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タグ: 左翊

お題:雨

地面を、窓を、壁を叩きつける激しい雨音に苛立ちながら、猛烈に不機嫌な表情を隠しもせずに立ち尽くしていた。
苦笑いを浮かべる宿屋の主人も、対応に困っているのだろう。
別に彼に対して苛立っている訳ではない。ただこの状況そのものが気に食わないのだ。
「この近くに別の宿は」
「残念だけどここしかないよ」
あるのならば土砂降りも気にせず向かおうという考えは呆気なく砕かれた。
打つ手無し。
それでも納得する気にもなれず、駄々をこねる子供のように唸り続けた。
「男女ならともかく、男二人旅で二部屋取りたがるなんて珍しいよ。嫌いな相手と旅してる訳でもないだろうに」
嫌味というよりも素直な感想なのだろう。主人がしみじみとそう呟いた。
客観的に見ようと思えば自分だって同じ感想を持つだろう。滑稽だとも自覚している。
しかし嫌なものは嫌なのだ。理解して貰おうとは思ってはいない。
「まさかお前さん達、そういう趣味なのか?」
「違うって」
間髪入れずに言い返すと、語気が強すぎたのだろうか、主人の顔がきょとんとしていた。
言い訳も謝罪もその場に合う気がせず、その後に言葉を続けることができないままそっぽを向いて口を噤んだ。
おおらかな、もしくは世間話が好きな主人だったのだろう。
さして気にした様子も見せず、いつの間にか元の表情へと戻っていた。
「まあ、深追いはしないけどね。泊まらないというなら引き止めはしないけど、この雨、一晩じゃやまないと思うよ」
鍵を用意しながら、聞こえてくる雨音に耳を傾けてそう伝えられる。
それも、分かっていることだ。
渋々と鍵を受け取り、主人に向けて頷き返す。
いっそ彼がもっと素っ気なく、土砂降りの中へと追い出すような人であれば迷わなかったのかもしれない。
そうしてまた、釈然としない出来事を他人の所為にしようとしているのだ。
重なる自己嫌悪に重い溜息を吐き、同じ表情をしているであろう連れ人の元へと足を向けた。

+++++
15分

CrossTune

お題:夢

『大嫌い』
聞き慣れた声が紡ぐ聞き慣れない言葉が背後から聞こえると同時に、ドンという音が聞こえた。
状況を上手く処理できない頭には、どうやら痛みすらも随分と遅れて届いたらしい。
猛烈な目眩と急速に力の抜けていく足、地面が目の前に迫ってからようやく、背中に鈍く重い痛みを感じ始めた。
それでも何も理解しようとしない頭は何度も何度も同じ言葉を繰り返していた。
倒れる前に聞こえた言葉。その意味。
なんで……?
そう呟いたはずが、口から溢れたのは真っ赤な液体だけだった。
俺、そんなに嫌われるようなことしちゃったかな………
いっぱいしてるか。
意識の淵をもがき掴むことすら考えられずに、あっという間に世界から光と音が消えた。

―――
「おい」
ガタガタと伝わる振動に、ゆっくりと世界に音が現れだす。
「おい、起きてるのか」
聞き慣れた声と、そしてぼんやりとした光が意識を叩き起こしている。
現実と非現実の合間を揺らめきながら、やがて光は見知った形へと変わっていった。
「………」
目の前には引き攣った真っ青な顔があった。
肩に乗せられた手が先程の振動を生み出していたのだと、段々と理解していく。
あぁ、だから。
声には出さずに、表情にも出さずに、呟く。
「うなされてたぞ」
心配そうに、というよりはどことなく恐れを感じていそうな表情で声を掛けられる。
同じ部屋にはなりたくなかったんだ。
息を吐き出しながらゆっくりと瞬きをする。
どうせそっちだって何か隠しているくせに。
「変な夢見ただけだから。なんでもない」
先にバレるのが嫌だったのに。
「起こしてごめん」
恐らく寝てはいなかったであろう相手に向かって、視線を逸らしながらそう言うのが精一杯だった。
思った通り、返事は無かった。

+++++
10分

CrossTune

雨降り

 雨は辺り一面を打ち鳴らしていた。
 バシャバシャと音を立て、狭い世界中をその音で包み込む。呆然とその様を見つめ続けていると、あっという間に彼らに自分の世界を制圧されたような気がしてくる。実際、されているのかもしれない。
 何もない、冷たい音だけがただただ響いている。
 気持ちいいと。洗われるようだ、と。頭の片隅でそんな言葉がよぎった。その直後に、一体何が洗われるのだと思った。どちらが本心なのか、そもそも今のは自分の言葉なのか、それすらも分からない。自分の言葉であると、認めたくないだけかもしれない。

