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月: 2013年8月

お題:無題

 薄暗い路地裏を早足で歩く姿を、一人の少年は必死の早足で追っていた。
 前を歩く人物が自分のことを置いていくとは思っていなかったし、現に何度か、振り返らずにも歩みを緩め、追いつくのを待ってくれている。それが無性に腹立たしく、嬉しく、だからこそ置いて行かれたくなかったのだ。
 初めのうちはちらちらと人影があったが、今はもうすっかり何の影もない。―――そう思っているのは少年だけだったのだが、周囲にとっても、少年が追い掛ける人物にとっても、大して問題はなかった。
 やがて目の前に背中がぐいと迫る。歩みを止めたのだ。
 少年より頭一つ分と少しは背の高い青年が、軽く振り返って少年のことを見ていた。青年の前方には古びた小さな家。
「ここで待って…」
「俺も行く」
 青年の言葉を遮って、少年はまっすぐに青年を見上げた。バサついた髪に黒い眼帯にと、青年の姿はあまり穏やかなものとは言い難かったが、少年は何も気に留めることなく強い口調で言い放ったのだった。青年は淡々とした表情に、少しだけ困惑を浮かべ、そしてすぐに消した。
「分かった」
 そう言うと、青年は小さな家の古びた扉に手を掛けた。
 扉が開くにつれ、少年の鼻先には嗅いだことのない香りが届くようになる。それが香草や薬品や火薬やその他もろもろの混ざったものであるということを、少年は知らなかった。そして青年が気にしているのかどうかは見えなかったが、少なくとも少年は今、鼻を中心として顔全体を顰めていた。
 扉が開ききると、薄暗い部屋の中が見えるようになり、そして青年の姿が遠ざかる事に気付いた。
 慌てて少年も部屋の中へと足を踏み入れる。
 部屋の中の様子に足を止め、目を留め、そして思考回路が一瞬止まった時には、少年の背中でギシリと扉が閉まっていた。
「いらっしゃい。…珍しい客だね」
 さほど遠くない場所から声が聞こえ目を向けると、青年と向き合った先にはもう一人の姿が見えることに気付く。
 異質な空間にただ一人取り残されたような感覚を覚え、しかしそれが今日初めて感じた感覚ではないことを思い出し、少年はぎゅっと拳を握った。

 聞いてはいけない話を聞いてしまった時。
 見てはいけないものを見てしまった時。
 世界は簡単に崩れてしまうものなのだと身をもって知った。
 周囲にいる全ての人々を恐れるようになり、味方など存在しないのだ。そう、知らされた。
 だからこそ、少年は一人の青年を頼った。
 もし彼にも見放されていたのだとしたら、もう生きている理由など存在しなくなる。
 そう思ってリスクの高い二分の一の賭けに出た。
「悪いけど人買いはやってないよ」
 低い女の声が物騒な言葉を紡いでいた。歩み寄ろうとして出した片足をそのままの形でぴたりと止め、ギシギシと音が鳴りそうな程強ばった視線を声のする方へと向ける。
 少し段差のある空間に置かれた低い机を間に挟み、青年と見知らぬ女が対峙していた。女は床に直に座り、段差があるとはいえ立ったままの長身の青年の頭は女のそれよりも随分と上にあった。
 女の視線がちらりと少年に向けられ、睨め付けるような視線に少年の身体はビクリと震えた。
「あんな小綺麗な子、うちなんかよりもっとイイ値で買ってくれるとこあんだろ?紹介先でも聞きに来た?それとも、うちへの献上品かい」
 舐め回すようにじっとりと視線が絡みつき、少年は居心地の悪さに視線を部屋の隅へと逸らす。その視界に奇妙な動物の足のようなものが入り込み、纏わり付く香りも相まって吐き気が込み上げてくる。
 少年の表情に気付いたのか、女の堪えるような笑い声が聞こえてきた。
「知りたいことがある」
 聞こえた低い声は、女のものではなく聞き慣れたものだった。
 女の言葉も笑い声も全て無視し、少年の様子すら気に掛けず、しばらく黙り込んでいた青年は変わらない表情のままで自らの用件のみを伝える。
「この国の、軍のことについて」
 少年が息を飲むのと、女の笑い声が止まり視線が少しだけ鋭くなるのとは、ほぼ同時だった。
 しかし女が言葉の意図を即座に理解する反面、少年にはその質問の意味と重大性が分かっていなかった。
 数秒、女は青年を睨むように見上げ。
 そして困ったように溜息を吐いてみせる。本当に、本当に面倒臭い。そういった顔で。
「それなりの代金はいるよ。分かってるんだろうけどさ。それに」
 青年から視線を外し、少年を一瞥。次に青年へ視線が戻ってきた時には、呆れた笑いが込められていた。
「口止め料もしっかり頂くからね」
「分かってる」
 青年の言葉はそっけないものだったが、その声音を聞いて、今の所この女は敵ではないのだと、少年はそう思った。

