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カテゴリー: Jump into the Sideway

CrossTuneのキャラ達が現代で学生やったりバンドやったりしてるよな話

Sacred prayer for you SideA

「バレンタインかぁ」
 ぼんやりと雑誌を捲っていた涼はそう呟いた。隣に座る光も興味深そうに雑誌を覗き込む。色や形が様々な、可愛らしくもお洒落なチョコレートの数々。人にあげるよりも自分が欲しくなるようなものばかりで、そして食べるのが勿体ないとも思ってしまうような綺麗な箱詰め。わぁ、と光は感嘆の声を上げた。
「光は誰かにあげるの?」
 自然な流れだ。年頃の女の子の会話なんて、殆どこんなものだろう。誰にあげるのか、作るのか買うのか、そして本命が義理か。
「うーん、遊と竜君と烈君にはあげようと思ってるけど…」
 涼と光、そして遊と竜は現在マンションで同居生活中であり、彼らの隣の部屋に住んでいるのが姉の真鈴と二人暮らしをしている烈斗である。光は、真鈴と烈斗の部屋にしょっちゅう入り浸っている程彼らと仲が良い。やっぱりね、と涼はくすくすと笑った。
「なんで笑うのー?」
「あはは、ごめんね。光らしいな、って思って」
「そう?」
「そう」
 笑いながら涼は、ぱらりと雑誌のページを捲る。どこを捲ってもバレンタイン特集。雑誌の中も、街中も。それを見て思うものは、人それぞれだろう。わくわくとはしゃいだり、鬱陶しいと思ったり。開いたページは、手作りお菓子の特集ページだった。涼は途端に動きを止める。一心にページを見つめ、表情はどことなく険しい。不思議に思って光は彼女の顔を覗き込んだ。
「涼ちゃん?」
 声を掛けても反応が返ってこない。ページ内容を確認した光は、二つの可能性に思い当たる。
「涼ちゃん、誰かに手作りあげたいの?」
「…っ!」
 案の定だった。二つの可能性はもしかしたら初めから一つだったのかもしれない。パッと光を見た涼の表情は、明らかに焦っていた。口をもごもごとさせ、何かを言うのか言わないのかはっきりとしない。光はそんな彼女を見つめながら、じっと返事を待った。
「あのさ、光」
 漸く彼女の口が開かれたのは、かれこれ数分の後だった。短い時間ではあるのだろうが、静まりかえった時間はその感覚を狂わせる。光は真っ直ぐ涼を見た。
「なぁに?」
「あのさ、…お菓子作るの、手伝って貰っていい?」
 不安げにぎこちない声。この家の家事は当番制で、日替わりで料理担当も変わる。しかし涼だけは料理を担当した事が無かった。忙しいから、というのも理由の一つではあるが、それとは別に彼女が料理を苦手としているというのも理由にある。不器用ではないのだから真面目に取り組めば出来るだろう、とは遊と光の意見なのだが、中々練習の時間が取れないのと彼女自身が苦手意識を強く抱いてしまっている事が原因で未だ彼女が料理をした事がない。幸いにも今日と明日は涼の仕事は休みであり、バレンタイン当日までも日数は少ない。チャンスは今しかないのだろう。それに普段からプライドの高い彼女からの頼みを、断る理由も無い。光はにっこりと笑って頷いた。
「うん、もちろん。…ね、誰にあげるの?」
 やっぱり自然な流れだ。例え出てくる名前が分かっていても聞いてしまうものである。好奇心。涼はほっとした表情を困った顔に変えて小さく笑った。
「光と同じ。あと、あっちの二人」
「霧氷さんと雨亜さん?」
「うん。一応、ね」
 涼は現在、ThreeTreeというグループ名で音楽活動を行っている。爆発的人気という訳ではないがそれなりに知名度はあるようである。遊の買っている音楽雑誌を借りて見ていても、度々記事を見掛ける事がある。グループ名が指すように三人組であり、涼は紅一点。色々な縁が重なって、光も彼らと会話した事が何度かあった。彼らの顔を思い浮かべて、光は楽しそうに少しだけ微笑んだ。微笑んで、ふと思い立った事を呟いてみた。
「ねぇ涼ちゃん、インカの人たちには渡せない?」
「あー…それは、……どうだろ」
 EncAnoter、通称インカ。涼も光も、ついでに隣人の真鈴もファンである三人組バンド(但し都市伝説では五人組)である。メディア露出がほぼ無い彼らとの接点は、ライブか下手したらファンレターだけ。同じ業界にいる筈の涼でも一度も接点を得られた事がないのだ。涼の反応を見る限り、彼女も一度は考えたのだろう。しかし結果は変わらない。
「会えるっていう確証がないしね」
「送っちゃ駄目かなぁ」
「あ、それは駄目なんだって。前に雑誌に書いてあった」
「そうなんだ…。うーん、残念だなぁ」
 雑誌のページを捲り、作るメニューを考える。美味しそうで、簡単なもの。いきなりレベルの高いものを選んでしまっては成功率が格段に下がってしまう。あれこれ二人で案を出し合い、作るものはチーズケーキと生チョコに決まった。本格的なものは難しいのだろうが、メジャーな分簡易的なメニューも多く存在していて、短時間で作る事が出来るのも決定理由だった。材料をメモし、涼と光は買い物の準備を始めた。同居人の二人はまだ帰ってくる気配がない。
「じゃ、行こっか」
「うん」
 楽しげに弾んだ声。涼と二人で出掛ける機会は休日の一致が少ない所為もあり中々無い。光にとってバレンタインメニューを作る事もあげる事も楽しみだったが、それと同じくらい涼と行動を共にする事も楽しみだった。
「美味しく作れると良いね」
 思わず光はにっこりと笑い、つられて涼もにっこりと笑い、頷いた。