「何やってんの」
 雨音に支配された世界に唐突に入り込む不協和音。けれどそれは、雨音よりも聞き慣れた声だった。
 走ってきた音は聞こえなかったが、どうやら迅夜もこの雨の中をずぶ濡れになりながら駆け抜けてきたらしい。軽く息を切らし、訝しげにこちらを見ている。それはそうだ。あと数歩で宿の庇の下へ入れるという距離で、雨から逃げる事もせず突っ立っているのだから。走ってきた努力も報われずずぶ濡れになった迅夜は、それ以上の回避を諦めたらしい。目の前に立ったまま、室内に促す事もしなかった。
「何かあった?」
 呆れられているのか、怒られているのか、睨むように見上げ問い掛けてくる時は、大抵返事ができない。今もこうして、声が出ないのだ。そしてそれは、彼も知っているはずで。それでも彼は、事ある毎にそう問い掛けてくる。
「別に。何となく、だ」
 少しだけ目を逸らして、そう呟いた。
 嘘ではない。そういう気分の時もある。ただそれだけだった。何かあったのなら、きっとここには戻ってこない、そんな気もしていた。
「……風邪引いたら仕事できないからね」
「ああ」
「そしたら俺一人で頑張るんだけど」
「……そうだな」
「その後同じだけ俺も休むからね」
「……、……好きにしろ」
 そして同時に溜息を吐いた。
「ってかこれで中入ったら怒られそうじゃん、どうすんの?!」
「お前もどうするつもりだったんだ」
 コロコロと表情を変える迅夜は、まるで子供だ。突然土砂降りの中駆け出して水溜まりで遊びだしても違和感は無い。呆れはするが。それでも極稀に見せる表情がいつも気に掛かって、ただの子供扱いをできなかった。例えばつい今し方のあの表情。あの表情がなければ、とうの昔に彼を置いて一人で逃げていただろう。そう、逃げていた、だろう。
 
 やはり、あれは洗い流していたのかもしれない。逃げ去りたい、消し去りたいという気持ちを。
 雨はまだ降り続いていて、遠のく気配もない。全てを消し去る前にやってきた相方は、やはり自分を消し去る事を許してはくれないのかもしれない。
 それなら今、気付いた今この瞬間に逃げてしまえば ―――
「サイ、中入んないの?」
 背を向けようとしたその瞬間に、宿の扉を開けた迅夜の声がガシリと肩を掴んだ。不思議そうにこちらを見ている彼の目に、他意は無いように見える。
「……、あ、あぁ」
 小さく小さく息を吐き、扉へと足が進む。
 どうやら本当に、逃がしてはくれないようだ。

 歩んだ先、背中でゆっくりと扉が閉まった。

CrossTune一次創作

風花の追想

 外へと足を踏み出した時、ふわりと視界を掠めるものがあった。動作を止め、空を仰ぎ見る。薄暗い曇天から舞い落ちてくるのは、白。彼らはゆっくりと、不規則にふらふらと、ゆらゆらと宙を漂っている。ただ見上げ続けているだけなのに、どこかへと吸い込まれるような感覚を覚えるのが不思議だった。不安定に風に流れるそれを目で追い、左翊はそっと手を差し出した。一粒の欠片が手の平に着地し、そして消えた。
「雪、か」
 誰に宛てる訳でもない呟きが溢れた。白い息にすら揉まれて、途端に雪たちは進路を変える。差し出したままの手の平をするすると抜けていく様子は、まるで掴む事の出来ない幻のようにも見えた。
 シャオク大陸は比較的温暖な地域である。冬になれば冷え込むし、今日のように雪が降る事だってある。しかし一面の銀世界、という景色はそうそう拝めるものではない。地面へと辿り着いた雪は、そのまま静かに消えていく。音のない世界で、左翊は雪の降りしきる様をただじっと眺め続けていた。彼の故郷には、辺り一面が白に染まる季節があった。そして、あの日も白の世界。深紅。
「何してんの」
 不意の声にハッとし何度か瞬きを繰り返し、急速に記憶から引き返す。唐突ではあったが、予想していたよりは随分と遅く声を掛けられた。背後の、室内からの声は相方のものである。扉を開けたままにしていたのだからそのうち何かしらの声を掛けられるだろうとは思っていたが、どうやらしばらく様子を見られていたようである。呆れた声が、すぐ隣にやってきた。そして、
「あ、雪降ってるんだ」
 それは、どこか弾んだようにも聞こえる声だった。左翊の隣に並んだ迅夜は、左翊と同じように空を見上げる。じっと見つめる視線はまっすぐで、何を考えているのかは読めない。同じように、左翊が考えている事を迅夜は読めないのだろう。
 はらりはらりと舞う雪が頬に触れると、ひんやりと熱を奪っていった。引き替えに雪は姿を消す。何度も何度もそれを繰り返し、迅夜も、左翊も、言葉を発することなく身体が冷え込むまで立ち尽くしてた。

