Encounter
24
ここ、どこ―――?
なにしてたんだっけ
森にいて
じゃあ、なんで?
風がいない
思考が纏まらない。
纏まらないまま、思考が巡る。
お父さんと、お母さん―――?
事故でビルから―――
違う
そうじゃない
殺されたんだ
―――誰に?
どうして?
雷空涼潤
この子が2人を殺した
なんで?
殺される理由なんて、あった?
3人があの場所にいた理由って、何?
どうして何も分からないの―――?
***
「あ………れ?」
急速に靄が晴れていく気がして、思わず光麗はとぼけた声を出してしまった。しかしそれを気に留める人は、どうやらここには誰も居ないようである。ついさっきまで渦巻いていた思考は靄と共に消えていき、今はもう殆ど覚えていない。夢だったのか、自分の考えだったのかも定かではない程曖昧な、渦だった。
身を起こして、いつもと違う感覚に気付く。森に来てから一度も感じた事の無かった柔らかな感触を感じ、自分の居る場所へと彼女は目を落とす。光麗はベッドで眠っていた。辺りを見回せばそこは、見知った木々の覆い茂る森ではなく、無機質な石造りの部屋だった。窓はあるものの光が入り込まない所為で、部屋の中はやや暗い。風を感じない室内で、光麗は急に孤独感を感じた。
おずおずと立ち上がる。少しだけふらりと目眩を覚えた頭を押さえ、でもすぐに治まるそれと合わせて当てた手を離した。窓の外には、雨上がりの空が広がっていた。光麗の記憶の中に、雨が降ったというものはなく、彼女はきょとんと首を傾げる。しかし自分が今ここで眠っていた事を考えると、覚えていないのも仕方がないのだろうと思い直した。
「涼ちゃん………」
落ち着いてきた頭の中で考えるのは、あの少女の事。大切な人を、殺したかもしれない大切な人。
「どうしてなんだろ」
両親が死んだ理由というものからは、ずっと目を背けていた。死という事実を認めたくなかったからでもある。それを今になってぶつけられて、どうすればいいのかが光麗には分からなかった。
シーズに両親の死の事を告げられ、動揺しなかった訳ではない。しかしそれ以上に不信の方が大きかった。見ず知らずの男に突然言われても、信じられるような話ではない。けれどその話を肯定したのは、涼潤本人である。光麗の目の前で走り去ってしまったのは、そういう事なのだろう。
「………どうすればいいんだろう……」
光麗は優しすぎた。
出会った全ての人を大切にし過ぎて、本気で怒る事も、人を恨む事も出来ず。1人だけで悩んで、それでも誰かの所為には出来なくて。だから。
『ねぇ、なんでそんなに考え込みますの?』
彼女を呼び出してしまう。
頭に直接響く声に、もう驚く事はない。慣れてしまっているのだ、ずっと昔から。かつては加減が分からず声に出して行っていた会話も、今では思考だけで会話をする事が出来る。不思議な存在が、光麗には居た。溜息をついてしまいそうな呆れられた声に、光麗は言葉ではなく唸り声を返した。
『あんな場所にいた両親を恨むか、導神の娘を恨むか、どちらかにすれば楽になれますのに』
声は続ける。導神の娘、それは涼潤の事である。声だけの彼女は、涼潤の事をそう呼んでいた。一度も、名前で呼んだ事はない。
「ライヒ、光はどうすればいいの?人を恨むとか、したくない……」
辺りには誰も居ないから、光麗は声に出してそう話しかける。すとんとベッドへと腰を下ろし、膝の上で握った両の拳を眺める。端から見ればまるで独り言である。けれど彼女にとっては会話。声だけの存在―――光麗は彼女を“ライヒ”と呼んでいる―――、は物知りだった。光麗の知らない事や、古い時代の話を教えてくれる。風が光麗に伝えるのは、現在起きている出来事であり、過去に起きていた出来事や知識は、寧ろ“ライヒ”に教わる事の方が多かった。彼女と話している時に風は語りかけてこなかったし、風と話している時は“ライヒ”も語りかけてはこなかった。
『どうして貴女はそんなに悩みますの?貴女は何も悪くありませんのに』
「でも―――…」
簡単にそう言いきってしまう彼女の言葉に、しかし光麗は頷く事は出来なかった。出会った人たちの誰も“悪”にはしたくなかったのだ。涼潤の事も、自分の事も含めて。涼潤の所為で、と思ってしまっている所はどこかにあるのだろう。けれど彼女にも事情があったのだと、彼女もきっと悪くないのだろうと、光麗はそう強く思っていた。だからこそ今、どうしたらこのモヤモヤとした感情が晴れるのかが分からなかった。