「呆れた子だね」
 まるで最初から分かっていたかのように、女の表情から鋭さが消え去った。顔は見えないが、青年の雰囲気も随分と穏やかになっているような気がする。
 それでもまだこの場所も、人も、何もかもが分からないものだらけであることに変わりはない少年にとっては、まだ緊張を解く訳にはいかなかった。そう思っていた。
「ヨン、ちょっとこの子部屋に入れてやって」
 女が壁に向かって言った。
 誰かを呼んでいる、ということしか分からなかった少年にも、すぐに最低限の事態は読み込めることとなる。
 スッと音もなく壁に隙間が現れ、そしてその奥に暗い空間があるのが見える。え?と思う間もなく、その空間から一人の小さな姿が現れた。
 色白と言うよりも真っ白な肌と、さらりと揺れる薄く淡い黄緑色の髪。この国ではまず見掛けないであろう色の取り合わせを持って現れたのは、少年とも少女とも言えそうな、中性的な雰囲気の子供だった。少年よりもずっとずっと幼く見え、くるりとした空色の瞳がおずおずと少年を見上げていた。
 ヨンと呼ばれたその子供は、一度女を見、次に青年を見、最後に少年を見た。そして迷うことなく少年に向かって頷いた。
「え…っと、」
「ほら、ぐずぐずしなさんな。中入って頭冷やしといで」
 女に言われ、どうしたものかと迷う少年に、青年は声を掛けることはなかった。ただ、じっと少年のことを見ていた。行くなとも、行けとも行っているようには見えず、やはり彼の考えている事は分からなかった。
 青年から目を外し、女を見、そして少年は最後にヨンの事を見た。
 ヨンはまだまっすぐに少年のことを見たままで、壁の隙間は開いたままだ。
 少年は考え、そして決めた。
 物が多く散らばりごちゃついた室内を慎重に歩き、青年の横を通り過ぎる。
 一旦足を止めた少年は、青年のことを見上げもせずに口を開く。
「ちょっと行ってくるね」
 青年は何も言わなかった。ただ、静かに頷いた。
 段を上り、机の横の狭い空間を通り、その間にヨンは壁の中の空間へと消えていた。中は暗く何も見えなかったが、振り返ることなく少年もそのあとを追った。
 少年が壁の中へ消えると、開いた時と同じようにスッと、音もなく壁は元通りの壁となった。

+++++
50分

R.P.G.

お題:分かれ道

まっすぐな道の真ん中に立っていた。その道は、二人くらいが並んで丁度収まるくらいの幅だった。
五歩くらい進んだ所では、道が二叉に別れている。
一本道の終わりまで歩いて行き、そして足を止めた。右の道も、左の道も、進んだ先に何があるのかは見えなかった。
「   」
何か声が聞こえたような気がして隣を見ると、そこには一人の人物が立っていた。見上げると同時にそちらも視線を向けてきて、そして合う。
見覚えのある、とてもとても懐かしい顔だった。
彼は何も言わずに顔を道の先へと向けると、やはり何も言わずに右の道を指差す。動きを見守っていると、次はこちらを指差して、そして左の道を指差した。
「…オレはこっち、ってこと?」
左の道を指差しながら訊ねると、彼はゆっくり頷いた。
不思議な事に、彼の顔は分かるし誰なのかも分かるのに、表情は口元しか見えず、それより上は薄ぼんやりとした影だった。道の先が見えないのも、同じような影の所為だった。
「どうして同じ道には進まないの?」
ふと口に出したそれは、聞いてはいけない問いのような気がした。しかし、答えは知っているような気もしていた。けれどそれよりも、聞かずにはいられなかった。
問い掛けた途端に彼は困ったような表情をしたような気がして、でも口元は柔らかく笑っていた。そして、ゆっくり首を振った。言えないよ、分からないよ、そう言っているようには見えなかった。
「ねえ」
更に言葉を重ねようとすると、顔の前に右手をぽんと突き出され、ストップを掛けられてしまった。不満げにその顔を睨み付けると、まっすぐこちらを見たまま、また首を振った。それ以上は言うな、そう言っているように見えた。
他に言いたい事はたくさんあるはずなのに、何かもっと別の事を言いたいはずなのに、そう思うだけで言葉は何一つ出て来ない。そうこうする内に、隣にいたはずの人物の背中が視界に入ってくる。一歩、そして二歩、足を踏み出していた。
待って!そう叫んだつもりの声は、実際には息にもならずに消滅していた。声が出なかった。
にーちゃん!やはり声にはならず、背中はどんどんと遠ざかっていく。先の見えない道の先へと吸い込まれていく後ろ姿は、次第に霞んできていた。
「またね!」
何が起きたのかも分からないまま、頭に浮かんだその言葉はすっと、音となって道の先へと響いた。自分でも少し驚いてきょとんとしてしまった。しかしぼんやりとした道の先、もうシルエットしか見えないその先で、こちらを振り返ったような気配がした。ゆっくりとその右手が上げられる。それを見て、慌てて自分も右手を高く上げた。
「またね!」
もう一度叫んで、大きく手を振った。
道の先で、大きく手を振る影が見えて、そして消えた。

