彼の言葉は、鋭く尖ったナイフのようだった
***
「なー」
話が一通り済み、静まりかえっていた場に遊龍の声が響く。誰に宛てた言葉なのか分からない為、その場の3人が彼へと振り返る。風が居るのか居ないのかすら分からない。光麗が居ないからなのか、風が酷く寂しいと感じた。
「思ったんだけどさ。そのよく分かんねー力が目的なんだろ?んで、その力を持ってるのがオレと涼と竜で。…って事はもしかして、オレらの親が死んだのも関係あるワケ?」
疑問符を浮かべながらも、遊龍の言葉には確信が含まれていた。見上げるような視線で、真実を求めようと真鈴を見据えている。普段滅多に見せる事のない真面目な表情に、真鈴は言葉を詰まらせ、表情には困惑の色を浮かべた。
何も答えないのを肯定と取ったのか、彼女の言葉を待つことなく遊龍は一つ頷き、立ち上がる。座り込んだままの真鈴は、視線だけで彼を追った。
「ま、それはいーや。オレは光と涼、捜してくる。お前らも早く帰った方がいーんじゃねーの?」
それだけ言うと、遊龍はそのまま歩いていく。向かう宛てはあるのかは分からない。けれど案内をするかのように風が彼の周りを回り、白い鉢巻きを靡かせた。いくつかの風は、遊龍にも懐いているのかもしれない。
「ま、アイツの言う通りだな」
遊龍の姿が見えなくなってから、竜神もそう言って立ち上がる。真鈴はやはり座り込んだまま、彼を見上げる。
「お前らは峻とかいう奴が心配なんだろ?俺らはそいつの事、一発二発はぶん殴ってやりたいんでね。早く帰った方がいいぜ」
言葉こそ乱暴だったが、瞳はどこか優しさを含んでいる。そう真鈴は感じた。烈斗も、彼の言葉の裏を知っていた。口は悪いが、その言葉には相手を気遣う優しさがあった。
ならばと。真鈴はタンッと軽く立ち上がると、黒髪の少年へと視線を定め。
「なんだよ」
「3人を止めて」
「…3人?」
きっぱりと、真っ直ぐに言い放った。これは願いだ。懇願だ。自分の力ではやれる事が限られてしまうから。彼らなら、出来るから。ただ止めて欲しい。“死”という恐怖から解放して欲しかった。
「涼潤ちゃんと会ったのよ。あの子、酷い殺気を持ってた。きっと2人を殺す気でいるわ」
無意識に髪をかき上げ、その位置で強く右手を握り締める。震えはまだ、止まらない。どこからあの殺気が生まれてしまったのだろう。恨みを買う事をしたという事は、否定できるようなものではない。けれど竜神や遊龍と比べて、彼女の怒りは尋常なものではなかった。
「でも、あの子1人で、…どうにか出来るワケがない」
静かに、そう言って。竜神は、真鈴が言わんとする事をすぐさま理解する。涼潤の手が汚れるか、彼らの手が再び汚れるか。どちらの結果も望ましくない。いや、起きてはいけないのだ。
「涼……」
ぼそりと呟いて、竜神はまた黙り込む。黙り込むがそれはすぐに終わり。パッと顔を上げると、透き通る青紫の瞳が明るく真鈴を映して笑った。
「涼の手は汚させねえ。それに殺されて堪るか」
大切な人 大事な人だから
例え想いが伝わらずとも、守り抜きたい
決して、道を外させたりなどしたくない
自分は彼女に助けられたのだから、今度は自分が彼女を助けなければならない
手遅れになる前に
そして、あの2人も
自分たちの人生をぶち壊した2人も
彼らも止めなければならない
力だのなんだので、勝手に運命を変えられて堪るか
くるりと真鈴の方を向き、竜神は口を開く。
「お前らはお前らで、死ぬなよ?後味悪ぃから」
そう言って、竜神は遊龍の消えた方角へと走り去っていった。あっという間にその姿は木々の間に隠れてしまい。
あとには真鈴と烈斗が佇み、砕けた石碑が静かに転がっているだけだった。
***
風が薙ぐ。
強く、激しく。少女の動揺を、そのまま具現化したかのように。
「なん…て」
か細い声がする。風の声に負けてもおかしくない声。目を見開いたまま、目前に立つ男が次に発するであろう言葉を待つ。けれど、それよりも先に。ガサリと音がして、その場に人影が増えた事を知らせる。それはとても絶妙で、最悪のタイミング。
光麗の視界には、蒼白な顔でこちらを凝視する姿が映った。
「りょ……」
―――――涼ちゃん
ただ一言、それだけなのに。
呼べない。呼ぶ事が出来ない。
呼んでしまうと、彼女が返事をしてしまうと。
全てが壊れそうな気がした。
風の声だけが、異様に耳に残る。いつの間にか、視界が滲んでいる事にも気付いた。それは自分だけではないようで。赤紫の瞳に、雫が溜まる。そして、一筋の涙が零れた。
途端に。
背を向けて、長い髪を大きく揺らして。瞳を濡らしたままの少女はその場を走り去ってしまった。その背は、すぐに見えなくなる。手を伸ばそうと上げかけた手は、半分にも届かないところで止まる。
何も、できない
呼び止める事も、叫ぶ事も、追う事も
彼の言葉を信じたわけではなかった。
信じる気なんて無かった。
けれど、目の前で涼潤が走り去ってしまったから。
涙を零して、逃げ出してしまったから。
本人も、知っているという事
どうすれば、いい―――――?
男の言葉だけが、頭に響く
「雷空涼潤。彼女が君の両親を殺したんだよ」
***
どうしてこんなことになった?
どうしてこんなに苦しい思いをしないといけない?
止まることなく溢れてくる涙は、足下に落ちては消えてゆく
ただの他人だって
そう思ってしまえば、きっとまだ楽なのに
そうすれば、こんな思いはしなくて済むのに
今は、
後悔という悲しみで泣かせて―――――?