「…、そろそろ行く?」
「そうだな」

 雪がやがて小さくなり、少なくなり、そして姿を消していく頃。
 二人は扉を閉め、歩み出した。雲間からは細い光が差し込んでいる。

CrossTune

cold wind

 ヒュウ、と。冷たい空気が流れた。つられるようにカサカサと音を立てる木の枝を、歩みを止めた左翊は見上げた。
 この世界のどこかに居るであろう少女のように風の声を聞く事は出来ないが、この風がどのような風であるかくらいは判別できる。冷たい北風は冬の訪れ。風量はそよぐ程度、時折少しだけ強まり小枝を揺らす。どこにもおかしい点などないはずなのだが、自然に流れる風とはどことなく違うような気がして、首を傾げる。辺りに人の気配はなかった。気に留めるほどのことではなかったかもしれない。しかし一度気になると暫くは気を紛らわす事の出来ない性格である。珍しい好奇心だったのかもしれない。左翊は風の流れてくる方、風上へと足を進めた。
 ぶわりと、マフラーを揺らす風が強く左翊にぶつかった。その途端、身を震わせる程の冷気。ひんやりという生半可な言葉で表現するには物足りない程の冷たさが、露出した肌の部分の体温を一気に奪った。思わず両腕をぎゅっと握るが、あまり効果はなさそうである。身に感じる冷たさを和らげる事を諦め、ふと顔を上げた左翊の目に一つの影が映った。どうやら、風の”発生源”はここで間違いないようだ。左翊の目の前には、ひらりと薄手の服を翻す少女が立っていた。彼女の周囲をくるくると風が周り、風に触れた空気中の水蒸気が凍り、そして雪となって舞っている。風に乗ってふわりと飛んできた雪の欠片が、左翊の頬に触れた。触れた途端に感じる冷たさと引き替えに欠片は消えてしまう。後ろ姿を眺めてみるが、少女はまだこちらに気付いていない。そっと、彼女に近付いた。
「寒い」
 風を操る為にか上げられていた少女の左手を、掴み上げると左翊はそう呟いた。掴んだ手が驚く程冷たく、体温も感じず、思わず離しそうになるのをそっと堪える。言葉と行動で、ようやっと少女は左翊に気付いたようだった。ビクリと肩を震わせると、おずおずと振り返ってきた。薄い茶色の髪に、同色の瞳。驚いているのか睨まれているのか分からない視線には、まだ幼さを感じた。彼女の意識がこちらに向くと同時に風が止み、やはり彼女がこの風の原因だったのだと確信を得る。こちらを見てくるだけで、少女は何も言葉を発しない。この冷たい手を握り続けていたら、いつか温かくなるのだろうか。その前に、自分も冷たくなるのだろうか。不意に、左翊の脳裏にはそんな考えが過ぎった。

「…触らないで」
 どれくらい動作を止めていただろうか。先に動いたのは少女の方だった。パシンと左翊の手を払うと全身でくるりと左翊に向き直り、キッと睨み付ける。顔の作りのせいか険しさを感じない少女の表情には、どこか戸惑いに似たものが見えた気がした。
「私、冷たいんだから」
 ぼそりとそう言うと少女は、ぷいと顔を逸らしてまた全身でくるりと背を向けた。そしてそれ以上何も言わず、どこかへと立ち去ってしまった。少女と共に風は走り去り、やがて少しだけ暖かいような気がする風が吹き込んでくる。これはきっと、いつもの北風。後ろ姿も見えなくなった頃に、左翊は払われた右手をそっと降ろした。すぐに追えば追いつけたであろう少女のスピードに、しかし左翊は追い掛ける気にはなれなかった。追い掛ける理由がある訳でもない。ただ、戸惑ったような少女の表情と、「冷たい」という言葉が、妙に頭に残った。

CrossTune