そして目が覚めた。
見慣れた天井と見慣れた部屋。ぼんやりしている事が鮮明な夢はまだ頭の中にこびりついていて、現実と夢の区別を付ける為に何度も瞬きを繰り返した。その結果、この部屋が現実だという事に気が付いた。
「…また、ね」
ぼんやりと自分の手の平を見つめながら、烈斗は小さく呟いた。

+++++
20分

CrossTune

お題:一本道

まばらに木々が生え、明るい緑の草が一面を覆い、その緑を割って陽の光に煌めく川が細く長く流れている、そんな静かな光景だった。川の水は澄んで川底の丸い石たちが転がっているのがよく見える。そよぐ風に緑が揺れる。
川の横を併走する小道に、やがて景色に似合わない爆音が響く。音に負けじと張り上げられる声も聞こえてきた。
「う、うわあああああ」
「にーちゃんばか!危ない!」
どう聞いてもただ事ではない叫び声は、しばらく景色の中の騒音として響き続けていた。そしてしばらく響いたあと、別の衝撃音と共に静かになった。
「だからもー、ばか!」
「ってえ…」
今にも泣き出しそうな声と、絞り出すような呻き声。声に被さるように断続的に続くごぼごぼという空気の漏れるような音。
小道の真ん中には横転してタイヤが空回りしている自動二輪車、その脇には放り出されて転がっている二人の少年がいた。少年の一人が自動二輪車の側面を操作すると、低く続いていたエンジン音はパタリと止まった。そのまま深く息を吐いて、倒れたままの二輪車に寄り掛かって座った。
「だから危ないっていったじゃん」
泣きそうな声は訴えるように言った。言いながら二輪車に向き合うように小道に座り込む。二人の少年は丁度向き合う形で座っていた。
「乗りたいってはしゃいでたのそっちだろ」
「にーちゃんもじゃん」
不機嫌な声が二人分、静かな景色に不釣り合いに響いていた。
小道をすっかり塞いでいる二人と一台だったが、道の先にも後にも通る者の姿は見えなかった。時折鳥が羽を休め、そしてまた飛んでいく程度だった。
「大体、乗った事もないのに二人乗りなんてできないって分かってただろ」
二輪車に寄り掛かった方の少年が口を尖らせながら言った。
事の発端はこっちの少年だった。使われなくなり放置されていたこの自動二輪車を弄ってみた所、まだ動く事に気が付いた。そして興味本位でそれに乗ってみた。そしたらもう一人の少年も後部座席に座り込んでしまった。そして、
「だってホントに走らせるって思ってなかったんだもん」
二人を乗せた二輪車は、必死に動かしたハンドルのお陰で辛うじて道を走っていた。しかし、止まり方が分からなかった。
強制的にその走りを止められた二輪車は、元々あった傷に加えて新しい傷も刻まれてしまっていた。小道はタイヤとハンドルの形に地面が抉られている。
よっ、と小さく声を掛けて、寄り掛かっていた方の少年が立ち上がった。二輪車のハンドルを持って慎重に起こす。細かい砂が大量に付いていたのをパタパタと払うと、地面を再び削りながら方向転換をさせる。もう一人の少年は、座ったままその一連の流れを見ていた。その少年を見下ろして、ハンドルを握った少年はニヤッと笑った。
「帰りも乗ってく?」
「ぜってーやだ!」
座っていた少年は慌てて立ち上がり、二輪車の横に立つ。
「危ないから押して帰ろ、ね?」
「怖がり」
「ちっげえ!」
ムッと声を荒げる少年を見て、ハンドルを持つ少年は吹き出して笑った。そしてゆっくり二輪車を押して歩き出す。
「帰ったら乗れる人いるか聞いてみよ。いたら教えてもらうんだ」
そう言った少年を、並んで歩く少年は嫌そうな目で見ていた。

