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カテゴリー: 一次創作

七夕前日の話

「まーた雨だ」
窓を叩く水飛沫を見ながら、迅夜はうんざりといった声で呟いた。時間の割に暗い空は、この雨がしばらく止まないであろう事を告げている。今度は溜息が溢れた。
「雨だな」
ちらりと窓を一瞥し、またすぐに手元に視線を戻したのは左翊だった。わざわざ見ずとも音を聞けば外が土砂降りであることは分かる。左翊にとってはその程度の興味だった。
「明日には止むと思う?」
窓の外を見つめたまま、迅夜はそう投げ掛けた。対する左翊は、迅夜がそこまで天気に拘る理由が分からずに少しだけ首を傾げる。視線を上げても、迅夜はまだ外を見たままだった。
「さあ。何か用事でもあったか?」
「んー、用事って言うか、ほら、明日七夕じゃん?どうせなら星見たいなぁって思ったんだけど」
たなばた。一瞬言葉と意味が結び付かずに再度首を傾げた左翊は、今度はすぐに合点がいった。そういえばそんなイベントがあったような気もする。7月7日の星祭り、のようなもの。
「なんかちょっと違う気もするけど」
「星を見るんだからそうだろ」
「そうなんだけどなんか、なんかさあ!ニュアンスって言うか、ロマンとか」
「分からない」
「サイの分からず屋」
いつの間にか窓に背を向けていた迅夜は、子供のように頬を膨らませ左翊のことを睨んでいた。呆れた溜息を溢すと、更に迅夜の表情が険しくなったような気がした。
会話は終了したと判断し、左翊は視線を落とす。趣味と言うほどではないが、予定のない雨の日などには本を読むこともある。頻度が高くないせいもあり読む速度は大層遅く、興味が薄れれば途中でも読むのを放棄してしまうので一冊を読み切ることがあまりないのだが。この本は読み切れるだろうかと読み進めた時、ふと気になる文を見付けた。

「七夕の前日の雨は、ヒコボシが自分の使う車を洗っているから、だそうだ」
「へ?」
自分でもらしくない台詞だと思いながら、左翊は読んでいた本のページを開いたまま迅夜に差し出した。窓の傍から離れ左翊の目の前にやってくると、迅夜はその本のページに視線を落とす。指差された一文には、今まさに左翊が読み上げた言葉が書かれている。
「へえ」
顔を上げ、もう一度窓の外を見る。ざんざんと激しく降る雨は、なるほど空の上での洗車の様子だと思えばそう見えなくもない。
「んじゃこれは二人が出会うための準備、ってこと?」
「そういうことらしいな」
いや、別にそういうのは興味ないが。と付け足すも、迅夜は聞いてもいないようだった。ふーんだのへーだの、しきりに一人で感心しているように見える。言わなければ良かっただろうかと、左翊は聞こえないように小さく息を吐いた。

「けどさ、洗車したくてこんなに雨降らして、それで明日も雨になっちゃって会えなくなるんだったら、それは自業自得だよね」
やや置いて、ぼんやりとした声が聞こえた。
窓の外は相変わらずざんざんと音を立てており、迅夜の言う「自業自得」はどうやら当てはまる事態となりそうでもある。
「見栄張らなくたっていいのにね」
そう言った迅夜の心境は、今の所左翊には分からないものだった。