『―――ねぇ麗。その立場が嫌で、そうやって悩む事が嫌、なのでしたら、そろそろ替わって頂けません?』
呆れたような、ムッとしたような声とは打って変わって、突然投げ掛けられる優しげな甘えた声。光麗はこの声を知っていた。「替わる」という言葉の意味も、知っている。ふるふると首を横に振ると、光麗は口を少しだけ尖らせた。
「替わったらまた暴れるでしょ」
まるで小さい子供を叱るかのような口調で、そう言った。もちろん、彼女が本気で替わる気なのであれば、そんな言葉など通用しない事くらい分かっていたが。彼女は優しかった。両親がいなくなり独りになった光麗にとって、唯一の話し相手。森へ行こうと勧めたのも、彼女だった。結果その森で風と出会い、遊龍と出会った。
『しやしませんわ。わたくし疲れてますもの。それでも貴女に替わって悩んであげましょうって思ってるだけですわ』
「ライヒが“外”に出たら、光、もっと悩むよ」
『心外ですわ』
彼女の物言いに茶目を感じ、クスリと笑ってしまう。“外”に出て何をする気なのかは分からない。行く場所はもしかしたら―――という宛てが無いワケではない。けれどその場所へ行った後の結果は、分からない。
けれど心の奥底では、替わってしまいたいと思っていたのかもしれない。解決方法へと辿り着けない今、ぐるぐると悩むのは嫌だと。
少しだけ、彼女に任せてみようかと光麗は思った。
***
景色は相変わらず変わらない。歩き始める時に定めた方角に向かって真っ直ぐ進んでいるものの、果たして道は逸れていないのだろうかという不安は拭えない。最初のものから数えて計3回程水柱が上がったが、それ以来は見掛けていない。3回目の水柱が上がったのは、半時程前の事だった。会話の途絶えた遊龍と流黄だが、遊龍の方は声を掛けるタイミングをひたすら窺っていた。
「なー、ひとつ聞いていいか?」
これがベストのタイミング、とは言い切れないが、遊龍はそう切り出した。少し前を歩いていた少女、流黄は何も言わずに振り返り、首だけを傾けて質問の続きを促す。ご丁寧に足まで止まってしまったので、遊龍も揃えて足を止めてしまった。
「あ、歩きながらでも良いんだけどさ。その……神?の事とオレらの力……ってヤツの事、知ってたら教えてくんない?」
そう言いながらも遊龍は、そう言っている自分に違和感を覚えてしまう。炎使いだとか魔術師だとか、そういう類のものは既に身近になってしまっていたから不思議はない。目にも見えているモノだ。けれど“神”の力がどうこう、といった話はまだ身近ではない。存在していないと思っていたモノを目の前に突き出されても、理解が追いつかないのだ。しかし流黄を含め、峻にもシーズにも絡んでくるそれらの事象は、どうやら無視出来ないようで。半信半疑ながらも問い掛けたのだった。
「神………。あの石碑は見たんだよね」
ぼそりと呟くように言うと、確認するように遊龍を見上げる。「あの石碑」というのは竜神たちが破壊してしまったあの石碑の事だろう。彫り込まれた図柄のような物の羅列は、遊龍と竜神、そして涼潤にだけ一部とは言え読む事が出来た。恐らく文字なのであろうが、彼らがそれを文字として理解しているとは言えなかった。読むというより、感じていたのだ。
歩きながらでも良いと言ったにも関わらず、2人の足は止まったままだった。遊龍は足を進めようとしたが、流黄が見上げてきた事で思わず動かすのを止めてしまった。見かねた流黄は、顔を逸らしてゆっくりと歩き始め、それに倣って遊龍もゆっくり歩く。
「見たよ。アレってなんなの?意味分かんないものが書いてあって、…でも俺と竜と涼はちょっと読めて…」
「あれは、神々の歴史を記した古代の石碑。書いてあったのは古代文字。普通の人に読めるはずがない。らしい」
「……………はぁ?」
らしい、と言っている辺り、大方シーズに教えられた情報なのだろう。けれど争点そこではない。神の歴史、古代、そして「読めるはずがない」と言い切られているのが酷く気に掛かる。ああまたよく分からない膨大な話が出てきた、と聞いた張本人である遊龍は項垂れるのだった。
「簡単な話だよ。神サマは世界を創る時にリュート大陸を最初に創りました。そして神サマ達はリュート大陸を中心に世界中で栄えました。そして最期はリュート大陸で滅びました。そういう昔話。その祈念と慰霊の意を込めて立てたのが、あの石碑」
