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お題:赤い

 陽が落ちて随分と経った頃だった。
 通りに人影は無く、昼間の喧噪が嘘のように感じる静けさが辺りに広がっている。窓から明かりの漏れる建物もまだ多いが、徐々に徐々に減っていく、そんな時間帯だった。その通りを、迅夜は一人で歩いていた。
 ちょっと出掛けてくる、そう相方に声を掛け、彼がこちらに視線を向けた時にはもう部屋の扉を閉めていた。別に逃げた訳ではない。それに、もう少し長く扉を開けていたとしても、頷く程度の返事しかない事は分かっていた。逆の立場であってもそうだった。声を掛けるだけマシになった方だった。
 嫌いな訳じゃないんだけどな。いつの間にか迅夜は空を見上げながら歩いていた。そしておそらくそれは、相手も思っている事だった。
 一つの建物の前で足を止めると、扉と向かい合う。その建物は数少ない明かりの漏れている建物だった。向き合った扉に付いた丸い窓からも明かりが漏れていて、迅夜の顔を照らしている。扉を開けると、静けさの中に一気に喧噪が降り注いだ。
 狭くもなく広くもない酒場には、テーブル席が丁度全部埋まるだけの人が集まっていた。各々話したり一人だったり叫んだり歌ったり寝ていたり、その空間はとても自由だった。迅夜が入ってきたことに気付き目を向けた人も何人かいたが、それだけだった。すぐに元の空気へと戻っていく。後ろ手で閉めた扉の外と内では、こんなにも世界が違う。昼間の空気が、夜の時間だけここに閉じ込められたような、そんな雰囲気に近い空気だった。
 テーブルは全て埋まっていたが、迅夜が気にする事はなかった。まっすぐに置くのカウンター席の一番右端へと向かう。決まりでもなんでもないが、迅夜としてはそこが迅夜の席だった。
 カウンターの内側にいる店員は迅夜が席に座ったのを確認すると、何も言わずに赤い色のカクテルを出してきた。視線をグラスへ、そして店員へと向けて、「ありがと」と呟く。店員は何も答えはしなかった。
 甘いカクテル。味にうるさい程の酒好きではないが、拘るならばその点だけだった。何度か注文を繰り返す内に店員にはすっかり把握されてしまったようで、今では“店員の”気分で甘いものの中から一つが選ばれている。
「サイもこういうとこ来てんのかな」
 独り言をぼんやりと呟く。一人で外出している時に何をしてきただなんてわざわざ話していない。そして聞いてもいない。だから彼が何を考えてどこへ行っているのか、知らないままだった。
 ―――どうやら偏に物思いに耽ってしまう日らしい。そういうつもりで外に出てきた訳ではないというのに。そう気付いて、迅夜は一人でふっと笑った。店内に背を向けていたので、その表情を見ていたのはカクテルを作っている店員だけだった。

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30分