CrossTune

またあした

さして広くもないはずなのに、白を基調とし、静寂に包まれた部屋は随分と広いような気もする。もう何度も足を踏み入れ、馴染み深い場所となっているというのに、知らない世界へとやってきたような感覚。無音なわけでもない。開いた窓から入り込む風の音、その外の草葉の揺れる音、遠くの道路の音、空調の音、廊下の向こうから響く声、足音。聞こえる音は多い。ただそのどれもが、一枚ガラスを隔てた向こうの世界の音のようだった。
「お昼寝中かな」
小声で流衣は呟いた。ベッドに横になった翔は、目を閉じたまま静かに寝息を立てている。返事がないのを確認し、流衣はベッドの隣に置かれた椅子にそっと腰掛けた。鞄は床には置かず、膝の上に抱えたまま。じっと翔の顔を見つめていると、静かに眠る彼は、本当にただ昼寝をしているだけの少年だった。奇妙な安堵感と不安感がどうじに押し寄せ、目元がぐっと熱くなり、そして口端が少し上がるのを感じた。本当に変な感覚だ、と思う。
窓の外に視線を移すと、澄み切った青が目に入る。そこに浮かんだ白は、ゆったりとした時間を具現化したように静かに形を変える。まだ夕方までは長い時間があった。
「帰りたい?」
空を見つめ外の空気を感じながら、流衣はもう一度口を開く。独り言のような問い掛け。返ってくる言葉はやはりない。
「私はいつでも、いつまでも待ってるよ」
静寂の中に言葉は消えていった。

「流衣?」
読んでいた本から顔を上げると、こちらを向いている翔と目が合った。気付くと陽は先ほどよりも随分と傾いており、もうすぐ西日になりそうな太陽が、白い部屋に光を送り込んでいる。
「おはよう」
そんな時間ではないというのは分かっていたが、眠っていた相手に掛けるには最も適した言葉。
「おはよう」
翔からも同じ言葉が返ってきた。
「よく眠れた?」
「寝すぎたと思う」
身体を起こしながら、翔は肩を竦めて笑った。流衣は本を閉じると、椅子を少しベッドに寄せる。いつも通りの表情。困っていないのに困ったように笑う顔。今度感じた安堵感には、不安感は紛れ込んでこなかった。膝の上に置かれた鞄のさらに上に、本を置いた。
「もしかしてずっといた?」
「うーん、この本を半分読んだくらい」
「うわ、ごめん」
「いいよ私が勝手に来てるんだし、本読んでたんだし」
もうちょっと寝てたら最後まで読めたのになぁ、なんてふざけて言ってみたら、夜眠れなくなっちゃうよ、と返された。それは確かにそうだろうなと思う。
「明日はみんな来るって。欲しいものあったら聞いといてって言われたんだけど、何かある?」
明日は土曜日だった。大体恒例の部屋が賑やかになる日。ときどき日曜日も。ときどき静かな週末も。
「今は大丈夫かな。……あ」
答えながら思案していた翔の表情と言葉が一瞬止まる。何かを見つけたかのような目が流衣へと向けられた。
「ソフトクリーム……って、大丈夫かな」
おそるおそる訊ねる翔の様子に、流衣は数回の瞬きをした。そしてその意図するところを察して、くすりと笑った。
「大丈夫じゃないかな、峡君が頑張ってくれると思う」
「…大丈夫かなぁ…」
明日の「彼」の労働力に期待と不安が半々。けれど聞いてきたのは向こうからなのだから、ここは頑張ってもらわないわけにはいかない。伝えておくね、と言いながら、流衣はくすくすと笑っていた。翔も、つられて笑ってしまっていた。

太陽が本格的に西日となって、青が橙へと移ろい始める。急に風の温度が下がったような気がして、流衣は椅子から立ち上がり鞄と本を椅子に置いた。
「窓、閉めていい?」
「うん」
ベッドの足下をぐるりと周り、窓際へ。カラカラと窓を閉めると外の空気が遮断され、鍵を掛けると室内の静けさはさらに増した。廊下から聞こえる音も随分と少なくなっている。だんだんと人の少なくなる時間だった。
「そろそろ帰るね。また明日、お昼過ぎには来れると思う」
「うん、待ってるね」
椅子の置かれた場所へと戻り、空いたままだった鞄に本を入れる。ファスナーを閉じる音がギュッと室内に響いた。
入り口の扉を開けると、廊下の音が一気によみがえってくる。静かであることは室内と同じであるはずなのに、違う静寂のような感覚。
くるりと振り返ると、翔と目が合う。先に片手を軽く上げて、にこりと笑った。
「また明日」
「うん、また明日」
翔も同じように片手を上げて、そして笑った。
廊下に出て扉を閉めると、そこに立ちこめるものがやっぱり別の世界の空気のような気がした。けれど居心地が悪いわけではない。廊下も、室内も、流衣がいつもいる場所の空気だった。

