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Somebody Sings for Somebody

 普段なら目の前に居る筈なのは峻一人である。しかし今日は珍しく―――本当に珍しい事に、左翊も目の前に座っていた。
 三人で話す事が珍しい訳でも、喫茶店に三人が集まる事が珍しい訳でもない。組み合わせは何通りかあるが、どの組み合わせでもこの喫茶店は利用している。では何が珍しいのかと言うと、答えはテーブルに広げられた数枚の紙の中にあった。走り書き、言葉の羅列、五線譜にアルファベット。そしてそれらを組み立てたもの。
 迅夜は一枚の紙を手に取ると、さっと視線を斜めに流した。しっかり読み取った訳ではないが、全く読んでいない訳でもない。三回程視線を流すと、紙を持つ手を静かにテーブルへ降ろした。表情は先程から変化無し。峻は無表情に彼の挙動を眺めていたが、隣の左翊はどこか落ち着かない様子で迅夜の手の動きを眺めていた。
「これ」
 一枚目の紙を手にしたまま、迅夜が口を開く。左翊は思わず顔を上げた。
「サイも書いたの?」
 どきりと心拍数が上がったのは、実のところ左翊だけではなく峻も同じ事だった。

サヨナラの詞
込めた別れ
約束は散る
明日また交わすから

スキの言葉
言えないのはあなたの所為だ
ずるい表情
また出会えた奇跡―――?

「――っと、あとここがサイ。…当たり?」
 四色ボールペンの青と緑を使ってフレーズ毎に丸印を付け、迅夜はニッと笑った。全てのフレーズに丸が付け終わる頃には、峻も左翊も複雑な表情で項垂れる他無かった。
「………よく分かったな」
「何年の付き合いだと思ってんの。……なんかあった?」
 作詞や作曲といった曲作りの殆どは普段から峻が手掛けている。作詞であれば迅夜もする事はあるのだが、それが“曲”として成立するか否かは別問題であり、その言い分は九割以上峻の方が正しい。良く言えば独創的である迅夜の詞は、悪く言えばでたらめである。ともかく、それだけなのだ。左翊が今まで曲作り―――取り分け作詞に手を出した事は数少なく、音源として形になったものは一つも無かった。因みに、シングルカットされる曲は作詞者も作曲者も共に表記は“EA”である。アルバム収録曲の時だけ表記を個人名にする、というのは迅夜の気紛れなこだわりだった。
 まだ完成しきってはいない“新曲候補”の曲を再び眺めながら迅夜は答えが返ってくるのを待った。店内に流れる静かなBGMと、カウンターの奥から聞こえるグラスのぶつかる微かな音、そして迅夜が紙を捲る音しか、この場には響かない。待てども待てども二人からの返事はやってこなかった。
 そして曲の始めから終わりまでを四往復したところで、痺れを切らした迅夜が先に口を開いた。
「二人揃ってさぁ、恋してんの?」
 唐突な言葉と同時に、ピシリ、と場の空気が凍った。比喩でも何でもなく凍ったように動作を止めた作詞者二人を眺め、迅夜は呆れたように溜息を溢す。
「歌うの、俺なんだけど」
 一度だけ大袈裟に溜息と吐くと、迅夜は手元の紙面へと視線を落とした。描かれている五線譜のメロディラインに合わせてハミング、あぁでもないこうでもないとリズムを模索。溜息を吐いておきながらも迅夜の表情はどこか楽しげで、あっという間に一人の世界だった。動作が凍ったままの二人の事は完全に放置状態だったが、放っておいても暫くは溶ける気配がなかった。

