Press "Enter" to skip to content

月: 2013年8月

お題:ムラサキ

「何してるの」
手摺りに腰掛け足を揺らす影をしばらく眺めてから、そうシズキは声を掛けた。本当はもっと前に家の中へと入る予定だったのだが、ぼんやりと空を眺める姿の邪魔をしたくなかった。
シズキの声に気付いて、ルキは視線を空から降ろしてきた。どうやら近くまで寄っていた事に全く気が付いていなかったらしい。少しだけきょとんとした顔で、シズキの目を見ていた。
「空。綺麗だったから」
聞かずとも分かる答えだったが、シズキは「そう」と頷いて振り返った。ルキの座る手摺りに寄り掛かり、一緒になって空を見上げた。その様子を見たルキもまた、視線を空へと戻す。
木々の頭上に広く広がる空は、夜の空気と朝の空気を混ぜ合わせた色だった。まだ暗い青の中に、赤がじんわりと滲んでいる。白いはずの雲にもその色が照らし出されていて、不思議な模様が描き出されていた。
「何してたの」
しばらく空に見入っていると、今度はルキから声を掛けられた。振り返らなくても声の位置で彼女がまだ空を見上げたままだと分かったので、シズキも振り返らずに口を開く。
「お互い様じゃないかな」
返事は無かった。というより、まだ待っていた。何も言わずに、ただルキはシズキの答えを待っていたのだ。無言の圧力が降り掛かり、シズキは降参したように肩を竦める。
「ちょっと用事があって出掛けてただけだよ」
嘘ではない。表情も視線も変えないまま、答える。
「少し遠い所まで行ってたから、帰りが遅くなっちゃったけど」
話している間に、空の色はどんどんと変わっていく。雲が風に流されて、ぐるぐると模様は描き直されている。やがて一筋の光が見えたと思ったら、すぐにその光は強さを増していって直視できなくなった。
くるりと振り返りルキを見上げると、彼女も空を見上げるのを止め、視線をこちらへと向けていた。
「そういうルキは、なんでこんな朝早くに?」
「目が覚めたから」
今度はあっさりと答えが返ってきた。多分何も隠してはいないだろうし、ただの事実なんだろう。くすりと笑って、溜息を吐いて見せる。
「風邪引くよ。もう中に入ろう」
そう言って扉までの階段に足を掛けた所で、もう一度声を掛けられる。
「あのさ」
足を止めてルキを見ると、今度のルキは太陽の位置から少しずれた場所の空を見ていた。つまりシズキにはルキの後ろ姿しか見えなかった。
「なんか、もうすぐ帰ってくるような気がしたから。目が覚めたんだと思う」
だからルキが今どんな表情をしているのかは分からなかった。
「おかえり」
何度か瞬きを繰り返して、何度も言葉の意味を頭の中で考え直して。何度もルキの表情を想像して。
「ただいま」
じんわりと暖かいものを感じながら、そう返していた。

+++++
25分

CrossTune

お題:黒い

気が付いた時には辺り一面が真っ暗闇で、見える物も触れられる物も何一つ無かった。
これが終焉というものなのか。
そう漠然と感じた時に、一つの事に気付く。
今自分は物を考えて、そして見えないと思う「目」も、触れられないと感じる「手」も、そしてそう考える「頭」も持っている。何もない、訳ではない。そしてここには「空間」がある。
そうなると、今のこの状況が余計に理解ができなくなった。
「足下」は分かるが「地面」は分からない。立っているような気もするが、浮かんでいるような気もする。思考なのか、独り言なのか、「口」が動くような気はするが、「声」は聞こえていない気もする。「脳」に伝わっているのか「耳」を介しているのか、それも分からなかった。
けれど、生きていることは確かだった。
どうしてこの場所にいるのか。それは思い出せなかった。気が付いたらここにいて、その前は分からない。今この瞬間にこの場に生まれ落ちたのだと思える程に何も思い出せなかった。
「   」
言葉を発する、という行為はしっていて、やり方も知っている。けれどそれは実行できなかった。間違っているのか、合っているのにできない状況なのか、それは判断できない。この空間で、自分に出来る事がなんなのかが分からなかった。
「なぁにもがいてるの?」
どうやら、「耳」が「音」を聞く事は、今の自分にも出来る事だったらしい。
不意に響いたその声は、どこか楽しそうに笑っている「女」の声だった。
「    」
しかし返事をする事はできなかった。言葉も分かるし、言おうとしている事もあるというのに。
「そうだなぁ、ゆっくりと考えてみたらどう?ゆっくり、ゆっくり、思い出そうとしなくていい。記憶ってモノは思い出すモノじゃない。そこに存在しているモノなんだか。それを辿ってみたらいいんじゃないかな」
それを「思い出す」と言うのではなかろうか。そう思いながらも、それを口にする事はできなかった。
女の言葉を真に受けるつもりはなかったが、他にやる事もないので試してみる事にした。辿る。ぷっつりと切れてしまっている糸の先を、遙か遠くを見通すかのように辿る。
真っ暗闇の中に細く微かに消えそうな白い糸が見えている、ような気がする。暗闇の中に見えるのは、それだけだった。途切れているような、隠れているような、そんな糸に思わず手を伸ばした。幻覚だと思っていたその白に、「指先」が少しだけ触れる。
その一瞬で、暗闇の色が反転した。

