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月: 2014年6月

お題:無題

パタパタと走る音がすぐ後ろから聞こえ、荘太郎は足を止めて振り返った。思った通りの姿がそこにはいた。
「なあ荘太郎!今日は何しに来たんだよ!」
「来ちゃ悪いのかよ」
年端もいかない少年の言葉だけを聞くとまるで歓迎されていないようだが、声の調子と表情と、何より普段の彼の様子を知っている側としては、そうではないということくらいすぐに分かるものだった。軽く苦笑を浮かべながら言い返す。
「ちげーよ!何しに来たのか聞いてるだけだっての」
少しだけムッと頬を膨らませ腕を組んでみせるも、大して怒ってはいないという事もバレバレだった。
「今日は調べ物しに来ただけだよ」
歩き始めると少年も隣を歩き始めたので、そのまま荘太郎は口を開いた。行き先は資料庫であり、少年への言葉に偽りはない。少年は「へー」と面白くなさそうに返事をするも、足を止めることなく着いてきた。
「お前も調べ事すんの」
「しねーよ、面白くねーし」
「じゃあなんで着いてくんだよ」
「着いて来ちゃ悪いかよ」
理由が分かんねえよと荘太郎が呟くも、それには少年の返事はなかった。やがて資料庫の扉の前に到着する。鍵は掛かっていない。中への出入りは自由だが、資料によっては閲覧に制限があるものもある。そういうものが置かれてもいる部屋だった。
扉の前で足を止めると、荘太郎はもう一度少年に視線を向けた。
「もしかして、監視か?」
思い当たった一つの可能性を思わず口にする。口にはしたものの、その可能性がどれ程の確率であるのかまでは自己判断では決められなかった。少年はニッと笑うと、首を振った。
「ンなわけねーよ。荘太郎の方が信用されてるよ」
「んじゃ逆か?俺が鍵開けて、そこにこっそり侵入して盗み見る」
「オレに何の得があんだよ」
「知らねえよ、そんなの」
まあそこまで、不審の目を向けられてはいないか、と思い直す。自分も、この少年も。
「荘太郎が普段何してんのか、気になってるだけ。別に悪い意味じゃなくてさ」
ぼそっと呟かれた少年の言葉に、荘太郎はあははと軽く笑う事しかできなかった。そういえば、「理由」はまだ限られた人間にしか話していない。彼らの口が固いままでいる限りは、それらを知る者もごく僅か。
「んじゃオレ資料とかそーゆーの興味ねーから!」
くるりと背を向けた少年は、ひらひらと手を振って来た道を戻り始めた。元々、ここに到着するまで間の「お喋り」をしに来ただけらしい。肩を竦めるて笑うと、荘太郎はその背中に向かって声を掛けた。
「知りたきゃその内教えてやるよ」
届いた言葉に少年がバッと振り返り「ほんと?!」と声を返すのと、後ろに向かって手を振る荘太郎の姿が扉の向こうに消えるのはほとんど同時だった。
廊下にバタンと扉の閉まる音が響いた。
取り残された少年は、微かな高揚感を胸に感じながらもう一度振り返り、来た道を歩き出した。

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25分

がくせん!

またあした

さして広くもないはずなのに、白を基調とし、静寂に包まれた部屋は随分と広いような気もする。もう何度も足を踏み入れ、馴染み深い場所となっているというのに、知らない世界へとやってきたような感覚。無音なわけでもない。開いた窓から入り込む風の音、その外の草葉の揺れる音、遠くの道路の音、空調の音、廊下の向こうから響く声、足音。聞こえる音は多い。ただそのどれもが、一枚ガラスを隔てた向こうの世界の音のようだった。
「お昼寝中かな」
小声で流衣は呟いた。ベッドに横になった翔は、目を閉じたまま静かに寝息を立てている。返事がないのを確認し、流衣はベッドの隣に置かれた椅子にそっと腰掛けた。鞄は床には置かず、膝の上に抱えたまま。じっと翔の顔を見つめていると、静かに眠る彼は、本当にただ昼寝をしているだけの少年だった。奇妙な安堵感と不安感がどうじに押し寄せ、目元がぐっと熱くなり、そして口端が少し上がるのを感じた。本当に変な感覚だ、と思う。
窓の外に視線を移すと、澄み切った青が目に入る。そこに浮かんだ白は、ゆったりとした時間を具現化したように静かに形を変える。まだ夕方までは長い時間があった。
「帰りたい?」
空を見つめ外の空気を感じながら、流衣はもう一度口を開く。独り言のような問い掛け。返ってくる言葉はやはりない。
「私はいつでも、いつまでも待ってるよ」
静寂の中に言葉は消えていった。

