Encounter
03
遊龍が光麗に追いついた時、彼女はすでに茂みを越え、少女の元へと駆け寄っていた。
「何があったってんだ………って！？」
光麗を見つけ、そしてその傍らにいる少女の姿を見、思わず遊龍は声を上げる。見知らぬ人、そして、彼女の全身から流れる赤い血。姿を現した遊龍に視線を移した少女の表情は、不審。こちらからも不審を抱かないことはないが、それよりも現状に対する混乱が先行した。何が起きているのか分からない状態で、とりあえず落ち着こうと様子を見る。そして、少女に対する不審が、「見知らぬ人だから」と言うことからだけではないと気付く。
紫の、瞳。
遊龍も光麗も、漆黒の瞳を持っている。しかしこの少女は、透き通るような紫。光が入るとその色は赤紫にも見えた。
「（確か、ルオで生まれた人は紫の瞳………だったような）」
昔教わった知識を、遊龍は思い出そうとした。勉強と名のつくものは嫌いだったが、知識を得ることは嫌いではなく、興味を持てばすぐに覚えられた自分の記憶力に感謝する。
リュート大陸にある４つの街、ロザート、ルオ、イオ、スイワ。そこではどういうわけか、生まれた街によってその人の瞳の色が変わるという現象がある。環境だとか、遺伝だとか、様々な仮説が立てられてはいるものの、どれもこれと言った根拠がない。つまりは原因不明。非科学的なことを信じないロザートでは、この不可解な現象のことを黙殺し、他の街を無きものとしている。そのため遊龍はこの事を知らなかったのだが、たまたま出会った１人のスイワの人に他の街のことを教わり、知ることとなる。スイワでは碧、イオでは緑、そしてルオでは紫なのだと―――
「ど、どうしよう、包帯とか、元の場所に置きっぱなしだよ。今から取りに行ったら時間掛かっちゃう」
慌てふためく光麗の声に、遊龍は現実に引き戻される。そうだった、と現状を思い出し、改めて少女の容態を見る。少女は身体を起こして座っている。一見平気なようにも見えたが、如何せん傷が多い。まだ血は止まっておらず、顔色も青いようである。しかし慌てる２人を交互に見やって、少女は口を開いた。
「大丈夫よ、このくらい。すぐ治る」
態度は気丈。しかし声は嗄れているようにも聞こえるし、どこか弱々しさを感じさせた。「すぐ治る」のどの辺が“すぐ”なのかは理解できなかったが、とりあえず無視することにする。少女が声を発したことで、余計に不安が増した。
「大丈夫なわけないよ、早く血を止めないと………」
おろおろとする光麗だが、どうして良いのか分からない様子である。どこから持ってきたのか、光麗が常に持っていた救急箱は元居た場所に置いたまま。治療する手立てはあるのに、今はない。対する少女は、こちらはこちらで戸惑っているようで、うろうろと落ち着きのない光麗を眺めて嘆息する。傷口は痛くないのだろうかと、遊龍は思った。
「仕方ないわね。………あんまり使う気はしないんだけど、あなたが不安なら」
「え？」
そういうと少女は、小さく言葉を紡ぐ。何をするのか見当もつかない２人は、疑問符を複数浮かべながらも黙って様子を見る。ふ、と。小さく風が動いた。そしてほぼ同時に、白い、淡い光が少女を包み込む。光麗が先程見た、あの光。そして２人は目を疑うことになる。傷が、みるみる塞がっていく。瞬き数度の間に血は止まり、傷は塞がり、あとには綺麗な肌が残るのみ。少女の髪がふわりと揺れると、白い光はその発光を止めた。
「すごい………」
思わず感嘆の声を上げ、光麗は少女の腕の様子を見る。つい数秒前までは血が流れていたのに、今は血の跡は残るものの傷は完璧になくなっている。まるで手品か魔法だ、遊龍はそう思った。ふうと一つ息をつき、少女は髪をかき上げ座り直した。思わず光麗も膝をつき、その様子を見た遊龍も何となく慌てて座り込んだ。
「ねぇ、今のってもしかして、属性力？あなたもそういう力持ってるの？」
勢いよく問いかけたのは光麗で、その唐突さと内容に遊龍も少女も顔を上げ発言主を凝視する。変なこと言ったっけ、とでも言わんばかりにキョトンとした光麗はしかし、少女の返答を待っていた。視線を合わせられた少女は、口を開く。
「あなた、ロザートの子………よね。なんで属性力のこと知ってるの？」
質問を質問で返され、その口調は少し強く。反論することも出来ずに光麗はどぎまぎとする。ほんの少し、緊張が走る。悪い人ではない、と思いたい。遊龍はそう思いつつ口を挟むタイミングを逃しつつ、傍観者となりつつあった。光麗のまごつく様にも動じず、ただ静かに答えを待っている少女に、光麗は自分なりの言葉を並べる。
「えと、光はロザートで生まれて、２年前にここに来て、属性のことは………光が属性者だからで」
まとまった文章ではなかったものの、少女はそれらを理解したようだった。納得した素振りを見せ、しかしまだ何か思案する表情を浮かべ。間を置いてから、そして話を進めだした。
「あたしは、雷空涼潤。見ての通りルオの住人。さっきのは属性力じゃなくて、魔術の一種。簡単な、あれくらいの術しか使えないんだけど結構重宝してるの。あなた達はなんでここに？」
少女、涼潤の自己紹介はそんな感じで。腑に落ちない部分があるのか、光麗は首を傾げたままだった。大方、ルオのことと魔術のことだろう。魔術に関しては遊龍も知識はなかったが、ルオはロザートの東側にある街だ、と光麗に囁く。分かっているのか分かっていないのか、光麗はへぇと頷く。膝を抱えるように座り直すと、涼潤に問われたことを思い出したようだった。