「んー…、ルキってのは分かるんだけど」
 メロディラインから突然外れ、ぼそりと迅夜は呟いた。前後に繋がりの無い急な物言いは彼の言葉の特徴であり癖であり、欠点である。慣れない人が聞けば話が伝わらないのも無理はない。慣れている左翊や峻だって、不意を突かれる事が多いのだ。個人名が出された事で勢い良く顔を上げたのは峻だった。油断していたのだろう、明らかに目が動揺している。言うならば、“分かり易過ぎる反応”。迅夜はきょとんと首を傾げ、そして悪戯っ子らしい表情で笑った。
「あれ、違うの?」
 彼の疑問形は確信だ。視線はきっちり峻へと向けられている。何も返せずにいる峻の顔はさっと朱に染まり、そしてそのまま為す術無くテーブルに手を付いて目を伏せた。降参である。
「サイのはなぁ…心当たりのある女の子、居ないんだよね」
 白旗を上げた峻から、ターゲットは固まったままのもう一人へと移される。ここにきてようやく左翊は動作を再開させた。
「勘違いだからだろう、それは単に書いてみたくなっただけだ」
「あのねぇ、サイ。歌詞ってのは一番自分が現れる表現方法なの。何となくで書いたもの程、深層心理現してるものはない」
「それはお前の考えだろ」
「…ホントにそう思う?」
 面白そうな玩具を見つけた子供ような目で、迅夜は左翊の顔を覗き込んだ。じーっと左翊の目を見つめ、動きを観察する。不機嫌そうに眉を顰める左翊の瞬きの回数は、平常時に比べて多かった。クスッと迅夜は笑う。
「ま、俺も恋愛してない時に恋愛詞書く事はあるけど。理想?とかそんなので」
 言葉の途中で迅夜は視線を落とし、そして再び五線譜を目で追い始めた。小さくハミングするその様子に、危うく目を逸らしそうになっていた左翊は誰にもバレないよう静かに息を吐いた。

 歌詞の直しもメロディの大きな変更も無かった。基本的に迅夜は、峻が作った曲を頭ごなしに否定はしないし自分の作った曲を否定させない。“歌いたいように”、“演奏したいように”曲を作るのが彼らのモットーである。勿論、三人で演奏する以上軽く文句の一つや二つや三つや四つ出るのは常である。その度に何度も喧嘩腰の言い合いが発生しており、納得するまで喧嘩するのはプラスだ、と迅夜が言ったのはもう大分前の事になる。しかしどうやら今回は、激しい言い合いは発生しないまま終わりに向かいそうである。あとは実際に音を付けた時にどう意見が変わるかどうか次第。迅夜が大きく両手を伸ばして身体を仰け反らせると、峻と左翊は同時に息を吐いた。言い合いは発生しなかったものの、いつになく緊張した曲作りだったと、二人は感じていた。
「んーじゃぁ、あとは明日?空いてるんだっけ」
「明日…いや、明後日の午前からでいいか。明日は空いてない」
「あれ、そうなの?…分かった、勝手に歌っとく。峻は?」
「俺も明日は空いてない」
「………。何それ、二人ともデート?あ、二人でデー」
「「それは違う」」
 二人分の否定に、冗談なのに…とふて腐れる迅夜の声が続いた。バサバサと紙を纏め、半透明のクリアファイルへと仕舞い込む。筆記用具と共にファイルも全て鞄に入れ込むと、テーブルの上はすっかり片付いていた。ぽつんと残された三つのグラスは、どれも空だった。迅夜は鞄を手に持つと、じとっと目前に座る二人を眺めた。
「“それは”って、二人共付き合ってる人居ない癖に」
 ぶすっとした表情のまま、迅夜はそう言って立ち上がった。と同時にガタンとテーブルが音を立てる。おもむろに迅夜が見下ろすと、固まったままの表情で彼を見上げる二人と目が合った。今更気に留める事はない。思わず吹き出した迅夜は、鞄から財布を取りだしひらりと千円札を二枚落とす。
「んじゃ、また明後日。お二人はごゆっくり」
 くすくすと笑いながら財布を鞄にしまうと、迅夜は返事も待たずに店を出ていってしまった。残された二人は暫し呆然と、閉まってしまった扉を眺めていた。

 言いたくない事は言う必要はない、暗黙の了解でこのルールが適用されているEncAnoterであるが、実の所迅夜には、全てがバレているのだ。彼の類稀な、直感という荒技で。