Jump into the Sideway

Sing a Song for…

 この時期になると毎年聴くようになる、定番のクリスマスソングが流れている。特にクリスマスに強い思い入れがある訳ではないが、気分は自然と高揚しているのだろう。遊の口から、響きを知っている部分だけのフレーズが零れた。生憎英語詞を空で全て言える程、聞き込んではいないし英語も得意ではない。ついでに言うと歌詞に込められた意味も、申し訳ないが理解してはいない。
 隣から、同じメロディラインに乗せた言葉が聞こえた。ふと振り向くと、見知った顔と声。目が合うと愉快そうに、しかしメロディは停止させずににっかり笑った。思わず遊は吹き出し、そして彼に合わせて音程を変えた。歌詞が分からない部分はリズムだけ、歌詞が分かる部分も両者の歌詞は一致しないから、結局ずっとちぐはぐな歌のままだった。
 恋人たちのクリスマス、だなんてよく言うけど、そんなもの無くたって十分だ。そう言っていたのは隣の彼だ。唄が恋人の彼だって十分、恋人たちのクリスマス、なんじゃないかと遊は思った。
 パンと弾けた噴水は、クリスマス用にアレンジされたウォーターショー。思わずメロディを止め、魅入る。純粋に“凄い”と感じている遊の隣、きっと彼の頭の中では新しいメロディと詞が生まれているのだろう。口ずさんでいるリズムは遊の知らないものだった。

 クリスマスイベントはやがて歌へと変わる。伸びやかなハーモニー、高音と低音。食い入るように見つめ、聞き入っていた迅夜はやはり唐突にぼそりと呟く。
「あの人たちも歌ってるのかな」
 声量は独り言、しかし“誰か”へと向けられている。何もない空中を見上げてはいるが、その目は何かを探している。
「山下さん、ほんっとお気に入りですよね」
 個人名を出していないにも関わらず、迅夜が指しているのが誰なのかあっさり見当が付く。分かり切っている事を、敢えて遊は呆れたように笑って言った。自分の“お気に入り”よりもずっとずっと深く気に入っている事は誰が見ても一目瞭然だった。
「だって好きなんだもん」
 ふわりと笑った顔は、心底幸せそうだった。きっと彼には唄の他にも恋人がいるんだと、遊はぼんやりと思った。
「…って、仕事中だったらどうするんですか」
 おもむろに携帯電話を取り出した迅夜にぎょっとし慌てて遊は制止する、が、それしきの言葉で止まってくれる人ではなかった。
「ん?留守電に入れとく」
 ニッと笑った表情。始めからそのつもりだったのかもしれない。「メーワク」と呟いた遊も、既に吹き出したあとだった。コール音を聞いているのか応答メッセージを聞いているのか、暫く黙り込んだ迅夜はやがて口を開く。