「流衣?」
読んでいた本から顔を上げると、こちらを向いている翔と目が合った。気付くと陽は先ほどよりも随分と傾いており、もうすぐ西日になりそうな太陽が、白い部屋に光を送り込んでいる。
「おはよう」
そんな時間ではないというのは分かっていたが、眠っていた相手に掛けるには最も適した言葉。
「おはよう」
翔からも同じ言葉が返ってきた。
「よく眠れた?」
「寝すぎたと思う」
身体を起こしながら、翔は肩を竦めて笑った。流衣は本を閉じると、椅子を少しベッドに寄せる。いつも通りの表情。困っていないのに困ったように笑う顔。今度感じた安堵感には、不安感は紛れ込んでこなかった。膝の上に置かれた鞄のさらに上に、本を置いた。
「もしかしてずっといた?」
「うーん、この本を半分読んだくらい」
「うわ、ごめん」
「いいよ私が勝手に来てるんだし、本読んでたんだし」
もうちょっと寝てたら最後まで読めたのになぁ、なんてふざけて言ってみたら、夜眠れなくなっちゃうよ、と返された。それは確かにそうだろうなと思う。
「明日はみんな来るって。欲しいものあったら聞いといてって言われたんだけど、何かある?」
明日は土曜日だった。大体恒例の部屋が賑やかになる日。ときどき日曜日も。ときどき静かな週末も。
「今は大丈夫かな。……あ」
答えながら思案していた翔の表情と言葉が一瞬止まる。何かを見つけたかのような目が流衣へと向けられた。
「ソフトクリーム……って、大丈夫かな」
おそるおそる訊ねる翔の様子に、流衣は数回の瞬きをした。そしてその意図するところを察して、くすりと笑った。
「大丈夫じゃないかな、峡君が頑張ってくれると思う」
「…大丈夫かなぁ…」
明日の「彼」の労働力に期待と不安が半々。けれど聞いてきたのは向こうからなのだから、ここは頑張ってもらわないわけにはいかない。伝えておくね、と言いながら、流衣はくすくすと笑っていた。翔も、つられて笑ってしまっていた。

太陽が本格的に西日となって、青が橙へと移ろい始める。急に風の温度が下がったような気がして、流衣は椅子から立ち上がり鞄と本を椅子に置いた。
「窓、閉めていい?」
「うん」
ベッドの足下をぐるりと周り、窓際へ。カラカラと窓を閉めると外の空気が遮断され、鍵を掛けると室内の静けさはさらに増した。廊下から聞こえる音も随分と少なくなっている。だんだんと人の少なくなる時間だった。
「そろそろ帰るね。また明日、お昼過ぎには来れると思う」
「うん、待ってるね」
椅子の置かれた場所へと戻り、空いたままだった鞄に本を入れる。ファスナーを閉じる音がギュッと室内に響いた。
入り口の扉を開けると、廊下の音が一気によみがえってくる。静かであることは室内と同じであるはずなのに、違う静寂のような感覚。
くるりと振り返ると、翔と目が合う。先に片手を軽く上げて、にこりと笑った。
「また明日」
「うん、また明日」
翔も同じように片手を上げて、そして笑った。
廊下に出て扉を閉めると、そこに立ちこめるものがやっぱり別の世界の空気のような気がした。けれど居心地が悪いわけではない。廊下も、室内も、流衣がいつもいる場所の空気だった。