「２年前に、光のお父さんとお母さんが死んじゃったの。だから１人になっちゃって………。それでここに来たの」
「オレもほぼ同じ。去年事故で親が２人とも死んで、んでここに来た」
ぎゅ、と強く握った拳をまた開いて。そしてまたそっと握ると、心が静まる。無意識に光麗はそれを繰り返していた。風がくるくると回る。３人を囲うように回った風は、やがてまた空へと飛び上がっていく。遊龍が真上を見上げた時、そこにもう太陽はなく。大分斜めに傾いた太陽を見て、そういや昼飯食べてないやと今更のように胸中で呟いた。静かな時間が僅かに流れたあと、最初に口を開いたのは涼潤だった。
「なんで………？」
その声は小さく、掠れて。上の空だった遊龍はうっかり聞きそびれ、視線を涼潤に戻した時には彼女は言葉など発していなかったかのようにすっかり思案顔となっていた。光麗も言葉の意味を聞きそびれたらしく、首を傾げ涼潤を眺めていた。聞くに聞けず、２人はまた待つ側となる。
「あなた達、蒼い髪の男を知ってる？」
「蒼い髪？」
「そう」
ひとしきり考えた涼潤の言葉は、それだった。待ってもそれ以上に言葉がないことから、蒼い髪という特徴以外には何もないのだろう。遊龍も光麗もそれぞれ記憶を辿るが、それらしき人物は１人もいないようで。
「分からない、です」
「オレも。誰？それ。捜してる人とか？」
蒼い髪だなんて目立つ特徴、一度見たら忘れはしないだろう。心当たりはなくそう答えた２人に、しかし涼潤は肯定の答えを期待していなかったかのようで、さして表情を変えず、そうよね、と小さく呟いた。２人とも意味が分からず、怪訝そうな表情を浮かべる。涼潤は頭を振ると、２人を交互に見やった。
「あたしは、その男を捜してるの」
遊龍の言葉を用いて、涼潤は答える。その声のトーンが少し下がったような気がして、遊龍はほんの少し、身構える。なんとなく、あまり良い心地がしない。間が空きすぎてすっかり忘れていたが、涼潤が蒼い髪の男の話を始めたきっかけがどこか不自然なのも気になった。静かな間が流れるのは、穏やかだからではない。緊張―――そういった類のものが含まれていると感じた。
「どうして捜してるの？」
光麗が呟くように聞いた。この空気に光麗も少なからず不安を覚えているようで、その心情を感じ取ったのか、風もざわめき出す。くるくると回る風は、涼潤を包みそしてまた散ってゆく。光麗はその風を見上げることをしなかった。じっと、涼潤に視線を合わせている。
「………約束、なの。ここに来る」
十分な間を置いて、やはり呟くように涼潤は返した。言葉の意味には似合わず、あまりにも冷え切った声音で。思わず俯いた涼潤だったが、周囲の視線を感じてすぐに顔を上げる。不安げな表情を浮かべる顔が２つ。遊龍も光麗も、問いたい事はあるのに声を掛けるタイミングを逃していた。あ、と口を少し開け、涼潤は慌てて視線を外すと、静かに続けた。
「だから、ここでサヨナラね。ごめんね、お騒がせしてしまって」
数拍置いて意味を理解した遊龍は、え？と声を上げる。そしてその声は光麗のそれと見事に重なっていた。２人は思わず顔を見合わせると、そのまま揃って視線を涼潤へと戻す。当の少女はその反応に、また疑問符で返していた。え？というのは、どういう事？、と。
「人を捜してるなら、光も手伝うよ。１人で捜すのは大変だよ」
先に名乗りを上げたのはやっぱり光麗で。出遅れた遊龍も頷く。
「この森にいるって事なんだろ？１人で捜すの大変だって。迷うぜ、ここ」
光の道案内無いと戻って来れないもんなー、と笑って言うと、そうそう、と光麗も頷く。場が和んだようにも見えたが、涼潤は浮かない顔をしている。戸惑っているようにも見える。涼潤の様子が変わらないのを見て取ると、２人は笑いを収める。
「なー、オレ達じゃ役に立たないってか？」
「え」
遊龍が首を傾げながら問うた。人手が多い方が人捜しが少しは楽になると考えたのだが、それではダメだったのだろうか。涼潤の考えている事が分からず、様々な仮定を考えてみたがどれも違うような気がした。
「ううん、違うの。そうじゃない。ただ………迷惑になるから」
何か、隠している。
遊龍はふと直感した。きっとただの人捜しではないのだろう。選びながら発する言葉も、暗い「約束」という言葉も、どれも自分たちに気付かれないよう気を配っているようで。そして何より、この少女の最初の状況。あの怪我はどう考えても、自然じゃない。
けれどそれを問いただせる程、遊龍は自分の考えに自信を持てていなかった。
「迷惑なんかじゃないよっ」
思案顔の遊龍の横で、光麗が叫ぶよう言った。光麗に２人の視線が集まる。急な叫び声に、あぁそっか、と遊龍は思う。コイツは、お人好しなんだった、と。相手が誰であれ、出会った人を見放せない、別れたがらない奴。そこに引きずられて自分もここに居るんだった、と回想してから、涼潤の様子を伺う。戸惑っているような、困っているような。そんな表情を浮かべていて、そしてそこに光麗が続ける。
「迷惑なんかじゃない。涼潤さんの約束がどういうものなのかは分からないけど………、でも、きっと迷惑になんてならないよ」