「メリークリスマス。ね、歌って?」

Jump into the Sideway

first…

 声の入っていないメロディラインが静かに流れている。微かに入ってくるコーラスは、きっとアーティストの裏声だろう。まるで二人の別人のようだと感心する。曲調はあまり好まないものではあったが、目を付けておくのも悪くないだろうと思う。テンポが落ち、ボリュームが下がる。もうすぐインストルメンタルを含めた全6曲が終了する。ケースを手に取り、表と裏を交互に眺める。アーティストの写真ではない、デザイン重視のジャケット。図柄が好みで購入を決めたものの、あまりに懲りすぎている為だろう、曲名もアーティスト名も一目見ただけでは分からない。崩されたフォントで書かれたアルファベットの羅列を辿ってみたが、それらの内どれが曲名なのか、アーティスト名なのかの判別も難しい。裏側にも抽象的なイラストが描かれているだけで、どうやら中身を開かなければタイトルは分からないという造りらしい。机に置かれていた付箋を一枚剥がし、CDケースにぺたりと貼り付ける。音楽が止まり、回転音すらも沈黙した。実物を見ずに音だけでそれを確認すると、机に重ねていたCDケースに手を伸ばし―――しかしその手前、光と振動だけで着信を知らせる携帯電話に気付き、動作を止めた。音楽に音を重ねることを好まないので、この携帯が音を持つのは外出時くらいのものである。CDケースよりも簡単に開く画面を数秒見つめ、あぁと気付く。まだ見慣れているとは言い難い、最近知り合った人物の名。しかし用件の方は容易に想像出来、何気なくひとつ頷いてから通話ボタンを押した。
「もしも―――」
『あ、ロンちゃん?なんかあった?』
 自分の声を盛大に遮り、主語述語と言った文法を一切無視した大声に、思わず携帯を耳から離した。この手の電話が掛かってくるのはもう4回目になるだろうか。未だに、最初から耳を離しておけば良かったと思ってしまう。来週こそはと、カレンダーを眺める。来週も同じ時間帯に携帯が鳴るということは分かりきっているのだ。
「今週は今の所……うーん、ストライクってのはないです。ちょっと目を付けてみようかと思ってるのが1枚。あと2枚残ってますけど。山下さんの方は?」
『こっちも微妙かなぁ。好みってのはあるんだけどストライクってのは中々……。俺もあと1枚残ってるんだけど』
「え、まだ聴き終わってないのに電話してるんですか?珍しい……」
『んー、申し訳ない程度にコレ好みじゃなくて』
 声音は薄く苦笑いである。受話口から流れてくるメロディラインに耳を傾け、ふんふんとリズムを取っていた遊は、ふと声を漏らす。
「この曲調、オレ好きですけど」
『え、マジで?』
 少し驚いたような声のあと、アーティスト名とタイトルを告げられる。手近にあった紙にメモを取り、積まれた数枚のCDを眺めてみたが、同じタイトルの物は置かれてはいなかった。その旨を伝えると、弾んだ声で「明日持って行く」と返ってくる。「お願いします」と伝えたあと、今度は遊が、今週の収穫であるCDのタイトルとアーティスト名を伝える。まだ聴けていない2枚を含めて全部で5枚。内訳としてはシングル4枚とアルバム1枚なので、今週の出費は少ない方である。5枚全てがアルバムだった週は財布が悲惨なことになってしまう。伝えた5枚の内、2枚はどうやら相手も持っていたようである。音楽の好みが一致することは少ないが、ジャケットデザインの好みは割と一致することが多い。被った2枚もイラストを使用した物だった。
 