長い髪と長いスカートを揺らしながらスキップで広間を横切っていると、ふと視線を感じた。
「なーに?」
足を止めて視線を感じる先を振り返ると、そこには真っ黒なフードを目深に被り真っ黒なワンピースを来た少女が立っている。
「理解できない趣味だなって思って」
少女は悪びれもせずにそう言った。こちらも、悪い気はしない。何故なら人の趣味など理解できなくて当然だからだ。押し付ける気はない。
「ああいうヒトは消えちゃった方がシアワセなんじゃないかな。そしたらまた次があるんだし」
髪をくるくると指に巻き付けながら、暗闇の中の「分岐点」に立っていた人物を思い出す。暗闇に消えて溶けていくヒトもいれば、早々に意識を取り戻すヒトもいる、目を覚ましてすぐに「記憶」を取り戻して再び狂ったように暴れ出すヒトもいる。一度放り込まれたらその後の道は流れに身を任せるようなものだが、その流れをちょっとつついて変えてしまうのが好きだった。それが「趣味」だった。
「次、ね」
「なーに、ルイちゃんも次を見たい?」
「遠慮しておく。それに私には次なんてないって知ってるでしょ」
「まーね」
淡々と感情の籠もらない声に、精一杯の笑顔を向けて応えておいた。

思い出したら消えてしまうこの世界で、自分一人だけが異端者だった。

+++++
20分

悲しみのサイザ

お題:赤い

 陽が落ちて随分と経った頃だった。
 通りに人影は無く、昼間の喧噪が嘘のように感じる静けさが辺りに広がっている。窓から明かりの漏れる建物もまだ多いが、徐々に徐々に減っていく、そんな時間帯だった。その通りを、迅夜は一人で歩いていた。
 ちょっと出掛けてくる、そう相方に声を掛け、彼がこちらに視線を向けた時にはもう部屋の扉を閉めていた。別に逃げた訳ではない。それに、もう少し長く扉を開けていたとしても、頷く程度の返事しかない事は分かっていた。逆の立場であってもそうだった。声を掛けるだけマシになった方だった。
 嫌いな訳じゃないんだけどな。いつの間にか迅夜は空を見上げながら歩いていた。そしておそらくそれは、相手も思っている事だった。
 一つの建物の前で足を止めると、扉と向かい合う。その建物は数少ない明かりの漏れている建物だった。向き合った扉に付いた丸い窓からも明かりが漏れていて、迅夜の顔を照らしている。扉を開けると、静けさの中に一気に喧噪が降り注いだ。
 狭くもなく広くもない酒場には、テーブル席が丁度全部埋まるだけの人が集まっていた。各々話したり一人だったり叫んだり歌ったり寝ていたり、その空間はとても自由だった。迅夜が入ってきたことに気付き目を向けた人も何人かいたが、それだけだった。すぐに元の空気へと戻っていく。後ろ手で閉めた扉の外と内では、こんなにも世界が違う。昼間の空気が、夜の時間だけここに閉じ込められたような、そんな雰囲気に近い空気だった。
 テーブルは全て埋まっていたが、迅夜が気にする事はなかった。まっすぐに置くのカウンター席の一番右端へと向かう。決まりでもなんでもないが、迅夜としてはそこが迅夜の席だった。
 カウンターの内側にいる店員は迅夜が席に座ったのを確認すると、何も言わずに赤い色のカクテルを出してきた。視線をグラスへ、そして店員へと向けて、「ありがと」と呟く。店員は何も答えはしなかった。
 甘いカクテル。味にうるさい程の酒好きではないが、拘るならばその点だけだった。何度か注文を繰り返す内に店員にはすっかり把握されてしまったようで、今では“店員の”気分で甘いものの中から一つが選ばれている。
「サイもこういうとこ来てんのかな」
 独り言をぼんやりと呟く。一人で外出している時に何をしてきただなんてわざわざ話していない。そして聞いてもいない。だから彼が何を考えてどこへ行っているのか、知らないままだった。
 ―――どうやら偏に物思いに耽ってしまう日らしい。そういうつもりで外に出てきた訳ではないというのに。そう気付いて、迅夜は一人でふっと笑った。店内に背を向けていたので、その表情を見ていたのはカクテルを作っている店員だけだった。

+++++
30分

CrossTune