一言一言選んで、言い切ると光麗は涼潤の返事を待った。視線を逸らさずにじっと見つめるその表情に、不安げな色を浮かべて。気が付けば風は止まっている。それはまるで動き回る事を止め、光麗と共に返事を待っているようだった。
涼潤は目を閉じていた。目を閉じて、静かに。そして開いた口から漏れるは。
「無理よ」
呟いた言葉に光麗は首を傾げ、遊龍は訝しがる。
「無理。あなた達は優しいんだから、無理よ」
「………どういう事？」
涼潤の、一見矛盾した意見に光麗が尋ねる。疑問符を浮かべて、というよりは、危惧。恐らく遊龍と同じ事を考えていたのだろう、２人は似たような表情を浮かべていた。閉じていた目を開き小さく首を振り、光麗に視線を合わせると涼潤は一言ごとに重みを付けて、ゆっくりと話し出した。
「あたしの捜してる人は、人殺しなの。あたしの両親を殺した奴。そしてあたし自身も、殺されそうになった。でも、生かされて。そしてこの森に来いって、そう言われたの」
黙秘を続けていた涼潤は、そう話した。言葉重く、静かに、ゆっくりと。自然と遊龍のの表情は変わる。そして、初めて光麗の顔に動揺の色が浮かんでいた。あまり、気持ちのいい話ではない。
「ね、だから、無理なの。相手は人殺し。あなた達と一緒にいて、あなた達を巻き込んだりしたくないの」
風が、動きを潜めている。静かに、静かに様子を伺っている。光麗は、ただ黙っていた。いつかの遊龍に対してと同じように、掛ける言葉を探しているのだろう、口をぱくぱくとさせて。けれど言葉が見つからないようで、今にも泣き出しそうな瞳で涼潤に視線を向けては降ろし、また向けてはそれを逸らしての繰り返し。言い切った涼潤も、戸惑っているようだった。風が、遊龍の背中を押したような気がした。
「それでも」
「それでもさ、何かできる事はあるかもしんないだろ」
光麗の言葉を、遊龍が引き継いだ。金の髪を揺らして、光麗は遊龍に顔を向けた。涼潤も、同じように。
「そりゃ人殺しとかそんなんがここに来るかもしんないとか、嫌だけどさ。オレ達だってここに住んでんだ。そいつに会う可能性もあるし。それに、ここであんたと会って、話して、それであんたに何かあったら気分良いもんじゃねーだろ。そっちがオレらの事気に掛けるのと同じように、オレらだってあんたが心配なんだ。ましてや、あんな事言われたら」
なんだか、自分でも何でこんなに喋っているのか分からなくなってきた。けれど自然と浮かんでくる言葉は不快なものじゃなかったし、間違っているとも思わなかった。だから遊龍はそのまま続けた。涼潤が俯くのも気にせずに。
「だからさ、１人になろうとかすんなよ。人数は多い方が気が楽になるって」
にっと笑って言う遊龍の表情を見て、涼潤は再び俯いた。ゆらゆらと、何かが揺れていた。一陣の風はきっと、３人を囲んでから吹き抜けた。
俯いた涼潤を見やり、遊龍はその視線を外す。正論かどうかなんかは分からないが、あれが自分の意見だ、言いたい事は言い切った。けれどどこか満足できずに、言うべきだったのか言わざるべきだったのか判断できない罪悪感がほんの少し漂う。場違いに、もっと自信持ちたいとか思う遊龍なのだった。
「光も」
ふ、と。思い出したかのように光麗が呟く。
「涼潤さんの事、心配だよ。確かに危ないかもしれないけど、光だってきっとなにかの力になれるよ。だから１人で抱え込まないでよ。淋しいよ」
多分何かが解けてしまった。気丈な姿を作っていても、脆いもので作った鎧は思っていた以上に脆くて。脆くて。だから深く深くの奥底に置いていたモノは、重ねただけの脆さを崩せばすぐに現れて、剥き出しで。今はそれをほんの少し、隠す事に精一杯だった。
遊龍も、光麗も。視線の先には涼潤が居て、俯いたままの彼女は先程とは変わりがなかったが、固く握っていた指も解けていたし、固かった空気も少しだけ和らいでいた。大人びて見えた少女は、自分たちと変わらぬ年頃の少女に見えて、俯いている姿が、泣いているようにも見えた。
「なんであなた達は、優しいの？」
俯いたまま呟いた声は、どうやら気を利かせた風が光麗の耳元まで運んだようだった。遊龍には聞き取れなかったその声に、光麗は返す。
「優しいの？」
そこでようやく、表情に変化が訪れた。思わず涼潤は、失笑した。俯いていた顔を上げると、そこには呆れたような、観念したような、そんな表情。凍てついた表情は、今は影を潜めているようで。光麗に向けた視線に、冷たい空気は含まれていなかった。
笑われた意味が分からずに光麗は疑問符を浮かべる。涼潤の問いが聞こえなかった遊龍も、キョトンとしている。そんな２人を横目に、涼潤は肩を竦めて小さく笑った。
今はただ、安堵できる場所が欲しかった。だからきっと、拒否を続ける事が出来なかった。無性に誰かに甘えたくて、叶わなくて。風が心地よかったこの場所を、望んだ。
「涼潤さん、１人じゃないんだからね」
笑われた理由を探るのを止めた光麗は、にっこりとそう言った。遊龍も目配せをし、視線だけで、大丈夫と伝えた。ようやく回り始めた風は、やがて正常に。静かに吹き抜けた風を目で追えば、突き抜けるような青い空。太陽が傾いても初夏の日射しはまだ眩しかった。
「涼で良いよ。さん付けもいらないし。ね、光」
微笑んで。明るい表情を見せた涼潤は、光麗にウィンクをしてそう伝えた。吹っ切れた、ワケではないのだろう。明るい表情の下にうっすらと悲しみの色を見た気がして、遊龍は少しだけやるせない気持ちになった。
「うん、涼ちゃん」