 受話口から聞こえていた音色が変わる。購入したCDを聴き終わってから電話を寄越すのが相手の日課だったが、今日のように、全てを聴き終わる前に電話を寄越すこともある。その時いつも不思議に思うのは、彼は電話口で会話をしながらCDも聴いているという事である。会話の内容も覚えているし、どうやら歌詞も耳に入っているようである。「よく両方聴けますね」と訊ねた所、返ってきた答えは「だって耳って2つあるじゃん」というものだった。時折遊は、彼の言葉をどこまで信じて良いものなのか分からなくなる。

『あ、』
 暫くの無言の後、小さく声が聞こえた。唐突に会話が無くなっていた所為で電話を切るに切れずにいた遊は、携帯を耳に当てたまま机に置かれたCDケースを眺めており、相手のちょっとした変化に気付くのに少し遅れた。ワンテンポ遅れてから、「どうしたんですか?」と声を投げ掛けてみるも、相手が集中しているのであれば声を掛けても返っては来ないだろういうのは分かりきっていた。思った通り相手の声はそれ以降聞こえず、変わりに聞こえてくるのは彼が現在聴いているであろうCDのメロディライン。あぁこの曲が好みだったんだろうな、と遊は思った。遊の持つCDコンポよりも随分と良いものを使っているのだろう、携帯で聴いても分かる程度にクリアな音が聞こえる。加えて、遊の部屋ではこの音量で音楽を聴くことは出来ないので、彼の生活環境というものを少し羨ましく思う。
 メロディラインはやがて終焉へと向かう。嫌いな音ではない。

『この人ら好きかも』
 無音が数秒続いた後、そう声が聞こえた。いくらか弾んでいるこの声は、何度か聞いたことがある。お気に入りを見つけた時の声だ。彼が「曲」と言わず「人」と言うこともその指標である。電話口だった所為もありはっきりとは曲を聴くことが出来なかった遊には、まだ良し悪しを判断出来ない。「誰のですか?」と問い掛けた。
『んー、ん……横文字読めない』
「またですか」
『なんで最近のアーティストって横文字多いンかなぁ』
「山下さんのとこも横文字ですよね」
『俺が決めたんじゃないもん』
 賢いのだか頭が悪いのだかさっぱり判断出来ない相手である。電話越しに曲名やアーティスト名を伝えられる時などは、アルファベットの羅列で伝えられることが多い。メモした遊がその発音を伝えるのである。因みに彼の所属するグループ名は「EncAnoter」。造語であるこの名を付けたのはリーダーだという話はちらりと聞いたことがある。
『えーっとねぇ、……シレン?』
「試練?」
『ん。エス・アイ・アール・イー・エヌ。SとRが大文字』
「あれ、…あ、英単語ですか。あー」
 最初に聞こえた単語を真っ先に漢字へと変換していた遊は、直後に聞こえたアルファベットを急いで紙へと走り書く。出来上がった単語を眺めて、その発音を脳内から探し出して頷く。
「それ多分、サイレンだと思います」
『サイレン?……あぁ、そう読むんだ』
 分かっているのかどうかはさておき、どうやら理解はしたようである。自分よりも7つは年上であるはずの彼の教養レベルには不安に思ってしまう所が多々あるが、恐らく何を言っても改善はされないであろうという事は残念ながらこの一月の付き合いで分かってしまった事である。知力はあるのだが学力がないと言い切っても良い程度だろう。訊ねられた事一つに対して一つ答えていけば一応大問題には発展しない、ハズである。
『ロンちゃんは聴いてない?』
「あー、はい、持ってないです」
『んじゃコレも持ってくわ』
「お願いします」
 二人揃って水曜日にCDを買うのが日課であれば、自然と木曜日は貸し借りのラッシュとなる。固定された就業時間というものとは無縁の世界で働く彼の時間に合わせて、遊は学校帰りに近くの喫茶店へと寄るのだ。電話と同じく、これも明日で4回目になる。
 