昔話として聞くだけなら話は簡単だ。けれどそれを事実と仮定した場合、とてつもなく途方もない話となってくる。そもそも大陸なんて創ろうと思って創れるモノなのだろうかと考えてしまう。いや今全く関係ないのだが。
「なんかよく分かんないけど…。というか、なんでオレらはその古代文字ってヤツが読めたワケ?」
思った疑問をそのまま口に出した途端にポカンとした表情で足を止めた流黄を見て、遊龍は何か妙な事を言っただろうかと首を傾げた。再び止まった2人の足である。流黄は呆れたようにひとつ息を吐いた。
「………あんたさ、真鈴の話聞いてなかったの?」
「へ?」
「あんた達には創造神の補佐だった神の力が宿ってるって言ってなかった?だからその力が作用して、部分的にだけど読めたの。分かる?」
早口でそう説明すると、流黄は再度歩き始める。今度のスピードは少しばかり早めだった。「ちょっと!」と声を掛け、遊龍は慌てて彼女の横に並ぶ。無表情に歩き続ける流黄の表情を覗き込み、変わらないそれにどう対応して良いのかが分からなくなる。
「あんたが読めたのって、戦神の部分でしょ。つまり、あんたの中に戦神が眠っていて、その力が作用して古代文字が読めたってこと。自分のとこだけ読めるなんてどういう自己中なんだって感じだけど。戦神が目覚めたら、全文読めるはずだよ」
「オレの中に、戦神が………?」
「そういう事。分かった?」
確認する時に首を傾げるのは、彼女の癖なのかもしれない。咎められるように訊ねられると、分かったとしか返せなくなってしまう。全てが分かったとはとてもじゃないが言えない。しかしなんとなく、本当になんとなく表面的な事くらいなら、分かったと言っても嘘ではなくなってきたかもしれない。遊龍は自分の胸を叩き、解せないといった表情を浮かべる。表面的な事は分かっていても、「自分の中に古代の神がいる」と言われて一体どうやって納得しろと言うのだろうか。叩いても、返事はないのだ。
陽が大分傾いてきている。夜が来ればこの森の中で人捜すのは難しい。少し歩む速度を速め、遊龍は次の質問を投げ掛けた。
「神話ってのはあの真鈴とか言う人から聞いたんだけど、なんで峻はオレ達の力を狙ってたんだ?シーズはフェイ……なんとかっていう創造神の力狙ってたんだろ?それがなんで補佐神の力まで…」
「創造神フェイゼニス。狙ってるって言うか、引き寄せられてるんだろうね、あっちもこっちも。創造神が最初に創った補佐の三神を、彼は大切にしていたっていう話だし、補佐神の方も創造神にとにかく忠義を誓っていたって。―――それに、峻の中にいるフェイゼニスの力は目覚めてないから、目覚めさせる為に補佐神の力が必要だとか思ったんだろうね、シーズは」
淡々と話される内容に、頷きながらも苦笑いを浮かべてしまう遊龍である。そもそも神話の内容そのままの性格をしているのだろうか、神という者は。そう思ってしまわなくもないが、聞いた内容をそのまま信じるのであれば、シーズが補佐神の力を求める理由へと繋がる。
何かしらの理由でフェイゼニス神の力を求めたシーズは、峻という器を手に入れる事には成功した。けれどその中に眠る力を引き出す事は出来なかった。だから彼を補佐していた神の力を手に入れ、フェイゼニス神の力を目覚めさせようとしている。要約したらきっとこんな感じなのだろうと、遊龍は纏める。力を欲する程創造神の力は強いのだろうかとか、そもそも本当に補佐神の目覚めで創造神は目覚めるのかとか、湧いてくる疑問は多々あるのだが、聞いた所で納得のいく答えが返ってくる訳がないと、口に出す事を諦めた。人が何を考えてどう動くかだなんて、本人に聞いたって本当なのかどうか判断し難いのだ。
「でも、シーズがやった事は、正しくなんかない」
ぽつりと呟く声に、占拠していた思考回路を開放させ、彼女へと視線を合わせる。いつの間にか俯いていた流黄は、俯いたまま口だけを動かす。
「補佐神の力を宿しているあんた達の事を知ったシーズは、力を目覚めさせる為に色んな事をやってる。あんた達の両親を殺したのだって、………その中のひとつだし」
ドキリと、息を飲み足を止めた。こんな場で、こんな状態で彼女が冗談を言うわけがないことくらい分かってる。分かっているし、心のどこかで関係があるんじゃないかとは思っていた。けれど唐突な事実に、落ち着いて向き合おうとすればする程頭はこんがらがる。相槌も打てずに、目前の少女を凝視した。2歩だけ遊龍よりも先に進んだ流黄も、足を止める。けれど振り返りはしなかった