けれど、向日葵のような満面の笑みで光麗は頷いた。あまりにも弾んだその声に、遊龍は瞬きを数度した後、浮かんだ不安を払拭する事にした。とりあえず今は、まだ。分からない事は多いけれど、今は今でいーじゃんか。１人で小さく頷いた。それでも、１つだけ。
「なー、涼。お前さ、なんか隠してるだろ」
折角なので遊龍も涼と呼ぶ事にした。
最初に感じた疑問だけはどうしても気に掛かって仕方がなく、和んだ空気を気にしつつ遊龍は尋ねた。どう考えても、あの怪我は尋常ではない。言いたくない事は隠していても良いと思うが、その点だけははっきりさせたかった。返答によっては、すぐ近くに“危険人物”が居る事となる。
「あぁ、そうね。ごめんね、隠しておくつもりはなかったんだけど」
けれど返ってきた答えはあっけらかんとしていて。ポンと手を打つと、あははと笑う。拍子抜けした遊龍に加え、話の内容が分かっていない光麗も返事のしようがない。勘違い？そう言葉がよぎった遊龍だが、涼潤の言葉からすると何か隠しているのは確からしく。
「もう１人いるの」
「……………へ？」
ポンと放り出された軽い言葉をうっかり聞き流しそうになり、遊龍は慌てて引き留める。―――もう１人？
ガサリ、と。茂みが音を立てたのは全く同時。光麗が抜けてきた茂みとは反対側で、ちょうど遊龍から向かって左斜め前。視線が集まる中そこから現れたのは、黒い髪と紫の瞳を持つ色白な少年。年頃は多分、遊龍と同じくらい。誰？と思わず声が漏れたが、数秒前の涼潤の言葉と、今の涼潤の様子を見れば何となく分かった気がした。もう１人、それはもしかして。
「ここに来たのはあたしだけじゃなくって、コイツも一緒なの」
パシパシと目を瞬かせ、遊龍は少年を見やる。隣から、綺麗な人ーと呟く声が聞こえた。整った顔立ちと白い肌は、確かにそう見えなくもない、けれど。涼潤に連れが居た事と、必死になっていた自分の言葉を聞かれていたかもしれないという事がなんだか不満だった。ゆっくりと歩む少年は、そんな遊龍をちらりと見たあと涼潤の隣へ。座っている３人に合わせるのが嫌なのか、木に背を預けて立ったままだった。
「六水竜神。あたしの連れ。ちょっと、ワケ有りでね」
「わけあり？」
竜神と紹介された少年は、しかしなんの反応も示さず。静かに遠くを見つめる瞳はどこか淋しげで。光麗が視線を向けてもこちらを見ようとはしなかった。その様子が不可解で、不満で。よく分からないまま遊龍のテンションは下がる。
「竜は喋れない。あと、なんて言うんだろ。ゆっくりとした動きしかできない。蒼髪の男は、竜の親も殺したの。そのあとから、こうなちゃって………。元々は普通に喋るし普通に動く奴だったのに」
再び降りた静かな空気に涼潤はまた沈む。明るく振る舞っても消えない現実は、まだ山のようにあって。竜神の顔を見上げれば、自責の念と憎悪が浮かぶ。冷たい視線に気付かれないように、すぐに消したけれど。
「きっとあたしのせい。だからあたしが、元に戻してあげないといけないの」
呟くように、自分に言い聞かせるように。涼潤は自分の言葉に頷いて、光麗に視線を移す。口が微かに動くのは、きっと彼女の癖なのだろう。返事を期待しているわけではない。そうやって何かを伝えようとしてくれている事だけで嬉しかった。遊龍に視線を移せば、彼も何か言おうとして、けれど何も言えずにいるのが分かった。気の利いた言葉なんていらないのに。涼潤は居心地の悪さを少しと、心地よさを感じて目を閉じた。
「捜そうよ」
光麗の言葉が聞こえたのはその数秒後。
「その蒼い髪の男の人捜したら、どうにか………なるかもしれないよ。だからさ、捜そうよ。………ダメかな？」
根拠はない。返ってくる言葉もない。けれどその場にいる誰もが不快感を感じる事はなかった。風がざわめく。増えた森の住人を、静かに風が見ている。空と、木々を眺めていた竜神は、小さく息を吸った。涼潤はそんな竜神をそっと眺め、そして光麗に返す。
「―――………」
「え？」
揺れる木々がざわめく声で、涼潤の微かな声は隠れてしまって。首を傾げて待っていれば、もう一度涼潤が言う。
「…ありがとう……」
＊＊＊
「ちょっと歩くけど、大丈夫？」
立ち上がった３人は竜神に並ぶ。話が一段落つき、そろそろ戻ろうという流れで光麗が指揮を執る。道の分からない３人は、風の少女の言葉に従う。
「あたしは大丈夫。竜も、着いていくくらいならできるから心配いらない」
涼潤が頷く。変わらず竜神は無表情で、無反応で。話を聞いているのか聞いていないのか、聞けているのかどうかは判断できないが、彼が喋る姿が想像できなくなってしまう遊龍だった。ふと見れば光麗は風に話しかけ、そして歩き始めていた。相変わらずマイペースである。
「よー、竜。オレは遊龍、よろしくな」
光麗が話しかけるから涼潤まで着いていき、残った２人はのんびりと歩いていた。男２人と意気揚々に話しかけた遊龍だったが、その言葉は先には続かなくなる。
ギリリと睨むその眼光は鋭く、一言で表せば敵意剥き出し。露骨な感情表現に、遊龍は思わず怯む。立ち止まった遊龍の横を通り過ぎ、竜神は先へと進んでいく。
「（え、………と？あれ、オレ、なんかした………？）」
状況がよく分からないまま遊龍はその場で頭を抱え、前方を行く３人の姿が森の中に隠れそうになった時になってようやく、慌てて駆けていった。
「（………嫉妬しか浮かばねー）」