『一緒に仕事出来たりしないかなぁ』
「……えらい飛躍しましたね」
『夢は持つモンでしょ』

 彼の言葉に苦笑しながらも、案外叶わない夢でもないんじゃないかなんて思ってしまった遊は、自分に対しても肩を竦めて笑った。早く明日になれと、思わざるを得ない程度に彼らの曲を聴きたいと思っている自分がいるのも、事実なのだった。

Jump into the Sideway

あの音と、この音と

 ネオンとか、雑踏とか、クラクションとか。
 そういったモノを一切遮断して、無機質な蛍光灯が照らすだけの地下通路には、少し足を踏み入れただけでも音が遠くにまで響く。違反だと分かっていながら爆音で通り過ぎていくバイクも、たまにはいる。
 けれど正規の利用方法以外として一番使われている理由は1つだけだろう。

 左翊は地下通路の入り口に立った瞬間に、その足を止めた。
 音が、聞こえる。
 大きくはない音。何度も聞いていればどの辺りでその音が鳴っているのかなんてこと、簡単に分かってしまう。通路の丁度ど真ん中。人数は1人。他に歩いている人も、誰もいないだろう。
 耳を澄まして、音を確かめる。
 今日は誰だろうか。先日見掛けたテノールの美声は、反対側からスカウトしに来た別人に取られてしまった。その前見掛けたデュオは、二度見掛ける事はなかった。そろそろここへ足を運ぶ回数は二桁を超えるだろうか。そう簡単に逸材が見つかるとは思っていなかったが、2度もチャンスを逃してしまっていてはやる気は削げてしまう。
 足を一歩踏み入れ、音に耳を傾けた。ギターの、音がする。

「……………酷いな」
 ぼそりと呟くと、彼は踏み出した足を再度止めた。奧から響いてくるものは、とてもじゃないが演奏と呼べるようなモノではない。まだ和音を弾いている“だけ”、ならいい。これでは和音にすらなっていない。ギターに興味を持った少年が初めてそれを手にした時、見様見真似で適当に弦を弾いている…、まさにそれと同じだった。いや、それよりも酷いかもしれない。時折聞こえる音は、明らかに弦が緩んでいる掠れた音。チューニングもまともに出来ていない、とんでもない奏者がこの中にいるのだった。
(よくこれでストリートなんてやろうと思ったもんだな)
 呆れて苦笑いすら浮かべる事の出来ない左翊は、中に入る事もやめた。普段だったら好みでない演奏でも、通過はしているのだ。もしかしたら、“まさか”な事があるかもしれないから。だがしかし、今回ばかりはそれは望めないと、そう判断した。

 踵を返して、数歩。
 歩いた所で不意に彼は足を止めた。
 音が、聞こえた。
 背後の地下通路。通路の丁度真ん中辺り。さっきの下手くそなギターの音が聞こえてきた辺り。どうやらさっきの演奏は、前奏だったらしい。という事はこれはAメロだろうか。もしかしたらサビかもしれない。いや、そんな事はどうでも良い。曲は、今は関係ない。

「あのギターの奴が歌ってるのか………?!」
 音が響くのも構わず、左翊は地下通路の中へと駆け出した。歌声はまだ、音痴過ぎるギターの音と一緒に響いている。伴奏に合っていない歌声は、地下通路の中には優雅に繊細に響き続けている。ギターの音と、左翊の足音だけが雑音となっていた。

 若い奴だった。
 やはり通路の真ん中辺り、古くなってチカチカと点滅している蛍光灯の下。壁により掛かりながらギターを手に歌声を奏でていたのは、予想していたよりもずいぶん若い男で。目を閉じて歌う姿に歌声はよく似合っているのに、ギターの音だけが不協和音を奏でている。いっそのこと彼の持つギターを取り上げて折ってしまいたいとすら、思ってしまう程だった。今の彼に、今のあのギターは不要だ。
 こちらに気付いているのか、いないのか。
 歌う事をやめず、ひたすらに、陶酔しているかのように彼は歌い続けていた。歌声はずっと聴いていたいのに。中断させたくないのに。このギター音だけが不快で、中断させたくなる。
 微妙な葛藤を繰り返しながら、左翊は彼の目の前に立ち尽くしたまま歌声に聞き惚れていた。