+++++
30分

CrossTune

お題:雪

間引きを終え小綺麗になった植木鉢を手に、店の外へと一歩踏み出す。扉を開けたままの店内とさほど変わらない気温ではあるが、吹き付ける風は外ならではのもの。刺すような空気に、思わず晴乃は身を縮める。重く暗い空はいつもよりも低く見え、心なしか街の中まで沈んでいるように見えた。すっかり冷たくなっている植木鉢を持つ手も、徐々に温度を奪われている。そっと軒下に並ぶ他の植木鉢の隣に並べると、晴乃は右手で左手を包み込んだ。
色の少ない季節だった。並ぶのも花ではなく色の付いた葉が多い。まだこの季節になって半分くらいしか過ぎておらず、花の咲き乱れる季節までは遠かった。
手を握ったままぼんやりと灰色の空を眺めていた晴乃は、やがてその空からはらはらと舞う白に気付く。
「あ…」
この辺りではそう見られるものではないので、今日はとびきり気温が低いという事だろうか。そう思いながら、降ろしかけた視線をまた空へと戻していた。顔にいくつか着地し、ひんやりとした感触を感じるがそれも一瞬で、すぐに消えていった。地面にはなんのあとも残っていない。
「晴乃…?」
不意に聞き慣れた声に呼び掛けられ、晴乃は慌てて視線を降ろす。と同時に開けっ放しだった口をぱっと閉じる。格好悪い所を見られた、という後悔がぐるぐると頭の中を駆け巡っていたが、極力それを顔に出さないようにと晴乃は必死になっていた。
「風邪引くぞ」
役所からの帰りなのか仕事からの帰りなのか、その逆なのか、クラロスは少しの荷物を持って店から数歩離れた所に立っていた。
「あっ、いえ、大丈夫ですよ、本当、大丈夫です」
まだ少しぐるぐるとしていた頭の所為で咄嗟に言葉が出て来なかったが、なんとか笑う事は出来た、と晴乃は思っていた。
その間にも、ちらちらと舞い散る白は少しずつ量が増えていっていた。植木鉢を出す為だけに外に出てきていたので、晴乃の服装はあまり着込んでいるものではない。体温がどんどんと下がっていっている自覚はあった。
「クラロスさんこそ寒くないんですか?」
対するクラロスも、厚着とは言えない格好である。けれど寒がる様子は見えなかった。晴乃の視線に気付いたのか、言わんとする部分を察したのか、クラロスは微かに笑ったような気がした。
「俺は慣れてるから」
そう答える彼の声が、どこか遠くを向いているような気がした。
「そうなんですか?」
「昔住んでいた所は、雪が積もる所だったから」
やっぱり彼の視線は遠くを、彼の故郷を向いているのだと晴乃には分かった。
それが少しだけ淋しくて、羨ましくて、なんだかよく分からない気持ちがもどかしかった。
「そうなんですね。私、こうやって降るのは見た事あるんですけど、積もってる所は見た事ないんです」
この辺りじゃそんなに降らないですからね。そう付け加えて、晴乃はもう一度空を見上げた。量が増えたとは言っても、あくまで比較的。このまま三日三晩でも降り続けたりしない限りは地面も白くはならないだろう。
「いつか、行ってみるか?」
突然の言葉に、晴乃はしばらく空を見上げたまま瞬きを繰り返してしまった。そしてクラロスに振り返ってそこでも数度瞬き。晴乃の様子にクラロスも少しきょとんとしていて、向き合ったまま静かな時間が流れる。
「遠いから、無理に行こうって訳じゃないけど。雪が見たいなら」
他に深い意味も無い事は分かっていた。分かっているけれど、その気遣いが嬉しかった。
不自然に空いてしまった間を申し訳なく思いながら、晴乃はその間を吹き飛ばしたくて思いっ切り笑った。
「行ってみたいです。雪、見てみたいです」
刺すような空気も風も、今はしばらく感じないような気がしていた。