先のことを考えげんなりと、遊龍は項垂れるのだった。
「何があったってんだ………って！？」
光麗を見つけ、そしてその傍らにいる少女の姿を見、思わず遊龍は声を上げる。見知らぬ人、そして、彼女の全身から流れる赤い血。姿を現した遊龍に視線を移した少女の表情は、不審。こちらからも不審を抱かないことはないが、それよりも現状に対する混乱が先行した。何が起きているのか分からない状態で、とりあえず落ち着こうと様子を見る。そして、少女に対する不審が、「見知らぬ人だから」と言うことからだけではないと気付く。
紫の、瞳。
遊龍も光麗も、漆黒の瞳を持っている。しかしこの少女は、透き通るような紫。光が入るとその色は赤紫にも見えた。
「（確か、ルオで生まれた人は紫の瞳………だったような）」
昔教わった知識を、遊龍は思い出そうとした。勉強と名のつくものは嫌いだったが、知識を得ることは嫌いではなく、興味を持てばすぐに覚えられた自分の記憶力に感謝する。
リュート大陸にある４つの街、ロザート、ルオ、イオ、スイワ。そこではどういうわけか、生まれた街によってその人の瞳の色が変わるという現象がある。環境だとか、遺伝だとか、様々な仮説が立てられてはいるものの、どれもこれと言った根拠がない。つまりは原因不明。非科学的なことを信じないロザートでは、この不可解な現象のことを黙殺し、他の街を無きものとしている。そのため遊龍はこの事を知らなかったのだが、たまたま出会った１人のスイワの人に他の街のことを教わり、知ることとなる。スイワでは碧、イオでは緑、そしてルオでは紫なのだと―――
「ど、どうしよう、包帯とか、元の場所に置きっぱなしだよ。今から取りに行ったら時間掛かっちゃう」
慌てふためく光麗の声に、遊龍は現実に引き戻される。そうだった、と現状を思い出し、改めて少女の容態を見る。少女は身体を起こして座っている。一見平気なようにも見えたが、如何せん傷が多い。まだ血は止まっておらず、顔色も青いようである。しかし慌てる２人を交互に見やって、少女は口を開いた。
「大丈夫よ、このくらい。すぐ治る」
態度は気丈。しかし声は嗄れているようにも聞こえるし、どこか弱々しさを感じさせた。「すぐ治る」のどの辺が“すぐ”なのかは理解できなかったが、とりあえず無視することにする。少女が声を発したことで、余計に不安が増した。
「大丈夫なわけないよ、早く血を止めないと………」
おろおろとする光麗だが、どうして良いのか分からない様子である。どこから持ってきたのか、光麗が常に持っていた救急箱は元居た場所に置いたまま。治療する手立てはあるのに、今はない。対する少女は、こちらはこちらで戸惑っているようで、うろうろと落ち着きのない光麗を眺めて嘆息する。傷口は痛くないのだろうかと、遊龍は思った。
「仕方ないわね。………あんまり使う気はしないんだけど、あなたが不安なら」
「え？」
そういうと少女は、小さく言葉を紡ぐ。何をするのか見当もつかない２人は、疑問符を複数浮かべながらも黙って様子を見る。ふ、と。小さく風が動いた。そしてほぼ同時に、白い、淡い光が少女を包み込む。光麗が先程見た、あの光。そして２人は目を疑うことになる。傷が、みるみる塞がっていく。瞬き数度の間に血は止まり、傷は塞がり、あとには綺麗な肌が残るのみ。少女の髪がふわりと揺れると、白い光はその発光を止めた。
「すごい………」
思わず感嘆の声を上げ、光麗は少女の腕の様子を見る。つい数秒前までは血が流れていたのに、今は血の跡は残るものの傷は完璧になくなっている。まるで手品か魔法だ、遊龍はそう思った。ふうと一つ息をつき、少女は髪をかき上げ座り直した。思わず光麗も膝をつき、その様子を見た遊龍も何となく慌てて座り込んだ。
「ねぇ、今のってもしかして、属性力？あなたもそういう力持ってるの？」
勢いよく問いかけたのは光麗で、その唐突さと内容に遊龍も少女も顔を上げ発言主を凝視する。変なこと言ったっけ、とでも言わんばかりにキョトンとした光麗はしかし、少女の返答を待っていた。視線を合わせられた少女は、口を開く。
「あなた、ロザートの子………よね。なんで属性力のこと知ってるの？」
質問を質問で返され、その口調は少し強く。反論することも出来ずに光麗はどぎまぎとする。ほんの少し、緊張が走る。悪い人ではない、と思いたい。遊龍はそう思いつつ口を挟むタイミングを逃しつつ、傍観者となりつつあった。光麗のまごつく様にも動じず、ただ静かに答えを待っている少女に、光麗は自分なりの言葉を並べる。
「えと、光はロザートで生まれて、２年前にここに来て、属性のことは………光が属性者だからで」
まとまった文章ではなかったものの、少女はそれらを理解したようだった。納得した素振りを見せ、しかしまだ何か思案する表情を浮かべ。間を置いてから、そして話を進めだした。
「あたしは、雷空涼潤。見ての通りルオの住人。さっきのは属性力じゃなくて、魔術の一種。簡単な、あれくらいの術しか使えないんだけど結構重宝してるの。あなた達はなんでここに？」
少女、涼潤の自己紹介はそんな感じで。腑に落ちない部分があるのか、光麗は首を傾げたままだった。大方、ルオのことと魔術のことだろう。魔術に関しては遊龍も知識はなかったが、ルオはロザートの東側にある街だ、と光麗に囁く。分かっているのか分かっていないのか、光麗はへぇと頷く。膝を抱えるように座り直すと、涼潤に問われたことを思い出したようだった。