 今日は、勝ち取ったと思いたかった。

「視聴料」
 歌が終わり、音痴なギターソロが終わり、演奏が終わった。
 目を開いた彼は戸惑うことなくまっすぐに左翊へと手を伸ばし、開口一番にそう言った。勿論左翊は、は?と問い返してしまう。反響した声で彼がなんと言ったのかが聞こえなかったというのもあるが、まさか演奏が終わった途端に向こうから声を掛けられるとは思っていなかったのだ。
 問い返した左翊に、手を伸ばしたままの彼は不機嫌そうにもう一度口を開いた。
「視聴料。ずっと聴いてたでしょ」
 催促するように手をグイとやる彼を見て、ようやく左翊は意味を理解した。そして同時に、思っていた以上に彼が子供なのかもしれないという可能性に、眉をひそめた。
「お前のギターなんかに金が払えるか」
「は?!ずっと聴いてたくせに何それ!酷くねえ?!」
 喚き散らす声が響き渡る。思わず耳を押さえたくなる衝動をグッと抑え、左翊は盛大に、そしてゆっくりと溜息をついた。言いたい事を全て整理しよう。このチャンスを、逃してたまるか。

 ひらりと、何かが舞った。座り込んだままの男は、その動きを思わず目で追い、そしてそれらが地面に落下した所でそれがお札である事に気付く。千円札が3枚。男の足下に散らばった。
「ギターには払えないが、歌声になら払える」
 男が左翊を見上げると、左翊は見下ろしたままそう言った。
「俺と組む気はないか?」
 人付き合いが得意とは言えない左翊の、精一杯の勇気だった。自分から何かを始めるだなんて、今までに数える程の回数があっただろうか。返事が戻ってくる事に怯えながら、それでも何かを確信したような目で、男を見下ろしていた。

「オレの歌声、三千円なんかじゃないから」

 少しの間を置いて、男はそう返した。それは、喚き散らしていた声とは打って変わった大人びたトーン。彼の歌声に似た響きに、ドキリとする。
 無音の時間は長すぎたように感じたが、無音がなくなるとその時間は急速に遠のいていく気がした。左翊は、男を凝視して言葉の意味を考えた。彼の本質は、一体どちらなんだろうか。しかし返す前に、男の方が口を開くのだった。
「もーちょっとさ、くんない?ちょっと今金欠なんだよねー」
 肩を竦めて笑う男に、深く考えすぎたと左翊は後悔した。単に彼は、金が欲しいだけではないか。別に、何かでかい事を考えているわけではなかった。だがさっきのあの声は。あのトーンは。演技だとは思えなかった。
 再び溜息を溢すと、左翊はしゃがみ込み散らばっていたお札を拾う。
「あ、オレの金」
「まだ俺のだ。…お前、誰かと組む気はあるのか?」
 むう、と唇を尖らせる彼に呆れながらもその感情は顔には出さず、方向性を変えて問いかけた。もしかしたら既に相方がいるのかもしれない。全く組む気はないのかもしれない。とにかくその意思が知りたかった。
 不機嫌そうだった男はほんの少しその表情を変え、少し思案したあと意外な程まっすぐな表情で左翊に返した。

「ココで歌ってればスカウトが来るって聞いてたんで。“遠藤”サイキさん?」

 彼はニッと笑った。
 が。

「………。誰から聞いたのかは知らないが、俺は“古河”サイキだ」
「あれ?そうだっけ」
 慌てた素振りも全く見せず、謝る気もどうやら全くないようだ。だがそれで充分だ。こちらとしては、思わぬ所で自分の名前が出てきて焦っているのだから。どこで聞いたのだろう。まさかとは思うが、毎夜この地下通路に来ていた事が噂にでもなったのではなかろうか。居心地の悪さを少し感じながら、しかし未だ楽しそうに笑う彼を見て、追求するのはやめようと思った。
 これはもしかして。

「まいーや、そういうワケ。古河サン?」

 今度こそ、勝ち取れたのかもしれない。

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