+++++
30分

CrossTune

お題:花火(その2)

「わぁ!」
森の一角に、そんな声が上がった。
真っ暗な森の中に眩しい程の光が生まれている。力強く吹き出すその光を間近に眺めながら、光麗は飽きることなく笑い声を上げていた。隣の涼潤も、そんな姿を見ながら、そして自分の手元の光を眺めて、にこりと笑うのだった。
「どこからこんなにたくさん…」
呆れ声を呟くのは竜神だった。光麗達がしゃがみ込む場所から少し離れた地面には、手持ち花火が山となっている。そして竜神の足下には燃え尽き水を掛けられた花火が山となっている。
「風が運んできたんだと」
火花の吹き出す手持ち花火を片手で三本持って、遊龍は竜神に答えた。その答えている間に左手に持つ三本の花火に火を点ける。一気に火が噴き出して、遊龍の周囲は更に明るくなった。「危ね…」と呟く竜神の声は綺麗に無視されている。
「知ってたけど、やった事なかったんじゃね?」
パチパチと音を立てる花火を見つめながら、遊龍はぼそりと呟く。竜神は何も言わずにちらりと視線を向ける。
「街ん中じゃ出来なかっただろーし。こっち来てからだって一人でやっても面白くなかっただろーし」
「お前が来たの去年だろ」
「そうだけど、もし火事になっても消火できなかったし」
あぁ、と竜神は納得してしまった。現に、今の自分の役割は使い終わった花火の完全消火だ。
少し離れている場所の少女二人の会話は聞こえない。ただ、時折聞こえる笑い声は光麗のものだけでなく涼潤のものも混ざっていて、楽しくないという雰囲気には見えなかった。
「竜はやんねーの?」
「っ、だから危ないって言ってんだろ!」
遊龍が不意に竜神へと振り返った所為で、花火の先が竜神へと向けられる。六本分の火花が吹き出したままで、慌てて竜神は一歩後ずさる。と同時に一本ずつ勢いが弱まり終わりを迎えていく。思わず六本全てが沈黙するまで、二人は無言で花火を見ていた。そして辺りが静かに暗くなった時、堪えきれずに遊龍は吹き出していた。暗闇の中には、イライラとする竜神の表情が浮かんでいた。
「遊ー!」
声が掛けられて遊龍は笑いながらも振り返る。見ると光麗が大きく手を振っていて、どうやら火種を要求されているらしいのだと気付いた。
「ねえ!これに火、つけて!」
好奇心に溢れる表情で地面に置かれている花火を指差している。それはどう見ても今までの手持ち花火とは形も大きさも違う花火で、涼潤も、近寄った遊龍も竜神も一瞬言葉を失う。
「これって…」
「これって大きい花火なんだよね!」
円筒状の物体は、その場にいる全員が初めて見るものだった。風はなんてものを運んできたんだ…と遊龍は思うが、光麗からは期待の眼差しが向けられている。今この場で、点火を行えるのは遊龍一人だけだった。
「光、これは少し危ないから」
「そう、危ないから」
「離れて見てないと駄目よ」
「そっち?!」
遊龍の叫びを無視して、涼潤は光麗の手を引いてさっさと離れて行ってしまった。その後ろに竜神も着いていく。円筒状の花火の傍に、遊龍が一人だけ残されていた。
「マジですか…」
頬を撫でていく風は、まるで遊龍の事を慰めているようにも思えた。しかしその風がやがてピタリと止まると、風も花火を期待しているのか、と思わざるを得なかった。
森の中、少しだけ開けたこの場所の空は広く空いている。とはいえどれくらいの高さが上がるのか分からなかったので、迂闊に点火するのは少し躊躇った。振り返って離れた所に座り込んでいる三人を見ると、じっと遊龍の事を見ている。引くに引けない。それにきっと風だって危ないものは運んできていないだろう、もし危なかったら竜の野郎に任せておこう。そう結論づけて遊龍はぐっと拳を握った。
何本か届けられていた花火を等間隔に並べ、自分も少しだけ距離を置く。そして一つずつ着火する。
ドン―――と低く激しく響く音が、森の中に広がった。
思いの外高く打ち上がった空の花は、森の丁度真上に大きく広がる。見上げていた四人の顔を赤や青や黄色に照らしながら。
「すごーい!」
はしゃぐ声が後ろから聞こえて、遊龍はつい吹き出して笑ってしまった。

+++++
30分

CrossTune