「２年前に、光のお父さんとお母さんが死んじゃったの。だから１人になっちゃって………。それでここに来たの」
「オレもほぼ同じ。去年事故で親が２人とも死んで、んでここに来た」
ぎゅ、と強く握った拳をまた開いて。そしてまたそっと握ると、心が静まる。無意識に光麗はそれを繰り返していた。風がくるくると回る。３人を囲うように回った風は、やがてまた空へと飛び上がっていく。遊龍が真上を見上げた時、そこにもう太陽はなく。大分斜めに傾いた太陽を見て、そういや昼飯食べてないやと今更のように胸中で呟いた。静かな時間が僅かに流れたあと、最初に口を開いたのは涼潤だった。
「なんで………？」
その声は小さく、掠れて。上の空だった遊龍はうっかり聞きそびれ、視線を涼潤に戻した時には彼女は言葉など発していなかったかのようにすっかり思案顔となっていた。光麗も言葉の意味を聞きそびれたらしく、首を傾げ涼潤を眺めていた。聞くに聞けず、２人はまた待つ側となる。
「あなた達、蒼い髪の男を知ってる？」
「蒼い髪？」
「そう」
ひとしきり考えた涼潤の言葉は、それだった。待ってもそれ以上に言葉がないことから、蒼い髪という特徴以外には何もないのだろう。遊龍も光麗もそれぞれ記憶を辿るが、それらしき人物は１人もいないようで。
「分からない、です」
「オレも。誰？それ。捜してる人とか？」
蒼い髪だなんて目立つ特徴、一度見たら忘れはしないだろう。心当たりはなくそう答えた２人に、しかし涼潤は肯定の答えを期待していなかったかのようで、さして表情を変えず、そうよね、と小さく呟いた。２人とも意味が分からず、怪訝そうな表情を浮かべる。涼潤は頭を振ると、２人を交互に見やった。
「あたしは、その男を捜してるの」
遊龍の言葉を用いて、涼潤は答える。その声のトーンが少し下がったような気がして、遊龍はほんの少し、身構える。なんとなく、あまり良い心地がしない。間が空きすぎてすっかり忘れていたが、涼潤が蒼い髪の男の話を始めたきっかけがどこか不自然なのも気になった。静かな間が流れるのは、穏やかだからではない。緊張―――そういった類のものが含まれていると感じた。
「どうして捜してるの？」
光麗が呟くように聞いた。この空気に光麗も少なからず不安を覚えているようで、その心情を感じ取ったのか、風もざわめき出す。くるくると回る風は、涼潤を包みそしてまた散ってゆく。光麗はその風を見上げることをしなかった。じっと、涼潤に視線を合わせている。
「………約束、なの。ここに来る」
十分な間を置いて、やはり呟くように涼潤は返した。言葉の意味には似合わず、あまりにも冷え切った声音で。思わず俯いた涼潤だったが、周囲の視線を感じてすぐに顔を上げる。不安げな表情を浮かべる顔が２つ。遊龍も光麗も、問いたい事はあるのに声を掛けるタイミングを逃していた。あ、と口を少し開け、涼潤は慌てて視線を外すと、静かに続けた。
「だから、ここでサヨナラね。ごめんね、お騒がせしてしまって」
数拍置いて意味を理解した遊龍は、え？と声を上げる。そしてその声は光麗のそれと見事に重なっていた。２人は思わず顔を見合わせると、そのまま揃って視線を涼潤へと戻す。当の少女はその反応に、また疑問符で返していた。え？というのは、どういう事？、と。
「人を捜してるなら、光も手伝うよ。１人で捜すのは大変だよ」
先に名乗りを上げたのはやっぱり光麗で。出遅れた遊龍も頷く。
「この森にいるって事なんだろ？１人で捜すの大変だって。迷うぜ、ここ」
光の道案内無いと戻って来れないもんなー、と笑って言うと、そうそう、と光麗も頷く。場が和んだようにも見えたが、涼潤は浮かない顔をしている。戸惑っているようにも見える。涼潤の様子が変わらないのを見て取ると、２人は笑いを収める。
「なー、オレ達じゃ役に立たないってか？」
「え」
遊龍が首を傾げながら問うた。人手が多い方が人捜しが少しは楽になると考えたのだが、それではダメだったのだろうか。涼潤の考えている事が分からず、様々な仮定を考えてみたがどれも違うような気がした。
「ううん、違うの。そうじゃない。ただ………迷惑になるから」
何か、隠している。
遊龍はふと直感した。きっとただの人捜しではないのだろう。選びながら発する言葉も、暗い「約束」という言葉も、どれも自分たちに気付かれないよう気を配っているようで。そして何より、この少女の最初の状況。あの怪我はどう考えても、自然じゃない。
けれどそれを問いただせる程、遊龍は自分の考えに自信を持てていなかった。
「迷惑なんかじゃないよっ」
思案顔の遊龍の横で、光麗が叫ぶよう言った。光麗に２人の視線が集まる。急な叫び声に、あぁそっか、と遊龍は思う。コイツは、お人好しなんだった、と。相手が誰であれ、出会った人を見放せない、別れたがらない奴。そこに引きずられて自分もここに居るんだった、と回想してから、涼潤の様子を伺う。戸惑っているような、困っているような。そんな表情を浮かべていて、そしてそこに光麗が続ける。
「迷惑なんかじゃない。涼潤さんの約束がどういうものなのかは分からないけど………、でも、きっと迷惑になんてならないよ」
一言一言選んで、言い切ると光麗は涼潤の返事を待った。視線を逸らさずにじっと見つめるその表情に、不安げな色を浮かべて。気が付けば風は止まっている。それはまるで動き回る事を止め、光麗と共に返事を待っているようだった。