また明日。言葉には出さないで、流衣はもう一度呟いた。また明日、そのまた明日、その次も、また次も。会える限りはずっと会えますようにと、魔法の言葉を呟いた。

Chestnut

無題

どう見ても良い印象を抱かれないであろうこの容姿を見た彼女が、最初に何を思ったのかは今となっては分からない。おそらく聞けば嘘偽りなく答えてくれるだろうとは思うのだが、さすがに「大嫌いだった」という言葉を直接聞きたくはなかった。
「俺のこと本当に好きか?」
せいぜい聞けるのはこれくらい。
確信を持てているのがこれくらいだった。
「どれだけ自信がないんですか。そんな人だとは思って いませんでした」
毎度、返される言葉は同じだった。それに安心感を覚える。
「ごめん、聞き流してくれていいよ」
「無視したら拗ねるのにですか?」
「…痛いところ突くね」
「事実じゃないでしょうか」
「はい、負けました」
肩を竦めて両手を挙げると、くすりと笑う声が聞こえた。床を見つめたまま、勝てないなぁと改めて思うと自然と口元が緩む。本当に、勝てない。
「いつまで顔下げてるんですか」
顔を上げてくださ い、だなんて言わない。いつまでも彼女は一歩引いて、そしてすぐ横を歩いてくれている。
顔を上げると、見慣れた微笑みが自分の目をしっかりと見つめていた。この目はもしかしたら、いくつも隠している自分の中身をすっかり見通しているのかもしれない。いつか、本当にいつか、全てを打ち明けたくなる目だった。
「好きですよ。私の目の前にいる、あなたのことが」
照れることもなくまっすぐに投げられる言葉が、望んでいるもの だったというのに素直に受け取るには相変わらず気恥ずかしさが先に訪れる。「嬉しい」という感情が、おそらく顔に思い切り出ている。
「今では、ですけど」
付け加えられた言葉。くすっと笑った彼女の顔にはいつになく悪戯っこの笑みが浮かべられ、荘太郎の背筋は一気に冷え込んだ。

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20分

がくせん!

玉子焼きの話

 寮に入って、少しだけ勝手に慣れた頃だった。
 カンナは男子寮内の共同台所にぽつんと立ち尽くしていた。台所と言ってもガスコンロが二口と小さな流し台、それに作業スペースがあるだけの簡易なものである。インスタント食品を食べるためにお湯を沸かすには充分なものではあるが。
 作業スペースにはいくつかの調味料のボトルや袋が、「ご自由にお使いください」と書かれた紙を貼られて無造作に置いてある。簡単な料理を作りたいが、調味料があからさまに余ってしまう。そういった学生に向けて誰かが置いているものなのだろう。いつから置かれてるのか―――それは考えないことにした。ボトルに書かれた賞味期限はまだ先の日付であるので、とりあえずはまあ、問題はなさそうだった。
 そんな台所を見ながら、正確には並べられた調味料を見ながら、カンナは唸っているのだった。
 作業スペースに置かれているのは買ってきたばかりであろう4個入りパックの生玉子。調味料と同じく「ご自由にお使いください」と置かれていたボウル、フライパン、菜箸。ひとまず使いそうなものを取り出してみただけ、といったラインナップを前に、しかしそれ以上の行動が行われていなかった。
 玉子焼き。カンナが作りたかったのは、ただそれだけだった。朝起きて唐突に玉子焼きが食べたくなったのは、他でもない、玉子焼きを食べる夢を見たからだった。夢の中ではあったが味もしっかり覚えている。甘い。
「甘いってことは、砂糖、だよね…?」
 誰宛でもない独り言を呟き、調味料たちを見回す。記憶の中で、確か砂糖は白い粉のようなものだったはずだ。ボトルでなければ袋のどれかなのだろう。ありがたいことに、買ったままのパッケージの袋に入っているおかげですぐに「砂糖」の名前を見つけることができた。スプーンで少し掬い、ボウルの中に放り込む。
「えっと、それで玉子を…玉子、を」
 砂糖の袋に封をして元の場所に戻すと、カンナの手は再び止まった。玉子を使うことは分かる。が、玉子の使い方が分からなかった。玉子を手に取ってみても、まさか刃物で切るわけでもなかろうという堅さの殻であることしか分からない。
 しばらくの間、無言の睨めっこが続いた。当然の如く、先に観念するのはカンナの方だった。
「……やっぱ、無理だよね」
 諦めたように笑うと、カンナは手にしていた玉子をパックの中へと戻す。備え付けられている冷蔵庫を開けて覗き込み、スペースが余っていることを確認すると一旦扉を閉める。辺りを見回して紙とペンを見付けると一言、「余ってしまいましたので、ご自由にお使いください」と紙に書き記す。それを玉子のパックにぺたりと貼り付けると、冷蔵庫の中のよく見える位置に置いた。きっと誰か、せめて玉子の使い方が分かる人が使ってくれるだろう。
 どうせ味付けだって分からなかったんだ。食べたかった味を、料理を全くやったことのない自分が再現できるわけもない。
 バタンと冷蔵庫を閉じると、今度は出してしまった調理器具を片付ける。ボウルに入れてしまった砂糖は、すみません、と呟きながら、何も混ぜていないのを自分の中での言い訳にして、砂糖の袋の中へと戻した。
 そうして出したもの全部を片付け終え、台所を元の状態に戻した後、カンナはその部屋をあとにした。もうあの玉子焼きは食べられないんだろうなぁ。そう思いながら。
 カンナが台所に立ったのは、それが最初で、おそらく最後だった。