「シーズが何を考えてやったのかは分からない。でも、精神的に追い詰めたら中の力が爆発するんじゃないかとか、そんな考えなんじゃないかとは思う。峻がそうだったように」
俯いたままなのは変わらず、ただ淡々とそう告げる。立ち止まってしまった2人に、陽が傾き長くなった木の影が覆い被さる。こういう時になって風の音が耳に障ると気付いた。木の葉の揺れる音が、遊龍の心境と被さる。
「大切な人がいなくなったら、崩れるって思ったんだろうね。涼潤と竜神は5年前だっけ。言い訳するつもりはないけど、涼潤の両親は峻が、竜神の父親は、………私が殺した」
震える声で。きっと言いたくはない事だったのだろう。言葉の感情は押し殺しているのに、発する雰囲気だけで痛みを感じる。流黄は、殺したくて殺したワケではない。自分の意思ではなくて、狂ってしまったシーズの意思で手を下した。しかし今の遊龍には、彼女に同情する事も、彼女を責める事も出来なかった。何を言ったって、自分に嘘を付くか、流黄を傷付けるかに決まっている。
流黄は言い訳めいた言葉を発する事はなかった。続けた言葉は、ただの事実。
「そしてそれから4年後。遊龍、あんたの両親は爆発事故で死んだ、って事になってるんだっけ」
「………うん。オレがちょうど家にいなかった時、に。帰ってきた時には家も何もなくなってて、…炎使いって事で俺の所為にされたんだけどね」
「え」
「ロザートだから、こういう力は嫌われてるんだよ。それで街には居られなくなった、と」
「そう……なんだ」
多分自棄になっている部分があるのだろう、と遊龍は頭の中でだけは冷静に解釈した。今言わなくても良い事を言ってしまっているとは思う。言った所で誰も得なんてしない。
「ごめん」
「あ、そういうワケじゃなくて………。こっちこそ、ごめん」
慌てて謝った所で手遅れだ。俯いた流黄に、遊龍は自分の言動を少しだけ悔いた。
またしても、言葉を続ける手段が無くなってしまった。双方が顔を背けたまま俯いてしまうから、何も進まない。けれど止まっている訳にはいかないのだ。大きく首を振り気分を少し晴らして、遊龍は歩みを進め始めた。彼に倣って、流黄も歩き出す。竜神からの連絡である水柱は、どうやらもう上がらないらしい。彼に何かあった、という心配よりも先に、暗くなってきているから寝ているんだろうか、と思ってしまう自分は案外脳天気なのかもしれない。
「そう言えば」
再び遊龍が声を掛けたのは、歩き始めて十数分、といった頃だろうか。薄暗くなった森の中で歩けるのは、きっともう少しの間だろう。流黄は今度は振り返るだけで、足は止めなかった。スピードを落として、遊龍の言葉の続きを待つ。
「あのさ、また言いたくない事、言わせちゃうのかもしんないけど……。オレの親もやっぱり、シーズに………?」
先程の流黄の言葉はきっとそう続くものだったのだろうとは思う。けれど結果的に途中で止めたのは遊龍自身だ。続きを促すタイミングを逃して間が空いてしまったが、歩いている間も気になって仕方がなかった。出来れば聞きたくないと思っても、事実はっきりとはさせたかった。
「そっか、言い忘れてたね」
遊龍の心境を察したのか察していないのか、流黄は変わらず単調な言葉を返した。夜というのは良いものかもしれない。表情が見えない事で、不安要素の少しが消える。少なくとも今は、2人ともそう思った。
「1年前、遊龍、あんたの両親の事は」
「シーズがやった」
流黄の言葉が止まった。
言葉だけではなく、足も表情もぴたりと止める。流黄の言葉の続きを紡いだのは、隣を歩いていた遊龍ではなかった。彼とは反対方向から声が聞こえたのだ。聞き知った、大切な声が。
2人の視界の片隅に映ったのは、蒼だった。
反射的に振り返るその先には、木の陰に腰を下ろしたままこちらを見ている影があって。暗いと言っても闇ではない。まだ顔も背格好も判別出来る程度の明かりは残っていたから、流黄は大きく目を見開いた。
「「峻―――――?」」
思わず漏れた声は、2人分が重なる。しかしそのニュアンスは異なっていた。驚きと不確定要素に対する疑心を浮かべるのが遊龍。驚きと、ただただ喜びと、しかしどうして?という疑問と、ごちゃごちゃとした感情が混ざり込んでいるのが、流黄。止めた足を進める事が出来ない中、彼はそっと立ち上がりそして、流黄にだけ視線を合わせて口を動かした。
「久し振り、ルキ」
本当に、優しい声で。