涼潤は目を閉じていた。目を閉じて、静かに。そして開いた口から漏れるは。
「無理よ」
呟いた言葉に光麗は首を傾げ、遊龍は訝しがる。
「無理。あなた達は優しいんだから、無理よ」
「………どういう事？」
涼潤の、一見矛盾した意見に光麗が尋ねる。疑問符を浮かべて、というよりは、危惧。恐らく遊龍と同じ事を考えていたのだろう、２人は似たような表情を浮かべていた。閉じていた目を開き小さく首を振り、光麗に視線を合わせると涼潤は一言ごとに重みを付けて、ゆっくりと話し出した。
「あたしの捜してる人は、人殺しなの。あたしの両親を殺した奴。そしてあたし自身も、殺されそうになった。でも、生かされて。そしてこの森に来いって、そう言われたの」
黙秘を続けていた涼潤は、そう話した。言葉重く、静かに、ゆっくりと。自然と遊龍のの表情は変わる。そして、初めて光麗の顔に動揺の色が浮かんでいた。あまり、気持ちのいい話ではない。
「ね、だから、無理なの。相手は人殺し。あなた達と一緒にいて、あなた達を巻き込んだりしたくないの」
風が、動きを潜めている。静かに、静かに様子を伺っている。光麗は、ただ黙っていた。いつかの遊龍に対してと同じように、掛ける言葉を探しているのだろう、口をぱくぱくとさせて。けれど言葉が見つからないようで、今にも泣き出しそうな瞳で涼潤に視線を向けては降ろし、また向けてはそれを逸らしての繰り返し。言い切った涼潤も、戸惑っているようだった。風が、遊龍の背中を押したような気がした。
「それでも」
「それでもさ、何かできる事はあるかもしんないだろ」
光麗の言葉を、遊龍が引き継いだ。金の髪を揺らして、光麗は遊龍に顔を向けた。涼潤も、同じように。
「そりゃ人殺しとかそんなんがここに来るかもしんないとか、嫌だけどさ。オレ達だってここに住んでんだ。そいつに会う可能性もあるし。それに、ここであんたと会って、話して、それであんたに何かあったら気分良いもんじゃねーだろ。そっちがオレらの事気に掛けるのと同じように、オレらだってあんたが心配なんだ。ましてや、あんな事言われたら」
なんだか、自分でも何でこんなに喋っているのか分からなくなってきた。けれど自然と浮かんでくる言葉は不快なものじゃなかったし、間違っているとも思わなかった。だから遊龍はそのまま続けた。涼潤が俯くのも気にせずに。
「だからさ、１人になろうとかすんなよ。人数は多い方が気が楽になるって」
にっと笑って言う遊龍の表情を見て、涼潤は再び俯いた。ゆらゆらと、何かが揺れていた。一陣の風はきっと、３人を囲んでから吹き抜けた。
俯いた涼潤を見やり、遊龍はその視線を外す。正論かどうかなんかは分からないが、あれが自分の意見だ、言いたい事は言い切った。けれどどこか満足できずに、言うべきだったのか言わざるべきだったのか判断できない罪悪感がほんの少し漂う。場違いに、もっと自信持ちたいとか思う遊龍なのだった。
「光も」
ふ、と。思い出したかのように光麗が呟く。
「涼潤さんの事、心配だよ。確かに危ないかもしれないけど、光だってきっとなにかの力になれるよ。だから１人で抱え込まないでよ。淋しいよ」
多分何かが解けてしまった。気丈な姿を作っていても、脆いもので作った鎧は思っていた以上に脆くて。脆くて。だから深く深くの奥底に置いていたモノは、重ねただけの脆さを崩せばすぐに現れて、剥き出しで。今はそれをほんの少し、隠す事に精一杯だった。
遊龍も、光麗も。視線の先には涼潤が居て、俯いたままの彼女は先程とは変わりがなかったが、固く握っていた指も解けていたし、固かった空気も少しだけ和らいでいた。大人びて見えた少女は、自分たちと変わらぬ年頃の少女に見えて、俯いている姿が、泣いているようにも見えた。
「なんであなた達は、優しいの？」
俯いたまま呟いた声は、どうやら気を利かせた風が光麗の耳元まで運んだようだった。遊龍には聞き取れなかったその声に、光麗は返す。
「優しいの？」
そこでようやく、表情に変化が訪れた。思わず涼潤は、失笑した。俯いていた顔を上げると、そこには呆れたような、観念したような、そんな表情。凍てついた表情は、今は影を潜めているようで。光麗に向けた視線に、冷たい空気は含まれていなかった。
笑われた意味が分からずに光麗は疑問符を浮かべる。涼潤の問いが聞こえなかった遊龍も、キョトンとしている。そんな２人を横目に、涼潤は肩を竦めて小さく笑った。
今はただ、安堵できる場所が欲しかった。だからきっと、拒否を続ける事が出来なかった。無性に誰かに甘えたくて、叶わなくて。風が心地よかったこの場所を、望んだ。
「涼潤さん、１人じゃないんだからね」
笑われた理由を探るのを止めた光麗は、にっこりとそう言った。遊龍も目配せをし、視線だけで、大丈夫と伝えた。ようやく回り始めた風は、やがて正常に。静かに吹き抜けた風を目で追えば、突き抜けるような青い空。太陽が傾いても初夏の日射しはまだ眩しかった。
「涼で良いよ。さん付けもいらないし。ね、光」
微笑んで。明るい表情を見せた涼潤は、光麗にウィンクをしてそう伝えた。吹っ切れた、ワケではないのだろう。明るい表情の下にうっすらと悲しみの色を見た気がして、遊龍は少しだけやるせない気持ちになった。
「うん、涼ちゃん」