がくせん!

お題:ひみつ

「憎んでいたんだ、アイツらの事を」
俯いた顔でそう言う男が、今どんな顔をしているのかは分からなかった。表情もだし、胸中もだ。声が辛そうで、表情が苦しげだったとしても、その内面では何を考えているのかなど分かりはしない。分かるわけがない。
「憎んで、憎んで。どうやったら復讐できるのか、考えていた」
相変わらず淡々とした声は、尚のこと感情を感じさせない。
「そうした時に、君に、君たちに出会った」
だからこそ、どう捉えるかは自分次第なのだと。この男のことを、自分がどう見るかが全てなのだと。そう思っていた。
両手を額に当てて完全に顔が見えなくなった彼の背を見て、そして思った言葉がするりと口から離れた。
「やっぱり」
男の方がぴくりと揺れた気がした。
「何か事情があるんじゃないかとは思ってました。私が一目惚れされるだなんて思っていませんでしたから。つくなら、もっと上手な嘘をつくべきでした」
するすると流れるように飛び出す言葉の一つ一つが、男に刺さっているのだろうかと思った。聞いた話と、今の彼の様子を見ていれば、そうなのだと察することができた。仕返しは、これだけで充分だった。
「違うんだ、これだけは信じて欲しい」
「分かっています」
ガバッと顔を上げて真っ直ぐに向けられた視線を、同じく真っ直ぐに受け止める。
分かっている。だから今こうやって話を聞いているのだ。
言葉を遮られた男の瞳が、ぐらぐらと揺れていた。なんだ、この人もやっぱり、随分と弱い人だ。
「あなたが私のどこを好いているのかだなんて気にしていません。私はあなたの事が好きで、信じています。だから、あなたの選んだ道を応援します」
真っ直ぐに、黒の瞳の下に隠れる金色の瞳を見つめた。彼は、私が知っているということを知っているのだろうか。いつか聞いてみよう。
「私はあなたも、あの子も守りたい。それだけです」
「柳…」
ふわりと風が通りすぎ、木の葉が舞った。
今日は会えないはずの日だった。だからこれは、私たちだけの秘密になる。
「俺も、守るから」
ぐっと両手を握り締められ、その暖かさに思わず微笑みが溢れた。
ああ、やっぱり、私は彼のことが好きなんだ。

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20分

がくせん!