また明日。言葉には出さないで、流衣はもう一度呟いた。また明日、そのまた明日、その次も、また次も。会える限りはずっと会えますようにと、魔法の言葉を呟いた。

Chestnut

お題:白い世界

「大丈夫か?」
声を掛けられて迅夜がハッと顔を上げると、不安げな灰色の瞳がこちらを見ていた。足を止められた所為でこちらも止めざるを得なくなり、地をぎゅっと踏みしめた。
「平気」
「そう見えない」
「平気だってば」
視界の全てが白だった。
正確には”全て”ではない。顔さえ上げてしまえば周りの景色も前を歩く左翊の姿も見えるのだから、他の色などいくらでもあった。けれど慣れない足下に必死になり下ばかり向いていると、目に入るのは白ばかりだった。
「ちょっと、何も考えられなくなりそうになっただけ」
訝しがる表情が離れてくれないので、誤魔化すように笑いながらそう言うと、左翊は更に眉をしかめた。駄目だこりゃ、面倒臭いな…、迅夜はそう思って溜め息を吐き出した。実際、原因を作っているのは自分だ。この道に慣れている左翊には何も堪えるものはないのかもしれない。
「…俺の事見ていればいいだろう」
「サイ、その言葉すごく気持ち悪い」
「………悪かった」
言わんとする意味は一応分かっているが思わず苦笑いを浮かべる。居心地悪そうに左翊も視線を逸らした。
再び歩き出し、出来る限り白以外の色を視界に入れようと視線を動かす。時折足を滑らすが、転ばなければ問題はないだろう。白に入り乱れる黒、灰、青…
「赤は、映えるな」
突然ぼそりと声が聞こえた。
シーンという擬音が実際に聞こえてきそうな程静まり返った白の世界には、足音以外の音が聞こえず、低く小さな左翊の声もよく聞こえた。「なんで?」と返すのを一瞬躊躇う。
「白に飛び散って広がった赤、一度見たら忘れられない」
聞いてもいないのに左翊の言葉が続いた。それは迅夜に投げ掛けていると言うより、自分自身へと向けている独り言のようで、とても遠くの世界を見ているようだった。
「ねえサイ、重たいモノ俺にも押し付けるのはやめてよね?」
「……悪い、そういうつもりじゃなかった」
前を歩く左翊の表情は見えない。
―――見えなくて正解だった。見えていたら、どこに巻き込まれるのかが分からなかった。
“何も考えられなくなりそう”なのは、もしかしたら左翊も同じだったのかもしれない。

「ってかこの道どこまで続くのホントに!寒いんだけど!」
「まだしばらく掛かる。大体そんな薄着で出てくる方が悪いだろう」
「すぐ着くって言ったのサイの方じゃん、全然すぐじゃない!」
「歩いてれば着く」
「遠い!」