けれど、向日葵のような満面の笑みで光麗は頷いた。あまりにも弾んだその声に、遊龍は瞬きを数度した後、浮かんだ不安を払拭する事にした。とりあえず今は、まだ。分からない事は多いけれど、今は今でいーじゃんか。１人で小さく頷いた。それでも、１つだけ。
「なー、涼。お前さ、なんか隠してるだろ」
折角なので遊龍も涼と呼ぶ事にした。
最初に感じた疑問だけはどうしても気に掛かって仕方がなく、和んだ空気を気にしつつ遊龍は尋ねた。どう考えても、あの怪我は尋常ではない。言いたくない事は隠していても良いと思うが、その点だけははっきりさせたかった。返答によっては、すぐ近くに“危険人物”が居る事となる。
「あぁ、そうね。ごめんね、隠しておくつもりはなかったんだけど」
けれど返ってきた答えはあっけらかんとしていて。ポンと手を打つと、あははと笑う。拍子抜けした遊龍に加え、話の内容が分かっていない光麗も返事のしようがない。勘違い？そう言葉がよぎった遊龍だが、涼潤の言葉からすると何か隠しているのは確からしく。
「もう１人いるの」
「……………へ？」
ポンと放り出された軽い言葉をうっかり聞き流しそうになり、遊龍は慌てて引き留める。―――もう１人？
ガサリ、と。茂みが音を立てたのは全く同時。光麗が抜けてきた茂みとは反対側で、ちょうど遊龍から向かって左斜め前。視線が集まる中そこから現れたのは、黒い髪と紫の瞳を持つ色白な少年。年頃は多分、遊龍と同じくらい。誰？と思わず声が漏れたが、数秒前の涼潤の言葉と、今の涼潤の様子を見れば何となく分かった気がした。もう１人、それはもしかして。
「ここに来たのはあたしだけじゃなくって、コイツも一緒なの」
パシパシと目を瞬かせ、遊龍は少年を見やる。隣から、綺麗な人ーと呟く声が聞こえた。整った顔立ちと白い肌は、確かにそう見えなくもない、けれど。涼潤に連れが居た事と、必死になっていた自分の言葉を聞かれていたかもしれないという事がなんだか不満だった。ゆっくりと歩む少年は、そんな遊龍をちらりと見たあと涼潤の隣へ。座っている３人に合わせるのが嫌なのか、木に背を預けて立ったままだった。
「六水竜神。あたしの連れ。ちょっと、ワケ有りでね」
「わけあり？」
竜神と紹介された少年は、しかしなんの反応も示さず。静かに遠くを見つめる瞳はどこか淋しげで。光麗が視線を向けてもこちらを見ようとはしなかった。その様子が不可解で、不満で。よく分からないまま遊龍のテンションは下がる。
「竜は喋れない。あと、なんて言うんだろ。ゆっくりとした動きしかできない。蒼髪の男は、竜の親も殺したの。そのあとから、こうなちゃって………。元々は普通に喋るし普通に動く奴だったのに」
再び降りた静かな空気に涼潤はまた沈む。明るく振る舞っても消えない現実は、まだ山のようにあって。竜神の顔を見上げれば、自責の念と憎悪が浮かぶ。冷たい視線に気付かれないように、すぐに消したけれど。
「きっとあたしのせい。だからあたしが、元に戻してあげないといけないの」
呟くように、自分に言い聞かせるように。涼潤は自分の言葉に頷いて、光麗に視線を移す。口が微かに動くのは、きっと彼女の癖なのだろう。返事を期待しているわけではない。そうやって何かを伝えようとしてくれている事だけで嬉しかった。遊龍に視線を移せば、彼も何か言おうとして、けれど何も言えずにいるのが分かった。気の利いた言葉なんていらないのに。涼潤は居心地の悪さを少しと、心地よさを感じて目を閉じた。
「捜そうよ」
光麗の言葉が聞こえたのはその数秒後。
「その蒼い髪の男の人捜したら、どうにか………なるかもしれないよ。だからさ、捜そうよ。………ダメかな？」
根拠はない。返ってくる言葉もない。けれどその場にいる誰もが不快感を感じる事はなかった。風がざわめく。増えた森の住人を、静かに風が見ている。空と、木々を眺めていた竜神は、小さく息を吸った。涼潤はそんな竜神をそっと眺め、そして光麗に返す。
「―――………」
「え？」
揺れる木々がざわめく声で、涼潤の微かな声は隠れてしまって。首を傾げて待っていれば、もう一度涼潤が言う。
「…ありがとう……」
＊＊＊
「ちょっと歩くけど、大丈夫？」
立ち上がった３人は竜神に並ぶ。話が一段落つき、そろそろ戻ろうという流れで光麗が指揮を執る。道の分からない３人は、風の少女の言葉に従う。
「あたしは大丈夫。竜も、着いていくくらいならできるから心配いらない」
涼潤が頷く。変わらず竜神は無表情で、無反応で。話を聞いているのか聞いていないのか、聞けているのかどうかは判断できないが、彼が喋る姿が想像できなくなってしまう遊龍だった。ふと見れば光麗は風に話しかけ、そして歩き始めていた。相変わらずマイペースである。
「よー、竜。オレは遊龍、よろしくな」
光麗が話しかけるから涼潤まで着いていき、残った２人はのんびりと歩いていた。男２人と意気揚々に話しかけた遊龍だったが、その言葉は先には続かなくなる。
ギリリと睨むその眼光は鋭く、一言で表せば敵意剥き出し。露骨な感情表現に、遊龍は思わず怯む。立ち止まった遊龍の横を通り過ぎ、竜神は先へと進んでいく。
「（え、………と？あれ、オレ、なんかした………？）」
状況がよく分からないまま遊龍はその場で頭を抱え、前方を行く３人の姿が森の中に隠れそうになった時になってようやく、慌てて駆けていった。
「（………嫉妬しか浮かばねー）」
先のことを考えげんなりと、遊龍は項垂れるのだった。