見える世界はまだまだ真っ白だった。

+++++
20分

CrossTune

お題:人違い

初めて歩く土地で、何か懐かしいものを見掛けたような気がした。土地に似合わないような気さえした、青い色だった。
雑踏の中、うっかりするとあっという間に見失ってしまいそうな色は、それでも混じりきらない綺麗な色だった。
「ま、待って」
思わず叫んで人混みを掻き分ける。道行く人々が気にしたり、気にしなかったり、それぞれの形相で見ていた。
恐らく気付いていないのであろう後ろ姿は、振り返る様子を見せない。
もう少し、もう少しで手が届く。
逃げるために人混みの中を走るのは得意だが、人混み中目的地に向かって走るのは苦手なのだと、こんな時に気付かされた。
いつかの何かのために覚えておこう。そう思いながら少年は口を開く。
「峻!」
肩に手が届くのと、青い髪が振り返るのとはほぼ同時だった。
そして、
「…あ」
振り返った顔を見た途端、少年は口を開いたまま動きを止めた。
足を止めた二人を邪魔そうに避けながら、時折ぶつかりながら、人混みは流れていく。
ぶつかった衝撃でハッと我に返った少年は、見知った顔を想像していた見知らぬ人物にものすごい勢いで頭を下げた。
「ご、ごごごごめんなさい!人違いでした!」
よく見れば、青は青でも自分の知る青よりも幾分か緑に近い色だった。長めの前髪から覗く顔立ちは、自分と同じか少し上くらいの年頃に見えなくもない。一体何を勘違いしてしまったのだろうかと、少年は顔を真っ赤にしてしまう。
慌てふためいた結果最後にべたっと頭を下げ、そして少年はそのまま走り去ろうとした。が、
「待って」
今度は反対に、青い髪の少年が声で少年を制止する。あ、やっぱり声がどことなく似てる気がする。そう思って走る気力は即座に失われる。
「あ、あの、変なこと聞いてごめんなさい。あの、もしかして、俺のこと見て、”シュン”って言ったの?」
恐る恐る、けれど奥底には確信を持って。
青い髪の少年は、真っ直ぐに少年の目を見て問い掛けた。

+++++
20分

CrossTune

お題:花

すっかり慣れてしまった振動を身体に感じながら、通り過ぎていく景色を眺めていた。
折角渡した花束は、結局助手席、つまりは自分の膝の上に置かれることとなった。
「要らないってワケじゃないからね」
四輪車に乗り込みながらダリアはそう言っていたし、実際そう思われているだなんて思ってはいない。
けれどどことなく複雑な気持ちになる遊龍だった。
ガタガタと激しく揺れながら砂埃が立ち上っていく。今はもう前にも後ろにも茶色い地面しか見えなかった。
途中で立ち寄った小川の流れる森で休息を取った際、色取り取りの花が咲いているのを見付けた。
森も、川も、そして花々も、随分と久しぶりに見たような気がしていた。
水の流れる音を聞きながら、風が木々を揺らす音を聞きながら、遊龍はごろんと地面に転がっていた。
おっ、いいな!とダリアも真似して寝転がり、そして今はすっかり爆睡中である。
気持ちよさそうに眠る彼女を起こすつもりはなかった。
風が頬をくすぐっていく度に、一人の少女の姿が脳裏に過ぎる。と同時に、この風は彼女の元に届くだろうかと想いを馳せる。風が届けるのか、少女が呼んでいるのか、そこまでは遊龍は知らなかった。
そうして思い出を振り返っているうちにたくさんの花々に目が行った結果、目を覚ましたダリアに「意外!」と大笑いされたのだった。
景色から膝の上の花たちに視線を落とす。見たことのない花だった。
この場所に来てからあんなに花が咲いているのを見たのは初めてで、もしかしたら他のもっと街や山に行けば珍しいものでもないのかもしれない。ただ今の遊龍の知識では、至極珍しいものだったのだ。
「作り慣れてンの?」
ダリアは前を向いたまま問い掛けた。エンジン音と振動に掻き消されないよう、声は自然と叫んでいる。
「ちょっとだけ!」
返す遊龍も声を張り上げる。見ると隣でダリアはえらく機嫌良さそうに笑っていた。
「いいねェ、青春少年!」
「そ、そんなんじゃないです!」
咄嗟に返した言葉が、どういう意図に返したどういう意味の言葉だったのか、遊龍には自分でも説明できなかった。

+++++
30分

CrossTune